第27話
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セリカが泊まっているのは、市庁舎に近い高級宿であった。トマーヤを訪問する貴族や名士が泊まる宿で、大臣の父を持ち、自身もハイエルフであるセリカもその一人ということになる。さらに言えば、好奇心のまま各地を放蕩するセリカの為に、宿の一室は常に空けられているらしい。
宿の玄関には身なりを整えたスカウトが立っており、システィの姿を見るやすぐに笑顔をこしらえた。
「騎士ラハーマ、ソーラ博士にご用ですか」
「は、はい。お願いします」
システィの家は騎士の出自とはいえ、公務の一端を担っているに過ぎない。本来このような高級宿とは縁がない。ともすれば自分よりも立派そうに見えるスカウトに誘導されてロビーのテーブルに腰かける。
「ただいまソーラ博士をお呼びします。どうぞおくつろぎください」
「は、はい。ありがとうございます……」
スカウトが去っていくと入れ替わるように給仕の女性が紅茶とクッキーを運んでくる。三か月前にセリカと友達になってから、この宿を訪ねるのは何度かあったが、その間にシスティの好みは紅茶の温度からクッキーの食感に至るまで宿の知るところとなっており、昨夜の余り物でしのいでいた少女の小腹を大いに刺激した。
(だ、ダメよ。今日はセリカの埋葬に付き合いにきたんだから)
理性によって築かれた堤防は芳醇な香りと女給のにこやかな視線を前に多少の譲歩を迫られ、一口侵入を許してからはあっけなく決壊した。
言い訳めいた表情で背筋を伸ばして神妙に紅茶とクッキーを補給し続ける姿を階段から見たセリカ・ソーラは首をかしげた。
「システィ……どうしたの、ひょっとして騎士のお作法?」
「天気によってはね」
セリカはいつもと変わらない真白いローブを着ていた。精霊学者はこの同じローブを何着も所有している。セントラントの森を往復していた時に来ていたものはあちこち汚れて擦り切れて廃棄してしまった。
「体はどう? 怪我とかしていない?」
「大丈夫よ、セリカこそ転んだりしたでしょう」
残りのクッキーを分け合った後、二人は宿を出てトマーヤのはずれにある馬房商へと向かった。基本的には市民の足として荷駄や馬車を貸し出しており、騎士の馬は従卒の館に隣接した厩舎に入れられている。
「どうも、ソーラ博士に騎士ラハーマ。わざわざ見舞いに来ていただきまして」
馬商は剽悍な体つきの初老の男だった。騎士の厩舎のほうにも餌や用具を卸しており、システィも知っている人物だった。
「本当に、ごめんなさい。あの、これ……」
そう言ってセリカが差し出した袋の中には金貨がつまっていた。システィの年給を軽々と上回っており、ラバ一頭の損失としても多すぎる金額に馬商のほうが恐縮した。
「お、お待ちください。こんなにはいただけませんよ。まあ、その、この半分もいただければ……」
袋の中から十数枚の金貨をすくいあげると、それよりもと顎をしゃくった。
「もう準備はできておりますので、はやいところ埋めてしまいましょう」
案内されたのは森の中に半分ほど入り込んでいる馬房のさらに裏側にある小屋で、数台の空の荷車に並んで、一台だけはラバが白い布に巻かれて乗せられていた。
馬商が小間使いを四人連れてきて荷車を曳かせて、森の奥につながる道へと入っていく。システィとセリカも後に続いてに十分ほど歩くと、開けた場所に出た。
そこは墓地だった。トマーヤ市民の死後の棲み処であり、その片隅に家畜の為の埋葬地があった。人間の為の墓地と比べればとてもそっけない。重複を防ぐ為に立札と記号で仕切られているだけで、墓石もない。他にはいつ置かれたのかもわからない花瓶があるだけだ。
馬商が呟いた。
「私が稼業を継いだ頃までは、一頭の馬も一頭の牛も、死ぬ度に人が集まってみんなで埋めていたものです」
小間使いがスコップを持って穴を掘る間、システィとセリカは馬商に倣ってラバの布を取り除いた。普通の馬とは違う間の抜けた顔。小さくとも均整の取れた馬体。そして香料でごまかされる死後の匂い。システィは噴き出そうとする感情を抑えて、ただ感謝の気持ちだけを込めて撫でた。
「今では騎士の方でも、馬の埋葬に付き合おうなんてお方はめったにおりませんて」
埋葬を終えた後、馬商が呟いた。仕事を終えた彼らと一緒に街へ戻ろうとした時、システィはある人影を発見した。
「テデリさん?」
「これは、ラハーマ様」
現在キッセイ牧場で待機している白馬騎士コリンナ・マレーンに仕える初老の従卒は黒の落ち着いた平服で丁寧なお辞儀を返した。しかし彼以外には誰の姿も見られない。どうしたのかと問いかける寸前に、相手の意図を察することができた。
「あ、その……」
察したところで、それが役に立つわけではなかった。コリンナはバフェットウルフとの遭遇で二人の従卒を喪っている。テデリの役目はその埋葬についてであろう。
「お心遣い、痛み入ります」
うまく言葉が見つけられないシスティを見て、テデリは再び――今度はより深く――頭を下げた。
「失礼いたします」
テデリは墓地のほうへ歩いていった。何も言えなかったシスティとセリカは呆然と従卒の背中を見送って、トマーヤへの帰路についた。
「システィ」
セリカが口を開いた。
「ありがとう」
「……うん」
「それに……昨日は大変だったでしょう?」
「昨日も、だね」
「街の雰囲気がね、すっかり変わっているわ」
それはシスティも痛感したところだが、客観的な立場であったセリカは、
「はじめはすごいお手柄だって、システィのドラゴン退治の時みたいにお祭り騒ぎだったのだけど、だんだんと静かになっていったわ」
すこしおかしな話になっていったと言う。
「普通なら、こういう時はお酒がはいっていって、夜になるにつれて盛り上がっていくはずじゃない。なのに、賑やかだったのは夕方くらいまでで、みんな怖がるみたいに帰っていったわ」
「私たちが怖がられているんだね」
そう言った瞬間にフェンマラノーラ・テロミアの微笑が浮かび上がってきたのは、ほとんど無意識の閃きであった。
「まさか、フェマが……?」
そのように誘導している? 市民に扇情的なビラを撒いて熱狂的な騒ぎを起こした後に、怖がらせる噂を流して静めた。それがフェマの戦略なのだろうか。自分の名を売る為にだろうか。フェマが何か目的をもって不可解にも見える数々の行動をとっているのは疑いようがない。その目的が何なのかがさっぱり見えてこないのが不可解を通り越して不気味に思えてくる。本当に、ジェニアが言ったように英雄にでもなろうとしているのか。
しかし……システィは後ろを振り返った。森の中の一本道の向こう側に小さく墓地の形が映る。コリンナの従卒の死はフェマと直接関係ないが、フェマが扇動した邦国騎士団の小隊内にも犠牲者はいる。殉死した者はいないが、傷病者はいる。その傷が原因で死ぬ可能性はまだ否定されていない。新聞の号外はそれらの犠牲を利用してフェマ――とシスティたち――の英雄的行動を讃えている。
「それはやっぱり、まちがっていることよね……」
「システィ……」
呟くシスティの心情をセリカも理解していた。一緒に立ち止まって振り返って追従してくれた。
「かといって、フェマはもう捕まっているし、私にできることはなんにもない。たぶんフェマは邦国に送還されて、この事件はおしまい」
「……そうね」
「そういえば、こないだ言っていたよね。ドラゴンの被害が増えたのは、戦争が原因かもしれないって」
「えぇ」
「バフェットウルフが出たのも、それが原因なのかな」
「そうかもしれないけど、あくまでも仮設よ。きちんと調査したわけでもないし……でも、調査の必要はあるかもしれないっていうのは思うわ。お母様に相談してみようと思うの」
二人は前に向き直って歩きだした。馬商たちももうずいぶん先を歩いていて、ほとんど二人きりだった。話すことは小隊のことと精霊のことくらいで、我ながら色気がないとシスティは思うが、実際トマーヤに来てからは色気づいた話がないのだから、しかたないことだった。騎士学校ではまだ花ざかりの乙女たちが少しでも長く青春の歌を歌おうと休日の前夜から寮を抜け出していったものだが、卒業して騎士の職についてからは毎日働き続けて夕方にはへとへとになって眠りに落ちてしまう。それでもジェニアやヘルミネたちは少ない非番をやりくりして余暇を味わっている。フェマも遊びまわっている風にしか見えないのに、確認してみれば仕事はきちんと終わっていた。本当に奇妙な話だ。もしかしたら、本当にただ規則を破ってでも騎士の義務を果たそうと思って行動しているだけかもしれない。しかしそれはもう今後考える必要はたぶんない。フェマは二度目の謹慎となり、その後にシスティのいる第二小隊に再編されることもおそらくない。それが良いことなのか悪いことなのかは、その後になってみなければわからない。そう考えながらトマーヤに戻り、セリカを宿まで送っていった時、思わぬ人物と再会することになった。
「ネイさん?」
日焼けした肌に右耳の周りだけを剃った赤毛のショートヘアは屠龍騎士ネイ・クリンガーを証明するものだった。
「おや、ひよっこ騎士のシスティーユお嬢ちゃんじゃないかい。狼退治でも大活躍だったみたいだね」
システィはかっと頬が熱くなるのを感じた。軽くつくられた鎧に巨大なドラゴンスレイヤーを背負うネイはシスティが知る限り最強の戦士であり、こうして会うと尊敬の念が強くなっていると自覚する。そんな人に大活躍だなどと言われるとうれしさよりも恥ずかしさが前に出てくる。
「まあ、いいよ。あたしが用があるのは、あなたのほうさ、ソーラ博士」
「セリカが?」
呼ばれたセリカがわずかに身を強張らせた。なぜか身構えざるを得ないものが、この時のネイにはあった。
「あ、あの、この前の話の続きでしょうか……」
理由のない緊張で声が震えるのを不審に思うシスティの前をネイは颯爽と通り抜けた。ごく自然にセリカに近づき、無形の力に押されるように後ずさるハイエルフを道端に追い詰めると、
「そうだね、こないだの続きさ」
「……ッ!」
その瞬間、セリカの表情が青ざめた。ネイの左手が背中に回って引き寄せられると、重なり合った胸の陰に短剣が押し当てられた。
「ね、ネイさん……!」
傍目には街はずれの痴情にしか見えないネイとセリカだが、二人の様子をずっとうかがっていたシスティだけが、鋭利な輝きに気づいていた。
「教えてもらうよ。あなたが隠してる……シレーヌの居所を」
第一部 完
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この物語をお読みくださいまして、誠にありがとうございます。
お読みいただきました通り、ここで一度、完結とさせていただきます。
その理由は、すでにお分かりいただけるかと思いますが、予想を超えて長くなってしまった為です。
もともと長い話のつもりでしたが、まさかここまで量が出るとは思っておりませんでした。
そこで、設定を考え直して、より短いお話にするつもりで、打ち切った作品となります。
だからといって、このまま封印するには惜しいと思ったので、このように小説投稿サイトに投稿させていただきました。
あらためて、お読みいただきまして、本当に、本当にありがとうございました。
そして、やはりこうしてアカウントを作ったことにはもったいないので、以前に書いたガッツリした戦国時代小説を今後アップロードしたいと思います。
安心してください。それはちゃんと完結しています。
以上となります。よろしくお願いします。
もっそ
ドラゴンスレイヤーさん! ハイファンタジーのつもりがずいぶん百合ゆりしてしまいました!!~ドリトン大陸白馬騎士物語~ zankich @mosso_zankich
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