第5話

「ロミ!」

 道なき道、草むらから突然出てきたアルド一行に、ロミの母親――レモンは一瞬は驚いたもののすぐに娘を抱き寄せた。

「もう……勝手にいなくなって……」

 安心したのか、レモンの目にもロミの目にも涙が浮かんでいる。

「パパもいなくなってロミもいなくなったら、ママどうすればいいの……」とレモンが言う。

「パパならここにいるよ」

「え?」

「苦しいって」

 親子は二人で胸元に視線を下ろす。どちらともなく体を離すと、二人の身体の間に挟まれていた黒い花が露になる。

「これは……?」

「これがパパ」

 ロミが母親の前に真っ黒い花を差し出す。

「……何言ってるの」

 怪訝な顔をする母親に、ロミが今日一日の出来事を説明しだした。

 アルドは、言葉が足りないところは補うつもりでいた。しかし、その必要はあまりなかったのかもしれない。ロミの母親は、生前の父親からすでに色んなことを事前に聞いていたみたいだ。老人が怪しいことやロミの不思議な力についてなど。

「本当なのね……」

 ただ、頭で理解していてもやはりそんな話を全てすぐに呑み込めるわけもない。信じていた老人の裏切りに旦那の死の真相。呆然とするのは当然だ。

 そんなとき。


「君と出会ったのは酒場だった」


 ロミが男口調でたどたどしく、唐突に喋りだしたのだ。

「俺がこの村を守る警備隊になるって言った時、酒場の皆は笑った。あの頃の俺はひょろっひょろのへなちょこだったから……」

「ロミ……?」レモンが涙にぬれた目を大きく見開く。だが、すぐにその口角が緩む。

「パパの真似が上手だね」

 母親に頭を撫でられて、えへへと照れ笑いを浮かべるロミ。そして、母親の前に黒い花を差し出す。

「初めてのデートで遅刻して怒られたっけなあ……俺、あの時はもうだめかと思ったよ……でもさ、たくさんお肉おごったら許してくてさ……」

 アルドは驚いた。もうそこにいるのは花の言葉を代弁しているロミではなく、自分が知らないはずの男の姿だった。娘思いで、少し不器用だけど妻を愛している立派な男の姿だった。  

 レモンの目から涙が溢れてきたのは、きっと同じ理由だろう。いや、自分とは比べられないほどに強く愛する人の姿が見えているはずだ。

 ロミの手から母親の手に花が手渡される。

「ほんとに……あなたなのね……」

 レモンは、花を胸元に押し当てるとロミも抱き寄せて声をあげて泣き始めた。それは、親子三人が久しぶりに再会を果たした瞬間だった。


 どれだけそうしていただろうか。アルドは、邪魔をしないように少し離れた所で一人腰を下ろし休んでいた。戦闘でこれだけ疲れたのは久しぶりだった。今すぐにでも村に帰ってぐっすり寝て回復したいところだが、アルドにはあの親子を村まで安全に届ける義務がある。

 だがアルドの胸中は少し複雑だ。それはあの黒い花の事。あの花は、人間の血を肥料として咲いていた花だ。それがなくなった今、親子の別れはすぐそこまで来ているのだ。

「アルドっ」

「ん……」

 アルドの元に親子が駆け寄ってくる。

「ありがとうっ」「ありがとうございました」

 二人が礼儀正しく頭を下げた。

「いいっていいって、そんなの」

 照れ臭そうに頭をかくアルド。しかし礼を言われるのも何度経験しても嬉しいことだ。

「本当にありがとうっ」とロミが再び言う。

「だからもういいって、照れちゃうぜ」

「ううん」ロミがかぶりを振る。「違うよ。今のはパパの分」

「お父さん?」

「うん。パパがアルドには感謝してもしきれないって」

 アルドはロミの胸の前にひっそりと携えられた黒い花を見た。いや、ロミの隣には家族をいつまでも守る父親の姿がもうはっきりと見えていた。

「ああ」

 アルドは、親子に向かって深く、そして力強く頷いた。


 「さあ、帰ろう」

 全てが終わり、アルドの掛け声で一行が歩きだそうとしたとき。

「え? なんで?」

 ロミがぴたりと足を止めた。

「どうしたの?」

 レモンとアルドが振り返ってロミを見る。震える声でロミが口を開く。

「パパは、ここでお別れだって」

「えっ?」

 レモンが声をあげる。

 しかし、アルドは驚かなかった。

「二人共、花をよく見てくれ」

 アルドに言われて二人は視線を花に向けた。あっ、とよく似た親子の声が辺りに響く。

 黒い花は、すでに枯れ始めていた。それはそうだ。何十年も暗い洞穴の中で人間の血を肥料に咲いていた花だ。冷静に考えたら、茎をポキリと折られた状態で長生きできるはずがない。

「嫌だっ。何でっ?」

 ロミが花に向かって駄々をこねるように叫ぶ。これまで強い姿を見せてきたロミの子供らしい一面だった。レモンは、それを潤んだ瞳で見守っている。

 最後のお別れだ。

ゴブリンの気配を感じたが、二人に急ぐように催促することはしなかった。それは野暮というものだ。自分が三人を守ればいい。

 そう。ロミの父親もそうやって娘を守ったのだ。

         

           


          *

「懐かしいなぁ。この森で昔遊んだよなあ」

 ロミの父――カレイドが感慨深げに言う。「遅くまで遊びすぎてママに叱られたっけなあ」

「あなた……」

 レモンの声は既に涙で枯れていた。

「……だって、パパがここでしかお花と話したらいけないって言うから……」

 ロミが泣きながらそう反発する。

「そうだよなぁ。……悪いことしたよなあ、ロミには」

 カレイドはレモンに同意を求めるように言った。レモンがうんうんと首を縦に振る。

「ロミがなぁ、不思議な力を持ったって知った時はパパもママもびっくりしたんだ。周りの友達もびっくりしただろ?」

 昔のことを思い出して、ロミは俯いた。この力のせいで随分と変な目で見られたものだ。そして今回の事件の引き金になったのもこの力のせい。パパが死んじゃったのだって――

「ロミは本当に凄い子だ」

「え?」

 ロミが顔を上げる。

「今回、確かにアルドの兄ちゃんやママの力がなければ色んなことは解決しなかった。でもな、それはロミの力があってこそだ」

 カレイドがロミの肩に手を置く。

「パパはずっと後悔してた。花と会話できるなんて素敵な力なのに、それを押さえつけてしまっていたことを……もっとパパに力があれば……」

 カレイドの声が震えてくる。ロミはあんなに強い父が泣くところを初めて見た。生きている間は見たことがなかった、父の涙。

 カレイドが涙を押し込めて、言う。

「これからはその力を隠すことなんてしなくていい。今回みたいにたくさんの命を救ってくれ。これからは、ロミらしく生きるんだ」

 肩を掴まれた手にギュッと力が入った気がした。本当に、いいの? ロミはそう思った。この力を隠さないで生きてもいいの?

「なあ、お前」カレイドがレモンを見て呼びかける。「ごめんな。早く死んじまって。後はロミを頼んだぞ。……愛してる」

 レモンは両手で口を押え、嗚咽交じりに言った。「ばか……愛してるなんて生きている間に言いなさいよ」

 ははは、と力なく笑ったカレイドは、ロミに再び向かい合った。

「これからもしかしたら辛いことがあるかもしれない。でもな、自分に誇りを持って生きるんだ。何かあったら、必ずパパが守ってやる。それにアルドに兄ちゃんもママもいるしな」

 カレイドはロミとレモンを同時に抱き寄せた。そのたくましい腕と熱い胸板に包まれた時、ロミは安心した。懐かしい。パパ。私のパパだ。

「いやだっ。お花でもいいからもっとパパと一緒に居たいっ」

「だめだ」カレイドが言う。「あの黒い花が存在するということは、多くの人の命を犠牲にするということだ。それはできない」

 泣いて駄々をこねるロミをさとしながら、カレイドは家族に向ける最後の言葉を言った。

「ごめんな……大好きだぞ」

          *



「パパ―!」

 ロミが夢のような時間から覚めた時、聞こえてきたのはゴブリンの声だった。気が付けば、当たりをゴブリンが囲んでいて、アルドがその敵とにらみ合っている。

 アルドは思う。

 ここにいるゴブリンは今までも難なく倒してきた敵だ。狂暴化も当然していない。だが、疲れ切った今の身体の状態では簡単ではないことは確かだ。しかも、二人を守りながら戦わなくてはならない。

 どうしたものか――

 そうやって敵の出方を伺っていた時だった。

 突然の光がアルドの視界を襲った。

「うぅ……なんだ?」

 あまりに強烈すぎて目が開けられない。一体何が起きた?

 分かるのは、後方、ロミたちの元からその光が出ているということ。しかし、確認しようにも光は収まるどころか、輝きを増し続けアルドの視界を奪う。このままじゃあ、ゴブリンたちに隙を与えてしまう。だが、目を開けることができないために動くこともできない。

 やがて、徐々に光が弱まり完全になくなったのを見計らって、アルドはゆっくりと目を開けた。

 辺りには、ゴブリンは一匹もいなかった。

「そうだっ、ロミっ――」

 アルドは振り返って言葉を失った。

 ロミと母親の胸元で光を放っている花がある。

 二人が涙をこぼし、その雫が花びらに触れるたびに、淡く光が灯るのだ。

「虹色の花――」

 アルドは呟いた。

 そこには虹色に輝きを放つ一輪の花があったのだ。

「まさか、それって……」

 アルドが言い終わらないうちに、大粒の涙を流していた二人が目をこすりながら立ち上がった。

 二人の表情がさっきまでとどこか違う。目は赤くはれているが、どこか決意のこもった力強い顔つきだ。

 ロミが光り輝く花を頭上に掲げた。そしてゆっくりと親子はアルドの方に向かってくる。

「アルド、帰ろう。私達の村に」

 呆気にとられるアルド。そして、遅ればせながら気づく。さっきまで至る所に潜んでいたモンスターの気配がすべてなくなっていることに。

 堂々と先陣を切って歩き出すロミの背中を見ながら、ぼうっと突っ立っていると、

「あの子の父親が守ってくれてるんです」

 レモンが柔らかい笑顔でそう言った。


 そうして三人は、何の危険もなくヌアル平原を歩く。

 不思議な感覚だった。さっきまで真っ黒だった花が光を放っている。そしてそれがモンスター除けとなっているのだ。

「アルド」

 ロミが振り返って言う。

「私、パパと約束したんだ」

「うん? 約束?」

「うん」ロミは力強く頷く。その瞳に、もう涙はない。

「私のこの力は皆を助けるためにあるの。だからみんなが幸せになれるように私頑張るんだ」

 ロミの決意を聞いて、アルドの顔は自然とほころんだ。

「そっか。それじゃあ、俺も強くならなきゃな。ロミのパパみたいに」

「無理だよ、パパが一番強いもん」

「げっ。そっかぁー」

「ふふっ」

 一行はロミを先頭にして歩く。 

 親子の未来を照らす一筋の光となるであろう、虹色の花。 

 歩いていくうちにその光は徐々に勢いを失っていく。おそらく、この光が燃え尽きた時ロミの父親は完全にこの世から去るのだろう。それは、このヌアル平原を抜けた時だ。

 だが。アルドは思う。

 ロミの心の中にはいつまでたっても消えることのない光が満ちた事だろう。そしてその光を道しるべとしてこれからの人生を歩いていくのだ。

 この、小さくも頼もしい背中に輝かしい未来を背負って。

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世界に一つだけの花たち @ko_ta1

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