第4話
「死体になった俺を探しに来たのか?」
薄暗くなった辺り。夕日がそろそろ沈もうとしている。
洞窟内よりは当然温度は高いが、だからこそ、アルドの冷たく低い、けれど怒りに満ち満ちている声がより鮮明に響いたのかもしれない。
草むらをかき分けて出てきたシルエットが、ビクッと大きく肩を震わせる。そして、ゆっくりとその姿を現した。それは紛れもなく、洞穴の入り口で、ずっとアルドが待ち構えていた人物だった。
「どうして――」
その人物が泡食った口調で言う。
「どうしてはこっちのセリフだよ」
アルドは言った。
「なあ、じいさん」
はっきりと相手の顔が確認できる距離で二人は互いに向き合った。
分かってはいた。分かってはいたが、いざこうしてこの人物を目の前にすると、いまだに信じられない気持ちが沸き上がってくるのもまた事実だった。
まさか、危険な研究を行った上にロミの父親を手にかけたのが少し前までロミの事を心配していた、いや心配したふりをしていたあの老人――グスタフだったなんて、と。
「こっちは全部知ってるんだよ」
アルドはグスタフを睨めつけながら言った。
「あんたがやってた事全部」
「……」
グスタフは老人とは思えないほど鋭い眼光をアルドに向ける。
「……俺の血を肥料にするつもりだったんだろ。あの黒い花のよ」
「……そこまで知ったか……!」
朝に話した老人と同一人物だとは思えないくらいどすの利いた声。しかしアルドも怯むことはない。
「全部知ってるよ。あんたがした事全部。伝説の花があるなんて嘘の情報を流してたくさんの人を犠牲にしてきたんだろ。……何が目的だ? モンスターを狂暴化させる植物を開発して何をするつもりだ?」
グスタフはアルドの質問には答えずに、薄い眉毛を吊り上げた。
「どうしてそこまで詳しい話を知っている?」
グスタフがそれを疑問に思うのも正しいだろう。ただ研究室を見ただけでここまで理解することはできない。それもこれも全てロミのおかげだ。
だがロミの花の声が聞こえるという力がグスタフに知られたらどうなるのだろう。きっとこの男はその力を悪用するに違いない。今まで、近くにいながらこの男にばれることがなかったのは、ロミが父親との約束――家族以外には花と会話できることは内緒という約束を守っていたからに他ならない。
アルドは、洞穴の最深部で待機しているロミを思った。彼女に危険が及ばないようにアルドが指示したのだ。ただでさえ、信じていたグスタフに裏切られたことでショックを受けているのだ。自分とその老人が戦うところなど見せられるわけがない。
「……質問をしているのはこっちだ」
アルドは剣を手に取った。強い風が周囲の草むらを揺らす。
「……まあいい」
グスタフが諦めにも似た声を出した。しかし直後、
「ふふふふ……」
と奇妙な笑いを浮かべるではないか。
あまりにも不気味なその表情。目元、口元にくちゃあっと皺がよった顔を見て、アルドは剣を握る手に力を入れた。
「なんでこんなことをするかと訊いたな。教えてやろう」
そう言うと、グスタフはごそごそと懐を探り始めた。何を取り出すのかとアルドは警戒していつでも動き出せるように踵に力を入れ、踏ん張る。
グスタフが出したのは、小さな瓶だった。中には黄色い物体が入っているようだ。なんだろう、あれは――
「まさかっ」
アルドがその可能性に気づいた時にはもう遅かった。グスタフは瓶のコルクを抜くと、その粉を体中に浴びたのだ。
「そんなっ――」
アルドは言葉を失った。目の前で信じられないことが起こっている。
「ふっふっふっ。いいか? 命は進化しなければならんものなんだ。そのためには犠牲になるものがなくてはならん」
グスタフの身体が変化していく。丸まった背中、曲がった腰は真っすぐになり、筋肉が盛り上がり、服が破けるほどに肥大化していく。露になった肉体を見てアルドは息をのんだ。そこには至る所に皮膚を繋ぎ合わせたようなつぎはぎの跡が夥しいほどあるのだ。
「もちろん植物も、動物も進化しなければならん。だが、一番進化するべきなのは人間なのだ。この身体を見ろ。これは長年の人体改造でついに適合したゴブリンの肉体の一部。ワシは人間を超えたのだぁ!」
野太い声でそう叫ぶ姿はまさに獣。さっきまで目の前には老人がいたはずだ。だが、今そこにいるのは老人だったもの。目は吊り上がり真っ赤に充血している。鋭い牙が生えている。何より、両手の爪が刃のように発達していた。
「ワシは人間を超える。そしてワシ以外の生物を全てワシの統治下におくのだっ」
グスタフが両手の爪を、ジャッと開く。それが開戦の合図だった。
「さあ、ワシは質問に答えたぞ。次はお前の番だぁ」
次の瞬間、グスタフの姿が見えなくなった。
ギィィィィィン
空間一体に刀と刀がぶつかり合う音が響く。
一瞬の事だ。強靭な脚力でアルドの目の前に移動したグスタフの振りかざした右手がアルドを襲ったのだった。ギリギリ剣で防いだアルドは、そのあまりの力強さにはじき返され尻餅をついてしまった。
なんだあれは……。そのあまりの強さと速さに絶句するアルド。とりわけあの爪は危険だ。刀が十本仕込まれているのと同じレベルだ。どうする。どうやって戦う……?
しかし考えている暇は当然ない。グスタフは体勢を立て直しきれていないアルドに何度も襲い掛かる。アルドは、転がりながらかわし続けるので精一杯だった。
そうしているうちに、洞穴の入り口付近にまでおいつめられたアルド。両手で振り下ろされた十本の爪が降りかかる。
「お前も、花の肥料にしてやる!」
すんでのところでかわすアルド。グスタフの爪は洞穴の入り口の壁を深く切り裂いた。その爪痕を見て改めてぞっとする。あれをまともに食らったらひとたまりもないだろう。
このままじゃやられる。そう思ったアルドは一旦草むらの中に逃げ込んで身を隠す。しかし、それも無意味な行為だった。グスタフの爪は、振り下ろすだけで辺りの草花を全て刈り取ってしまう。それでもアルドは逃げ回る。周りの草に身を隠しながら、それを切られ、また身をかわし、を繰り返す。
「……ちょこまかと」
グスタフの動きのスピードが上がる。それでもアルドはよけ続けた。草むらをぐるぐると逃げ回る。
「かっこつけてたわりには攻撃してこないじゃないか。剣は防御のために使うものなのか?」
グスタフがアルドをあざ笑うかのように挑発してくる。だが、決して挑発には乗らない。必ずやってくるチャンスを信じて、今は必死に逃げ回る。
だったのだが――
「うわっ」
最初に足にガタが来たのはアルドの方だった。草むらの中で躓いて転んでしまったのだ。
「くそっ。なんだこれ……」
足元を見てみると、複雑な形に重なり結び合った不思議な形の植物がアルドの足に引っかかっている。
「くそ、絡まって取れねえ……」
なんとかして、足から植物をはがしたときにはもう遅かった。辺りの草むらを刈り取ったグスタフが、地面に横たわるアルドの顔めがけて両手を振り下ろした。
アルドの顔面すれすれに鋭利な刃物が十本刺さっている。アルドのこめかみから冷や汗が一筋垂れた。
仰向けになったアルドにグスタフが覆いかぶさるようにして爪を突き立てている。アルドが身動きをとれないように顔の周りに右手の爪が。そして、喉元と腹に左手の爪が添えられている。間近で見ると、本当に恐ろしい風貌だ。人間とは思えない。
その悪魔のように裂けた口が開かれる。
「そういえば、ロミはどこだ?」
その名前に無意識にぴくっと体が反応してしまう。
「知ってるんだな?」
「知らない……ぐぁっ」
アルドの腹にグスタフの鋭い爪がめり込む。
「うぅ……」
悲痛の表情で苦悶するアルドをグスタフは不敵な笑みを浮かべて見下ろしている。
「ロミが言ったのか、ワシのことを……」
「っ!」
「……まさか、ロミの力は本当なのか……」
「何のことだっ」
アルドは必死に抵抗しながら、内心では焦っていた。なぜこいつがロミの力に気づいているのだ?
「いいことを教えてやろう」決して腕の力を緩めずにグスタフが笑う。「数年前、ワシはある話を聞いた。どうやらこの村には植物と会話ができる子供がいると。ただそれはあくまで噂話。ふふふ、虹色の花と同じでな。だが、そんな子供がいたなら研究に使えるじゃないか。それでワシは真相を探るために気の良い老人のふりをしてロミの家族に近づいたというわけだ」
だが、と一際グスタフの声が大きくなった。「いくら近くにいてもそんな素振り一切見せないじゃないか。がっかりだったよ。所詮は子供の噂話だった。その腹いせに別の噂話を聞かせてロミの父親をあの花の肥料としたわけだが。ふっふっふ、ありゃあ、強い男だったから花の成長には助かったんだがなぁ、ふっふっふ」
「……こんのクソジジイ」
あまりの怒りにアルドは思いっきり歯を食いしばった。今すぐにでも蹴飛ばしてやりたかった。だが、下手に動くと爪が胸に食いこむことになる。
一方で、頭のどこかで冷静にものを考えている自分がいる事にもアルドは気づいていた。
もしかしたらロミの父親は、老人の企みに気が付いてロミに口止めをしたのかもしれない。仮にそうであったなら、絶対にロミをこの老人の前に出してはいけない。父親が娘を命がけで守ろうとしたことが全て無駄になってしまう。
「そう思っていたが……ふっふっふっふ。ここに来てワシにつきがまわってきた! ロミを出せえ、死んでいないのだろ? どこにいるっ」
ものすごい剣幕で顔を近づけてくる化け物。規則正しく並んだ鋭利な牙がアルドの目の前にある。
アルドはその姿を目の前にして、この老人を不憫に思った。この身体は人間を超越しているわけではない。新たな種族として生物のヒエラルキーのトップに君臨しているわけでもない。ただの、出来損ないだ。
「ふっ」
今度笑ったのはアルドだった。
「断るっ! お前に話すことは何もないっ」
「……そうか。それじゃあ、お前はここでくたばれ」
グスタフの右腕がゆっくりと持ち上がる。そして、それがアルドに振りかざされようとした刹那――
「……なにしてるのっ」
ぴたり、とグスタフの爪がアルドの顔すれすれで止まった。そして二人はほぼ同時に声がする方を見た。
そこには、ロミがいた。
ロミが洞穴から出てきたのだ。
「ばかっ。ロミ、逃げろぉ!」
アルドは必死に叫んだ。しかし、アルドの声をかき消すようにグスタフの高笑いがその場に響く。
「ふふふ、はははは。ロミィ、そこにいたかあ」
「……おじいさん、アルドに何してたの?」
「何って、そりゃあ――」
突然、さっきまで興奮していたグスタフが電池が切れたように黙り込んだ。それを不審に思ったアルドはロミから目の前のグスタフに視線を移した。
直ぐに分かった。この老人が怒っていることが。ただでさえ大きな目が、これでもかというほどに見開かれている。一体、どういうことだ? アルドは再びロミを見た。そして気づく。
「あっ」
なんとロミは、洞穴にあった黒い花を茎からぽっきり折って持ってきていたのだ。
「ガキがぁ! よくもワシの花を!」
グスタフの咆哮がアルドの耳をつんざく。
「くっ……ロミ! 逃げろ! このままじゃ――」
「パパは知ってたんだよっ」
アルドの言葉をロミが遮る。ロミは泣いていた。
アルドとグスタフは、その小さな体から発せられたとは思えない大きな声に驚き、ただただロミの口の動きを凝視していた。
「パパは生きてる間からずっとおじいさんは悪い人なんだって気づいてたんだよ」
「なんだって?」とグスタフ。
「おじいさんが動物やお花を大切にしないでおかしなことばっかりしてた。それを突き止めるためにパパはここに来て命を落とした……」
「はあ? ワシの研究にお前のアホな父親が気付いていた? そんな馬鹿なことがあるか」
「パパが言ってるもん」
まずい。そう感じたアルドが叫ぶ。「ロミ! 何も言うな!」
だが、もう遅かった。
「私は花とお話しできるから!」ロミは叫んだ。そして黒い花を胸の前に抱えるようにした。「色んなお花とこのパパの花に全部教えてもらった。ここでおじいさんが何をしてきたのか」
やっぱりか、グスタフがそう呟いた。「本当なんだな……花の声が聞こえると言うのはーー」
「ここだっ!」
アルドはずっと隙を狙っていた。グスタフとはこれだけ近いところにいるのだ。一瞬でも気が緩んだらそれはじかに伝わってくる。
アルドは思いっきりグスタフの腹をけり上げた。様々な思いを乗せた渾身の一撃だ。
「ぐおぇ!」
不気味な声を出して、グスタフは宙を舞う。どさりと地面に背中を打ち付けもだえている間にアルドは立ち上がった。今度はアルドが見下ろす番だ。
「……はあ……くそ、なんでだ……」グスタフが息も絶え絶えに言う。
「じいさん、自分の身体をよく見てみろよ」
「これは……」
ようやくグスタフは、自身の身体の変化に気づいたらしかった。さっきまでの膨張した筋肉はしぼんで小さくなっている。獣の様だった顔も名残こそあれど、皺だらけの人間の老人に戻っている。何よりも、十本の爪は、木の枝のように干からびてその鋭さを失っていた。
「花粉強化は一回でずっと持続するわけじゃないってのは知ってた。だから俺は、アンタの体力が減るのを待つために時間稼ぎをしていたんだ。俺は気づいてたぜ、アンタの身体が軽くなってることに」
「くそっ……くそぅ……」
グスタフは細い腕と足で生まれたての小鹿のように立ち上がる。そして、ロミへ向かって奇声を発しながら走って行こうとした。だが。
「ぐわぁ」
グスタフは、何かにつまずいたように思いっきり転んだ。その足には、先ほどアルドも引っかかった草のツルが巻き付いていた。それも、アルドの時とは比べ物にならないほど多く。
「なんだよぉ、これえ」
情けない声を出してのたうち回る老人。その姿はあまりにも惨めだった。
気が付けば、ロミが近くまで来てアルドと同じように老人を見下ろしている。その手に黒い花を握り締めて。
「お花達は皆悲しんでる。この辺りの草花は苦しんでる。皆、切られて痛いって泣いてる」
「どうやらここの植物たちはあんたのせいで人間嫌いになっていたらしい。これで分かっただろ。全ての物に命は宿ってる、命はあんたのおもちゃじゃないんだ」
アルドとロミは、変わり果てた老人を哀れんだ目で見た。
「お前らア、なんてことしてくれたあ……その花を返せぇ――」
『命を粗末にするなあ!』
その声に、空間が静まり返った気がした。
確かに今のはロミが発した声だ。だが、アルドにはその後ろに彼女の父親の影がはっきりと見えた気がした。
恐らく、グスタフも同じだったのだろう。「あ、あ……」と子供の様に呻きながら、どこか遠くを恐ろしげな顔でただ茫然と見つめている。もはや、勝負あった。
「植物だって命なんだよ! ちゃんと意思があるんだよ! 命は大切にしないといけないんだよ。こんな花があそこに生えてたのが悪いんだ……パパが死んじゃったのは悲しいけど、たくさんの命が死んじゃうのはもっと嫌だ。おじいさんなんて、大嫌いだっ!」
「だとよっ」
アルドは、老人の爪に向かって剣を振り下ろした。十本の爪は簡単に粉砕された。作戦通りいった余裕と準備、そしてロミを泣かせたことに対する怒りを兼ね備えたアルドにとって老人の爪など木の枝を折るより容易いことだった。
全ての決着がついた瞬間だった。
「ふぅー」
アルドにしても久しぶりの強敵との対戦だったがために、いくらか気を張っていたようだった。肩の力がドッと抜ける。
そしてそれはロミも同じ。ロミは、その場にへなへなと座り込んだ。
「大丈夫かっ」
アルドは自分の足に鞭打ってロミに駆け寄った。
「アルドこそ……大丈夫?」
なんて子だ。こんな時も人の心配をするなんて。全身が震えている。きっと怖かっただろう。それなのに……。
「ロミ、その花……」
ロミがしっかり胸に寄り添わせるように持っている、黒い花。
「うん。パパがね、言ったんだ。これがここにあるからおじいさんは悪さをするんだって。だから……」
なんと声を掛けてよいか分からない。この花は、ロミの父親は生前、命を懸けて娘を守った。そして今、親子の力でもっと多くの命を守ったのだ。ロミの強さは、父親譲りなのだ。
アルドは、圧倒的な親子の愛、そして生命の生きる力を目の当たりにした気分だった。
アルドは立ち上がった。そしてさっきまでグスタフと戦闘していた草むらまでゆっくりと歩く。最初に来た時とは違う光景。めちゃくちゃになった草花が激しい戦闘を物語っている。
「なあロミ」振り返ってアルドは言う。「俺もだいぶ花を傷付けてしまった。こいつら許してくれるかな」
茎から折れた野花。花弁がばらばらになった野花。土が露出した大地。
ロミが小走りでアルドの隣に来る。そしてしゃがんでボロボロになった花達を優しく手で触ると、目をつむって手を合わせた。
「大丈夫。アルドは私を守るために戦ってくれたんだから。皆許してくれるって」
「……そっか」
微笑んだアルドは、ロミの隣で同じように手を合わせた。目を閉じていると、心地よい風が頬を撫で、草木を揺らす音が良く聞こえてくるのだった。
二人が唐突に目を開けて振り返ったのはほぼ同時だった。後ろから物音がしたのだ。
「あいつ……まだ……」
二人の視線の先には、這いつくばってゆっくりと進む老人の姿があった。その姿はまるで死にかけの蛇だ。
「はあ、くそ……ワシは、新たな命を……つくるんだ」
グスタフはそのようなことをブツブツ呟きながら、洞穴へと匍匐前進の形で向かっている。
「なんだ? もう花も花粉もないはずだろ、あの中には」
アルドはいつでも剣を抜きだせるように警戒しながら、ロミを自分の身体に引き寄せた。
「ああ……ワシの研究よ……命ヨ……」
「……幻覚を見てる」
ロミが呟いた。
「え?」
「幻覚を見てるんじゃないかってパパが……」ロミは手元の花に視線を落としながら答えた。「今までも実験失敗してそんな症状がでた人たちを研究室で見たことがあるって……」
「そうなのか……」
アルドは、怖がっているロミを抱きしめ、グスタフの姿を見せないようにした。そうこうしているうちに彼は洞穴の中へと入って行く。
すると、グスタフが洞穴内に入ってからほどなくして、体が揺れる感覚に見舞われた。それはアルドだけではなく、ロミも感じたようだ。
「地震っ」
ロミが怯えた声を出す。
小さな揺れだった。ただし、アルドが危険を察知するには充分な揺れ。
「違うっ。洞穴が崩れようとしてるんだっ」
見ると、入り口付近にある大きな爪痕から、パラパラと洞穴自体が崩れ始めているではないか。先程の戦闘に巻き込まれ、耐え切れなくなっているのだ。
「まずいっ。ロミ、走るぞ!」
アルドたちが背を向け全速力で走り出したのと同時に、洞穴の入り口はガラガラと音を立てて崩れ始める。
「急げ! 抜け道の入り口までだ」
二人は走って草むらの中へ飛び込み、できるだけ遠くへ行こうとした。その時、背後の大きな地鳴りと共に、二人は立っていられずに倒れこんでしまった。
アルドは、ただ、ロミを抱きしめそれが収まるのを待っていた。
やがて、背後でガラガラという音がやむ。辺りは静かになった。アルドはロミから離れて振り返る。
洞穴の入り口は完全に埋まっていた。中からは音一つ漏れてこない。
呆然とその光景に立ち尽くすアルド。
「……命を侮辱した罰だ」
横でロミがぽつりと呟く。「……って、パパが」
「ああ」アルドは相槌をうった。
長い一日だった。これで全ては完全に終わったのだ。人の道を外れた人間は、必ずその報いを受ける。
もう二度と、こんなことがあってはならないのだ。
ロミー、ロミー、ロミー
「あっ」
どこかから聞こえてくる声に反応する二人。
「この声……」
「ママだっ」
ヌアル平原から微かに聞こえてくる女性の声。確かにロミの母親の声だ。恐らくいつまでたっても帰ってこないアルドとロミにしびれを切らして自らこの森に来たのだろう。
「そうだった。お母さん心配してたぞ。早く行こう」
夜のヌアル平原は危険がたくさんある。アルドがロミの手を引こうとすると、
「うん、分かったよ、パパ」ロミが花と向かい合って何か喋っている。日も落ちてくると、黒い花は暗闇と一体化して見えずらかった。
「どうしたんだ?」
「……うん」ロミが言う。「パパがママに会いたいって」
「そうか……なら、早く行ってあげよう」
二人、いや、三人はロミの母親の元へと駆け出した。
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