第7話【終】

「良かった。ようやく目を覚まされたんですね」


 気付くと、ぼくは木造りのベッドのうえに仰向けになっていて、その視線の先には見たことのある父親ほどの年齢の男性がいた。


「こ……、ここは」


「ラキーテです」


 隣町の名だった。それを聞いて、その男性が誰なのかをぼんやりと思い出す。リエンの村にテキイラを持って訪れる姿を何度か見たことがあった。町長さんだ。ぼくも過去に話したことがあるけれど、穏やかな性格で偉ぶったところがなくて好感の持てる人物だった。


「リエンの村は、どうなりましたか?」


 答えは分かっている。


 それでもかすかな可能性に賭けたかったのかもしれないし、はっきりと言葉にされることで受け入れたかったのかもしれない。


「あの時、村にいた人間で生き残っているのは、分かっている限りではあなただけです。もう村としての形は留めていません」


 わずかに悩んだ素振りを見せたあと、町長さんはぼくにはっきりとそう告げた。


「それは、どのくらい、過去のことなんですか?」


 ぼくの聞き方に違和感を覚えたのか、えっ、と町長さんは困惑した表情を浮かべたけれど、それでも――、


のことです。リエンの村の大火災はに起こりました」


 と教えてくれた。


「たったそれだけしか経ってないんですね。まだ成人の儀も終わっていないようなくらいしか……。ずっと、ずっと長い時間、旅をしてきたような気がしてて」


「あんなことがあったから、気が動転してるんです。まだ時間はありますし、ここは空き家なので、まだ当分ゆっくりとしていただいて構いません。怪我もひどくはないですから、もちろん外へ出ても構いませんし、ひとりが良かったら、私は出て行きますから」


「あの……すこし話に付き合ってくれませんか。変な話も多いとは思うんですけど」


「私は暇人なので、いくらでも付き合いますよ」


「ぼくは、どこで見つかって、助かったんでしょうか?」


「村からすこし離れた草むらで倒れているところを、火災に気付いて救助に向かっていたうちの若い者が発見したそうです。一応、そのそばにもうひとりかすかに息がある状態で発見された子……名前を隠す必要はありませんでしたね。村長の息子さんのヤトです。でも残念ながら、ラキーテに運ぶ途中に」


「そうですか……。ヤトが」


「もう見つかった時点で、助かる可能性は低いような状態だったそうです」


「寝ている間、ヤトと会ったんです。ぼくはヤトが嫌いだったし、ヤトはぼくが嫌いだった。綺麗な状態のままのリエンにぼくたちふたりだけがいて。とても不思議な感じで、ぼくはあれが現実だ、と途中まで勘違いしていたんです。でも途中から違和感を覚えて、あぁここは現実じゃないんだな、とは思ったんですけど、まだ勘違いは続いてて……、ここは〈地獄〉なのかもしれない、って」


「〈地獄〉?」


「〈天国〉と〈地獄〉の話って知ってますか?」


「一応……ね」


「ぼくはむかし、ホープから教えてもらったんです」


「あれはホープの故郷の話だからね」


「そうだったんだ……、ホープはそんなこと一言も」


「まぁリエンやうちの町の考えとは馴染まない話だからね。神を信仰する町と自分が関係していることは言いたくなかったんじゃないかな。正直、いまよりもずっと当時のリエンの村人の排他的な感情は強くて、リエンの村に住み始めた頃のホープは村からひどい扱いを受けていて、それとなく当時の村長に進言してみたこともあったが、聞き入れてもらえなくて、ね。私はその頃はまだ町長でもなんでもなく、行商を兼ねる雑貨屋でね。よく雑貨なんかを売りにリエンを訪れていたから、他人事には思えなくて」


「もしかしてリコのこれって」


 ポケットを探って、リコの〈球形の欠片〉のペンダントを取り出す。


「あぁ、それはむかし、リコと村長が連れ立ってきた時に私が販売したものだよ。そっか、いまはきみが……」


「はい……」


「そっか……」


 感傷的な空気に包まれていくのが嫌で、ぼくは話を戻すように、


「ラキーテもリエンと同じ考えなのに、こっちにはあまりよそ者排除の雰囲気はないんですね」


 と聞いた。


「ないわけではないよ。ただリエンほどではない、と思う。まぁラキーテのほうが外からの滞在者が多いからね」


 ぼくにはホープは村の人間から認められているように感じていたけれど、あくまでぼくの目からそう見えただけで、ホープの中にあった長く複雑な感情はぼくの想像を絶するものだったのかもしれない。火の精に盛った毒は、精霊を殺すためではなく、最初から怒らせるためだったんじゃないだろうか。リエンの村にそれから訪れる悲劇も、ホープの計画の一部だったとしたら。もちろんこれはただの想像でしかなく、真実は誰にも知ることはできない。


「ホープ……」


「あぁ、ちょっと話がずれちゃったね。〈天国〉と〈地獄〉の話は知ってるよ。……でも、なんで〈地獄〉だって思うんだい?」


「ぼくが悪い人間だからです」


「……ホープからはじめて聞いた時も思ったんだけど、良い、悪い、って誰が決めるんだろう。そんな風にいつも思うんだ。その神様が決めるのかな。じゃあ、どういう基準で決めるんだろうか。例えばきみが悪い人間だとしたら、きみを助けようとした私も悪い人間になるのかな。どうなんだろう。私は不心得者だから、別にうちの町やリエンの精霊的な考えが絶対的に正しいなんて思わないけれど、死に何か意味を持たせようとするホープの故郷のような考えもまやかしなんじゃないか、と考え方がそもそも違うからかもしれないけど、そう思ったりすることもある。きみはどう思ってる?」


「それは……まだ分かりません」


「それで良いと思うんだ。私もきみも、これからもまだ色々な考えに触れて、色々なことを考えていくと思うんだ。まだ考える余地がいっぱい残っているのに、いまの段階で自分という存在がどういうものなのか、を決めつけてしまうのは早すぎる気がするんだ。特にきみは私よりもずっと若い」


 窓越しの空が黒く染まっている。町長さんはもう帰ってしまって、ぼくはいま、部屋にひとりだ。


 外の空気が吸いたい。


 屋外に出ると、夜空には無数の〈球形の欠片〉が瞬いている。まだまだ先のことだと思っていたはずの光景が、いま、そこにある。


 分からないことばかりだ。


 旅に出よう。


 父と母には悪いが、行き先を告げる手紙は書かないつもりだ。


 分からないことをすこしずつ知っていけば、ぼくがここにいる意味、生き延びてしまった意味も分かるかもしれない。分からないかもしれない。意味なんてないかもしれない。ただ考えることをやめてはいけない、とだけは強く感じた。


 だから、旅に出よう。


 もう戻る場所はどこにもないのだから――。

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旅の終わりの記憶、あるいは始まりの景色 サトウ・レン @ryose

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