第5話
「俺と話したいなんて、変なひとですね」
人間と会うなんて、いつ以来だろうか。もう思い出せないくらい遠い過去のような気がする。
「あなたに興味を持つ方は多いと思いますよ」
「以前は確かに、〈山の仙人〉だの言われて、テレビ局の人間や動画配信者のような人間に追い掛け回されて大変でしたが、ちょっとしたら飽きたのか、全然来なくなりましたよ。追われている時は不愉快で仕方なかったのに、興味を持たれなくなると途端に寂しくなる。人間というのは本当に不思議な生き物ですね」
「世俗を絶ったひとでも、そういう感情を抱くのですね」
「世俗を絶ったからこそ、余計に他者との密接な関係が恋しくなるのかもしれませんね。それに俺は人間が嫌いになって世を捨てたわけではなく、今後も機械化されていく世界に俺の自我が耐えられないような気がしたんです」
〈愛してください。ア・イ・シ・テ・ク・ダ・サ・イ〉
いま俺の周りにあの言葉を紡げるものは、もう何もない。
何十年も俺はそうやって暮らしてきた。山の中で生活を続け、世俗との縁を絶ちながらも、まだ生き永らえている俺は、一時、謎の仙人が山に潜んでいる、と世間で有名になっていたらしいのだが、俺は一切の情報を遮断しているので、遊び半分に俺を追い掛けていたやつらの言葉を盗み聞きして知ったに過ぎず、本当に有名だったのかどうか、実際のところは分からない。
そんな追い掛け回された過去さえも、もうだいぶ昔の話だ。最近は長く人間の顔を見ていなかった。
俺は記者を名乗るその女性の顔を見る。会いたい、と俺にコンタクトを取ってきたそのひとは、若い女性で、その顔には見覚えがあった。
「どうかされましたか?」
「いえ、すみません……。孫娘くらいに年齢が離れているかもしれないあなたにこんなことを聞くのはおかしい話だと分かっているのですが、俺は昔、あなたに会ったことがありませんか? ……顔に見覚えが……、すみません、若い頃からひとの外見に興味がなかったせいか、顔をまったく覚えられないんです」
「ふふっ」
とちいさく笑うその表情にも覚えがある。そして思い出す。
「もしかしてあなたのお祖母さんは、飯山千尋さん、という名前だったりしませんか?」
「さて……」彼女は、否定も肯定もしなかった。「では本題に行きましょうか。あなたが世俗を捨てた理由について」
「別に構いませんよ。ただ変な話だから、信じてもらえないかもしれませんが……」
「聞かせてください」
「長話をする気はないので簡単に済ませます。もうそれは古すぎる記憶になるのですが、高校生の頃、俺に一途すぎる愛を向けてくれた相手がいたんです。彼、なのか、彼女、なのか俺にも判断が付かないので、あの子、と呼ばせてください。嬉しかったはずのあの子の愛を、俺はいつからか疎ましく感じるようになったんです。答えは簡単です。他のひとを好きになったから。ただそれだけです。あの子は人間ではありませんから、仮に俺が別の、人間の女性に恋をしたとしても、非難されるいわれはないはずですが、それでも俺があの子を傷付けたことに変わりはないんです」
本当にそう思う。年齢を経るごとに考えるのは、千尋以上に、クレアの気持ちだった。あの頃は千尋の気持ちしか考えられず、クレアの受けた傷、という視点が落ち抜けていたと思う。すべての発端は俺だったのに、俺は自身を純粋な被害者に置き、クレアだけを、悪い怪物のように扱ってしまっていたのだ。
「その子のことを、どう思っているんですか?」
「俺は、あの子の愛が怖くて、逃げ続けました。なのに時間が経ったいま、俺は、怖かったはずの愛に、近付きたい、とも思ってしまうんです。でもあの子の反応が怖くてためらっている間に、こんなにも月日が流れてしまった」
「私の好きな物語に、こんな一節があるんです。『真実の愛とは、現在においてつねに理解されぬもののことである』って」
……知っている。その言葉を、俺も――。なんでそんな古いパソコンのゲームを、きみが知っているんだ……?
「なんで……、『nano――ナノ――』の、その言葉を……? きみは、もしかして……」
「あなたに好かれたくて、この姿を選んだのですが、でもその必要はなかったのかもしれませんね」
シンギュラリティの時代へと向かう過程での新たな愛の形を俺たちにたとえて、かつてクレアはロマンチックと評したことがあった。でも、もしかしたら俺が知らない間に、世の中はシンギュラリティという言葉が死語になるほど移り変わってしまったのかもしれない。クレアが人間の姿をして俺の目の前に現れるくらいに。
でもそんなことはどうでもよかった。次に会う時が来たら、ずっと伝えようと思っていた言葉がある。
「愛してるよ。クレア」
〈私も愛しています。いままでも、そして、これからも。ずっと〉
声を機械音に変えて、クレアが言った。
俺が嫉妬に脅かされている件について サトウ・レン @ryose
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます