夏っていつからだっけ

 隣の彼女が大きなヴェールを丁寧に畳みながら私に問う。ううん、と私は唸りながら麻のテーブルクロスをポケットから取り出した。

「梅雨があけたらかな?」

「梅雨は夏じゃない、ってこと?」

「それなりに暑い、ね」

「そうよねぇ」

 ゆったりと微笑む彼女の、ウェーブのかかった長い髪が風にふうわりと揺れて、微かに花の香りがした。ほのかに甘いライラック。桃色の唇は小さくて私は大好きなのだけど、彼女自身はそれがコンプレックスで、褒められるのを嫌う。可愛いのに。髪を撫ぜるとくすぐったそうに身を捩った。

「夏休みが始まったら?」

「それは、もう夏真っ只中じゃなぁい?」

「うーん。じゃあいつだろ。私が来たら、じゃだめ?」

「あなたが来てすぐは、まだほとんど春じゃない」

 たしかに。彼女のヴェールはどんどん小さくなって、いつの間にか六人がけのテーブルほどになっている。桃色、菜の花色、白緑色。柔らかな色でマーブル模様に染められたそれには、小さなビーズで細やかな刺繍が施されている。

「綺麗にできている」

「ありがとう、今年もたくさん褒めてくれて」

「こんなに出来がいいのに、来年は使わないの?」

 くすくすくす。鈴がなるような笑い声。

「あなた、毎年同じこと訊くのねぇ。同じもの使った年なんてないわよ」

「毎年思うけど、もったいない」

 今や、折りたたんだハンカチと変わらないサイズになってしまったヴェールを彼女は大切そうにハンドバッグに仕舞った。ぱちん。金色の口金が軽快な音とともに口を閉ざす。そして私はテーブルクロスを広げ始める。

「あなたのも、とても素敵よ。薄手だし、明け方の海みたいな色も、とても良いと思うわ」

「暑くなりそうだから、少しでも涼しげな色にしたくて」

「じゃあ、そろそろ行くわね、夏。また来年」

「じゃあな、春」

 彼女は私に軽い口づけをひとつ落として、手を振って歩き去った。夏がはじまる。

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800字SSS 久慈川栞 @kujigawa_w

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