偏頭痛4
彼女を再起動させたのは彼だった。
「-い、おい。いつまで寝てんだ」
再起動の立ち上がりは遅い。
眉間に皺を寄せ、ゆっくりと瞼を上げる。
そして気怠るそうに彼女は言った。
「……三波くんじゃ、ありませんか」
彼は溜め息を一つし、呆れた声で言った。
「もう下校時間」
彼女は上半身を起こす。
血が一気に下へ流れていく感覚と同時に、左のコメカミに痛みの余韻が広がり、左目尻をヒクリとさせた。
その様子に、「まだ痛むか?」と彼は聞く。
「いや、これはあれ。残響ってやつ」
「は?」
「とにかく、これは直ぐ引くやつだから」
彼が持ってきたリュックを手に掴み、ベッドから降りようとしたその時だ。
彼は彼女に背を向けしゃがみ、「ほれ」と言った。
いつもなら、「一人で歩けるわ」と、乾いた声が彼の背中越しに聞こえてくる。しかし今、彼の背中越しはひっそりかんとしている。
様子を見ようと上半身を捻った。
すると、後頭部と右肩を掴まれ、再び背を向ける姿勢に戻される。
後頭部にあった彼女の手は頸まで滑り、彼の襟足を掻き上げた。
彼の首筋に擽ったい感覚が走る。
許可も得ず年頃の男子の頸に触れ、放った言葉がこれだ。
「んなわけないよな」
楽しみにしていた遠足が雨によって通常授業に切り替わった時、小学生の様なガッカリとした口調である。
彼女はバッグを掴み、彼がいる反対側へ足を降ろした。
「帰ろうか、三波くん」
何に興醒めしているのか解らないが、自分の頸にその理由が隠されていることは解った。
彼は軽く息を吐き、腰を上げた。
床に置いたリュックを右肩にかけ、振り返り、彼女と一緒に保健室を後にする。
保健室から出て右手の方向に進んだ。
「5時限のノート写させて」
「そんな事しなくても、今日やった単元のマトメがアップされてんだろ」
「あの先生、ノート文化の信者って知ってる?」
「知らね」
「これだから皆勤賞はダメなんですよ」
「いいだろ皆勤賞」
間も無くして、下駄箱が見えた。
2人は各々の下駄箱の蓋を開け、靴を取り出すと、彼女は続ける。
「この前の中間、短歌の作者の心情答えろってやつ。あれ、授業でノートをとった人が殆ど正解してた。あの先生、肝心な事はマトメにアップしない」
「それはあれだ。授業をどれだけ聴いてたかを試すためじゃねーの」
「休んでる人が不利じゃん」
「この前休んだ木下は誰よりも点数高いぞ」
「どうせ塾じゃん」
「いや、あいつの家、シングルらしいから塾に金かけられねぇって言ってた」
「じゃぁ優しい友達にノート写させてもらった」
少しの間を置き、呆れ混じりの声で言った。
「わかったよ。いつものファミレスな」
彼女は平坦な口調で返す。
「さすが三波くん」
「そこは心をめて」
そして二人の足音は遠ざかっていく。
頭痛の時は必ずと言っていい程ノートを写させてやる。
彼のその呆れた声は天邪鬼で、「ノート写させて」の一言を期待している。
少しの間を置き、跳ねそうになる声を抑えて、呆れた様子を装うのだから。
そんな彼等を離れた場所から傍観していた男女がいた。
二階に続く階段の手前にて、それは親しげではなく、たまたま居合わせた別クラスの同級生という距離感で彼等を傍観していた。
「あの
最初に口を開いたのは、男子である。
そして女子は、棘のある含みでこう答えた。
「鈍感? 違う違う。相手の気持ち解っててやってんの」
「あーっ、駆け引きってやつ」
「それとも違う。アノコは自分の気持ちを立証中なの」
「なにそれ」
「カレのことは好きだけど、果たしてこの好きの矢印は友情に向いているのか慕情なのか、はたまた同情か。アノコの中で納得がいかないから、ああやって2人の時間をわざとつくって矢印の方向を探ってんの」
「やたら詳しいね」
「そりゃぁね、小学生からの付き合いですから」
「いいの?デリケートなこと、第三者に話しちゃって」
女子は左の口角を少しあげる。
「いいの、アナタ口固いから」
「バラしちゃうかもよ」
「大丈夫。私、見る目あるから」
そう言うと、女子は二階へ駆け上がって行った。
雨上がりの湿った匂いが立ち込める廊下に、西日が差している。
雨降る日に佐藤をおぶっている三波の姿を此処でよく見かける。
小学生から一緒でも、ましてや同じクラスでも無いが、二人の名前は覚えてしまった。
いつしか自然と目で追い、意識して保健室の前を通る。
「どうしようかな。そんなコト聞いちゃったらさ、もう、止められなくなるじゃないか」
ショートストーリーは突然に A面 魚梁瀬 むすび @rabibunny
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