第五話「足音」(語り手:剛田義晴)
「よぉし、次は俺だな。それじゃあ、よろしく」
蝋燭に火が灯る前に、次の語り手は話を始めた。上手くライターがつかないらしく、カチッ、カチッ、と音を立てながら、彼は自己紹介を進めていく。
「えぇっと、俺は
ジュボッ、という音と共に、ようやくライターが火を吹き出した。
「っと、よし、ようやく点いたな。そしたら、改めて、始めるか」
五本目の蝋燭に火が灯り、筋骨隆々たる剛田の姿が浮かび上がる。半袖短パンの彼は、生暖かい雰囲気とはかけ離れているが、さて、どうだろうか。
「お前ら、『キ・ント・レ』って知ってるか?人間の身体に、いつの間にか埋め込まれてる、『キ・ンニ・ク』ってやつを痛めつけることなんだけどよ。これな、すっげぇ怖えんだ。
お前らは知らないと思うが、その『キ・ント・レ』ってのは、『ジ・ム』って呼ばれる場所に集まって行われる、儀式みたいなものなんだ。会場に準備された特殊な器具を使って、全員で、自らの『キ・ンニ・ク』を傷つけてくのさ。あいつらはな、その行為を通して、充実感や幸福感を得ているって言うんだ。しかも会員制になってて、『ジ・ム』には一般の人間は入れねぇ。なぁ、危ない宗教みたいだろ?
でも、怖いのはここからだぜ。
この『キ・ント・レ』な、やり続けると、『キ・ンニ・ク』が膨張していくんだよ。
それで、どうなると思う?
長袖とか長ズボンが、履けなくなるんだよ。な、怖いだろ?」
剛田は自信あり気に周りを見渡すと、蝋燭の火を消した。部屋がまたもや暗闇に包まれる。それと同時に、誰かが大きなため息をついた。
———と、彼が豪快な笑い声を上げた。
「冗談だよ、冗談。お前ら全員、ヒョロヒョロだったからな、からかってみたんだ。ちゃんとした話も準備してあるから、安心してくれよ。それじゃあ、もう一回、始めるぞ」
今度は一度で火を灯した彼は、神妙な面持ちに変わり、再び怪談を語り始めた。
「さっきの話の続きって訳じゃないんだが、お前ら、『筋トレ』ってやったことあるか?あれって、すっごく辛いよな。部活とか、誰かに命令されてやってる時ですら、回数をちょろまかしたり、姿勢を誤魔化したりしてサボるだろ?ましてや、大学生になって、義務感みたいなものがなくなったら、尚更やらなくなる。
でも、筋肉をつけりゃ、基礎代謝はあがるし、日々の運動もラクになる。身体も引き締まって他人からの印象も良くなるし、なにしろ老後も寝たきりにならずに済む。
筋トレってのは、それだけの恩恵があるんだよ。だが、多くの人間はそれをやらない。なんでだと思う?
それはな、筋トレが、辛くて、そして、孤独だからだ。どれだけ筋肉痛が酷くとも、誰も代わっちゃあくれないし、他人に手伝ってもらったんだとしたら、トレーニングの意味がない。常に、自分の弱さと闘い、自身の限界を超えなければならないんだよ。
並大抵の人間にとって、それは非常に酷なことなのさ。だからこそ、多大な利益があっても、やらない奴の方が多い。たとえそれを乗り越えて、筋トレに
俺もその一人で、特に音楽を聴いてたんだ。トレーニングの時は欠かさずイヤホンをしてたよ。だが、無茶な使い方をしてたからだろうな、壊れたんだよ、イヤホンが。しかも三ヶ月くらいで。結構、高いやつだったのにな。かなりショックだったよ。だから今度は、ネットで安いやつを買うことにしたんだ。
『さて、どうしようか』、なんて、通販サイトを巡ってたんだが、良いのがあったんだよ。今まで使ってたのと遜色ない性能で、しかも値段は二千円。在庫も残り一つだったからな、即買いしたさ。
いやぁラッキーだった、そんな風に思いながら、夕飯の準備を始めたんだよ。野菜や肉を適当な大きさに切って、フライパンに放り込む。そこでふと思ったんだ、『何かおかしい』ってな。『もしかして、詐欺なのか?』、フライパンを振り回しながら考えた。
確かに住所は入力したが、それは通販サイトに登録したのであって、出品者に知られる訳じゃない。他の情報に関してもそうだ。それに、そもそも使ってるのが最大手通販サイトだから、よっぽどのことがない限りは、セキュリティの穴を突くのは難しいんじゃないだろうか。
粗雑な野菜炒めが完成しても、これに関しては結論が出なかった。
俺は観念して、ネットで調べてみることにしたんだ、『高額請求』とか『詐欺被害』とかの検索ワードを入れてな。それでも特に悪い意見は出てこなかった。飯を食い終えた満足感もあって、『まぁいいか』と思ってな、暫く待ってみることにしたのさ。
『どれくらいで届くだろう、三日くらいはかかるのだろうか』、そんな風に考えながら、その日は床に就いた。
だが、次の日の朝、俺は宅配員が鳴らすインターホンの音に起こされた。慌てて玄関を開けて、配送されてきたイヤホンを受け取った。
いやぁ、イヤホンがないと、筋トレするのも億劫だったからな。こんなに早く届けてくれるなんて、ありがたい話だよ。俺は早速、小さい段ボールの箱を開け始めた。
でもよ、人間ってのは、単純だよな。届いたことに浮かれてたら、値段が異常に安かったことなんて、すぐに忘れるんだからさ。
開封が終わり、机の上に置いたイヤホンを、音楽プレイヤーに繋ぐ。 小さく深呼吸をして、それを耳に着けたんだ。
俺はその瞬間、ハッとしたよ。これはやっぱりおかしい。異常だ。俺は驚きのあまり、震えてしまった。そして、そしてそのまま、リズムを刻んでしまったんだ!
そう、このイヤホン、異常なほどの重低音だったんだ!この重低音、この重低音がたまらないんだ!腹の底を突き上げるようなこのエネルギー!これこそが俺の筋トレの原動力さ!
あぁ、ここ数年で一番の買い物だったな。そう思った瞬間だったよ。
そしてその勢いのまま、試しにスクワットをしてみたんだ。するとどうだ、いつもと同じ負荷のはずなのに、限界までの回数が二倍近くにも増えたんだよ。やっぱり音楽の力は偉大だ、聞こえ方一つで、これだけパフォーマンスに影響を及ぼすんだからな。続けて腹筋、背筋、腕立て、と普段のメニューをこなした俺は、それだけじゃ物足りなくて、柄にもなくランニングに出たんだよ。
顔をなでる風が気持ちが良い、そう思った。鼻腔をくすぐる春の香りで、より一層の力が湧いてきた、そんな気がした。このままどこまでも走っていける、そんな風に思えた。
だが、気分良く走ってると、次第に何か違和感を感じてきたんだ。なんていうか、なんだか、脳みそを直接ぴたぴたと触られているような、思考をブツリブツリと遮られるような、雑音が混じっているような…。
そこでハッと気付いた。このイヤホン、外の音が丸聞こえなんだって。
まぁ最近のやつだと安全面を考慮して、ノイズキャンセリングっていう、外界の音を打ち消す機能を、わざと弱くしてるものもあるらしい。だがそれにしても、着けてて気が散るくらいだ。
あぁ、安かった理由はこれか、そう思ったよ。さっきまでの高揚感とは一転、これをその場で捨ててしまいたい気分になった。だが、そんなもったいないことはできないからな、こいつの処遇について考えながら、家に帰った訳だ。
もしこの時、『外の音が丸聞こえ』なんじゃなくて、『足音が聞こえてる』ってことに気が付いてれば、一生イヤホンが着けられなくなる、なんてことにはならなかったのかもな。
家に帰って一息ついた所で、テーブルの前に座った。改めて、こいつをどうするか決めることにしたんだ、プロテイン片手に。
確かに、音質自体は申し分ない。だが、外の音が聞こえてくるのは、流石に耐えられない。しかし、買ったばかりのものを捨てるなんてこともできない。かと言って、トレーニングに集中できないんじゃ意味がない。どうしたものか、と考えている内に、どんどんプロテインは無くなっていき、最後の一口になった。『こりゃあ、結論は出ないな』なんて諦めかけながらプロテインをあおった、その瞬間、俺は閃いたんだ。
『家の中で使えば良いんだ』ってな。
だってそうだろ?ノイズがキャンセルされないなら、ノイズのない場所で使えば良いんだからな。
その日から俺は、ジムに行かなくなった。春休みだったこともあって、飯の買い出しに行く以外はずっと、家に引きこもってたんだ。引きこもって、筋トレしてた。今思えば、この時、既におかしかったんだが、当時の俺は、そんなことには気が付かなかった。
窓を閉め切り、エアコンもつけず、あらゆる音を消し去った部屋。『ノイズキャンセリングの効かない』イヤホンを使ってた俺は、そんな中で過ごしてたんだが、お前らは、そんな生活したことあるか?ないなら教えてやる、そんな状態でいるとな、段々と、気が触れてくるんだよ。『無音』という化け物に、じっと見つめられている気分になるのさ。
まとわりつく淀んだ空気が、俺の頬を舐め取るように感じる。部屋に響く音が、怪物の足音に聞こえてくる。そして、変化のない空間が、この恐怖が無限に続くように思わせる。
騒音はな、聞いていれば慣れてくる。でも、無音っていうのは、慣れることなんてできないんだ。
お前ら、筋トレの時以外は音を出せば良い、今そう思っただろ。もちろん俺も最初はそうしてたさ。扇風機を回したり、テレビを点けたり。だけどよ、筋トレ後の疲れきった身体に鞭打って、そういうことをするのって、トレーニング以上の気力が必要なんだよ。だから、段々と億劫になって、いつの間にか無音の中に後戻りしてるって訳だ。
それで、どうすれば分からなくなった俺は、一心不乱に筋トレをすることにした。意味が分からないって?俺も、今になって考えてみたらそう思う。だがその時は『筋トレをしてる間だけは音楽を聞ける。無音から解放される』って思い込んでたんだ。
記憶が飛び飛びの状態で、俺は筋トレを続けた。無理を押してトレーニングしてたこと、脱水症状気味だったこと、上手く睡眠を取れていなかったこと、色んなことが影響してたとは思うが、俺はその時、尋常じゃないほど意識が朦朧としてたんだ。正直、自分が何をやっているのか、認識できていなかったと思う。
そんな時、突然、後ろから足音がしたんだ。誰もいない、静かな部屋のはずなのに。
俺は思わず飛び上がったよ。イヤホンは耳から吹き飛んで、ぼんやりとしてた頭も一瞬で覚め切った。急いで確認するが、もちろんそこに人はいない。
『疲れてるんだろう』とか、『隣の部屋の音が聞こえただけだ』とか自分に言い聞かせて、流石にその日はもう寝ることにしたんだ。ストレッチもしてないし、プロテインも飲んでなかったが、そんなことを気にしてる余裕なんてなかった。俺は、気を失うように、眠りについた。
久しぶりに良く寝られたからか、次の日はすこぶる調子が良くてな。今日こそは『無音』に打ち勝ってやるって意気込んで、大きく窓を開け、その前で仁王立ちした。面倒臭がらずに、筋トレの合間は窓を開けようって決意してな。
朝飯を食って『おいしい』と感じて、筋トレをして『楽しい』と感じて、窓を開けた時の風を受けて『気持ちいい』と感じた。それら全て、久しぶりの感覚だった。こんな当たり前のことでさえ無関心になっていたことに、心底驚いたよ。でもそれは、同時に、体調が良くなってることも意味する訳だ。だから俺は、昨日みたいな足音が聞こえても、気にせずトレーニングを続けることができた。
だが、その音は、いつまで経っても消えることはなかったんだ。隣の部屋の足音なら普通、遠ざかったり、立ち止まったりするものだろ?だから、おかしいと思ってな。トレーニングを続けたまま、その足音の
そこで気が付いたんだよ。その足音が、俺の周りを回ってるってことに。ぐるぐる、ぐるぐる、わずかに遠ざかったり、近づいたりしながら、回ってるんだ。まるで、目の見えない人間が、何かを探してるかのように。
俺は、硬直した。本能的に、『息遣いを聞き取られてる』、そう感じたからだ。だが、もう既に、その足音はすぐ近くまできている。例えこのまま息を潜めていても、いずれ見つかってしまう。今も、ズッ、ズッ、ズッ、という音は、確実に近づいてきている。
恐怖に耐えられなくなった俺は、叫び声を上げながら、玄関に向かって走った。途端、足音が真っ直ぐ俺の方に走ってくる。
ザッザッザッザッザッ。
ヤバい、逃げないと。ドアまではあと数メートル。
だが、俺はここで転ぶことになる。筋トレ直後で、疲れてたんだろうな。
あぁ、死んだ、そう思った。もう抵抗のしようもない。せめて楽に死ねるように、そう願いながら、じっとしてた。
———だが、いくら待っても、一向にその瞬間は訪れない。どうしたんだ、と起き上がってみると、そこではもう、足音は鳴っていなかった。
ほっと胸を撫で下ろして、『やっぱり疲れてるんだ。ただの聞き間違えだ』とか思っていたら、あることに気が付いたんだ。
転んだ拍子に引っこ抜けてたイヤホンから、『ダン、ダン、ダン』という音が漏れていたんだよ。
俺はここでやっと気がついた、今までの音は全部、このイヤホンから聞こえてたってことに。
未だ、『ダン、ダン、ダン』という扉を叩くような音は、鳴り響き続けている。きっと、イヤホンをぶち破って、こちらの世界に来ようとしてるんだろう、そう思った。だから俺は、急いでそれを、玄関から投げ捨てたんだ。
———これでこの話は終わり。その後、イヤホンがどうなったかは知らないが、俺は今もピンピンしてるし、近くで事件が起きた話も聞かない。だが、『もしかしたら、別のイヤホンでも、またあの足音が襲ってくるかもしれない』、そう思うと、今も怖くてイヤホンは着けられないでいるよ」
今度こそ、正真正銘、剛田は火を吹き消し、五話目が終わる。
百物語(月一更新) @yuichi_takano
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。百物語(月一更新)の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます