第11話


 今回は玄関から上がってすぐの部屋に通された。今回も由佳の夫の岡島が同席した。

小さな座卓を挟んで隆三は松山と向き合った。松山の顔を正面から見ると、怒りがふとこみ上がった。

「お前も人の気持ちが分からん奴だな。何度裏切りゃ気が済むんだ。何もなかったら明日か明後日、解除の申請をするつもりだったんだぞ」

 隆三は言うまいと思っていたことを口に出していた。

 松山は反省と釈明を記した作文を用意していた。部屋で課題をやっていて、息苦しくなったので、外気に触れようと思って、窓から屋根の上に出た。屋根の上に座って学校のことをあれこれ考えていると、いつの間にか眠ってしまった。目が覚めて、一瞬自分がどこに居るか分からなかった。慌てて部屋に戻った。軽率な行動をして反省している、という内容だった。隆三は真偽を疑いながら目を通したが、文面には真剣味が感じられた。

「ちょっと松山君の部屋を見せてください」

 作文を読み終えた隆三は由佳に言った。先ず現場を確認しておこうと彼は思った。由佳は「はい」と言って立ち上がった。

 階段を上ると、短い廊下に続いて松山の部屋があった。ドアを開けて由佳は中に入った。六畳ほどの広さにベッドと机、小型テレビ、システムコンポなどが置かれていた。

「私が部屋に入ったら、この蒲団が盛り上げられてあって、携帯電話が置いてあったんです」

 由佳はベッドを指し示して言った。

「ああ、そうですか」

「携帯電話には女の子に連絡した履歴が残ってました」

「ふ―ん。蒲団が盛り上がっていたというのはカムフラージュですかね」

「そう思います」

「ここから出入りするんですか」

 机の斜め前の窓を見て隆三は尋ねた。「そうです」と由佳は頷いた。窓を開けると、窓枠の三十センチほど下で屋根瓦と接していた。三十度くらいの傾斜で屋根が二メートルほど前に出ていた。うっかりすると滑落する可能性があった。

「お前はどこに居たんだ」

由佳の背後にいる松山に隆三は尋ねた。松山は窓から顔を出して、

「こっちです」

 と左側を指差した。その方を見ると、屋根は五、六メートルほど先で、前後から張り出してV字形に接している別の屋根につながっていた。松山は指先を後方に向けて、ここからは見えない、引っこんだ所だと言った。V字形の屋根の接合部は底にブリキ板が張ってあり、通路のようになっていた。隆三はそこまで屋根瓦の上を歩いて行こうかと思ったが、滑落の不安もあり、他人の家という憚りもあってやめた。

「お前が家を抜け出す時はどうするんだ」

 と隆三が訊くと、松山は反対の右側を指差した。屋根の端に電信柱があり、それを伝って塀まで降りるという。

 隆三は松山が居たという場所を確かめるために家の外に出ることにした。階段の降り口にある小窓からその場所が少し見えた。敷いてある毛布の一部が見えたのだ。松山はこれまでも何度か屋根の上に座っていたことがあると言った。

 隆三は街路に出た。薄暮の空に円い月が出ていた。屋根を見上げながら街路をあちこちと歩くと、松山が座っていたという毛布を敷いた場所が覗いた。一階の屋根と中二階の壁が接する場所で、一部平らな箇所があり、そこに毛布を敷いているようだった。〈なるほどな〉と隆三は思った。隆三の脳裏に、屋根の上で月光を浴びながら、前途について考えている少年の姿が浮かんだ。月を相手に何を語っていたのか。松山の孤独がふと隆三の胸にきた。松山には素直に心を打ち明けられる相手がこの家の中には居ないのだと思われた。

 部屋に戻る途中、廊下に置かれた電話台にファックス機能付きの新しい電話機が載っているのが隆三の目に留まった。言っていた通り電話機を取り替えたのだなと彼は思った。

 部屋に入って、松山と向き合った隆三だが、まだ結論は出ていなかった。どうしたものかと思いながら、部屋の隅の座り机に置かれた、傘を和紙で張った木製スタンドを眺めた。

「お前、蒲団を盛り上げて、いかにも寝ているように見せかけていたのはなぜだ」

「そんなことはしていません」

「お母さんはそう言ったぞ」

「僕はしていません」

 松山は突っぱねた。

「じゃ、お母さんがウソをついていると言うのか」

「さぁ、起きた時の形がそのままになっていたんじゃないですか」

 隆三はなるほどと思い、松山もこういうことではなかなか頭の回転は速いと思った。

「お前は女の友達に携帯電話をかけてるな。連絡したんだろ」

「はい」

「何のために連絡したんだ」

「別に。ちょっと話をしたくなったんで」

 隆三は、松山には話し相手はその女の子しかいないのだと思った。

「謹慎中は外部と連絡を取ってはいかんと言ってるだろう」

「すみません」

「連絡をして女の子の家に行ったんだろう」

「行ってません」

「本当か」

「本当です。行きたかったけど来るなと言われたから」

「来るなと言われたか」

「謹慎中だから来ない方がいいと」

 女の子も松山のことを心配しているのだと隆三は思った。

 隆三はウーンと唸って腕を組んだ。松山の言うことを全くウソとも思えなかった。

「松山君が部屋に居なかったのは何時から何時までですか」

 隆三は改めて由佳と岡島に尋ねた。

「ジュースとお菓子を持っていって声を掛けたのが十時過ぎで、その時に気がついたんです。ねぇ、パパ」

 由佳は岡島に声をかけた。

「そうだね。NHKの十時のニュースがあっている時だからな」

「で、戻ってきたのは」

「午前一時は過ぎてましたよ。音がしたので二階に上がって行ったんです。」

 由佳は松山が戻ってくるまで起きて待っていて、戻ってきた松山を部屋に入って問い詰め、叱っている。

「私は妻が二階から降りてきた時、時計を見ましたが、午前二時前でしたね」

 岡島がこれは確かだというように言った。

「眠っていたと言うが、よく眠れたな、屋根の上で。寒くなかったか」

 隆三は松山に尋ねた。

「月を眺めていたら、いつの間にか眠ってたんです。目が覚めた時は寒さを感じました」

 松山の言うことを信じたものかどうか隆三は迷った。実地検証の結果では、松山の言い分は物理的には可能のようだった。

「どうですかね。屋根の上に居たというんですが」

 隆三は保護者の意見を求めた。

「その可能性はありますね」

 岡島が慎重な言い方で応じた。

「私は屋根の上に座るなんて今まで知らなかった」

 と由佳は応えた。本人が否定し、それを覆すだけの材料がない以上、本人の否定を信じる他はないようだった。隆三の心証としても、松山の言葉にはある程度の真実味が感じられた。

「よし、信じてやろう」

 と隆三は松山の瞳を見て言った。松山はその目を逸らさず、

「ありがとうございます」

 と言って頭を下げた。

「こういう軽率な行動は二度とするな。またこんなことがあった場合は、言い訳は一切聞かないぞ」

 隆三は釘を刺した。

 話題は松山の謹慎状況の確認に移った。松山はおつき合い程度の短時間だけれども、朝、晩と、家族と食事を共にするようになっているという。それを告げる由佳の目には光があった。変化は少しずつ生まれてきていると隆三は思った。 喫煙の気配もないようだった。

 その二日後、隆三は朝礼で松山の処分解除の申請を行った。日数を数えれば二十日を越える謹慎となっていた。

 解除の申請では、謹慎中の本人の状態、現在の反省状況などを報告しなければならない。指名されて立ち上がった隆三は、松山という生徒には、謹慎に入るに際して、喫煙をやめること、生活習慣を立て直すことという二つの課題があったと先ず述べた。報告する隆三にはある種の昂揚感があった。一年時から基本的生活態度に問題ありとされていた生徒を、この謹慎期間を通じて矯正へ導いた、少なくとも矯正への端緒を開くことができたという自負があった。一つの教育実践を報告するような熱を帯びて隆三は話した。松山が何度か謹慎を破り、誓約書を書かせたこと。その時から彼にとって真の謹慎が始まったと隆三は転換点を押さえた。両親が謹慎に対して真剣に取り組んだことも付言した。今後の高校生活における目標と、それをやり遂げる決意もある程度固まったようにあるので、この辺で処分を解除していただきたいと隆三は話を結んだ。

「という担任の報告ですが、何かご意見はありませんか」

 教頭が後を承けて職員室を見回した。職員室はしんとしていた。共感までは期待しないものの、自分の気持ちの熱さに見合う反応を心情の自然として求めていた隆三には、それは教師たちの冷ややかさとして意識された。

「質問いいですか」

と、広報の責任者として上席に座っている井崎が手を上げた。

「はい、どうぞ」

「謹慎処分を受けておりながら、再三それを破るという行為は十分退学に値すると思うのですが、ここで解除して、今後高校生活をこの生徒は続けられるのですか。その見通しをお聞きしたいと思います」

 やはりチェックしてきたな、と隆三は思った。井崎は、解除などは問題外で、謹慎を破った時点で退学させるべきだろうと言いたいのだ。隆三は立ち上がって、        

「解除に当たって、朝の課外を含めて、遅刻、欠席をしない、期末考査で欠点科目を解消する、学年末の成績でクラスの十番以内に入る、の三点を達成することを約束させ、本人も決意しているので、今後の経過を見守りたいと思っています」

 と述べた。目標の設定では、由佳はクラスで五番以内に入ることを求めたのだが、隆三は過重な負担と考え、十番以内に緩和したのだ。

「よろしいですか」

 教頭は井崎に訊ねた。井崎は沈黙で応じた。

「他にご意見は」

「はい」

 と窪川が手を上げた。

「自主退学の誓約書を書かせたということですが、保護者にはどんな対応をされたんでしょうか」

 何だ、そんなことか、と隆三は思った。

「保護者には二人ともに、誓約書に署名、捺印を求め、していただきました」

「よろしいですか」

 教頭が訊くと、窪川は座ったまま、「署名、捺印させたんですね」と言って、頷いた。

「他にご意見はありませんか」

「なければ処分を解除するということでよろしいですか」

 教頭の問いかけに職員室は無言だ。俺は孤立しているという思いが隆三の胸を過る。その時どこかの席から「はい」という返事が聞こえた。それを待っていたように教頭は、

「それでは処分は解除するということで、校長先生から言っていただきます」

 校長は徐に立ち上がり、

「エー、二年十組三十番、松山慎弥、謹慎処分を解除します。解除の申し渡しは明朝八時に行います」

 と述べた。

「ありがとうございます」

 隆三は立ち上がって頭を下げた。一件落着だった。さすがに溜息が出た。隆三の胸の中には、一人の生徒の立ち直りを述べたという昂揚感はなおあったが、それに対する教員たちの反応はチェック的なもののみという冷ややかさを思うと、この学校には自分の思いを受けとめてくれるものがないという侘しさが蟠った。


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