第12話 特別講義 3.11をショー化してはならない

 やあ、おいらです。


 もうすぐ十年経つ『東日本大震災』。


 まずは亡くなられた方。そのご家族、ご友人など全ての方にお見舞い申し上げるとともに、いまだ行方知れずの方が、奇跡でもなんでもいいので生存されていることを信じ、同時に福島を中心とした被災地域の町の復興を強く願います。


 その一方で、「震災を風化させない」という名目のもとに、メディアが安易に津波の映像を軽々に放映したり、悲惨な映像を一種のショーのように垂れ流していることに疑問を感じざるを得ません。


 震災を風化させないということは、今後必ず起こるであろう東日本大震災と同様またはそれ以上の災害が起きたときにどうやって人々が生き残るかを考えることであり、上は国家、政府、行政の災害対策の徹底、我々国民は想定外の災害にいかに備えるか考え、実践するためのものであって、被災者や親しい人を亡くされ、家も生活も崩壊してしまった方々の心の傷口を広げてしまう映像などを安易に放送するものではないと思います。


 実際に被災した方々の心の傷を、他の地域の人間は知ることなど不可能です。逆に言えば、知ったつもりになってはいけないとすらおいらは思います。


 被災して生き延びられた方々は、亡くなられた親しい方々を弔うとともに、楽しく暮らしていた震災前の記憶こそ心に残していけるように、部外者であるおいらたちは寄り添っていかなければならないでしょう。それは、べったりとくっつくのではなく、遠くから見守り続ける感じで十分なのではないでしょうか?


 東日本大震災のみならず、日航機墜落事故、阪神淡路大震災、雲仙・普賢岳火砕流、地下鉄サリン事件、御嶽山噴火などなど、この世界は不条理で予期せぬ事件や事故が絶えず起こります。これからも予想だにしない自然災害、大事故、テロリズムなど、たとえ『富嶽』をフルに使ってもわからない災難が日本はじめ世界で起こるでしょう。いくら、過去の経験則でもって対処しようにも、それを超えるものが起こってしまうのです。これぞ、神仏を超えた本当の神による悪戯です。人智を超えた災害にはおいらたちは太刀打ちすることはできません。人間は真の神にとって、アリより小さい存在なのです。


 そんな時、人間は結局、癒し合い、祈り合い、追悼すること、そして辛い記憶を消し去り、楽しかった記憶をのみ残すべきではないでしょうか?


 にもかかわらず、メディアはまるで3.11を春の風物詩かのように、ひたすら悲惨な瞬間を垂れ流し、あるいは人々の復興への努力の一部だけを切り取り、お涙頂戴的な番組を作ります。もはや、フィクションだろうというものを作ります。実際にはいまだ、被災者住宅に住み続けている人、故郷に帰れない人らがたくさんいますし、心を病んでしまった人も多くいるでしょう。


 正直「そっとしておいてあげられないのか?」と思います。

 メディアはたとえそれが報道であっても結局は娯楽であり、部外者が観る物です。実際に被災された方が観るかというとそうでもないと思います。


 結論は表題の如く、震災を風化してはならないが、ショーにしてはならないというのが、おいらの私見であります。


 もちろん、考え方は人それぞれですので、おいらの意見に反対しても構いません。ただし、塾生よ、主張は自分のページでやってね。おいら、炎上はいやだよ。


 じゃあ、また。機会があれば。

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