第12話
解除後十日ほどは、松山は遅刻・欠席をしなかった。しかし、その後はポツポツと遅刻が出始めた。その頃は既に期末考査の直前になっていた。隆三は遅刻について松山に注意はしつつも、さして気にとめなかった。彼の生活習慣が謹慎期間の短時日で変わってしまうとは思っていなかった。遅刻の再発は予想されたことだった。むしろ隆三は期末考査で松山がどれだけの結果を出すかに期待を抱いた。それで彼には欠点科目の解消という目標の方を強調し、意識を喚起した。
期末考査の結果が出た。松山は全科目に渡って中間考査を上回る点を取り、五科目あった欠点科目を一科目に減らした。全科目の平均点によるクラス順位も最下位近くから中ほどまで上昇した。隆三は満足だった。よくやったと思った。この調子でいけば進級は問題ないと思った。隆三の目には松山は立ち直りつつある生徒として映っていた。
しかし、期末考査が終ると、松山の遅刻・欠席が増え始めた。気の緩みがはっきり分かる増え方だった。家庭に連絡すると、由佳は松山の生活の乱れを訴え始めた。由佳の訴えは、意識から遠のいていた松山の家庭生活の問題を隆三に改めて意識させた。松山はまた食事を家族とともにしなくなっていた。夜間外出も再びするようになっていた。謹慎期間のリバウンドが起きていると由佳は言った。松山には謹慎中は息が詰まる日々だったようだ。
こんな生活を続けるなら高校に通っていても意味はないと思うんです、と由佳は再び言い始めた。隆三は溜息をついて沈黙した。しかし期末考査では成績を上げて、欠点科目を一科目に減らしたじゃないですか、あれもこれも一気に変わることを求めても無理ですよ、と隆三は言いたい気がしたが、それを言っても由佳には何の慰めにもならないように思われた。
松山の学校での生活態度にも以前の状態への復帰が見られるようになった。授業中、教科書・ノートを出さず、ボーとしている姿を時折目にした。シャツをズボンから出したままの姿も目につきだした。隆三はしかし本気で叱る気になれなかった。
服装に関しては、隆三はその規制に元々さしたる意義を認めてなかったが、半年以上も注意を続けても改まらない生徒についてはうんざりして叱る気も起きないというのが本音だった。松山を含めて、服装が乱れる生徒は、言えば直すが、その場限りのことで、元から改まることは殆どなく、イタチゴッコが続くのだった。また、謹慎期間に松山に集中的に接してきた隆三は、しばらく距離を置きたい気持ちにもなっていた。担任としての隆三には松山の他にも対応しなければならない生徒が多くおり、問題は日々生じていたという事情ももちろんあった。立林は依然として隆三を悩ませていた。松山ばかりを相手にしているわけにはいかないのだった。あれこれ理由はあげられるが、隆三が松山に寛容である最大の理由は、松山が自分の指導を受け入れ、変わりつつあるという認識が彼にあったことだ。隆三にとって松山は一段落が着いた生徒だった。
一言で言えば、隆三は松山に対して一服状態に陥っていたと言えるが、由佳はもちろんそうはいかなかった。彼女は連れ子である松山について、自分が設定した軌道と、それからの松山の乖離を見続けていたのだ。
隆三は松山を職員室に呼んだ。隅の机に座らせ、自分は隣に椅子を引き寄せて座った。
「お母さんから聞いたが、お前また夜間外出や外泊をしているらしいじゃないか」
「そんなことないですよ」
松山は苦笑いを浮かべて否定した。
「お母さんがウソを言っていると言うのか。俺はお母さんを信じるよ。遅刻・欠席が増えてきているのが何よりの証拠だ」
松山は唇を噛んで頭を捻った。
「お前、もう学校をやめたほうがいいんじゃないか」
隆三はわざと強く出た。松山はえっ、というように隆三の顔を見た。
「このまま行けば、また煙草所持とか喫煙とか、同じことが起こるんじゃないか。今度は謹慎だけじゃすまんぞ。退学処分なんかになる前にやめておいた方が面倒がなくていいと思うんだが。俺もお前の処分につき合うのはもう嫌だし」
「そんなことしませんよ」
「わかるもんか。生活が乱れてくれば必ずそういうことにつながるんだから」
「お前、また家族と一緒の食事をしなくなったそうだね」
松山は下を向いて沈黙した。
「お母さんが、今のような生活を続けるんだったら高校に通っていても意味がない、と言ってるぞ。学校をやめさせられるかも知れんぞ」
「何で学校をやめさせるんだ」
松山はクソッという口調で独り言を言った。
「そりゃそうだろう。親が金を出しているんだ。卒業したいんなら、金を出してくれる親の言うことを聞かな。皆、そうしているんだぞ。自分のしたいことはする、親の言うことは聞かん、それで卒業させてくれ、は通用せんぞ。この前も言ったろう、妥協しなきゃ。お前も我慢するところは我慢せんと」
「親が退学届を出したら退学なんですか」
「そうだよ」
松山は何か考え込む表情を見せたが、
「俺、T市に本当の父親がいるんですよ。親権はその人が持ってるんです。その人からお金を出してもらえば学校は続けられるのかな」
と言った。隆三は意表を突かれて慌てた。問題がこじれたら大変だと思った。
「そんなことはお前が決められる問題じゃないんだ」
彼は強い口調で松山の考えを封じた。
その後も松山の生活態度は改善されず、一週間に二、三度遅刻するという謹慎前の状態に戻った。そして学校は冬休みに入った。
年が明けて、三学期の始業式の日、松山は欠席した。隆三は家に電話を入れた。誰も出ないので、彼は由佳の携帯に掛けなおした。コールがしばらく続いて、由佳が出た。声の調子がいつもと違った。車を運転中だと言う。隆三は長電話はできないなと思いながら、松山の欠席を告げた。松山は昨夜から家を出ていると由佳は応じた。
「三学期は一度でも遅刻をしたら学校をやめさせると言ってるんです。明日、退学届を出しに行きます」
と由佳は言った。隆三は「そうですか」と言う他はなかった。急転直下だな、と彼は思った。
翌日の朝、由佳から電話が入った。松山は登校していなかった。
「学校、来てないでしょう」
と由佳は訊いてきた。隆三は「はい」と答えた。
「昨日、ちょっと帰ってきたんですが、また出てしまって。今、家にはいないんですよ。今日、いつ頃お伺いすればいいでしょうか」
「退学願を書きにですね」
「はい」
由佳の口調に逡巡はなかった。隆三は午前中がいいという由佳に空き時間を告げた。
電話を終えて椅子に座ると、松山という一件がこれで終わるのだなという感慨が湧いた。あっけないと言えばあっけない幕切れだった。本当にやめさせるんだなと隆三は由佳の気持ちを思った。松山の恨みを引き受ける覚悟ができたのだろうか。あと二ヶ月で二年生は終わる。それまで何とか持たせて進級させる。それが隆三の松山に対する基本的な考えと言えた。それが松山にとって本当に良いことなのかどうかは分からなかった。退学させるという由佳の決断はその虚を衝くものだった。そこには親として子供に主体的に関わろうという姿勢があった。主体的に責任を取ろうという態度があった。そのことを隆三は自分に比して強く感じていた。
由佳は指定の時刻に職員室に現れた。隆三は応接室に通して向かい合った。
「退学ということで本人は納得していますか」
隆三は尋ねた。
「納得はしてないでしょうね」
由佳は視線を落として、言葉を確かめるようにして言った。
「でも、こんな風に遅刻や欠席をした場合は、退学届を出すと本人には言ってます。携帯電話に今日退学届を出しに行くことも伝えてあります。何か言いたいことがあれば学校に来るなり、電話をするなりするでしょう。何の返事もありませんが、分かっているはずです」
由佳は淡々とした口調で答えた。
「私としては退学はいつでもできることなので、もう少し様子を見られては、とも思うのですが」
隆三は後悔しないよう慎重さを求めた。それはこういう場合の常套句でもあった。
「あんな態度で高校を続けても意味はないと思うんです。私たちもそんな高校生活を続けさせるために学費を払いたくもないし、本人のためにもならない。社会を甘く見る人間に育ってしまうように思います」
何度も由佳から聞いた言葉だが、隆三は今回は、松山の弛みきった高校生活をあなたは放置していると責められているような気がした。
「それで、今後の進路はどのように考えておられるんですか」
「二、三ヶ月はうちの会社の仕事を手伝わせて、それから本人に決めさせようと思っています」
「そうですか」
隆三は自分の言うことは由佳には傍観者の言として伝わるだけではないかと感じて、何も言うことはないと思った。
「まぁ、保護者が本人に一番責任があるわけで、お母さんの決断に私としては何も言うことはないわけです」
隆三がそう言うと、由佳は〈そうだ〉と言うように頷いた。
「それでは退学願の用紙を取ってきます」
隆三はそう言って部屋を出た。彼は歩きながら、由佳の態度の揺るぎなさを胸の裡で反芻した。
戻ってきた隆三が応接室のドアを開くと、由佳はじっと卓上を見つめていた。隆三は「退学願」と頭書された用紙を卓上に置き、記入について説明した。由佳はボールペンを執り、松山の組、番号、氏名を記入し、保護者の項に署名、捺印した。紙面に並んだ生徒と保護者の姓が違うのが隆三には印象的だった。
由佳は退学願を見つめて、
「この子をまともな人間にすることが私の責任です。それが夫や、現在の家族に対する私の責任です」
と呟くように言った。隆三はその言葉から、松山の不品行で、岡島や新しい親族に負い目を感じている由佳の苦衷を察した。新しい家庭に馴染めず、身勝手に振舞う松山の存在の由佳にとっての気重さ。無事に進級させれば我が事終れりとなる担任との立場の違いが胸にきた。
「進路について何かご相談があれば連絡してください。通信制や定時制高校なども紹介できますから」
隆三は、相手はそんなことは求めていないと思いながら、他に言うべき言葉もなくて言った。その時ふっと、謝っておこうかな、という気持ちが動いた。しかし、どうだろう、という躊躇いがあった。
「本人にも頑張るように伝えてください。私にはそれくらいしか言えませんが」
隆三はそう言って由佳の顔を見た。由佳は「はい」と頷いた。
廊下に出ると、隆三に、やはり言うべきなんだろう、という気持ちが起きた。
「どうも、私の力不足で、こんな結果になって申し訳ありません」
隆三はそう言って頭を下げた。由佳は意外なことを聞くという表情をちらりと見せたが、微笑して、
「とんでもありません。こちらこそご迷惑をおかけしました」
と、丁寧に辞儀をした。
完
星と月 坂本梧朗 @KATSUGOROUR2711
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