『Dear K』
八重垣ケイシ
『Dear K』
これは生きていると言えるのだろうか?
これは死んでいると言うのではないか?
それでも、まだ、
◇◇◇◇◇
「ジョータロー、朝だよ」
「う、むうー」
「ジョータロー、朝ー。今日はお仕事の日ー」
「うー、あと五分……」
「もう、スープが冷めちゃうよー」
目を擦り頭を振る。俺が寝起きが悪いのは昔からのこと。
キリが俺の手を引っ張って、俺はベッドの上に上体を起こす。こうして起こしてくれる同居人がいることに、ささやかな幸せを感じる。
幸せ、か。こんなことが何気無い幸福、だったのか。
キリはしょうがないなあ、と大人びた顔で俺を見る。俺は手を口にあて欠伸をひとつ。
「ふあ、あー、……キリはしっかりしてるなあ」
「ジョータローは朝以外はしっかりしてるのにね」
「いつもありがとう」
言って手を伸ばしキリの頭をクシャクシャと撫でる。今年で11歳になるキリ。柔らかな髪が指の間を滑る。
2年前に俺の養子になったキリ。あの頃から随分と背が伸びた。
大人しく頭を撫でられながら首をすくめて、はにかむ顔は昔に比べて随分と明るくなった。
キリと一緒に火星に来て良かった、のか。
いったい何が良かったのか。何を選べば良かったのか。選ぶ余地など無く、ここに辿り着くのが必然だったのか。
キリに同情したのはただの自己満足だったのか。正しくあろうとしたことは、ただの喜劇だったのか。
キリが俺の顔を覗き込む。
「ジョータロー? どうしたの? 具合悪いの?」
「具合は悪くない。悪かったのは夢の中身。最近、変な夢ばかり見る」
どちらが夢か。今のこの自分の有り様こそが歪んだ悪夢かもしれない。
それとも悪夢のような現実から逃れて見ている、幸せな夢の中なのか。
◇◇◇◇◇
地球と通信をする。地球に残った親友にこうして月に一度は話をする。地球と火星を繋ぐ通信には僅かにタイムラグがあって、これにはなかなか慣れない。顔を見て会話をするときに、互いに反応が鈍いような奇妙な感じで、なまじ顔を見て話をするからつい、いつものような会話をしようとしてしまう。
画面に映るのは前より髪の伸びた親友。妙に目力のある挑むような顔つきは、俺を見て柔らかく微笑む。
「久しぶり、ジョータロー」
「ケイキ、相変わらず綺麗だね。美味しそうだ」
「ジョータロー、通信なら殴られないからって、あたしのことを美味しそうとか言うな。あたしはケーキじゃ無いし、男の食い物でも無い」
「ケイキって名前がネタにしてくれって言ってるようなものだし」
「そのジョークは聞き飽きた。改名したい。あとこの名前をつけた奴等をぶっ殺してやりたい」
「あんまり物騒なこと言ってると通信できなくなるぞ」
「この程度、冗談のうちだろうに。火星の政府は市民の自由な発言に厳しいのかい?」
「どちらかと言えば厳しいのは地球の方だろう?」
「ジョータローとキリが火星に行って、もう1年になるのか。火星はどうだい? 生活には馴れたかい?」
「1年もすれば慣れるものさ。テラフォーミングは順調でドームの中の環境は地球と変わらないし。1日が24時間39分というのも、慣れてしまえば1日は1日だ」
「地球のカレンダーとズレがあるから季節のイベントとかどうなんだ?」
「この前、ハロウィンの映像を送ったのは見てないのか?」
「見た。キリのあの着ぐるみはワーウルフか? もこもこで尻尾がふさふさで可愛いぞ」
「こっちでキリが見ているアニメにあんなキャラがいるんだ」
「ということはキリのお気に入りのキャラクターか。なんてタイトルだ?」
ケイキと他愛ない話をする。地球と火星に別れて1年経つ。もう二度と俺とケイキが直接会うことは無いだろう。それでもこうして画面越しに顔は見ることができる。元気なようで安心する。
「キリは元気か? 環境が変わって病気になったりしてないか?」
「地球にいるころより元気だよ」
「それは良かった。……火星でなければジョータローとキリが親子で暮らしていけない、か。まったく地球は終わってるな」
「この1年で変わったことは?」
「いろんなところでロボットの導入が進んでいて、便利になってはいるけれど」
「便利なのはいいんじゃないか?」
「ニュースは見てないのか? ロボットに仕事を奪われ、職を無くして若者の貧困が増加している。これで餓死者は去年より増えた。暗いニュースばかりで、あたしも火星に行けば良かった」
薄く微笑む親友は内心の焔のような激情を隠して穏やかに話す。この火星と地球の通信は両方の政府が監視していることだろう。
◇◇◇◇◇
部屋でケイキから送られた映像データを見る。ケイキが撮影した地球の様子。ケイキの友人達が賑やかにバーベキューなどしている。
二度と戻れない地球の風景。戻る気も無い地球の景色。そこにいた頃はクソみたいだと思ったものが、遠く火星に来てから懐かしくも思えるようになった。
遠くから見ればきらびやかに華やかに見えて、近くに寄ればこびりついた腐敗と汚泥が目につく。人の住むところは何処もそんなものかもしれない。
ネットに繋がらない携帯端末で映像データに隠蔽した暗号を解読する。俺とケイキの秘密のやり取り。こちらがケイキとの本音の通信というところか。
他人に聞かせられない話をするには、こういう方法しかない。俺もケイキも生きていくには隠しているものがいくつかある。
秘密を共有できる相手と出会えたのは、幸運かもしれない。
『
Dear J
Jと子Jが火星に行ってからは寂しいものだ。Jが側にいてくれると良かったんだが、あたしが火星に行くわけにはいかない。
若者が地球を出ていきたいという、今のこの地球を変えなきゃいけない。
老人が老後の面倒を見させるために、子Jを養子に買うような奴隷売買が合法など、ふざけている。許すことはできない。
民主主義は老朽化している。
選挙も最大多数が老害の投票で、若者の未来を考える政治などできるものか。50代を若手と呼ぶような業界に未来などある筈も無い。
投票による世代格差を是正しなければ、既得権益を守る保守派の老人達の為の政治を変えることはできない。
社会の高齢化が民主主義という数の暴力機構を、年寄りの為に若者や子供が奴隷となるような政策へと向かわせる。
このままでは地球に住む人に未来は無い。年寄りどもが未来を食い潰して、作ったごみ溜めを次の世代に残すだけだ。
私たちは前の世代の尻拭いをするために生まれたんじゃ無い。
私たちの未来を作る為には過去にしがみつく老人達が邪魔だ。
ようやく研究していたウィルスが完成する。
高齢者になるほど死亡率が高まり、逆に免疫力の低い新生児の死亡率は零に近い。
このウィルスが地球に蔓延すれば、70歳以上の高齢者の生存率は大きく下がる筈だ。
老人どもを守る為に年金や介護保険の増税で若者が貧困に苦しみ、今の時代に合わない制度も老害どもが邪魔をして改革が進まない。
社会を若返らせて民主主義の機能を正しく是正する。その為には老人の数を減らすしかない。
このウィルスが人類の老廃物を綺麗に清め、人が人の未来と地球の未来を考えた政策を行えるようしてくれるだろう。
邪魔をする老害どもをようやく掃除できる。
老人どもの奴隷として生きるのは厭だと、月や火星に移住する若者が増加し、地球の住人の高齢化はますます悪化している。
若者が社会の改革を諦める程に、老人たちは政治を昔のやり方のまま改めようとはしない。
法律も制度も不具合が見つかればアップデートや修正パッチが必要だ。そんなことも理解できない者が政治を行うなどふざけている。
老朽化した政治機構を多数となった老人たちが選挙で支えている。高齢化し、老朽化した民主主義を再生させるためにも老人を殺し、年齢層の格差を是正しなければいけない。
この計画が上手く行けば、地球は少しはマシになる筈だ。何年かかるか分からないが、年寄りが減り、今の時代に合わせた政治ができるようになれば。
そのときにはJと子Jが地球に戻ることもできるだろう。冤罪を晴らし堂々と地球に。
再び三人で、また家族のように暮らせることを夢見て願っている。
それまで元気で。
from K 』
◇◇◇◇◇
ケイキは相変わらずの激情家で夢想家だ。しかし理想も語れなければ未来は作れない。
反乱は成功すれば革命と呼ばれ、失敗すればテロと呼ばれる。
テロとは罪では無い。失敗した反乱が、敗北が罪なのだ、とはケイキがよく言っていた言葉だ。
反乱そのものを悪として義務教育で育てられた世代は、テロを嫌って抗わない。
反乱という手法を選ばずに、地球よりもより良く暮らせる場所を求めて、火星や月に移住する。金星のテラフォーミングも進み、若者は地球を捨てて別の星へと。老人たちに邪魔をされない、新たな社会を築こうとする。
それを不満に思う者は地球に残る者には多い。
少し悩んだが、ケイキには真実を伝えておこう。
キリを撮影した映像データの中に、俺からケイキへの手紙を暗号化して隠して送る。
これを見たケイキは絶望するだろうか。それとも怒りに燃えて更なる活動に力を入れるのだろうか。
地球。あまりにも遠くなったあの星で、人はこれからも生きていけるのだろうか。これが人の選択の結果ならば。
人はいつまでも戦争という解決法を手離せないらしい。
◇◇◇◇◇
『
Dear K
伝えるかどうか悩み続けていたが、Kには真実を伝えようと思う。
おそらくこれが最後の手紙になるだろう。この先、火星と地球で民間の通信ができなくなるだろうから。
火星は地球から独立するつもりだ。
順を追って話そう。
もともと火星の政府は地球からの独立を希望していた。火星に住む移住者は地球を捨てた者、地球で暮らしていけなくなった者、地球で生きていくことに希望を感じられなかった者達だ。
貧困であったり、前科者だったり、障害があったりと様々だ。
金持ちの年寄りが自分の世話をさせるために、子供を奴隷のように人身売買し、それを外面は養子縁組と整えて合法とするのが当然となった。
親を事故で亡くしたキリを保護した俺が、キリの購入を邪魔したことで誘拐犯として指名手配された。火星に逃げることができなければ、俺はキリと離され犯罪者として刑務所に送られたことだろう。
キリと俺の地球脱出に手を貸してくれたKには、深く感謝している。
だから、Kは悪く無い。
運が悪かっただけのことだ。悪夢のような災難に巻き込まれただけのことだ。
俺もキリも、もう死んでいるんだ。
俺とキリの乗った火星行きの移民船。その宇宙船に乗る乗客。火星での新たな暮らしに期待と希望を持つ五千人の移民団は、全滅した。
火星の軌道上の空港近くで、俺たちの乗った船は爆発した。
宇宙船に仕掛けられた爆弾が、五千人の移民と共に俺とキリを宇宙の塵に変えた。
この一件は火星の政府が隠蔽した。地球に流れたニュースでも爆弾を発見し、乗客と宇宙船の船員が全員脱出した後、無人の移民船が爆発したことになっている。
火星は地球の悪辣さを責め、地球はテロリストの仕業と言い逃れている。
本当は移民船に乗っていた者は全員死亡している。俺もキリも含めて。
それならこの1年、Kが通信した相手は誰か? と、疑問に思うことだろう。まるで死後の幽霊と通信をしていたみたいだと。
それがあながち間違ってもいない。今の俺は幽霊みたいなものだ。
今の俺とは、火星政府の電脳の中で再現された人格情報だ。
火星は爆発テロによる死者をゼロにすべく、大型の電脳で作った仮想世界の中で、火星への移民五千人を再現した。
肉体を失い、それでも生前に取得したデータから電脳世界の中で記憶と人格を復元させた。
火星のドーム04に暮らす移民は全員が、言わばVRゲーム世界の住人のようなものだ。
このドームに住んでいる者はこのことを知らない。
誰もが爆発の直前に移民船を脱出し火星に辿り着いた、というストーリーを見せられている。だから自分が既に死んでいることにも気がついていない。
地球との通信も問題無くできる。通信先の相手が良くできたアバターだと気づいた者はいないだろう? Kがこの1年、話していた相手の俺とは、そういう存在だ。
記憶と人格は同じ、ただ実体としての肉体を失っている。科学が作った火星の幽霊だ。
そして地球と火星は遠く、地球は火星への移住者に文句をつけてもわざわざ調べに来る者は少ない。
調査や取材に来た者も、空港で眠らされて意識だけ電脳世界に繋げてしまえば、火星のドームに到着したという夢を見せられるだろう。
既に俺もキリも夢の世界の住人のようなものだ。
この電脳世界はよく出来ている。不自然に気がついたのは情報研究をしていた俺ぐらいだろう。他にも俺のようなひねくれ者が、違和感から真実に辿り着くとしても、まだ時間がかかることだろう。
火星は移民を死なせたく無かった。生きていてもらわないと困るからだ。
火星の住民投票で火星の独立を決めるには数が必要になる。火星で今も生きている人の数が。
移民船を爆破したのは火星の独立を邪魔したい地球の仕業だ。
死んだ人間を生きていることにして、その住民投票で火星は地球から独立する。地球はこれを許さず脅し、やがては地球と火星の戦争へと発展するのではないだろうか。
だから、これが最後の手紙となるだろう。
俺もキリも死んでいる。だが不思議な気分だ。肉体を失っているのに、良くできた偽物の世界の中で俺とキリはまだ生きている。
ケガをすれば痛いと感じ、疲労も空腹も眠気もしっかりと感じる。
キリはまだ自分が死んだことを知らない。知らないままに、今も俺と暮らしている。
昨日はキリがアップルパイを作った。少し焦げてやたらと甘ったるいアップルパイだ。次は甘さをひかえめにチーズケーキを作ると言う。お菓子作りに何か惹かれるものがあったらしい。
この俺がまるでキリの父のように。まるでキリと親子のように暮らしている。
これが家族か、と。これが俺が地球で得ることができなかった家族というものか、と。
緩やかに流れる穏やかな、キリとの二人の暮らしは、まるで天国に辿り着いたかのようだ。
俺とキリが地球に行くことは無い。
火星の大型電脳の中から外には出られ無い幽霊だから。
もしも、万が一にも、火星と地球が和解することがあれば。火星と地球の通信が無事にできるようになれば。
電脳世界の中でKと再び会うことができるかもしれない。
KがVRゲームにダイブするかのように、火星のドーム04にログインできたなら。
そのときには我が家でキリが作ったお菓子を一緒に食べることができる、かもしれない。
俺もまた、再び三人で、また家族のように暮らせることを夢見て願っている。
それまで、死ぬなK。
革命の成功を祈っている。
from J 』
『Dear K』 八重垣ケイシ @NOMAR
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