第50話 アイスプリンセスの聖なる誓い

「ティナ、チームを降りろ」

「なぜです? まだまだやれます」

「違う。後陣に回れってことだ。前線に出る者たちのサポートをするんだよ。大事な仕事だぞ。経験があるからこそ、前線の者を守っていける。それにこれからは本業が忙しくなるから、これくらいがちょうどいいんだ」

「本業?」


 ボスがよく通る声で高らかに宣言した。


「シャーロット・ティナ・オーウェン。おめでとう、公園管理事務所チーフに昇格だ」

「え? 少佐は……」

「あの狸野郎は俺の下だ。あれだあれ、副総督だ。ガンガンこき使ってやるぞ! あの澄ました顔を歪ませるくらいにな!」


 驚きで声も出ない私にボスは続ける。


「俺はこれを最後にする。総督として引退することにした。いや、もちろんまだしばらく働くぞ。そんなジジイじゃないからな。博士が生涯現役だなんて言うから、俺も引くに引けなくなった。下手なことすると笑われちまうからな。素晴らしい人材、活気ある環境、いいところへ来られたよ。ここで最後は平和に働きたいんだ。この星に関わって、生きていることを感じたい。なくしてしまったみんなの分までな。ティナ、お前も一緒に頑張ろう。この一年で得た知識や経験を無駄にするな。お前ならロブなんか足元にも及ばないいいチーフになれるはずだ!」


 気がつけば私はボスの腕の中に飛び込んで、小さい頃みたいにわんわん泣いていた。


「おいおい、それじゃあ嬉しいのか悲しいのかわからないぞ。こんな時はどうするんだ? うん? 教えたよな、ティナ」


 泣きながら顔を上げた私はボスに頷いた。


「嬉しいです、とっても嬉しい。この仕事続けたいって、離れ難いって、胸がいっぱいでした。だから、だから……すごく嬉しいです。ありがとうございます! ボス、カスターグナーはもう引き払いましょう。ここに住みたいです。家族で一緒に住みたいです」


 ボスは大きく目を見開いて私をかき抱き、乱暴に私の髪を撫で回しながら何度も何度も頷いた。


「ああ、ああ。そうしよう。ここを第二の故郷にしよう。フェルの花も植えて一緒に暮らそう」


 待ち望んでいた花はとても小さなものだった。全体の大きさも手の平大しかない。けれどその頂上に開いたものは、驚くほど美しいものだったのだ。五枚の花弁は星型で、氷河色の真ん中には空を映し出したような水色が広がっていた。


「……ああ、フェルの瞳だ……フェルの色だよ」


 ボスが呟けば少佐も頷いた。私も知っている。ボスのお誕生日会の中尉はこの色のピアスをしていたのだ。それは瞳の色で美しい彼によく似合っていたことを思い出す。

 ボスの瞳の色の中に、自分の瞳の色を重ねた中尉。内戦が終わって平和な日々が訪れたら、花たちとともに今度こそ、ずっとボスのために歌いたかったに違いない。そんな中尉の胸の内を思うとやり切れなさが広がった。けれどそれを悲しみにはしたくないと思った。明日への希望にかえたいと思ったのだ。そしてそれは私だけではなかった。


「ティナ、この花をマローネ・デスペランサと名付けていいか?」

「もちろんです。中尉が作った花なんですから」

「ありがとう。俺はこれを持ってフェルに会いに行くよ。許してくれるだろうか……。辛かった日々をこの花で、あいつは許してくれると思うか?」

「許すも何も、最初から中尉は……。ええ、大丈夫です。きっと喜んでくれますよ。こんなに嬉しいこと、他にはありませんから!」


 ボスが氷河色の瞳を揺らして笑った。小さな小さな花に注ぐ眼差しは例えようもなく優しかった。


 数日後、式典の後一旦カスターグナーに帰っていたウィルが戻ってきた。私たちはナーサリーの奥で中尉の夢の結晶を一緒に見つめた。


「本当に綺麗な花だね」

「マローネ・デスペランサよ。聖堂に飾られる花、聖母に捧げられる花から作られたものなの」

「ということは、聖なる誓いにふさわしい花か」

「え?」


 ウィルが私に向き直った。シェリルベルのような二つの青が私をじっと見つめる。


「ロティ、一緒に生きていこう」

「……」

「ロティ?」

「でも私……」

「ロティ、幸せの定義は人それぞれだよ。僕にとっての一番は、きみがいるということなんだ」


 ウィルの顔を見つめたまま動けなかった。そんな私にウィルが笑いかける。


「チーフ昇格おめでとう。僕もね、忙しくなるんだ。次は第二図書館と資料館の建築だって、総督も人使いが荒いよね。長くなりそうだしここが気に入ったし、移住しようと思うんだ。ゆっくり時間をかけて、一緒に新しい生活に馴染んでいこう。まあ、しばらくは総督にポジションを譲るけどね、あくまで、しばらくね」


 部隊を離れても、私が連邦政府の管理下に置かれることは免れない。死ぬまでそれは続くだろう。兵器としての私には普通の生活なんてありえないと思っていた。だからウィルがそんな私を理解してくれるだけで十分だったのだ。それなのに……。


「で、返事は、ロティ?」

「……はい、よろしくお願いします。あっ、第二図書館と資料館にも花を植えていいですか?」


 ようやく絞り出した言葉にウィルが大笑いした。


「もちろんだよ、もちろんさ、ロティ。言葉遣いがまたチーフ補佐に戻っちゃったよ。大丈夫、ゆっくりやっていこう。時間はまだまだある。焦る必要なんてないんだ。……大好きだよ、僕のロティ、ありがとう」


 その言葉とともに、私はウィルの腕の中に捕らわれた。温もりが心地よい。重ねられた唇がとろけるようで、私は夢中になってその心地よさにすがりついた。結びついたところから命の輝きが流れ出し、自分の中に満ちていくようだった。


「でも、働く時にはいつものシャーロット・オーウェンさんでお願いしますね。みんな気に入っているんだ、きみの氷のような表情と隙のない受け答えをね。ゾクゾクするんだよ。そんなできる上司に接すれば、やる気も倍増するというもの。ちょっと妬けるけど、僕は僕だけの特別を持っているから良しとするよ」


 私はウィルの少年のような口ぶりに笑った。アイスプリンセスはまだまだ卒業できそうにない。でも望むところだ。自分の仕事に誇りを持てば持つほど、きっと鉄壁のポーカーフェイスは冴え渡るだろうから。それはいつの間にか私を支える大きな力に代わってくれたのだ。

 もちろんウィルが言うように、そんなフル装備もウィルの前ではあっという間に溶け去って春の輝きとなるはず。そうやって繰り返し私を作っていこう。変わっていこう。このスロランスフォードでできることを心から楽しんでやっていくのだ。何かを始めるのに遅いということはない。思った時がその時。素直になれた時がその時。自分の心に耳を傾ければ、それはきっと聞こえてくる。

 

 銀河ポートに叩きつけられていたあの日の雨は、嬉し涙だったのだと思った。拭っても拭っても、わき上がる喜びが温かい雨となって頬を濡らしていく。

 小さな温室は、静かで染み入るような時間に満たされた。私たちはもう一度、互いの温もりを優しく重ね合わせる。満開のマローネが、聖なる誓いを見守る聖母のように、降り注ぐ光の中で揺れていた。




                               Fin

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイスプリンセス クララ @cciel

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ