偏頭痛3

深海は、刺すような痛みを伴うとても冷たい所だと思っていた。


彼女の体に触れる海水は、とても心地が良く温かい。穏やかな潮の流れに身を任せ、深海の魚と浮遊する。


後方から現れたリュウグウノツカイは彼女と並走する。


シンとした深海を泳ぎ進めて行くと、メンダコの群れが眼前に広がった。


圧巻のその群れに、彼女は口を開けて立ち止まる。

すると、リュウグウノツカイは彼女を追い越し、メンダコの群れに潜っていく。


ちょっと、まって


彼女も後に続くと、メンダコの群れは彼女達を避け、道を作ってくれるのだ。


その群れを縫い、彼女たちの目の前を通り過ぎて行くはデメニギス。


君の頭部はどうして透けているんだい?


彼女はそう話しかけたが、緑色に発光する目玉をこちらにキョロりと向けるだけで答えてはくれなかった。


道の先で、細かいあぶくが立っている。

あぶくの向こう側で、橙色のぼんやりとした光が彼女を導く。


光に近づくにつれ、声が聞こえてきた。


-ゆ……


-まゆ……


その声は太く柔らかい。彼女の周りにはこの声を出す者はいない筈なのに、どこか懐かしいものであった。


その声がする光に手を伸ばすと、阻むかの様に泡が腕に纏わりつく。


これでは前が見えない。

回り道もない。


あちら側を遮断する泡の壁が左右に広がっている。


リュウグウノツカイは迷い無く泡の壁の中に潜っていく。彼女は慌てて尻尾を掴んだ。

リュウグウノツカイに引っ張ってもらいながら泡の壁に突入していく。細かい気泡が身体中に纏わり、視界が白く霞む。


泡の弾ける音が止むと、そこには丸い光の球があった。


光る球体の目の前で立ち止まると、リュウグウノツカイは自身の口先を球体にコツンとあてる。


君は一緒に行かないの?


するとまた、口先を球体にコツンとあてた。

行きなさいと、言われているようである。


じゃぁ、行くね。

またどこかで。


光の球体に触れると、彼女は吸い込まれていった。


淡い橙色の光が、徐々に白い光に変わっていく。


「まゆ、君の未来は僕が守るよ」


柔らかな声の中に、寂しさを含んでいる。


「まゆ まゆ」と呼ぶ声が一層大きくなると、彼女はふと気づく。


まゆ、私、まゆだっけ……

私、そう、そうだよ-


その瞬間、強烈な白い光が彼女のまなこを差した。


眉間に皺を寄せ、薄らと瞼を開けると、そこはには見覚えのあるベッド柵があった。


あぁ、夢を見ていたわけか。


でもまだ瞼が重たい。

目を閉じた彼女の頭上でアノ声が再び聞こえた。


「まゆ」


なんだ、まだ夢か。

まぁ、“まゆ”でいてあげても良いけど、夢だし。


「お前さ何度も言うけど、その子はマユじゃない。サヨだ」


登場人物がもう1人増えた。

それは男性と判る声で、聞き馴染みのある声である。しかしここは夢の中であり、自分の知っている声が再現されていたとしても可笑しくはないと、彼女は考えた。


そう、私は小さい夜と書いて小夜サヨちゃんなのさ。


「さよ、だけれども、まゆでもあるんだ」


これは面白くなってきたと、彼女はこの夢(の中)物語の俯瞰者、謂わば、観客という立場で聞き耳を立てる。


聞き馴染みのある声が言った。


「マユはマユだろ。この子は確かに俺らと近い世界を生きているけど、何処か違う」


横の髪の毛が彼女の顔に流れ落ちる。

それをそっと掻き上げ耳にかけてやる。その指先の感触が生々しく伝わった。


「遺伝子は全く一緒だ。指紋だって歯形だって」


「それは別のトコロでも同じだろ。そういうことじゃ無い」


目を瞑っていても感じる視線というものがある。それを今まさに彼女は体感している。


「言語の一致、文明が発達していく経過。あとこの頭痛、まゆのそれと一緒だよ」


聞き馴染みのある声が溜め息を吐いた。


「ちょっとそこ代われ」


何が起きるのだろう。

夢の中だというのに、彼女の心臓が速く脈打つ。


彼女の右手甲が冷たいものに包まれる。

それは先程の指先とは違い、分厚くゴツゴツとした掌だとわかった。


カチッという音と共に、人差し指に圧力がかかる。痒くは無かったが、軽くゴムに弾かれる感覚はした。


それにしても、夢というには余りにも鮮烈な感触が肌に伝わる。彼女はようやくこの状況を訝しがる。


「これ以上の検体は持ち帰れない」


ケンタイとは、倦怠ではなくアノ検体の事か。

目を開けて状況確認をしたい。

だけどこのタイミングで目を開ければ、私はこの世界から消される。間違いない。


聞き馴染みのある声が続けて言った。


「これで頭痛の原因が解る。単なる不調や成長過程による頭痛なのか、マユと同じ原因のものなのか-。 いいか、結果がお前が思うそれと違ったら、此処には来るな」


「わかった約束する。でもさ、僕が思うそれと同じだった場合はどうする?」


彼女の右手が解放される。


何だかシリアスだし、意識が逸れてる可能性があるかも。


そう踏んだ彼女は、少しずつ眼界を広げていった。


大丈夫。2人とも立って話をしているみたい。

ていうか、コレ夢じゃない。かも。


頭を少しずつ動かし、どうにか2人の姿形を捉えようとする。


手前にいる男は彼女に背中を向け、対面するもう1人にこう言った。


「マユと同じものだった場合は、お前が暴挙にでないよう見張る」


手前にいる男の大きな背幅が丁度よく盾になっているため、対面するもう1人の視界に自分が映らない事に彼女は気付く。


手前の男の特徴だけでも-


彼女は息をゆっくり吐きながら、眼界を更に広げた。


ノーカラーのワイシャツにスラックス姿。目立ったところはない。

もっと上に視野をずらしていくと、男の頸に目が止まった。


黒子が3つ、横直線状に並んでいる。


横直線に3つ並ぶ黒子なん世界中に何人いるだろう。


そしてこれ以上の深追いは命取りだと判断した彼女は目を瞑った。


「じゃぁ早く帰ってハッキリさせようか。もう直に まゆ 起きるだろうし」


えぇもう覚醒超えてギラギラですとも。


そんなことを心の中で呟いて間も無く、あの視線を感じた。


彼女は優しく頭を撫でられる。


「じゃあね まゆ」


それは別れを惜しむ様な声だった。


気配がしなくなり、会話が無くなるのを待つ数十秒、彼女は頭にかかったもやを晴らそうとしていた。


なんなんだコレは、夢か現かどっちだ。

だとしてもだよ、女子高生の頭撫でるのはイカンでしょ。犯罪だよ?私の初撫でられ返してくれ。あと人の名前くらい覚えたらどうだ。


頭をフル回転させながら現状を理解しようとする彼女に、強烈な眠気、否、強制シャットダウンされるPCの如く思考は停止した。

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