第242話「賄賂」

 エンリコさんの工房に向かい、扉を開けると、ちょうど1人の男性が出てきてすれ違った。一瞬の交錯であったが、彼は人の良い笑みを浮かべて会釈してくれたので、僕もその背中に「どうも」と声をかけた。


 工房の中に入ってみれば、エンリコさんが何やらニッコニコの笑みを浮かべていた。手にはどっさりとパンが入ったカゴを持っている。


「お客さんですか?」

「やあ、帰っていたのか。そうだとも、客だ」


 エンリコさんはそう言うと、カゴの中からパンを1つ取り出して千切った……するとそのパンの中から、ぼろりと金貨がこぼれ落ちた。


「――招かれざるほうの客だがね」

「それは……!」


 パンの中に金貨――賄賂だ。僕はエンリコさんに「合法・非合法問わず政争が始まる」という情報を伝えに来たわけで、その矢先にこれだ。背筋が凍る。


「あれは銃職人ギルド反対派参事だよ。こうして私を懐柔しにきたわけだ」

「こ、こんなに手が早いなんて……」

「ん? なんだ、こういう事態を先読みしてたのか?」

「いえ、ついさっき教えて貰ったばかりです」


 僕はゲッツ閣下たちとのやり取りをエンリコさんに伝えた。


「なるほどな……ここまで拗れるとはね……」

「僕も予想外でしたけど、対策を練らないといけませんね」

「そうだな。ひとまずはこの賄賂だ」


 エンリコさんは次々とパンをむしっていく。……最終的に金貨6枚(日本円で300万円相当)が出てきた。


「意外とケチだったな! 金貨10枚は下らないと踏んでいたのだが。ナメられているな?」

「とはいえ、これ賄賂受け取っちゃったかたちになりますよね。外部から突っつかれたらマズくないですか?」

「まあ、贈賄した側も糾弾されるから暴露は最終手段だろうが……こうして賄賂を渡されたのが私だけとも思えない、他の銃職人にも賄賂が渡っているだろうな。そちらのほうがマズい。足並みを乱されては敵わん」

「……どうしましょう、全員ぶんの賄賂を回収して返しにいくのは難しそうですよね」

「そうだな。素直に出さない奴も居るだろうし、第一収賄した事実は消せん……だが腹案がある。フリーデさんや」


 エンリコさんは僕の護衛としてついてきているフリーデさんに手を振り、声をかけた。


「そうだな、だいたい金貨30枚ほど集まるとして……その額を寄付されたら、教会はどんな便宜を図ってくれるかな?」

「寄付額による優遇は旧教的として戒められております」


 そう言ってから、フリーデさんはため息をついて目を逸した。


「……ですが現実的に考えて、固有の教会施設さえ建てて頂ければ、永続的に牧師を派遣するだとか。教会主催の典礼の折に良い席順を与えるだとか。……ですので、その程度の見返りは期待しても宜しいかと」

「ありがとう。どちらも美味しいな」


 銃職人は現在、肥溜めで死んだアホの葬儀の際にフリーデさんが臨時で主任牧師を努めてくれたものの、専任かつ常駐の牧師はいない状態だ。しかもフリーデさんの後任も決まっていない。この状況が改善される、と。これの重要性はなんとなくわかるが、後者がよくわからない。


「……すみません、後者って重要なことなんですか?」

「重要だとも! フリーデさんの前で言うのもなんだがね、教会の公式行事での席順は権威、メンツに関わる問題だ。教会からの信任がいかほどか見せつける場だからな。仮に政争になった時に、教会がどちらに味方してくれそうか暗に示す場とも言える」

「な、なるほど」


 フリーデさんは滅茶苦茶嫌そうな顔をしたのでエンリコさんは苦笑しつつ、話を続けた。


「まあ、この線でいこうか。今の話をダシにして賄賂を回収し、教会に寄付してしまおう」

「……ああ、なるほど! 賄賂という悪事を寄付という善行に変えてしまおう、と?」

「そういうことだ。ま、それでも脛に傷を抱えることには変わらんが、多少マシにはなる」


 ここでフリーデさんが咳払いをひとつしてから、エンリコさんに話しかけた。


「その傷を完全に消してしまう方法がありますよ」

「ほう?」

「その寄付を、『銃職人と贈賄者の連名』というかたちにするのです」

「……なるほど、それならもはや贈収賄の暴露という手は使えなくなるな」

「はい」

「ありがとうフリーデさん、その手でいこう。では私は早速他の銃職人たちに声をかけてくるよ。その他の……賄賂以外の政治的攻撃については、後日また話し合おう」


 そう言ってエンリコさんは出かけてしまった。僕も伝えるべきことは伝えたので、『次の仕事』に取り掛かるために工房を後にした。


 道すがら、フリーデさんに問うてみる。


「ちょっと意外でしたよ、フリーデさんがああいう……政治的な? 助言をするなんて」

「私は単に、教会が政治利用されるのが嫌だっただけですよ。ああいうかたちにすれば、銃職人が教会に行使できる影響力も半減するでしょう?」

「あー……贈賄者との折半になるから……」

「そういうことです。そういう意味ではクルトさんには申し訳なく思っています。利敵行為とも取られかねない、ギリギリのラインだとは自覚しています」

「申し訳なく思う必要はないんですよ。むしろ、教会を利用しようとしているほうが悪いんですから。それに、エンリコさんだって影響力が半減することはわかっているでしょうし、彼も納得済みでしょう」

「そう……でしょうか。いえ、そうですね。何せ相手はハーフエルフです、私なんぞより余程ドロドロとしたものを見てきた上で、ああやって動いているのでしょうし」

「そういえばエンリコさんは200年は生きてますもんね……」


 冷静に考えれば、ただの銃職人もといクロスボウ職人でしかないエンリコさんがああも易々と政争に手を打てているのは、純粋に年の功なのだろうな。


「……あれ、もしかして参事たちが銃職人ギルド設立にこうも反対しているのって、エンリコさんみたいな人が議論の場に出てきちゃうから、ってこともあり得たりします?」

「そういう見方をする参事もいるかもしれませんね。只の人ヒュームならせいぜい60年から70年しか経験を積めませんが、そこに100年、200年経験を積んだ手合が――しかも耄碌せずに――ぶつかってくるとあれば、警戒するかもしれません」

「なんだか問題の解決がどんどん遠のいていく気がしますね……」


 銃職人ギルドの初代ギルド長はエンリコさんという方向で固まっているが、それが障壁になっているとすれば厄介だなぁ……。


「まあ、それは追々考えるとして……一先ず僕は目先の仕事を済ませるとしましょうか」


 歩きながらそう言う僕の視線の先には、市の広場が捉えられていた。そこで遊んでいる子供たちを見守っている、一人の女性……ナイアーラトテップの化身も、そこに居た。彼女に、ゴブリンマザーを操っていた化身の魂を引き渡す時が来た。

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