番外編 家族のはじまり

 「二人を…従者に?」

 「はい、クレシェント様」

 陽気な面持ちだが、言葉の中には明らかに決意めいたものが感じ取れた。そしてそれはもう一人、ミューティ・フィーリアスの背中に隠れていたプランジェ・フィーリアスも同じだった。



 クレシェントが一人で暮らしていた頃、寝床として見つけた大木があった。それは中がくり抜かれ、住まいとして作られた家だった。誰のものかわからないが、使われなくなって長い時間が経っていたことを知ると、クレシェントはそこを住処にした。

 ある日、急に扉を叩く音が聞こえてクレシェントは目を覚ました。冷たい雨の降っていた日だった。

 クレシェントは外から来る気配に殺気が無いことを確かめると静かに扉を開いた。

 「お願いします!この子を…プランジェを助けて下さい…!」

 雨粒と共に雪崩れ込んできたのはまだ年若い女だった。彼女の背中にはもう一人、年が幼い女の子が今にも消えそうな表情をしながら背中に寄りかかっていた。目を凝らす前に血の臭いが鼻を刺激する。クレシェントが下を見ると、既に床が赤く染まっていた。

 「早くしないとこの子が死んじゃう…!せめて手当てだけでもこの中でさせて下さい…!」

 「…兎に角、中に入って。傷の具合を見るから」

 そういいながらも私はその子の死期が近いと言うことは知っていた。出血が酷過ぎたのだ。このままではあと一時間も持たないだろうとクレシェントは思った。

 二人を中に入らせると、血塗れの女の子を机に置いた。服はびしょびしょで服が血と水のせいで真っ赤に染まっている。血の出所は胸に付けられた傷口からだった。

 「(何か鋭利な物で切り裂かれた痕…。爪?)」

 「どうすれば良いの…!?止血しても全然止まらなくて…もう私どうして良いのかわからない…」

 微かな吐息を漏らすその少女を見てしきりに悲鳴にも似た声を上げた。

 「落ち着いて…。騒いでも仕方が無いでしょう?」

 「は、はい…」

 言葉をかけたことが混乱を抑える薬となったのか、女は叫ぶことは止めた。だが両手を震わせることだけはまだ止められなかった。

 「助かる方法が、一つだけあるわ…」

 「え?」

 「でもそれは…」

 クレシェントは途中で言葉を詰まらせた。自分の中には強い力が流れている。それは壊乱の魔姫と呼ばれた力の源から流れる血そのものだった。恐らく、その血を含ませれば傷を癒やすことが出来るかもしれない。檻の中にいた頃にそんな話をデラがしていたのをクレシェントは聞いていた。ただそれは自分が普通ではないことを知られてしまう恐れがあった。

 不意に少女が吐血する。胸の傷は深く、気管をも傷つけていた。

 「プランジェ…!」

 少女の唇が紫色に染まり始めると、女は懇願した。文字通り藁にも縋る思いで。

 「お願い…どんな手を使っても良いから、この子を助けて…。この子がいなくなったら、あたし…ひとりぼっちになっちゃう…」

 その眼差しは救いを求めていた。ただ一つの誤算は、その相手が世界を滅ぼす可能性を持った犯罪者ということだけだった。

 「わかったわ…」

 クレシェントは躊躇いがちに自分の手首を持ち上げた。

 それは気まぐれだったのかもしれない。壊乱の魔姫となって多くの命を奪った挙句、その力を使って今度はたった一人の少女を助けようとしている。それに何の意味があるのかわからないが、少なくともクレシェントは何か善い行いをしたかったに違いない。

 爪で手首を切り、口に自分の血を含ませると、クレシェントは後にプランジェという名前を知らされる少女の唇に捧げた。


 次の日になってクレシェントは自室で目が覚めた。木で出来た寝床の上に干し草を重ねて、その上で眠っていた。くり抜かれた窓から差し込む光はクレシェントの頬を温めていた。

 ふと部屋の外が騒がしいことに気が付いた。クレシェントは何事かと自室の扉を開くと、そこには箒で部屋を掃除している女の姿が見えた。

 「あ、おはようございます」

 昨日まで泣きじゃくっていた女がクレシェントに向けて頭を下げた。

 「なに…してるの?」

 「お部屋の掃除をしています」

 「…見れば分かるけど、頼んだ覚えはないわよ」

 「でもプランジェを助けて貰ったお礼がしたいんです。駄目ですか?」

 「良いわ、そんなの」

 そこでクレシェントははっとした。あの少女はどうなったのだろうかと。

 「あの子は…」

 そう言いかけた矢先、埃まみれの箱を持った少女が奥からやって来た。

 「姉さん、これ捨てちゃって良い?湿気でもうぼろぼろになってるから」

 昨日の怪我などまるでなかったことのように元気な姿を見せた。

 「プランジェ、まだ休んでなきゃ駄目って言ったでしょ」

 「もう平気。なんだか落ち着かなくて、体を動かしてないと嫌なの」

 「そうなの?じゃあ、お願い」

 「うん、ぼろぼろで汚いから掃除のし甲斐があるね」

 「こら!」

 その様子を見てクレシェントはため息を吐いた。

 「本当になんてお礼を言って良いか…。貴女のお陰で妹は助かりました。本当にありがとうございます…」

 深々と頭を下げるその女を見て、クレシェントは初めて嬉しい気持ちになった反面、自分の正体が知られてしまうのではないかと落ちかなかった。

 「ここを掃除してくれるのは助かるけど、もう結構だから。早く…両親のところに帰りなさい。心配…してるわよ」

 「お父さんとお母さんはもういないんです…。少し前に死んじゃって…。だからあの子を人に診せる余裕もなくて…ごめんなさい」

 「…どうして謝るの?」

 「え?あ、はい、あの、ごめんなさい。じゃなくて、えーと、んーと…」

 「なら寝泊りする場所なんてないわね」

 「ついこないだ追い出されちゃいました。家賃が払えないなら出てけーっ!って」

 けらけらと笑うその姿を見ても、クレシェントはどうして笑っていられるのか理解できなかった。ただその笑顔はとても素敵だなと、クレシェントは自然と思っていた。そして一握の不安がありながらも、クレシェントは無意識に言葉を綴った。

 「なら…ここを使って良いわ、部屋はまだあるから」

 「ほ、本当ですか!?」

 「…ええ、好きに使って」

 「ありがとうございます!あたし、もっともっとお掃除頑張っちゃいますね!」

 また笑った。いつしかその笑顔はクレシェントにとって憧れのようなものになっていた。屈託なく笑うことが出来るのが羨ましいとさえ感じていた。自分の正体を知ってしまうかもしれない。けれどもクレシェントはその笑顔に惹かれていた。それは自分で笑うことが出来ない故の渇仰だったのかもしれない。



 そう、ここから始まったのだ。私と、彼女たちとの出会いは。



 「従者に…クレシェント様にもっと尽くしたいんです。お願いします」

 「……………………」

 傍にいるプランジェもミューティと同じ顔でクレシェントを見詰める。既に二人の目には引き下がると言う言葉が見受けられなかった。

 「…わかったわ。でも従者の誓いは私のやり方でさせて貰うけど、異存は無いわね?」

 「はい!」

 二人は顔を見合わせると、嬉しそうな顔をして返事をした。

 「今ここに 契約の交わりを伝える」

 目の前にプランジェとミルティが跪く中、誓約の詠唱を称える。

 「永久の音色を奏で 紅き水と破片を集いし契り賜う天成の瞳 祚を糧とせず詩を糧とせよ 汝 我の鐘に耳を傾け 我の指先となれ 然れば求め与えん我が心臓 認めよ我が一輪の従者」

 「我ら母なる性を持つ者…」

 二人が声を合わせ、反覆の詠唱を称えようとしたとき、

 「そして再び求めよう、両名を私の家族として迎えたい…」

 クレシェントは初めて笑顔を作ってみせた。それはまだ笑顔と呼べるものではなかったが、口角を少しだけ上げて目を細めただけの作り笑顔だった。ただ確かにクレシェントが笑った瞬間だった。

 「え?」

 「従者は肩書きで構わない。私は…二人の家族になりたい。…駄目、かな?」

 二人は一瞬、面を喰らったような顔をしたが、揃ってクレシェントに抱き着いた。

 『 「はい!」 』

 その日、クレシェントは二人と従者、いや、家族の誓いを交わした。

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終焉の妖精 貧乏万斎 @Binboubansai

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