ティラミスと3人の令嬢

しらす

ティラミスと3人の令嬢

「そこをどきなさい、サーモーン!あの方のお心はわたくしのものよ!」

「まぁっ、ホワイトベート!貴方のような下品な方に譲る勝利はございませんわ!」


 甘い香りに満ちた舞踏会場の真ん中で、2人の令嬢が火花を散らす勢いで睨み合いながらフォークを動かしていた。

 片や真っ青なドレスに銀髪ストレートの小柄な令嬢、片や真っ赤なドレスに金の巻き毛の背の高い令嬢だ。対照的な容姿の2人はしかし、今は一様に鬼気迫る顔をしてティラミスを食べながら睨み合っている。


 縦に長い舞踏会場の中心は、入口から最奥まで敷かれた赤い絨毯が貫き、その両サイドには白いクロスに覆われた丸いテーブルが互い違いにずらりと並んでいる。テーブルの上にはこれまた白い皿がずらりと並び、その1枚1枚に乗せられているのはどういうわけか全てティラミスだ。

 白いザバイオーネクリームに赤茶色のココアパウダーの対比が映え、食欲と乙女心の両方をくすぐり、口に含めばふんわりとした甘いクリームと、ビスコッティに沁み込んだエスプレッソの苦みが溶け合う。

 まるで天使と悪魔を内包しているかのようなデザートだ。

 けれどここで争うレディたちにとって、そんなティラミスの素晴らしさなどハッキリ言って二の次である。


「今大会の優勝はわたくしです。ごらんなさい、この究極のウエストラインを!サーモーン、貴方のその緩み切ったウエストではさぞやコルセットがお辛いでしょう?」

 ニヤリ、と口の端を上げる銀髪の令嬢ホワイトベートは、誇らしげに背中を反らして見せながらもティラミスを食べ続けている。

 一方隣の金髪の令嬢サーモーンは、つんと澄ました顔でそれに応じると、自らも同じようにティラミスを食べながら、周囲に見えないよう巧みにホワイトベートの肘を突いた。とたん、カチャーンと音を立ててフォークが床に落ち、食べかけのティラミスが散ってホワイトベートのドレスの裾を汚した。


「きゃっ!何てこと、あなたどちらで行儀をお習いなの!?これではお里が知れるというものね!」

「何とでも仰ってくださいませ。それよりこの大会のルールはご存知ですわよね?途中で粗相をしたらスタートからやり直しですわよ。すぐにお戻りにならないという事は試合放棄ということでよろしいんですの?」

 片眉を上げてせせら笑うサーモーンに、ホワイトベートの顔に一瞬だけ殺意が走った。観客が息を呑む中、しかし次の瞬間には彼女はくるりと向きを変え、優雅にドレスの両サイドをつまんで観客に向けてお辞儀して見せた。


「ふふっ、ではごきげんよう」

 お辞儀の瞬間に踵をぐっと後ろに突き出したホワイトベートは、そのままサーモーンの足を後ろ蹴りして転ばせ、素早く裾を翻し入口へと駆け戻って行った。

「ああっ!こっこのっ、よくもやってくれましたわね!!」

 転んだサーモーンの手からもティラミスが零れ落ち、やはり入口からやり直しとなる。慌てて立ち上がった彼女もお辞儀をすると、悪鬼のごとき形相でホワイトベートの後を追った。



 全世界ティラミスイート選手権大会、女王決定戦。

 未婚の20歳までの女性しか参加できないというこの異様な大会は、その名の通りテーブルの上のティラミスを食べながらゴールまで走るという競技としては至って単純なものである。

 しかし競技名の甘い響きに反し、この大会は世界各国から集まる乙女の心を粉々に砕き、またそれに負けない精神力と気力を持つ正に未来の女王に相応しい(のかどうかは非常に怪しい)令嬢を選び出す一つの試練でもあった。

 この大会で女王の座を勝ち取るということは即ち、主催国で次期女王候補、または次期王妃候補としての資格を得るという事になる。その候補者の家柄も国も関係なく、だ。そのため世界中から我こそはと集まってくる美しい乙女たちにより、一時的に国は大いに華やぐことになる。


 だが競技開始直前まで麗しい笑顔を振りまく各国の令嬢たちは、開始の合図とともに豹変する。

 勝てば次期女王の資格、負ければ故郷で待つのは国のトップに立つ資格のない「ダメな女」というレッテルだ。参加した時点でその後の人生が決まってしまう大勝負である。

 勝つか、負けるか―いや負けるという選択肢は、よほどの事情がない限り選ぶ参加者はいないだろう。

 熾烈を極める戦いに、過去から現在まで非常に多くのルール違反や既定の網をくぐる狡猾な戦法、また風紀の乱れなどが起こり、その度に新たなルールが追加されてきた歴史を持つ。参加を決めたものの、ルール本に目を通すだけでげんなりする乙女が多いことでも有名だ。


 その中でも衣装に関する主要な規定は3つあり、足と胸を一切見せないドレスの着用、大会規定コルセットの使用、規格内の靴の着用が義務付けられている。

 ドレスの規定に関しては、勝ち負けを無視して大胆に観客に容姿を見せつけ、未来の夫を射止めようと画策する令嬢が増えたことが原因だった。

 大会規定のコルセットはある程度の健康さと体型を重視する王室の意向によるものだが、不慣れな令嬢はこれを着けたままケーキを食べながら走ることで失神することが多く、会場には気付けの薬と医者が常駐することになる。そしてこれまた倒れる前提で参加し、倒れそうになると意中の紳士に駆け寄る令嬢が増えてしまったため、競技場と観客の間に鉄製の柵が設けられるに至った。

 靴に関してはドレスの足見せが禁止されたことにより、なんとランニングシューズやローラーブレードで参加する強者まで現れたため、靴の種類や規格が厳密に定められ、スタート前に必ずドレスの裾を持ち上げて審判に見せる義務が加わった。


 これだけでもお分かりいただけるだろう。

 この大会に賭ける乙女達の熱気は計り知れないのだ。

 大人しく引っ込み思案の令嬢はそもそも参加しようとはしないし、仮に間違って参加してしまってもすぐに脱落することになる。女王決定戦の最終戦ともなれば、もはや乙女の姿をした悪魔のような女たちしか残らないのだ。



「お待ちなさい、ホワイトベート!まだクリームが皿に残っていますわ!」

「あらっ、ごめんあそばせ。ですが貴方はその床に落ちたココアパウダーをどうなさいますの?まさか這いつくばってお舐めになるつもりではございませんよね?」

 大会規定でティラミスは残さず食べきりながら移動しなければならない。食べ残して次のテーブルに進むと即座に失格となり、床に落ちたり散ってしまった場合は粗相と見なされ入口に逆戻りだ。

 しかしサーモーンはさっと両眉を上げると、ホワイトベートを蔑むように見下ろした。

「何を仰います?これは脱落者がこぼしたものですわ。わたくしがこのような無様な食べ方をするとお思いですの?」

「あら、それは分かりませんわ。先ほど風もないのに突然転んだ無様な方ですもの」

 黙って微笑んでいれば人形のように愛らしい顔も、こうも憎まれ口しか叩かないとどこぞの悪童と変わらない。


 今大会はこのホワイトベートとサーモーンの2人により大荒れの展開となった。

 トーナメント形式で進むこの大会はA・B・C・Dの4つのブロックに別れ、1試合4人で勝者を決めて最終戦は4つのブロックで勝ち上がった4人で決勝となる。

 だがその中でもAブロックにいたホワイトベートは、一見幼げな甘いマスクと家紋の名に恥じぬ悪辣さで、競争相手の令嬢たちの心を次々と折って異例の速さで勝ち上がった。

 そして強豪揃いだったDブロックのサーモーンは、大会開始前はノーマークであったにも関わらず数々の嫌がらせに屈せずその精神力を保ち、巧みに仕返しをして逆転を続け決勝まで勝ち残ったのだ。

 この2人の名は既に会場中に轟いており、Bブロックの令嬢はスタート直後にホワイトベートに「躓いた拍子に」顔にティラミスをぶつけられてリタイアし、Cブロックの令嬢は真っ白なドレスで入口近くに棒立ちのまま成り行きを見守るばかりだ。


 もはや試合はホワイトベートとサーモーンの一騎打ちとなっており、互いに足を引っ張り合っては入口に戻る事を繰り返して既に3度目となる。威勢よく罵り合いながらも徐々に疲れが見え始め、審判に見えないように互いを妨害するのが難しくなってきたのか、2人は共に奥のゴール地点に近付いていく。

「いけー!ホワイトベート!」

「やられるなー!サーモーン!」

 という声援で会場は大いに沸き、商機と見た胴元と観客達がどちらが勝利するかを賭けてあちこちで札束を交わしている。狭い観客席には座り切れず、立ち見できるようなスペースもなくなり、2階席は押すな押すなで今にも崩れ落ちそうなほど人で埋まっていた。



 そんな中、会場の中心奥のゴール地点に設けられた席に、蒼白の顔で座る青年がいた。

「オーギュスト王太子様、どうぞお気を確かに。まだ勝負は決まっておりません」

 傍らに付き従う壮年の男が、その顔色を窺いながら声をかけた。しかしその言葉とは裏腹に、彼にももはやどうしようもない事態が目の前まで迫っている。


 今大会がこれほど盛り上がったのは、その「賞品」が一世一代の大目玉だったためだ。

 通常のティラミスイート選手権大会では、主催国の次期女王、または王妃候補となる「資格」は確かに得られる。だがそれはあくまで「資格」に留まり、実際にはその後の教育がうまくいかない、女王や王妃としての資質が満たせないという理由で候補の一人に留まる場合が殆どだ。

 だが今大会は違う。この大会で優勝した乙女には、確実に王妃となることが約束されている。そしてそれを決意し王に願い出たのも、王太子自身であった。


「私はただ…彼女に強くなって欲しかったんだ。それがどうしてこんな事に…」

 王太子の脳裏には、花のような笑みを浮かべたエリザベスの顔が浮かぶ。大輪の薔薇ではなく、まるで野に咲く名もなき花のように儚げな笑みだ。

 幼い頃から王妃候補として育てられてきたが、色白で体が弱く、内向的で優しいばかりの娘だった。国を強くすることを目標に、多少の犠牲も厭わぬと考える王太子とは話が合わず、議論を戦わせるだけの強さもなく、彼からすれば見た目だけよくできた人形のような女性だった。


「申し訳ありません、オーギュスト王太子様」

 勘気をぶつけるたびに返ってくるのは、静かな言葉と儚げな笑みばかりで、それが余計に彼の気に障った。こんな女といつか結婚することになるのかと思うと、目の前が真っ暗になるような心地だった。

 だから王にこのティラミスイート選手権大会を開くことを申し出たのだ。

 自分の妃にはもっと強い女性が相応しい。だからこの大会の優勝者には、「資格」ではなく王妃の座を「約束」しようと。仮にエリザベスが参加し優勝することになれば、彼女はそれを勝ち抜くだけの強い心を手にしているだろう、という淡い期待もあった。


 だがその結果がこれだ。

 国は大いに沸き、会場もティラミスイート選手権大会史上類を見ないほどの盛り上がりだ。

 だが目前に迫ろうとしている青と赤のドレスを見ながら、王太子は気が遠くなりそうだった。


 ―主よ、私をお救いください。このような浅はかな望みはもう決して抱かないと誓います。どうかお聞き届けください。


 王太子が心の中で十字を切ったその時、偶然だったのだろうか、ホワイトベートとサーモーンが同じケーキ皿に手を伸ばしていた。


「ちょっと、そのごつい手を放してくださる?お皿が割れてしまいますよ、このメスゴリラ」

「まぁ、よく喋るゾウリムシですこと。あなたのような微生物に食べさせるエサはここにはございませんわよ」

 バチバチと火花を散らして睨み合う2人の間で、ティラミスが乗ったままの皿がぶるぶると振動した。双方一歩も譲らず皿を握り締めて引っ張っているが、体格差にもよらずその力は拮抗していた。額を突き合わせる勢いで前のめりになりながら引っ張り続ける2人の間で、空中に静止したかのように動かない皿に、会場中の視線が集中する。


「放しなさいっ、このおおおおおお!!」

「やれるものならやってごらんなさいませええええええ!!」

 ―ビシッ、パキィイン!!


 ついに皿の耐久力が限界を超え、中心から綺麗に真っ二つになった。

 その勢いで皿の上のティラミスも2つに割れ、それぞれホワイトベートとサーモーンのドレスの胸にべしゃりと飛び散る。

 一瞬、時間が停止したかのように2人は動きを止めた。

 観客のざわめきもその瞬間にピタリとやみ、会場内が水を打ったように静かになる。

 その視線の中心で、2人は呆然と互いの目を見交わした。


「…ふふっ、やりますね」

 先に微笑んだのはホワイトベートの方だった。

 割れた皿をテーブルに置くと、そのまま観客ではなくサーモーンに向けてお辞儀する。

「あら、貴方の方こそ。ここまでとは思いませんでしたわ」

 にこりと微笑むとサーモーンもホワイトベートに向けてお辞儀を返した。

 そして次の瞬間、揃ってニヤリと笑うと、華麗にターンして観客席にお辞儀する。


「まだまだ試合はこれからです!」

「当然ですわ、負けませんわよ!」

 わぁあああーっ!と会場に歓声と同時に拍手が響き渡った。


 互いの健闘を称え合ったホワイトベートとサーモーンに、ヤジを飛ばしていた人々も一気に賞賛の声を上げ始める。まるで耳鳴りのような音の洪水の中、2人はくるりと踵を返すと再び入口に向かって駆け出した。

 肩を揃えて走る2人の勢いで、会場の奥から出口へ向けてテーブルクロスを揺らす風が巻き起こっていく。

 今までとはまるで違う澄んだ空気の中、高らかな男性の声が響いた。


「試合終了!勝者決定!エリザベス嬢!」


「「「…え?」」」

 突然の宣言に、ホワイトベートもサーモーンも観客も、揃って間の抜けた声を上げた。

 沸きに沸いた会場の興奮は一瞬で静まり返り、再び水を打ったような空気の中、審判が右手を掲げている。その目の前、ゴール地点である会場の奥に1人そっと佇む令嬢の姿がある。

 一体何事かと全員が目を剥き、今度はその令嬢に視線を集中させた。


 そこに立っていたのは、白地に金の刺繍が鮮やかなドレスを身に纏った、黒髪の令嬢だった。

 会場の入り口でずっと動かなかった筈のCブロックの令嬢であり、もはや試合を放棄していると誰もが思っていたあの令嬢だ。観客の目はホワイトベートとサーモーンに集中し、彼女の動きを追っていた者は誰もいなかった。互いを牽制し合っていた2人も、もはや彼女を敵とは思わず注意も払っていなかった。


「どういうことだ!?一体どうやってゴールにたどり着いたんだ!?」

 誰かがそう口にしたとたん、わっと一斉に観客が喋り始め、会場はハチの巣をつついたような大騒ぎになった。怒声交じりの声にかき消され、次期王妃としてエリザベスを認めると言う審判の声も、静まれと叫ぶ声も意味をなさない。

 そんな中でCブロックの令嬢、エリザベスは優雅にドレスをつまんで会場に向けてお辞儀すると、観客席の王太子に歩み寄り、その正面に立った。


「申し訳ありません、オーギュスト王太子様」

 にこりと微笑んで頭を下げる姿に、王太子が思わずと言った様子で立ち上がる。

「いいや、いいや!私の方こそ済まなかった、エリザベス!」

 いつの間にかボロ泣きしていた王太子は、会場を囲む柵を掴みながらエリザベスの前に膝をついた。


 会場内は試合結果への不満と非難の声に包まれ、審判がいかにしてエリザベスが2人を出し抜いてゴールに辿り着いたかを必死に説明している。そんな中で交わされる王太子とエリザベスのやり取りはほぼ誰にも聞こえていない。

 だが耳の良いホワイトベートとサーモーンは、2人の会話を聞いて顔を見合わせると、ふっと苦笑して互いの肩を叩いた。

「やられましたね、これが王妃の器と言うものなのかしら」

「わたくしとしたことが、目先の事に夢中になって周囲を疎かにするなど、修行が足りませんでしたわ」

 晴れやかに笑う2人は、観客とは対照的にエリザベスへ向ける目に賞賛を込めていた。けれどそんな2人の様子は当然、騒ぐ観客の目には入っていない。

 それを理解していた彼女たちは、自分たちをダシにして怒声を上げる群衆に背を向けると、颯爽と会場から立ち去って行った。



 オーギュスト王太子とエリザベス王太子妃は、それから仲睦まじく言葉を交わすようになり、やがて立派な王と王妃になったという。

 ホワイトベートとサーモーンも、エリザベスに出し抜かれたとはいえ互角の戦いをし、あと一歩で王妃の座を射止めるところだったため、それぞれ国に戻ってからも蔑まれることなく地位を与えられた。

 よき友となった2人の力で両国は親交を深め、互いの発展に寄与し助け合う関係になっていったと伝えられている。

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ティラミスと3人の令嬢 しらす @toki_t

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