~2月14日バレンタインver~[飴に願いを込めて]

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2月14日バレンタインver


 「もう嫌だあっ!」


 時は明治時代。山のふもとの農村。はち切れるような女の子の声が聞こえる。大きく空に吸い込まれた声は、外で作業している村人の耳にも入った。声のする方を見ると、ある家から小さなおかっぱの子が走って出てきた。大きな瞳からは、たくさんの涙が溢れていた。


 「どうしたんじゃ、峰子ちゃん?」


 1人の村人が女の子に声をかける。その子は観念したように、その場にしゃがみこんでわんわん泣き出した。


 その子の名は、峰子みねこ。この村のたった1人の女の子。村人たちは、みんなでこの子を可愛がって育てた。


 だから、峰子が泣いている、といえば、放っては置けないのである。でも、村人たちは、泣いている理由を知っている。なんなら、その理由を知っているからこそ、放って置けない。


 「まーた、両親が喧嘩してるんかあ。」


峰子はコクコクうなずく。田を耕していた村人たちは、くわを置き、峰子を囲んで慰める。主婦たちは手拭いを渡して、背中をさすっていた。


 峰子は、弟が2人と両親の5人家族だ。今から6年前、峰子が2歳と、母親のお腹に1人目の弟がいるときに江戸から引っ越してきた家族。最初こそ、仲睦まじい家族に見えたが、父親に問題があった。父親は、酒癖が悪く、酒を真っ昼間から飲んでは、家族にあたり散らしていた。峰子の母親も、肝が座っているので、酔っ払った父親に食ってかかる。こうなったらもう止められない。家の中はぐちゃぐちゃ。弟2人は泣きわめき、峰子にすがりつく。峰子は泣くのを我慢し、親に「やめてよっ!!」と対抗。そんなのが、この6年間、ほぼ毎日続いている。村人たちも、毎日聞こえる怒号に、ほとほと疲れていた。それでも、峰子を放って置くことはできなかった。むしろ、峰子を哀れに思っていた。


「峰子ちゃん、弟も連れてしばらくうち来てな。お菓子、いっぱいあるんよ。」


背中をさすっていた1人の主婦が声を上げた。その主婦は夫と仲が良いが、子供ができない体だった。子供が大好きなその主婦は、いつもこういうときお世話していた。


「おばさん、いいの?」


「峰子ちゃんが来てくれるとうちがうれしいわあ。今、旦那が出掛けてるんやけど、すぐ帰ってくるから。うちの旦那も峰子ちゃんと遊びたがっててん。」


「うん!弟連れてくる。」 


峰子はすっかり泣き止み、立ち上がった。


「あれ、誰や?」


 囲みの中にいた男性が、村の入口を指さしていた。みんなでそっちに視線を流すと、Yシャツにサスペンダーのついたズボンの、都会の格好をした男の子が立っていた。1人の村人が駆け寄り、声をかけた。


「どうしたん?誰かに用か?」


「あ、えっと、江戸から隣の村に引っ越してきた者です。ちょっと近くを散策してて。」


男の子の声は透き通るガラスのようなきれいで、でもしっかりとした声だった。


「おぉ、お前、いくつや?男前やなあ。」


「えと、10歳です。名は、虎吉とらきちといいます。」


「あらあ、じゃあ峰子ちゃんと年が近いのねえ。ほら峰子ちゃん、挨拶してきな。」


「え、うん……………。」


峰子は、虎吉に向かって、緊張した面持ちで歩く。


 虎吉は、峰子に向かって、微笑んでいた。


「あの、峰子って、いいます。よろしくね。」


「峰子ちゃん、よろしくね。」


「あ、えと。う……………!」


峰子は、恥ずかしかったのか、隣にいたおじさんの後ろに隠れてしまった。


「峰子ちゃん、遊ぼう。僕、たくさん遊ぶもの、持ってるんだ。」


そう言って、虎吉は、手のひらくらいの硬い紙の束をポケットから出した。


「なあに、これ?」


「これは、トランプって言うんだよ。」


峰子が、「とらんぷ?」と首をかしげると、手に口を当てて笑っていた。


「峰子ちゃん、弟うちに連れてきて4人で遊びな。虎吉くん、だっけ?虎吉くんも、うちに来な。」


「あ、そうだった。」「え、いいんですか?」


「ふふ、息ぴったりやねえ。」


峰子は、少し微笑んだ。


「じゃあ、行ってくる!」


 峰子は、まだ、喧騒が聞こえる家に駆けていった。


 虎吉は、悲しみに帯びた瞳で、峰子の姿を見送っていた。




 「峰子ちゃん、トランプうまいね。」 


「とらくんが弱いんよー!」


弟と4人、トランプをして遊んでいた。峰子はとらくんこと、虎吉と話があって意気投合していた。今まで同じ年代の子がいなくて寂しい気持ちをしていた峰子は、虎吉といるのがとても心地よかった。 


 お互いの家族の話や、江戸の話。最新のおもちゃなど、たくさんの話をした。弟たちも虎吉になつき、楽しいひとときを過ごした。




 「とらくん!」


峰子は、隣村に帰るという虎吉を村の入り口で呼び止めた。


「どうしたの?」


胸をきゅっと掴んだ峰子が、虎吉に駆け寄る。その目は、潤んでみえた。


「今日は、ありがとう。」


「……………うん。」


「また、遊びにきてね。」


虎吉は、そんな峰子の頭を撫で、


「そんなに寂しそうにしないでよ、隣村に住んでるんだからさ。すぐまた遊びに来るよ。」


ニコッと微笑んだ虎吉の顔が、今までにないくらい、峰子の心を躍らせる。


「じゃ、またね。」


そして、峰子に背を向ける。


「ぅん…………うん!またねえ!」


峰子は虎吉が見えなくなるまで手を振った。




 何日か後に、また虎吉は村にやってきた。


 それを心待ちにしていた峰子は、笑顔で虎吉を迎えた。


 「今日は、僕んちにきてよ。」


そう言われ、この日は虎吉の家に遊びに行った。隣村は、都会に近く、虎吉の家は、峰子の家より大きかった。


「すごいねえ。」 


「そうかな?」


「うん!すごいすごい!」


峰子が跳びはねると、「じゃあ、中でトランプしよっか。」と、虎吉は峰子の手を引いて、中に招き入れてくれた。


 峰子にとって、虎吉はお兄ちゃんのような存在だった。峰子が「べんきょーしたい。」というと、東京で習っていたという、“そろばん”を教えてくれた。


 峰子は姉としていろいろなことをしつける側だったから、このひとときが、ほっと力を抜ける時間だった。虎吉と遊んでいる時が、ゆういつ、子供に戻れる時だった。




 「僕と遊びたいときは、いつでも来てね。」


帰り、峰子の村まで送ってもらっているときに、言われた言葉に「うん。」と峰子はうなずく。


「親が喧嘩してるときとか。逃・げ・た・く・な・っ・た・ら・、ね。」


「……………………逃げたくなったら?」


「うん。弟たちとも一緒に。」


「わかった。ありがとう。」


「じゃあ、また今度ね。」


「うん!!まったねーーー!」


今日も峰子は虎吉が見えなくなるまで手を振った。




 それから2年間、お互いの家に行ったり来たりしていた。峰子の両親が喧嘩しているときに弟を連れて逃げたり。峰子がおつかいで近くを通るときに何気なく寄ったり。


 でも、虎吉は違った。峰子の家には上がろうとしない。峰子の村に訪れると、家から峰子だけを引っ張りだして、どこかで遊ぼうと誘ってくるのだ。峰子がうちにあがりなよ、と言っても聞かないのに、峰子の父親を見つけるとまじまじ見ていたり 。峰子にはそれがいつになっても、意味が分からないままだった。また、いつも、いつ虎吉の家に行っても、なぜか虎吉の親がいないことも気がかりだった。1回も、虎吉の親に会ったことがないのだ。


 この2年間で峰子の心に変化があった。最初は虎吉と話していると安心する、温かい、というだけだったのが、親の喧嘩から逃げて虎吉の家に行ったとき、抱擁して慰めてくれたときに心に灯った小さな赤い炎。トランプで遊ぶときの優しい横顔。胸が苦しくなって、自分の心が自分のものではないみたいな感覚を、峰子は感じていた。


 もっと近くにいたい。もっと、とらくんの事を知りたい。そういう独占欲に心が脅かされる自分が、峰子は嫌ではなかった。


 この時間が、ずっと続けば良いのに。




「峰子ちゃん、今日は話があるんだけど。」


2人でトランプのタワーを積み上げ、やっと5段完成!というところで、虎吉が声をかけた。


「どうしたん?改まって……………。」


峰子は10歳、虎吉は12才。身長差がけっこうついて、隣あって座っている峰子は、虎吉を見上げる形になった。


「僕、1週間後に江戸に戻ることになったんだ。」


「え…………………?」


「もう、こうして会えない。」


この村から江戸に行くのにたくさんのお金と時間がかかることは峰子も知っている。たしかここから江戸までは、1日くらいかかる。もう、一生会えないのは、目に見えていた。


 トランプのタワーが、音もなく崩れた。


「峰子ちゃんと遊ぶの、楽しかった。ほんと、僕と遊んでくれて、ありがとう。」


「そんなっ………!私こそ………助けてくれたんはいつも、とらくんだった。…………ねえ、それは行かなくちゃ、ダメなん?とらくんだけでも、残れないん?親の、都合やろ?私、とらくんがいなきゃ、嫌や……………!」


峰子はあわてて引き留めた。いなくなったら、自分の心に穴がぽっかり空いてしまうことを悟って。


「ごめん、どうしても行かなくちゃ、ならないんだ。それに、峰子ちゃんは、僕がいなくてももう大丈夫。親が喧嘩してたら、弟を連れて、逃げるんだよ。喧嘩に、関わろうとしなくていいから。だから、僕がいなくても大丈夫だよ。」


そう言って、私の肩を掴んでなだめた。落ち着いて、大丈夫だから、と。


「ち、ちがうんよ………………!そうじゃ、なくって…………………!」


涙をこらえた峰子は、しっかり虎吉の目を見て告白した。


「好き、なんよ……………!とらくんとずっと遊びたいん!もっといろんなこと、したい…………!もっともっと、とらくんのそばにいたいん!」


「峰子ちゃん………………。」


「う、ふ……………………うわああん!」


峰子は虎吉の腰に抱きついた。泣きながら、消えてなくなってしまう泡を、かき集めるように。


「ごめんね。その気持ちは、受けとれないよ…………。」


「うっ、うっ。」


「2月14日の、列車に乗ってく。その時は、見送りにきて。」


「うっ、う………………ん。」


「約束してくれて、ありがと。よしよし。」


そう言って、虎吉は峰子の背中をトントン叩いた。




 14日の、昼下がり。峰子は列車の来るホームに来た。


「とらくん!」


「峰子ちゃん。」


虎吉は、峰子に駆け寄っていった。


「本当に、来てくれたんだね。」


「あ、当たり前…………………やろ?!」


照れくさくて、峰子は虎吉の顔を直視出来なかった。


 でも、今日が、虎吉と会える、最後の日。


 立春を過ぎたとはいえ、白い息が出る寒さに凍える。


「峰子ちゃん、寒い?」


「うん……………でも、大丈夫や。」


峰子は最後まで見送りたかった。こんなところで、帰るわけにはいかないのだ。 


「そうだ、これ。峰子ちゃんにあげる。」


虎吉が差し出したのは、2人でいつも遊んでいた、トランプ。


「これ……………いいん?大切なものじゃないん?」


それに虎吉は、はにかんで答えた。


「うん。大切なもの。大切なものだから、大切なひとにあげるんだよ。」


「大切な、ひと…………。」


「うん。それ、ずっと持ってて。それで……………」


ふっと、一瞬、笑顔が消えた。


「僕のこと、ずっと、忘れないで。」


峰子ちゃんの見間違いだよ、というように、虎吉はすぐに笑顔が戻った。


「っ……………!」


実らない恋の種は、あまりにも大きく育ちすぎて。もう逃げられないことを、峰子は悟った。だからこそ、とらくんのことを一生覚えていよう、大人になったら、貯金して江戸に行こう。と心のなかで峰子は決意した。


「私も、何か渡せるものないかな?」


そう思い、峰子は自分のありとあらゆるポケットをあさる。「お返しは大丈夫だよ。」という虎吉の言葉を無視し、「これいいんやない?!」とポケットから取り出す。


「手、出して?」


震え気味の虎吉の手の上に乗せたのは、たった1つのハッカ飴。


「あめ……………?」


「うん。…………ごめんなあ、こんなときにこんなものしかなくて。何か用意しとけば良かったなあ。」


「いいんだよ、峰子ちゃん。これでも十分、嬉しいから。」


そう言って虎吉は、ハッカ飴を包み紙から取り出し、口の中に放り込んだ。


「…………スースーする。」


「そう、喉にもええんよ!」


「ありがとう。」


その時、パァーーーーーーーー、と、列車がやってくる音がした。


「……………もう行かなくちゃ。」


「うん、いってらっしゃい。」


ゆっくり、2人の別れが近づいてく。


 列車のドアが、開く。


 虎吉は、列車に乗り込み、振り返る。何か、未練があるような目をして。


「………?」


「じゃあ、ね。」


そう呟き、虎吉は峰子に向かって微笑んだ。お互い、最初に会ったときを思い出す。


 ドアが、絡みあった視線を断ちきるように閉まる。


「またねっ!」


峰子は祈るように叫んでいた。峰子は、すがりたかった。


 また、会えるよね?会いに、行くから。


 その時は、あの言葉を。どうか、受け入れて。




 虎吉はただただ峰子に笑いかけることしかできなかった。


 子供の虎吉たちだけでは断ちきれないこの約束を。


 虎吉は、胸の奥に秘めておくことしか、できなかった。



 2月14日に渡す、飴キャンディ。それは、のちに、こんな意味を持つこととなることを、峰子は知る由もなかった。


 『あなたと長く一緒にいたい』


 叶わなかった願いを、飴キャンディに込めて。

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