第243話「契約更新」
広場に入ると、女性の姿をしたナイアーラトテップの化身が「待っていた」とばかりに手招きしたので、近くに寄った。
「お久しぶりね。中々大変な旅路だったようね?」
「それなりに。……どこまで予知していたんだ?」
今回、僕たちがゴブリンマザー退治に赴いたのはこの化身に「成り行きに身を任せろ」と言われたからだ。そうすれば討伐すべき悪しき化身に出会えるはずだ、と。
結果、確かにゴブリンマザーを操っていた化身は討伐できた。その帰路に修道院で大変な目に遭ったが。
「私たちに予知能力なんて無いわよ。いえ、正確には予知すべきではないと言うべきかしらね」
「未来を予知すると、その時点で世界が分岐するから?」
「そういうこと。だから今回のは、私の『予測』に過ぎないわ」
「修道院に迷い込んだのも予測の範疇?」
「ええ」
化身はそう言うが、わからない。銀の鍵を用いて別時空に飛ばされた修道院が、時たま外界と繋がることがあり、そこにたまたま僕たちが迷い込んでしまった。それが顛末のはずだが、何をどうすればこれを予測できるのだろう?
「私たち化身は緩やかに情報を共有しているわ。少なくとも、誰がどこで、何を見ているかは知覚出来る――本人が拒否していない限りは、だけどね」
「……持っている情報が多いからアレの予測も可能だったと?」
そう尋ねると、彼女は心底楽しそうにくつくつと笑った。
「ええ、そういうこと。……さて、本題に入りましょう。その欠けた魂を貰いましょうか?」
「欠けていることはお見通しか……」
今、鍋の中に収められている化身の魂は「銀の鍵」の起動のために少しだけ消費してしまっている。
「ええ、そりゃあね? でも安心して、その程度の損失は気にしないでおいてあげるから」
「そりゃどうも……で、対価は?」
「勿論与えましょう、何が良い?」
正直、「魂の可視化」や「意識の可視化」は精神的な負担が大きい。あれは知覚を神のそれに近づけていくものなのだろう、多用すれば狂ってしまうと思う。であれば、ねだるものは。
「攻撃か防御に使えるもの。あるいは移動でも良い」
「防御と移動は興が削がれるわね……」
「何故?」
「脆くて鈍いから面白いんじゃない、人間って」
「…………」
「まあともかく、防御用はナシよ。そもそも今はどの化身も甲冑で防げないような特殊能力は使えないし、テレポートするような余力を持った個体もいないし、移動能力も必要ないでしょ」
「今は、ね」
「そう、今は。……で、攻撃用ねぇ。『幽体の剃刀』より便利なのは……ふーむ……」
そう言って化身は悩み始めたが、どうにもニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべており、「どれを与えれば狂わせられるか」「社会的にマズい状況に追い込めるか」と考えているように思えてならない。ここは主導権を与えてはダメだな、と思った。
「待って。『幽体の剃刀』の改善が良い」
「改善?」
「燃費をどうにかしてほしい。魂10個使って1発はあまりにも使いづらい」
「その燃費の幾分かは私たちの取り分なんだけどなぁ」
「やっぱりピンハネしてるじゃないか! それをやめろ! 『意識の可視化』も『魂の可視化』も、魂1個で使わせてくれるのにおかしいと思ってたんだよ!」
「あれは狂うリスクがあるからその燃費で良いのよ。……ふーむ、わかったわ。よろしい、『幽体の剃刀』を魂1個で使えるようにしてあげましょう」
「おお……」
「ただし、今後全ての特殊能力の燃料は『人間の魂』『神格、もしくはその化身の魂』に限定させてもらうわ」
「は? いや、ちょっと待っ……ぐっ!?」
鍋の中の魂が吸い上げられると同時、視界が揺れ、頭の中に何かが流れ込んできた――いや、僕の中にある何かが書き換えられていく感覚があった。
「はい契約更新完了」
「一方的じゃないか……!」
「そもそも神と対等に交渉出来ると思っているのがおかしいのよ。これでも私という個体はかなり好意的で、良心的な契約を交わしているつもりだけどね?」
「そこは問うてないよ、お前たちから授かった特殊能力は自由に契約を書き換えたり……例えば剥奪したり出来るのか?」
「出来るわよ。ただ、それを良しとしない個体がいれば即座に介入してくるでしょうけどね。誰も咎めなかったから、私は契約を書き換えられたってわけ」
「くそっ……」
その点については安心したが……確かにこれで燃費は良くなったが、燃料の調達に問題が発生した。今まではゴブリンなど「殺しても社会的に問題がないし、数もそこそこ居るモンスター」の魂を燃料にできていたが、今後は特殊能力を使うために殺人を犯さねばならなくなった。
おいそれと特殊能力が使えなくなってしまった……あるいは。
「積極的に殺人を犯させようとしているな?」
「さあ?」
「くそっ……いや、化身の魂でも良いんだよな。じゃあ、次の殺しても問題ない化身の居場所を教えろ」
そう言うと、化身は首を横に振った。
「成り行きに身を任せていれば良いわ」
「また?」
化身はくつくつと笑う。……成り行き。これから何か起きるのだろうか? あるいは、現在進行中のことといえば、ブラウブルク市で銃職人ギルドの設立を認めるか否かの政争をやっているが――
「まさか、アレに介入している化身が?」
「さあ?」
「…………」
「さて、話は終わりよ。せいぜい頑張ってね」
「……いや、待て。最後に聞いておきたいことがある」
「何かしら」
「お前の名前が知りたい。『化身』じゃ他の化身と、お前とを区別するのが面倒だ。お前という……まあ、窓口の個体名を聞いておきたい」
「ふーむ、それもそうね……じゃあ、ラーナとでも名乗っておきましょうか」
「ラーナね。わかった」
それきり、僕とラーナはどちらともなく背を向けてわかれた。
――僕が次に向かう場所は教会だ。フィリップさんに一連の報告をあげ、協力を仰がねばならないからだ。この政争に化身が関わっているとすれば、教会の力を借りるべきだ。政争に関われるような上流階級に絞って調査して貰えば、怪しい人物を簡単に炙り出せるかもしれない。
鍋で殴る異世界転生 しげ・フォン・ニーダーサイタマ @fjam
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