在りし日の愛猫との記憶、懐かしさと共に質感を持って現れたその霊。こう聞くとじつに心温まる展開だと感じながら、そう では ない。
終盤に大きなひっくり返しが起きる。整理して考えてみると、これはYを介したムギ(猫)の飼い主(真)がいだく観念ではないかと察する。畳部屋が古いものとしてフローリング床と対比されるように、そのような生活様式がなかったY以前の誰かとしか思えない記憶これ即ちムギの飼い主ではないか。
そうするとここにムギの霊体、その飼い主の霊(?)、他者の記憶をあてがわれたY、その話を聞かされる語り手、といくつもの層がこの小さい関係性の中に見受けられる。もっと言うと伝聞、都市伝説のような形態の縮図として表されている気もする。このスパンで話が意味不明になっていくところに面白さもあるが、一見戯言のような噂がさも事実かのように刷り込まれていく図式こそ「怖いはなし」の醍醐味ではないか。
ムギと、ムギを懐かしむ記憶は今に何を語ろうとしたのか。