私の息抜き

寿 丸

私の息抜き

 私はよく、息抜きをするのが下手だと評される。


 どうだろう、と自分でも考える。昼の休憩時間にタバコを吸うなりしているが、それ以外の時間は仕事に向き合っている。立ち上がる時といえば上司からのお小言を聞く時か、トイレに行く時ぐらいだ。


 その辺りが同僚から、息を抜くのが下手だと評される所以ゆえんなのかもしれない。


 同僚は上司がいないタイミングを見計らって、トイレに行くと見せかけてタバコを吸ったりコンビニに向かったりしている。


 私はそんなことを逐一報告したりはしない。面倒だし、後で恨みを買われるのも嫌だからだ。


 同僚は要領がいい。


 サボっていても時間内には必ず仕事を終わらせ、定時には帰ってしまう。そういった時にガチガチの昭和生まれの上司は苦虫を噛み潰したような顔をするのだが、彼はまったく気にしない。


 実際、彼は有能であるのだから。


 

 それに引き換え、私はどうだ。

 

 仮にサボっていると、仕事が定時までに間に合わない。私も残業はしたくないから、なんとか終わらせようと四苦八苦している。しかし、仕事がひと段落ついたと思ったらまた次の仕事が降りかかってくる。以前、多忙を極めて休職をしてしまってからはさすがに仕事の量は減ったが、それで私の働き方が劇的に変わるというものでもない。

 

 不器用なのかもしれない。

 

 そこで私は同僚から、息の抜き方を盗んでみようと試みることにした。あわよくば仕事をする上でのコツも。

 

 ある時、同僚がいつものようにタバコ休憩に出た。

 

 私もそのタイミングを見計らって、席を立った。他の社員が物珍しそうな視線を向けてくるが、私はしこりのような罪悪感を覚えつつも半ば無視した。

 

 同僚は会社のすぐそばの小路にてタバコを吸っていた。私の姿を認めると、驚きに目を見張った。

「おお、珍しい。こんなところで会うなんて初めてじゃないか?」

「そうだな。ここに来ること自体、初めてかもしれない」

 そう言って私はタバコの箱を取り出した。

 

 すると同僚は口をにぃっと曲げて、ライターを取り出した。「ま、ま、遠慮するなよ」と言い、口にくわえたタバコに火を点けてくれた。なんだかキャバクラに迷い込んだような気分だ。行ったことないが。

「それにしても本当に珍しいねぇ。どういう風の吹き回し?」

「いや、私も……息抜きというものがしたくなってな」

「ほぉ。仕事が行き詰ったのか?」

「それもあるのだが、アドバイスが欲しくなったのかもしれない」

 

 ふぅん? と同僚はあごを傾げた。


 私は紫煙を吐いてから、ややためらいがちに切り出した。

「君の仕事はいつも速い」

「なんだよ、藪から棒に」

「それに引き換え、私は仕事が遅い。君のようにうまく時間を使えない。何かしらコツがあるのだろうかと思って、な」

「うーん、コツねぇ……」

 同僚は吸い殻をもみ消し、缶コーヒーに口をつけた。

「コツといっても、大したことじゃないさ。引き受けられない仕事は断る。自分の予定を周りにそれとなく伝える。意識してやってることっていえば、そのぐらいだよ」

「それとなく、とは……?」

「簡単さ。誰かをつかまえて適当に自分のことを話せばいい。聞き耳を立てている奴は案外いるもんだ。上司でもな。そうなると『あいつはこういうことがあるから、仕事を任せるわけにはいかない』って勝手に思ってくれるだろ?」

「なるほど……」

「といっても、これは日頃のコミュニケーションが成り立ってないとできないことなんだけどな。あんたにはちょっと難しいかもしれない」

 

 確かに彼の言う通りだ。

 

 私は世間話というものが苦手だ。彼のように人をつかまえて、自分のことをぺらぺら喋るというのはどうにも肌が合わない。

 

 やはり私には難しいのだろうか――そう考えていた時に。

「まぁ、今すぐにでもできることってあるよ」

「なんだい、それは」

「もっと簡単。正直に打ち明けるんだ。『ちょっと休憩に行きます』ってな」

 私は面食らった。


 正直に言うという発想は今までになかった。

 

 どういうことなのかと尋ねてみると、同僚は得意げに笑った。

「例えばさ、トイレに行きたいです! って思いきり顔色悪くしてそれっぽく言えば、あっさりと行かせてもらえたりするだろ? それと同じ。めちゃくちゃ疲れているフリをして、『休憩に行きます』って言えば、すんなりと通るもんだ」

「そんな、簡単にいくだろうか」

「まぁ待て。これにはちょっとコツがいるんだ」

「コツ?」

「そう。希望じゃなくて、実際の行動を伝えるの。『休憩がしたいです』じゃなくて、『休憩に行ってきます』って。相手の都合よりも自分の都合を優先するんだ。相手がよほどの偏屈者でもない限りは、見過ごしてくれたりする」

 

 ふぅむ、と私は唸った。希望ではなく、これからすることを伝える。彼の言うことは実にもっともで、即効性があるように思えた。

「しかし、私にできるだろうか」

「そんな気負わなくてもいいって。大体さ、会社は一日に八時間ぶっ通しで働いてほしいとは思ってないっての。決まった時間に決まった量の仕事をやればいいだけ。まぁ、俺から見た感じあんたはちょっと仕事を引き受けすぎだと思うけど」

「やはり、そう感じるか」

「お人よしも大概にしないと、自分の方が参っちまう。それで体を壊したら身も蓋もない。会社にとってもあんたにとってもマイナスだ。だったら適度にサボって、無理のない範囲でやればいい。違うか?」

「違わない、な」

 

 私は腕を組み、深くうなずいた。

 

 同僚は腕時計を見、「あ、やべ」

「さすがに戻らないとサボってたことバレるわ。じゃあ、俺はもう行くから」

「ああ、ありがとう。参考になった」

「別に大したことじゃないって。じゃあ」

 同僚は小走りで会社に戻っていった。

 

 私もタバコの火をもみ消す。


 今の会話でかれこれ十分ぐらいは消費したかもしれない。

 

 たかが十分、されど十分。

 

 しかしその十分すらも息抜きできないのでは辛いだろう。


 私は会社に戻る傍ら、同僚の言葉を頭の内で反復していた。


     〇


 次の日。私は同じフロアにいる女性社員に声をかけてみた。Hさんという人で、入社時から何かとお世話になっている人だ。気さくで話しかけやすく、世間話ができる数少ない人でもある。

「あら、水島さん。おはようございます。どうかしましたか?」

「おはようございます。いえ、ちょっと昨日変わったことがありまして」

「へぇ、どんなことですか?」

 私は頭の中で用意していた、『世間話』を引っ張り出してみた。

「昨日、ちょっと帰るのが遅くなってしまったんですね。妻と娘に連絡をしたら、ご飯はもうないって」

「あらまぁ。それは災難」

「ですので、弁当を買おうとスーパーに寄ったんです。普段あまり食べないものを買おうと思って、ちょっと贅沢に天丼を買ったんですね」

「いいですね、天丼! おいしかったですか?」

「それはもう。たまにはいいもんですね」

「そうですよねぇ、私も……あ」

 

 Hさんが声をひそめる。どうやら周囲の視線に気づいたらしい。といっても目くじらを立ててる人はいないようだ。

「ああ、すみません。しょうもない話に付き合わせちゃって」

「いえいえ、大丈夫です。むしろ水島さんからこんな話を聞けて、ちょっと面白かったので」

「面白いですかね?」

「ちょっとだけ」

 指と指で小粋なジェスチャーをするHさん。


 ちょっとだけでも面白いと評されたことに、私は内心で驚いていた。こういう感じでいいのだろうか。


 Hさんとの立ち話もそこそこに、席に戻る。上司はちょっとこちらを見てきたが、別段何か言ってくることはなかった。

 

 その日の業務が始まってから約二時間後。

 

 私はさっそく、同僚のテクを活用してみることにした。

「あの、部長」

「ん、なんだね」

「ちょっとコンビニ行ってきます。ええと……五分程度で戻ります」

「ああ、そう。行ってらっしゃい」

 課長はパソコンに目を落とし、ひらひらと手を振った。


 こんなにもあっさりでいいのだろうか。

 

 ふと、同僚を見ると彼はにやにやと親指を立てていた。な、簡単だろ? とその表情が言っていた。

 

 私は小さく手を上げて、彼に応えてみせた。

 

 会社から出て、自動販売機からコーヒーを取り出す。タバコに火を点けると、いつもとは違う充足感に包まれた。

「ふむ……」

 

 悪くない。


 あくせくとした日常の中、ほんの少しでも息をつけるというのは幸いなことだ。仕事の量が激減するというわけでもない些細なことだが、これからは少しだけ断ってみてもいいのかもしれない。

 

 ただ、同僚のように思いきり開き直るのは難しいだろう。

 

 腕時計を見ると、五分のタイムリミットをとっくに超していた。一瞬慌てそうになったが、まずはこの一服をじっくりと楽しんでからでもいいのかもしれない。

 

 上司から怒られるかもしれないと思うと怖いが、その時はその時だと思っておこう。

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