ふこうなおんなの皮
国仲順子
ふこうなおんなの皮
こんなに怒りが沸いて来るのは何故だろうか。
私が使ったわけでも無いのに背負った借金で金融会社から職場に督促の電話が来て、上司に白い目で見られたから?
連日の残業で疲れ果てて、その借金の返済の銀行振込みに行かなければならない日に熱が出て、恋人である筈の良太に「俺が代わりに払って来ようか?」と言われて、その優しさにうれしくなって、ああ、これが本当にあの、友人の保証人になって借金を背負ってしまったから、必ず返済は自分がするから消費者金融で借金をして立て替えて欲しいと私の手を握って言いながら、実はその借金は友人の保証人になったからでは無くふつうに働きもせず連日パチンコとサッカーくじに明け暮れてこさえた借金だった事が判明しても悪びれず、具無しのチャルメラを啜って歯のかけた顔で笑っていた良太なのか。いつのまにか、改心して、優しい男になったんだなあ。別れなくてよかった。と思っていたら、やっぱり代わりに返済して来ると言って私から預かって行ったお金もサッカーくじを買うのに使い、それから三ヶ月たって、やっと一社完済だ、五年間、長かった、よくがんばった、私、と思ってホッとしてたら金融会社から会社に電話が来て、かけ直したらあと三ヶ月分支払いが残ってますよと言われて愕然としたから?(馬鹿な私は熱を出して振込みにいけなかった次の月もその次の月も、優しさを装う良太に振込みを頼んでいた。そしてこの電話で、良太が私から預かって行った金をくじに使っている事がやっと判明したのだ。)
こうして、百人が聞いたら九十九人が、そんな屑、別れな、と言うような最底辺男の良太だが、良太がそんな悪癖をティッシュでくるんでそれで鼻をかんで百年放置した後自然発生した新人類みたいな人間性で構成されているという事実を、初対面で見抜ける人はまずいない。
良太の黒々とした瞳は人を噛んだ事すら無い白い雑種の仔犬の様に澄み切っていて、鼻筋はテレビに出てくる正義の味方の赤い人の中の人みたいに整っていて(整形でもあんな風に作り上げる事は不可能だろう、と誰もが思うくらい)そんな時代が時代だったら国の一つや二つ平気で225度位傾けてそのうち私みたいにキレたお姫様に無理心中させられて、でも結局やっぱりお姫様の他に囲っていた女中の一人に隙を見て逃がされて、逃げた先で出会った天涯孤独な貧乏な村娘をやっぱり騙して(でも本人は騙しているつもりなんて無い)やっぱりヒモになって、ほそぼそと暮らして老衰で死んで、発見した村人に「なんかずいぶん顔の整ったじいさんだな。若かりし頃ははんさむだっただろううねえ」なんて言われて結局まあまあ良いお墓をあてがわれて安らかに眠りにつきそうな傾国の美貌の持ち主なのに、前歯の一本がなぜか半分欠けていて、男前なのに笑うとすきっぱの小学一年生のように急に弱々しく可愛らしくなっちゃって、母性本能の強い女(つまり悪い男にあっという間に人生そのものごと、ころりんころりん転がされてしまう女たち。私のこと。)は、一発で心臓を射抜かれて、貫かれた心臓は背中を抜けてお山を超えて雲の隙間を通ってはるか彼方へさようなら。もう自分ではコントロールできないところまで飛んでいってしまうのである。
そんなクズ男、顔を見れば簡単にそれとわかるでしょうに、お馬鹿だなあ。と思った人が一番危険。かくいう私も、人を見る目にはそれなりに自信があった。
子供のころからお母さんがどんなにあの人はいい人よ、
と言っても好きになれない近所の人は、みんなその内ふりんだの、かいしゃのおかねをおうりょうした、だの、おんなにうつつをぬかしてじぶんのかいしゃをかたむかせた、だの、ろくなことじゃない理由で破滅して行った。(まあ、ろくな理由で破滅した、と自分で言う人間がいたら、それはそれで一番信用できないけれど)
大人になってからも、どんなにいい人ぶった社長でも、数ヶ月後に逮捕される人は何となくそれとわかったし、調子が良い時は相手が今夢中になっている(もしくはなっていた)女の姿形や特技まで、男の目を見るだけで手を摂るように、プロフィール付きの見合い写真を見たように分かるという、全然役に立たない特殊能力を有していたくらいなのに(でもじぶんの好きな女を突然見抜かれた男はびっくりするのとびっくりしたドキドキを新しい恋と勘違いするのと、今まで会ったことの無いレア属性の女を物にしたい欲求に駆られ、どんなに高レベルの(社会の評価的に)男でも、ころころころりん、私の手の平で踊ってくれた。まあ、二、三回寝たら全員魔法が解けて、レア属性は経験済み属性になって、連絡はあっさり途絶えちゃうんだけど。)
そんな私でも、良太が内側に持っている生来の悪人性には一切気付かなかった。なぜって?簡単なこと。良太は自分に惚れている女に嘘をついて金を借りさせることも、女を思いやったふりをして、固く縛られた女の財布から、ひょっこり諭吉さんの顔を出させることも、デビットカードは便利だから、君の分もネットで申し込んでおいてあげるよと言って実はクレジットカードを契約しやがって、二十万円分使い込んでから返せなくなっちゃった、ごめん、とすきっぱで笑う事も何一つ、心底、本人は、悪い事だと思っていないからなのだ!
人の本性は顔に出る。いじわるなやつは意地悪な顔をしているし、女を財布としか思っていない男は、別に拾う気にもならない道端に落ちている一円玉をぼーっと見ている時みたいな表情でしか女を見つめない。
だが良太はそもそも女に借金を作らせる事を悪い事だと思っていないし(そのことを咎めると、「だってみんな借金してるもんだし」ってそれはお前が付き合う女がみんなそうなっていくだけだよ!)と、当然の事の様に言い放つから、そもそも借金を悪いことだと思っていないし、クレジットカードを勝手に契約して使い込んだときも「ちゃんと分割で返していこうと思ったら分割で返せないカードだったらしくて、返すつもりがあった俺は何もわるくない」と、屁理屈で言ってるんじゃなくて本気で言ってるから(大事な事だからもう一度いうけど、屁理屈じゃなくて本気で言っていた。彼の心の底から本気の本気で。あと分割で返済できなかったのはお前が申し込むときミスってそういう設定にしたからだ)もうそれ以上何を言っても無駄だった。
そして私は学んだのである。
人は、悪いことをしても、それを悪いことだと本人が思っていなければ、ほんとマジで。マジで、マジでマジでマジでマジでマジでマジでマジで!顔に一切出ないのだ!
一応、私も色々試せることは試した。借金で破滅した人が書いたショッキングなタイトルのハードカバーの分厚い本を、おもむろにちゃぶ台の上に放置してみたり(私ぐらいの歳の女がそれをやるならふつうゼク○ィとかだろ)、人のお金を嘘をついて持っていく事が、どんなにいけないのことなのか、温かいお茶を一緒にすすりながら冷静に諭すように教えてあげたり(教えてあげている途中、完全にぽかんとしている良太の顔を見ていたら、あ、これそもそもまず、嘘をつくのが駄目な事なんだって事から教えないとダメなやつだ、とこっちが悟った。)、わざとらしく貯金は楽しいなあ貯金は楽しいなあと言いながら、倹約、質素な生活をするのがどんなに楽しく、お金が少しずつでも自分の努力で蓄えられて行くことが、どんなにか面白い娯楽になりうるか、自分の姿を見せて感じさせようとした(結局、そうやって貯めていた開けられない缶の貯金箱の500円玉貯金も、私が本業の後にバイトでパチンコ屋の清掃に行っている間に缶切りで開けられて酒代に消えていた。いつも頑張っている私に美味しいビールを飲んで欲しかったらしく、帰宅したらちゃぶ台にちょっといい缶ビールとサラミがグラスとともに丁寧に置いてあった。アサヒスーパー○ライ箱買いだった。)。
そんな日々を過ごし、良太と出会って二度目のサッカーワールドカップの時期が近づいた。今年は絶対に良太に騙されてサッカーくじ代製造機になるわけに行かない、もしなっちゃった時の為に生活費だけは確保して置かなければならない、私は清掃のバイトのシフトを週三から週五に増やし、毎日酔ってもいないのに千鳥足になるほど働いた。今日も良太は家で缶チューハイを飲みながらすやすや眠っている。ここ一、二年で、軽い気持ちで始めたメル○リの古着転売で、本当にちょっぴりだが、やつは自分の力で酒代位は稼げる様になり、前よりも良い顔で酒に溺れるようになっていたが、無職なのとギャンブルが好きなのは変わらなかった。
私はその日とても疲れていて、本職の事務員をやっているオフィスで、良太にその年の誕生日にプレゼントしてもらった(もちろん私のお金で)仕事用バッグから、絶対に他人には見られてはならない一枚の紙をうっかり落としてしまった。
しかも運の悪い事に、私は紙を落としたことに自分で気づいておらず、その事に気づいたのは、その日の業務が終了し、オフィスを出ようとして、上司に呼び止められた時だった。
「あのー、そのー、ねえ。これ、そこに落ちてたんだけど、これ君の字だよね?鈴原さん。ね。」
上司が私に見せてきたのは、私が日頃良太を殺したいほど憎くて憎くてどうしようもなくなったとき、その感情をぶつけるようにひたすらに書きなぐっていたメモ用紙だった。いつも、職場だろうがバイト先だろうが、良太に対する黒々とした感情が湧いて沸いておさまらなくなった時に、自分の手が、ペンが赴くままにひたすらに書きなぐっていた私の精神安定剤だった。そこには、今まで私が良太にされてきた仕打ちの数々も包み隠さずそのまま書いてある。いつもは誰にも見られないよう、鞄の一番底に隠しておいて、家に帰ってからビリビリに破いて汚物と一緒にトイレに流して捨てていたのに、最悪な事に、よりによって、バイト先でも仕事帰りに立ち寄ったコンビニでもなく、よりによって本業の職場で、しかも何年も共に仕事をしている上司にその紙を見られてしまったのだ。
「なんか鈴原さん、時々督促みたいな電話がここにまでかかって来るから、みかけによらずお金にだらしがないんだなあってずっと思ってたんだけど、そういう事だったんだね……。」
上司は心底哀れむような瞳で、私を見下ろした。学生時代はバレー部のキャプテンだったという上司は、ほとんどの女正社員から憧れられていて、今、こうしてオフィス内で二人っきりで向かい合っている所を誰かに見られでもしたら、誤解をされて周囲からイジメを受けかねない、とても緊迫した場面なのだが、私の頭の中はそれどころではなく、一体どうやったら上司の頭の中からこの紙の記憶を消すことができるのだろう、殴れば良いのか、首を締め落とせば良いのか、そんな事ばかりがぐるぐるぐるぐると思考していた。
「『こんなに怒りが沸いて来るのは何故だろうか。私が使ったわけでも無いのに背負った借金で金融会社から会社に督促の電話が来て、上司に白い目で見られたからだろうか……』」
上司はそんな私の気もしらず、私が感情のままに書きなぐった、恥部のような文章を、こんな状況でなければ思わずうっとりと聴き入ってしまいそうな甘い声で朗読した。
「うーん、まさか、男性社員の憧れの的である鈴原さんに、こんな秘密があったなんてなあ……」
「そ、その紙、返してください。そして全部、お願いですから忘れてください」
自分の顔が、みるみる青ざめて行っているのか、それとも赤くなって行っているのか、もはや全くわからなかった。しかし上司はそんな私を嘲笑い、
「それは絶対にできない」
とはっきりと言い放った。
「どうして……職場の皆に、言い触らす気ですか……」
「そんな事はしないよ。」
上司は、良太程では無いが端正に整った顔立ちで、じっと私を見つめた。
しん、と、オフィスの中に静寂がはしる。
「あ、あの……?」
「綺麗だと、思ったんだ」
「え……」
「君の文章。」
……。
「……んん?ん?んっと?……はい?」
「僕は学生時代、ずっと文学青年だったんだ。昔はよく、自分で書いた小説を出版社に持ち込んだりしたもんだよ」
その後も上司は色々とまくし立てるように話しつづけていたが、軽くパニック状態の私の頭では、上司が一体何を言っているのかを即座に理解する事ができなかった。
私はとりあえず上司が同僚たちに言い触らすつもりが無いのは間違いないようだという事だけ理解し、とりあえず一旦冷静になって、上司が言っている事を、ゆっくりと頭の中で反復してみた。
要するに、過去、上司は小説家志望の文学青年で、現在もこっそり小説を書いては出版社に作品を送っているが、一度も日の目を見た事は無く、小説家になる夢をあきらめかけていた。そんな中、私が落とした散文の文章があまりにもすばらしく、この才能を埋もれさせて置くのはもったいない、是非とも小説を書いて、どこかの出版社に送るべきだ。ということを私に伝えたくて、ちょっとメモの内容が過激だったので見なかったことにしようかと思ったけれど、やっぱり思いきって話しかける事にしたのだという事だった。
私は日頃見ることの無い上司の興奮した様子に少々面食らいながらも、本当に小説家になることができたら、今のように仕事をいくつも掛け持ちして、魂が抜けそうになるほど働く毎日から抜け出せるかもしれない、と思い、少しずつ、今まで自分と良太が歩んできた、牛乳を拭いてカビのはえたぼろぼろの雑巾のような日々を、少々フェイクやアレンジを加えながら、小説として綴って行った。
その小説は上司の言った通り、それまで本をほとんど読んだ事がなかった私でさえ知っているような大きな出版社の目に止まり、「不幸な女の皮」というタイトルで、あれよあれよと出版されて本屋に並び、当たり前の様に何度も何度も重版された。
タイトルの由来は、良太と暮らす内、ふくよかだった自分の体が、みるみる痩せていって、骨と皮だけのようになってしまったコンプレックスに由来していた。最も、そうやって痩せてから、職場の男性陣からもモテるようになり、総務科のマドンナという肩書まで得られるきっかけになったのだが。
印税で良太に作らされた借金をすべて返済し、生活にも困らなくなった私は、十分過ぎる程の手切れ金を渡し、良太と別れた。てっきり、まとまったお金を得て、笑顔で私の元を立ち去るかと思いきや、意外にも、良太は涙を流して私と別れたくないと駄々をこねた。作家になって豊かになった私のお金目当てかとも思ったが、本など読まないし、印税という言葉すらろくに知らない良太は私がどれくらい稼いでいて、今後もどれくらい稼ぎつづけることができるか等、計算できる男では無かった。
それでも私の決意が固い事を、泣きわめく子供をなだめるように、根気強く説明すると、数時間の押し問答の結果、良太は私と別れてくれた。寂しい季節の事だった。
私はその後、私に小説を書く事をすすめてくれた上司と、数回デートを重ねたが、彼は私と唇すらも重ね合わせ無いうちに、私の才能を見ていると、自分を見失いそうになる、と、いかにも売れない小説家が書きそうな台詞を言い残し、去って行った。
一人になり、途切れる事の無い仕事の依頼と、使いきれない財産に自分が押し潰されそうになったとき、私は、自分でも無意識のうちに、何年も昔、夕飯のおかずが無くてパンの耳をフライにしてごはんに乗せ、こつこつ貯めたコンビニのポイントでふろ屋の帰りにラクトアイスを買って共に歩いた、愛らしい男のことを思い出した。
おどろく事に、私の頭の中はまだ、その男の電話番号を覚えていた。アドレス帳から名前などとっくに消していたが、電話を持った瞬間、まるでこの日が来るのを私の記憶がずっと待っていたかのように、空気のように軽くふわりと、その電話番号が頭に浮かんだ。
しばらくコールが鳴ったのち、電話の向こうで、良太が気まずそうに、しかしどこか嬉しそうに、「……はい。」と小さな声を出した。
それからほどなくして私と良太は小さなアパートで暮らしはじめた。本など読まない駄目男の良太は、私が売れっ子の女流作家であることも、一軒家をらくらく買える財産があることも、全く知りはしなかった。時々メル○リで古着を売りながら、安い缶チューハイを飲んで、私の隣で借りてきたDVDを怠惰な表情で眺めている毎日だ。
私は会社に行くふりをしながら、小説を執筆するために借りている小さな事務所に毎朝でかけ、日が落ちる頃まで不幸な女たちや幸せになる女たちの物語をパソコンの画面に叩いていく。
今、私の傍にいる良太は、私の財産目当てといえば、そうなのかも知れないが、私の事はただの月収十八万円の事務員だと思っているし、私の才能をねたんだり、羨やんだりして創作意欲をそぎ落とす事など決してない、この上なく最高の夫だ。
そして今日も私は、かつて不幸だった私を救いだす物語を紡ぐ。日が沈む頃、無職の、だらしが無い男を仕方なく養う、かわいそうな女のふりをして、帰路に着く。
すっかりと私の肌になじんでしまった、うすくて重くてほんの少しだけ灰色の、不幸な女の皮を着て。
ふこうなおんなの皮 国仲順子 @yutarena
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