彼女の理由

しらす

彼女の理由

 高3の春休みは長い。

 大学入試のために1月までには授業が全て終わっていて、2月からは自主学習と補講があるだけで、登校する人はかなりまばらだ。

 自分一人の教室がこんなにがらんとして寒いなんて、他に知ってる人はいるのかな、なんてつい考えてしまう。

光流ひかるちゃん、どうしたの?こんなところで」

 不意にガラッとドアが開いて、入ってきたクラスメートの時子ときこがびっくりしたように私を見た。

「あれ、時子もまだ帰ってなかったの?」

「うん。それより大丈夫?ちょっと顔色悪いよ」


 教室内でたぶん一番背の高い私と、同じ高校生とは思えないくらい背が低い時子の身長差はエグい。のけ反りそうなほど首を反らして見上げてくる時子と、腰を折らないと視線が合わない私はもはや別種の生き物みたいだ。

 くりくりと大きな目をした小さな頭は、私でもつい撫でてしまいたくなる愛らしさだ。当然ながらクラスによらず、彼女を「狙っている」男子は多かった。


 対して私はと言えば、中学時代のいじめの記憶から「強くなりたい」と思っているうちに、いつの間にか女の子らしさみたいなものと縁遠くなってしまった。

「光流って女を捨ててるよね」と友達には言われたけど、別に捨てたわけじゃない。

 ただ気が付いたらなくなってた、そんな感じだ。


「ゴリラと妖精って感じだな」

 誰が言ったか覚えてないけど、私と時子が話しているところを男子がそう揶揄からかった事がある。

 怒った時子はその男子にツカツカと歩み寄ると、パシーンと小気味いい音を立てて頬を引っ叩いた。

「そのゴリラに叩かれる気分はどう?」

 真面目な時子はそう言って本気で怒ってたけど、この天然すぎる勘違いに教室は爆笑に包まれた。一体どこを見ているのか、彼女の目には私の方が妖精だと思うくらい美人に見えるらしい。


「ねぇ時子」

「うん?」

「今年も友チョコは受け取らなかったの?」

「うん。お返しできないしね」

 そう言うと、時子は少し苦笑した。


 今日はバレンタインデーだ。

 うちの母親が子供の頃までは、好きだと言えない男の子にこっそり告白するチャンス、という感じだったらしいけど、今では義理チョコと友チョコが公然と飛び交う、かなりオープンな日になっている。

 本命は手の込んだものを作ってこっそり渡す、なんて習慣も生きてるらしいけど、そんなのはもちろん表に出ない。小さなビニール袋に2つか3つ、手作りチョコが入ったものをクラス全員に配る女子が数人と、仲の良い友達同士で交換し合うグループが幾つか。そんな感じだ。


 それが当たり前だったから、入学当初から仲の良かった時子に、私は1年の時に当然のように友チョコを渡そうとした。

「えっ、あの、ごめん…」

 差し出した箱を見て、かなり困惑した顔で謝る時子に、びっくりした私は慌てて手を振った。

「いや友チョコだよ!友チョコってあれだよ、友達同士で渡すやつ。本命とかじゃないから」

 そう訂正したけど、それでも時子は首を横に振って、両手を後ろに回して受け取ろうとしなかった。


「ごめん、友チョコは受け取れないの」

 かすれそうな小さな声でそう言う時子の目は、心なしかうるんでいるように見えた。

「…それは本命なら受け取るってこと?」

「それも…場合によるけど…」

 どんどん声が小さくなり、うつむいた時子はそれきり黙り込んでしまった。

 今にも泣き出しそうなその様子に、私はそれ以上何も訊けなかった。




「今日は例の彼と待ち合わせ?」

「うん、玲一れいいちももうすぐ帰れるって」

 スマホを見ながら答える時子の顔は、ほんのり桜色になっている。


 私がチョコを渡しそびれた翌年、時子は山一つ越えた隣の高校の男子と付き合い始めた。もちろんそんな話を人前で堂々とする時子じゃないから、それを知っているのは私くらいだ。

 男子に告白されるたびに「私、好きな人がいるから」と断ってたけど、相手には優しい嘘なんだと思われていた。という事実を時子は知らない。


 その玲一には私も何度か会ったことがある。

 お世辞にも愛嬌あいきょうがあるとは言い難い、垂れ目に仏頂面ぶっちょうづらで私より背の高い男だった。

 私たちと同じ歳なのに、どっちかと言えばくたびれた中年オヤジのような風情ふぜいで、

 まさか弱みでも握られたんじゃないかと最初はものすごく心配した。


 それがただの杞憂きゆうだと分かったのは、彼と出会ってから時子が活き活きしはじめたからだ。

 それまでだって十分可愛かったけど、肌つやが良くなり毎朝楽しそうな顔で登校し、

 授業中にうたたねする回数がぐっと減った。

 目に見えて綺麗になった彼女は、男女問わずますます注目の的だった。

 去年のバレンタインには嫌と言うほど友チョコを贈られそうになって、断るのが大変そうだった。

「ごめんなさい、受け取れないの」

 と隣で何度も小さくなる時子の頭が、私には少し可哀想に見えて、自分も本当は友チョコを渡したいんだよ、とは結局口に出せなかった。



 そしてとうとう今年だ。バレンタインもこれで最後になる。

 自由登校とはいえ高校卒業前の最後のバレンタインデーだ。もうほとんど人気ひとけがなかった教室に、今日はかなりの数の生徒が集まっていた。

 そして時子が友チョコを断る光景もお約束通りだった。

「これ、クラス全員に配るやつだから気にしないで貰ってよ」

 などとあからさまに言われても、困ったように首を横に振るばかりで、いささか気分を害した子もいたようだった。

 それでも頑なに断る時子に、私ももうチョコをあげようとは思わない。

 ただ最後に、彼女と2人の時間を少しだけ過ごしたかった。


「校門で待つのよね?ならそこまで一緒にどう?」

「うん、いいよ」

 嬉しそうに時子は笑った。今日一番の笑顔だ。

 笑うと本当に幸せそうな顔になる時子の、この笑顔を見たかったなら、無理に友チョコなんて渡さないほうが良かったんだ。

 理由は分からないけれど、それが彼女のためになるなら。


 最近何して過ごしてる?前期の勉強は大丈夫そう?私は余裕ありそうだよ。

 そんな他愛たわいもない話をしながら歩く日々は、もうほとんど終わっている。

 時子は遠くの町の大学に行くと言った。玲一と同じところへ行きたいんだと。だから気が抜けないんだとこぶしを握る姿が、ちょっとだけまぶしい。


「あ、玲一。もう来てたんだ」

 校門につくと、門扉もんぴの上からぬぼーっとした玲一の頭が覗いていた。

 それを見て嬉しそうに駆け寄ったところで、時子は「あっ」と声を上げた。

「ごめん、ちょっとロッカーに忘れ物して来ちゃった!すぐ戻るから!」

 言うなり校舎へ戻って行く時子に、「おーい、慌てなくていいぞ」と玲一が声を掛けたけど、時子は鞄を肘で押さえて全速力で走って行った。


「あーあ、転ばないといいんだけどな」

 のんびり頭を掻きながらそれを見送る玲一を見ていると、シャキッとしろと背中を叩きたくなる。もし本当に転んで怪我でもしたらどうするつもりなの、と思うけど、私もつい見送ってしまったので人の事は言えない。

 だけど彼より1年長く彼女を見守ってきたんだから、文句の一つくらいは言っても許されると思った。


「しっかりしなよね、あんた。時子を泣かせたら私がぶっ叩くわよ」

 あごにこぶしを当てながら脅すように言うと、玲一は意表を突かれたような顔になった。でもそれは一瞬で、すぐにいつもの仏頂面に戻って行く。


 ただ今日は、それだけでは終わらなかった。

 少し背中を丸めて私と目線を合わせた玲一は、不意にすうっと目を細めて口を開いた。

「あんたにだけは言われたくないな、戸倉光流とくらひかる。その理屈なら俺はあんたをぶっ叩いていいことになる」

「は?」

 意味が分からずにそう返した途端、顎にこぶしが当てられた。私がさっき玲一にやったのと同じ格好だ。


「俺が初めて時子に会った時、あいつ学校行きたくないって泣いてたんだよ」

「学校に行きたくない…?時子が?」

 玲一と時子が初めて会ったのは、2年の新学期が始まってわりとすぐの頃だったと聞いている。だけど彼女はそんなことは1度も言わなかったし、そもそも玲一と親しくなってから前より元気になったくらいで、そんな風に悩んでいる様子なんてまるでなかった。


「あいつはな、前の年にあんたに振られて、新年度もまた同じクラスになって、ずっと友達だって言われるのが辛いって泣いてたんだ」

「え、ええ?振ったってどういうこと?私そんなこと一言も言ってないわよ!」

「直接言ってなくても同じだろ、バレンタインに友チョコ渡そうとしたんだろう」

「え、そんな、それって…」


 まさか、まさか。時子が友チョコを断ったのは。

「今はどうか知らん。でもあいつは今でも友チョコは誰にも渡さないし、誰からももらわないって決めてるらしいからな」

 それは覚えててやれよ、と玲一は私の目を見据みすえた。


「ごめん、ちょっと時間かかっちゃった!…どうしたの?」

 行きも帰りもダッシュしてきたらしい時子は、息を切らせて駆け寄って来た。そして私たちの顔を交互に見ると、不穏な気配に気づいたのか首をかしげた。

 すると玲一の表情がふっと緩み、時子に向かって手を差し出した。

「いいや、何でもない。帰ろう」

「うん。じゃあ光流ちゃん、またね!」

 玲一に手を取られて歩き出した時子は、少しだけ振り返ると私に手を振った。


 呆然ぼうぜんとしながら私が手を振り返すと、彼女は晴れやかな笑顔を見せ、再び私に背を向ける。

 それきりもう、時子は振り返らずに玲一と手をつないで帰って行った。

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