ハナアヤメ

 言うまでもないが、基本的にわたしのような一般魔術師が綾女様にお目にかかる機会は存在しない。極々稀に、綾女様の気分がこれ以上なく乗った時にはご祈祷を直接聴いて下さるらしい、というくらいだ。

 そのため、わたしは綾女様についていくつものぼんやりした疑問を持っていた。ただ何となく「どんな方なんだろうなー」くらいに思っているもので、実際に綾女様に尋ねてみたいというほどではない。畏れ多くて訊けないというのも少なからずあるけど。

 例えば、綾女様は稲荷神なのか。

 例えば、綾女様は普段何をしていらっしゃるのか。

 例えば、綾女様はどのようなものをお召になっていらっしゃるのか。

 例えば、綾女様はどのようなお顔とお声をしていらっしゃるのか。

 例えばを挙げればきりがない。

 という訳で、思わぬ幸運によって綾女様と対面することが叶ったわたしは、労せず持っていた疑問の幾らかを解消する機会を得られたと思われた。


 巫女装束の女性の言葉から十秒程置いて、正面の空間に誰かが現れる気配を感じた。その急な現れ方からして、転移していらっしゃったのは間違いない。

 わたしは椿様に倣って、一層深く頭を下げた。巫女装束の女性も同じようにしていた。

「面を上げよ」

 現れた人物――百パーセント綾女様――は厳かにそう仰った。

 その言葉に従って顔を上げると、御簾がひとりでに上がっていく様がまず目に入った。同時に後ろで拝殿の扉が閉まる音が聞こえた。

 御簾の後ろに居たのはわたしよりも背の低い少女にしか見えないお方だった。ただし、その身は五十センチ程宙に浮いていたし、その顔は白地に紫色で装飾された狐面で覆われていた。豊かで長く艶やかな黒髪は束ねられておらず、足元まで届くほどの長さを誇っていた。

 お召し物はと言えば、薄紫色の恐らく覆水干おおいずいかんと呼ばれる上衣――上衣自体は水干なのだが――を着ておられ、お履きになっている袴の色は僅かに青みがかった紫色だった。アヤメの花の色だ。水干の下には赤いひとえをお召になっていた。

 それは昔の女性神職の服装――色はともかく――ではないか、と思ったが勿論何も言わなかった。

 ふわり、という表現が似合うような軽やかさで、綾女様は地に降り立ち、そのまま静かに上品にお座りになられた。髪が扇状に綺麗に広がる。

「わざわざ呼び立てて済まぬな」

 綾女様が今度は優しく仰った。

「綾女様がお呼びとあらば、即座に参上致しますのが私共の喜びでございます」

 椿様は軽く頭を下げて応えた。スっとその応えが出て来たのは本当にそう思っているからだと、わたしにも分かった。

「そしてそこの女。我が家門の者でもないのに呼び立てたことを済まなく思う。名を名乗るが善い」

 次はわたしの番だった。まあ、それは予想して然るべきだった。

「宿木優里と申します。お目にかかれて光栄に思います」

 わたしは深々と頭を下げた。

「椿がわたしの力を借りてでも助けようとしたのは汝だけだ。誇ると善い、優里」

 綾女様は少し楽しそうにそう仰った。

「しかも、わたしの記憶が正しければ、椿が汝を助けたのは先日のアレで二度目だな? 一度目はここの境内だった」

「は、はい。その通りです」

 綾女様は狐面の下で少しお笑いになったらしかった。

「いやはや、あの椿が二度も同じ者を助けようとは。余りに珍しいこと故、どのような者がそうさせたのか見てみたかったのだが……なるほどな」

 何がなるほどなのかよく分からなかったので、わたしは頭を軽く下げることで返事とした。何ら反応しない訳ではなく、無難に。

 綾女様は徐にその顔を覆う狐面に手をおやりになった。手の大きさの割には長い指が、思わず息を飲むほど美しかった。

「此れより面を外す。気を確り持て。己が魔力に意識を向けよ。善いな?」

 初めにお声をお聞かせ下さった時と同じような厳かな口調で、綾女様はお尋ねになられた。いや、お尋ねになったというより、命じられたと言うべきかもしれない。

 わたしはハッキリと頷いた。

 綾女様の華奢な手が、ゆっくりと狐面をずらしていく。

 その下から現れたのは、未だかつて見たことのないほど美しい女性の顔だった。椿様も美しいお顔をしているが、綾女様のご尊顔を何かと比べるのは不可能だ。それほどの圧倒的な美だった。その目は橋姫先生とはまた違う紫色で、先生の色が紫水晶なら綾女様はやはりアヤメだった。

 そして濁流のように迫る暴力的な魔力量。魔力とは生命力であり、同時にその人の持つ神秘力である。それが、ただ存在しているだけでこれほど溢れ出てくるとは、流石綾女様としか言いようがない。

 例えて言うなら、魔術師でない一般の人が持つ魔力量をよくある二十五メートルプールだとして、私の魔力量は琵琶湖くらいにはなる。わたしは家柄もあってかなり恵まれている方だが、多い人は(例えば橋姫先生)その倍以上あったりする。逆に少ない人だと、普通の人の倍程度の容量しかない場合もある。では綾女様はといえば、少なくとも海に匹敵するだろう。ここまで多いと、全体を掴むのは不可能だ。しかし、溢れ出る分から逆算して推し量ることくらいはできる。一般に、溢れ出る魔力というのはあまりにも少量過ぎて計測出来ない。だが、綾女様の魔力は、わたしの持つ魔力全体の十倍は溢れている。

 その上、その質も飛び抜けている。濃さ、と言い換えてもいい。わたし達人間が持つ魔力は、実はかなり薄い。一方、この町を覆う根源魔力エーテルは結構濃い。だからわたしの魔力で薄めて、害のないようにしなければならないのだ。そして綾女様の魔力は、濃さは根源魔力の比ではなく、それでいて体に優しい温かさがある。根源魔力が致死毒なら、綾女様の魔力は万能薬だ。

 なるほどこの魔力が相手では、自分の存在を見失ってしまう。それは魔術師にとって致命的だ。下手をすると自我をも失うことになる。だから「己が魔力に意識を向けよ」だったのだ。

 改めて綾女様の畏れ多さを感じたところで、意識をわたし自身の魔力から綾女様へ向け直す。

「ふむ、問題無さそうだな。心配し過ぎだったか?」

「いいえ、あのお言葉が無ければ溺れておりました」

 わたしは頭を深く下げて感謝を示しながらそう答えた。

 綾女様は目だけでお笑いになった。器用な方だ。

「汝、姓を宿木と言ったな」

 綾女様が、何でもない事のようにお尋ねになった。

「はい、そうですが……」

あずさは息災か?」

 わたしは少し息を飲んだ。

 宿木梓はわたしの母だ。

「……はい、元気にしていると、思います」

 答えるまでに少し間が開いてしまった。その間をどう受け止めたのか、綾女様はまた少しお笑いになった。

「先日の件ならわたしも紫音から報告を受けている。まあ、災難だったな。しかし、アレを送ったのは十中八九梓ではないだろうというのが紫音の見立てだ」

「どうして、分かるんですか?」

「紫音がその手の専門家だからだ。今は教師の真似事をさせているが、彼奴の真髄は探偵にある」

 わたしの頭の中に、インバネスコートを羽織って鹿撃ち帽を被り、大きく湾曲したパイプを手にしている橋姫先生の姿が浮かんだ。あの人は割とスラッとした長身なので、何を着ても似合ってしまうのがズルいと思う。

「まあ、大きくイメージが違うという訳ではない。或る意味では彼奴はシャーロック・ホームズだと言っても間違いでは無い。……何を驚く。わたしとて横文字くらい使う」

 何を考えても筒抜けらしかった。

「当たり前だ。誰があの紫音を鍛えたと思っている」

 明らかに呆れた顔を綾女様はなさった。ちょっと悲しいが、是非もない。

「紫音の調べたところによると、あの頭蓋骨に仕掛けられていた魔術の標的は紫音だ。汝はその歯車の一つとして考えられていたらしい。無論巻き込むことに対する躊躇はなかったろうが。嗚呼、あの頭骨は紫音のそれを模した複製品レプリカだったらしい」

「橋姫先生を狙って……?」

「彼奴はわたしが鍛えた甲斐もあって並の手段で殺すのは殆ど不可能だ。だからああいう手段に出たのだろう。ふん、紫音を相手に失敗するとは、間抜けめ。今は逆に死体になっている頃だろうな」

 綾女様は冷たく仰った。

「橋姫先生が、どうして狙われるんですか?」

 わたしは思わず尋ねていた。

「言ったろう。紫音は探偵だ。それも、神秘世界一のな。彼奴の働きで何らかの罰を受けることになった者は山程居る。その怨みを一身に背負っているのだ。命を狙われても可笑しくはあるまい」

「しかし、魔術連盟の標語は――」

「皆まで言うな。『魔術師たる者、法如きに縛られることなかれ』だろう。わたしが言い始めた事ではないが、ある種の真理でもある。我々神秘に生きる者は人の法では縛り切れぬ筈だ。魔術師であるからには、人の常識を超越した存在になれ、という意味の言葉であって、法を進んで破れという意味ではない。魔術師には魔術師の法がある。それを破る者には、神秘世界なりの罰が下る。本人の命で済めば軽いものだ。大概、一族郎党全員処分となる」

 冷笑しながらそう仰る姿に背筋が凍った。やっぱり、綾女様はヒトを超越したお方だ。別にヒトがどうなろうと知ったことではない、という考えが伝わってくる。

 わたし達とは全く異なる価値観に畏れを抱いた時、先程巫女装束の女性が入って来た襖の向こうで足音がした。そちらへ視線を向けると、いつの間にか巫女装束の女性はいなくなっていた。足音は襖の前で止まる。

「橋姫紫音殿が参りました」

 その声は、やはり先程の巫女装束の女性のものだった。

「通せ」

 綾女様が仰ると、襖が音もなく開けられた。

 巫女装束の女性は、綾女様のものより装飾が赤く少ない狐面を着けていた。結局顔は狐面で見えないのか。きっとお美しい顔をしているだろうと思ったのだけど。

 橋姫先生はその後ろに立っていた。

「首尾はどうだ」

 綾女様はそちらに視線も向けずにお尋ねになった。

「どの件の話です?」

 橋姫先生は澄まして言った。いつもより心なしか声が低い。

「三つ目の件と、五つ目の件だ。五つ目から話せ」

「下手人は適切に処理しました。捕らえようとしたところで決闘を挑まれたので、呪を返してやりました」

 綾女様はニヤッとお笑いになった。

「言ったろう。今頃逆に死体になっているだろうと。わたしの見立て通りだったな」

 綾女様だけでなく橋姫先生も平然としているのを見て、わたしは気分が悪くなってきた。

 魔術師というのはこういうものなのだろうか。

「それで、三つ目の件ですけど」

 橋姫先生は(わたしの状態には絶対気が付いているけど)また話し始めた。

「こちらも概ね上々です。『赤の女王』についてのみ少々問題が」

「そうか」

 先生の意味のわからない言葉に、綾女様はただ一言で答えられた。

「綾女様。私達はこの辺りで御免蒙りたいと思いますが」

 椿様が随分久しぶりに声を発した。

「嗚呼、お前にも仕事があるだろうからな。構わぬ」

「では、失礼致します。行くよ、優里」

 椿様は地に頭が付くほど深くお辞儀して立ち上がった。わたしもそれに倣い、椿様について退出した。


「ごめんね。紫音は重大な案件に取り組んでるみたいだから、私達があそこにいると色々やりにくいと思ってさ。機密情報とか有るだろうし」

 椿様は拝殿を出るなりそう言った。本当に申し訳なさそうにしていたので、却ってわたしが申し訳なくなる。わたしとしては、さっきも言ったようにちょっと気分が悪くなりつつあったので、連れ出して貰えて助かったのだ。

「大丈夫です。ところで、この後は?」

「買い物かなぁ。この辺りで魔獣が発生したって報告はないし」

 椿様は携帯を確認してそう答え、わたしを買い物の場所まで案内してくれた。つまるところ、わたしはこの街に詳しくないので、ちょっと買い物するにも道案内が必要なのだ。

 買い物と言っても、別に洋服とかを買うわけではない。何しろここは魔術師の街だ。買う物と言えば魔術具だ。

 そんな店内で、わたしの目に止まったものがあった。

「これ……」

「うん、かなり値打ちのあるものだね。こんな場末の店で売ってるようなものじゃないんだけどな」

 それは一振の日本刀だった。魔術的のみならず、美術的にも価値がありそうな業物だ。

 そもそも日本刀というのは神秘が宿りやすい。これは日本で魔術が発展しているのと同じ理由だ。というのも、この国の神秘観に起因することだが、八百万の神という概念が存在するからだ。何物であれ神が宿る。それは「自らを神たらしめ、この世を再建する」という魔術師の至上目的にとって非常に都合がいい考え方だった。だからこの国で魔術が発展し、魔術師達を纏める魔術連盟という組織を作れたのだ。

 話を戻すと、何にだって神が宿るのであれば、刀にも神は宿る。また、御神刀というものがあるように、刀を神社に奉納することもある。

 似たような例が西洋に無いわけではないけれども、あちらはキリスト教が強すぎて、他の神秘は力を持ちにくい。それに、あちらので現代まで伝わっているのは大抵妖精関係の物だ。神秘の格が違う。

「お目が高いですな、お客様」

 後ろから声がした。そこに店主がいることは分かっていたので、わたし達は驚かなかった。いや、急に話しかけられたということには驚いたけども。

「店主、これはどこで?」

 椿様は少し強めの口調で尋ねた。返答如何で店主の運命が決まることを思わせる声音だった。

「没落した魔術師の名家の跡取り様が、家を立て直す資金の為とわたくし共にお売り下さったことで手に入れました。わたくしもこの商売を始めて長いですが、これほどのものがやってきたのは初めてです」

 老店主は朗らかにそう答えた。

「ただ一つ残念なことに、この刀には銘がなく、専門家に鑑定してもらわねば誰の作か分かりません。単純な興味として知りたくもありますが、その結果わたくしが高く買いすぎたなどということになるのが怖くて調べられずにおります」

 気持ちは分かる。わたしも店頭で買ったものが通販で安く売ってるとショックを受ける。

「した方がいいですよ。高く買いすぎたってことには絶対になりませんから。よければ信用のおける鑑定士を紹介しますよ」

 椿様は険しい表情でそう言った。

 そんなことがあったので、わたしはその店でスクロール何枚かを購入し、椿様は店主の名刺を受け取った。

 そうこうしているうちに時間になり、わたし達は連れ立って魔術連盟の講堂へ向かった。

 魔術連盟本部は、天狐神社の地下にあるとされている。しかし、その実態は少し異なる。正確に言うならば、天狐神社の地下に入口がある、というのが妥当だろう。魔術連盟本部自体は、極めて複雑な魔術によって構成された、謂わば異世界のような場所に在る。だから、入るためには特殊な契約が必要だ。その契約によって連盟員になった者だけが入ることを許される。勿論わたし達は何の問題もなく入ることができた。

 今更説明しなければならないことではないとは思うけど、現在の魔術連盟は殆ど研究機関だ。大学みたいな。だから講義なんてものがある。まあこの講義は基本的に、わたしみたいな新米魔術師が研究を行えるようになる為の場であって、既に優れた能力を持っている人は大抵受講しない。そういう人達は自分の研究の為の資金、設備、人手、資料、人脈といったものを目的として加入しているのだ。椿様にしたって、橋姫先生の講義だから聞くのであって、他の講師だったらわざわざ本部へは来ないだろう。

 橋姫先生が使う部屋は結構広い講義室だったが、教壇から最前列の間がかなり開いていた。

 わたし達は比較的後方の席に座った。

 五分ほど経って、講義が始まる時間丁度に、橋姫先生が入って来た。驚くべきことに、その服装は先程とは異なり、見事なフロックコートにシルクハットだった。最近の魔術連盟で流行りの正装だという話を聞いたことはあったが、実際に見るのは初めてだった。手にはステッキも携えており、ポニーテールに束ねた髪の長さに目を瞑れば、英国紳士のようにも見えた。

 橋姫先生は何も言わずにつかつかと教壇へ向かい、その上でステッキを窓へ向けて一振りした。次々とカーテンが閉まっていき、明るいだけで何も見えない外の景色が隠された。

「魔術師、魔法使い、魔女——まぁ呼び方は何でもいい――つまり我々にとって、杖というのは本来切っても切れない関係にあるものだ」

 橋姫先生は、普段のわざとらしい女性言葉を使わずに始めた。

「古代ローマのカタコンベにおける初期キリスト教美術に分類される壁画で、イエスが杖を用いて奇跡を行う様子が描かれている。聖書には杖を用いたという記述はないにも関わらずだ。つまり、敢えて文字にするまでもなく奇蹟の類は杖によって行われると考えられているというわけだ。他にもモーセの例もある。しかし――」

 橋姫先生は言葉を切り、教室内を見渡した。

「――この中に杖を普段使用している者はいない。何故か」

 教室の前の方で手が挙がった。先生はステッキでその方を指した。

「魔術研究において杖は必要ないと考えられているからです」

「その通り。理論の研究に杖は基本的に必要ない。ではそれは何故か。それを理解するためには、杖というものがどういうものなのかを正しく理解する必要がある」

 先生が手を叩くと、教卓の上に何本かの杖が現れた。

「杖にも種類がある。まず私がいつも持っているこの杖」

 先生は先程から振り回しているステッキを掲げた。

「これは見ての通りステッキだ。しかし、魔術師にとってステッキがどのような意味を持つものかは敢えて説明しなくとも問題ないだろう。『魔法使いはステッキを振るものだ』という大衆の認識を利用して魔術の効果を高めたり、効率を良くしたりすることが出来る。例えば――」

 先生はステッキを教卓に置き、左手で教室の後方を指さしながら右手で指を鳴らした。

 左手の人差し指の先から、火が噴出した。一瞬だけ、比較的小さなものが。

「これはただ点火するためだけの魔術だから、大した火力はない。今の様子をよく覚えておくこと」

 そう言って教卓からステッキを取り上げ、同様に教室の後方を指す。指を鳴らすと、ステッキの先から先程の十倍はあろうという大きな炎が噴き出した。

「見ての通り、煙草やら蝋燭やらに点火するためには火力が過剰になる。だから余計に杖を使わなくなる。だが、それは根本的に考え方を誤っている」

 橋姫先生は再度ステッキを掲げると、先程と同様に指を鳴らした。噴き出す火。しかし、その大きさは一回目、つまりステッキを用いなかったときの小ささだった。

「威力が大き過ぎるなら、消費する魔力を減らせばいい。火力が十倍になるなら、魔力は十分の一でいいわけだ。ところが、そのような魔力の調節が出来ない輩が多過ぎる。普段使わないから、やり方が身に付いていない」

 先生は露骨に溜息を吐いた。嫌な人だ。

「そういう未熟者が下手に手を出すと事故を起こすのが常だ。魔力の使い方が上手くなってから扱うことをおすすめする。では諸君らが杖を全く使えないかと言うと、それは違う。これは――」

 先生は教卓の上に置いてあった他の杖を取り上げた。

短杖ワンドと呼ばれる種の杖だ。スクロールと同様に術式が込められている。つまり、振れば魔術が発動する。スクロールと違って何度か繰り返し使用することも出来る」

 先生が杖を振ると大きな炎が起こり、すぐに消えた。

「まあこれは今ので打ち止めだが。回数はものによってピンキリだ。五回程度のものであれば、この街なら容易く安価に購入出来る。にも関わらず諸君は使用しない。優れた魔術師は皆活用しているというのに」

 沈黙。生徒達は何も言わない。

「諸君の感想を代弁すると『嵩張る』『邪魔』『携帯しにくい』といったところだな。だが諸君、忘れていないか? 杖を用いた方が効率が良いということを。研究のために沢山魔術を使うのなら、効率が良いに越したことは――」

 わたしは正直この辺りまでしか聞いていなかった。流石に、この国のうちで最も由緒正しい魔術師の家系の一つに産まれた者として、そのくらいのことは知っているからだ。勿論それはわたしに限った話ではなく、椿様も同様だ。やはり、橋姫先生の授業だから聞いているのだ。

 講義が終わっても、暫く椿様は立ち上がらなかった。やがて講義室から生徒が殆どいなくなってからようやく席を立つと、そのままスタスタと教壇へ向かって行った。

「紫音」

 散々散らかした教卓を片付けていた橋姫先生は、椿様の呼び掛けを受けて手を止めると、こちらへ向き直って口を開いた。いつものようなわざとらしい女性口調で。

「貴女も来てたのね。わざわざこんな低レベルの講義受けなくてもいいのに」

 それはわたしも思った。しかし椿様にとっては、内容がどうこうより、橋姫先生の講義であるということが重要のようで、一向に意に介さなかった。

「ねえ紫音。ちょっと頼みがあるんだけど」

 椿様は講義室に他の生徒が全ていなくなったことを確認してからそう言った。

「教員として? それとも探偵として?」

 橋姫先生がそう問い返すと同時に、教卓の上にあった物品はみな跡形もなく姿を消した。

「探偵として」

 椿様がそう答えると、橋姫先生の目が輝きを増した。比喩ではなく、物理的に。彼女の目は一種の魔眼だという噂は、どうやら本当のことらしい。

「依頼内容は?」

 先程の講義時のような、或いは綾女様の前で会った時のような声音だった。

「『九尾』を揃えて欲しい。あと5振り」

「5振り? 今所在が分かっているのは、私の『七之尾』、誠兄さんの『八之尾』、それに貴女の『九之尾』の3振りだけだろう?」

「さっき一つ見つけたよ。鑑定はされてないけど、多分『三之尾』だと思う」

「なるほど。その分野に関して、貴女は私より遥かに精通しているから、私は何か意見する立場にはない。しかし先の戦争で散逸したあれらを見つけるのは困難極まる。わざわざそれをこのタイミングで依頼する理由を聞かせて貰おう」

 わたしはここまで全く話についていけなかった。

 想像がつく範囲で言えば、その『九尾』という名称からして元は妖狐であったという綾女様関連の物品で、数えるのに『振り』という単位を用いていたことと、先程の古物店での出来事を考えて、恐らくそれは刀であろうということ、そしてそのうちの一つを橋姫先生が、一つを椿様がそれぞれ持っているということだけ。

 そこから予想するとすれば、綾女様に、というか夏山神社に奉納された全9振りの御神刀ってところだろうか。なんでそれを橋姫先生が持ってるのかはさっぱりわかんないけど。

「夏山市が置かれてる現状は知ってるでしょ? その対応に紫音も追われてるくらいだし。そういう時にああいうものが所在不明のまま放置されてるってのはちょっと問題がある。きっちり神社で管理すべきだよ」

 その答えを聞いた橋姫先生の目から、いつもより激しかった輝きは消えた。

「仕方ない。その思いに嘘がない以上、私が断る理由はない。しかし私一人がこなせる仕事には限度がある。君にもいくらか手伝って貰う」

 ため息混じりにそう言うと、橋姫先生はさっさと講義室を出て行った。

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玉鬘天狐神社 竜山藍音 @Aoto_dazai036

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