第27話 また明日
魔族は絶大な力を持ちながらも力を使うことに慎重だ。否、絶大な力を持つがゆえに慎重なのだと言い換えるべきだった。
力は、使うべき時には使う。だが、たとえどれほど強力な力であろうとも、場も相手もわきまえずに使えば日常が破綻する。魔族にも日々の生活は存在し、人は日々の生活に対してより多くの時間を費やす。そして、制御されない力の発動は日々の生活を剣吞で油断できないものに変容させる。
力の行使は力の行使を喚起し、伝播した行使の結果はさらなる力の行使を生む。世界に拡散した力は意図せぬ関わりと効果を生じて破壊と殺戮の連鎖を生み出しかねない。破壊と殺戮の中から生まれた怨嗟の声は、関わる者全てはおろか無関係の人間さえも引きずり込んでなお止まない。最悪の場合は世界を二分しての戦争だ。だからこそ、力を使うべき場面を見極めることも優れた魔族の特性であり、義務だった。
しかし、アルの場合は事情が違う。危機に直面しながらも、それでも争いを回避し続けたのだ。魔族の思考と行動から遥かに逸脱していた。
視線を外すと、リアは片方の手で額を押さえて顔を伏せた。アルの習性に打ちのめされていた。
アルの過去の行動が理解できなかった。力を有しながら危害を及ぼす相手に対して攻撃を加えないとは。もし力が足りないというのなら、なぜ磨こうとしない。天与の能力を練磨もせずに生きるなどリアにとっては理解の埒外にあった。それではただ生き永らえているだけで、生を全うしていない。
深く、リアは息を吐いた。
…こんな人間がどうすれば魔王になれるというのか。
リアは、アルの脆弱な生活環境以上の難題を抱えたと思った。
「…リア?」
傍らでアルの声がした。
リアが視線を向けると不安げな表情をしたアルが覗き込むようにして見ていた。リアは無理をして笑顔を作った。不自然な笑みになったかもしれない。
「ごめんなさい。…少し気分がすぐれないの。儀式の影響かもね。アルは平気?」
首を頷かせるアルにリアは笑顔を保ちながら言った。
「今日はここまでにしてもいい? 明日は宣始式だし」
宣始式は、胞奇子と調制士がパートナーを選ぶ期間の後に行なわれる節目の行事だ。王選びの真の始まりを告げるイベントだった。王選びに参加する三十組のペアと求法院のスタッフ全てが大広間に集う。式とは言いながらも内容は求法院を統べる院長の訓話だけだ。院長がどのような人物であるかはあらかじめレクチャーを受けたリアも知らなかった。
「構わないよ」
「ありがとう。明日の朝は迎えに行くから一緒に行きましょう。出て行く時は一人でも大丈夫だけど、道順は分かる?」
「覚えてる」
返事を聞き、リアは長椅子に置いておいた荷物を手に取ると渡した。立ち上がってドアに向かうアルの後ろに付き従うようにして歩く。部屋を渡る間、どちらも無言だった。
ドアまで辿り着いたアルはそのまま出て行こうとした。
「アル」
リアに名を呼ばれ、アルが振り返った。二人は目を見交わせた。
「…これだけは覚えておいて。あなたが魔王を目指す限り、あたしはあなたの味方よ」
小さくアルは笑った。
「また明日」
「また明日」
短かな挨拶の後、リアの前で静かにドアが閉じた。
魔王になるには? 水原慎 @w_f_s
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