第3話

 洞穴の中は薄暗く、冷えた空気が充満していた。それに鼻をつく異臭もする。しかし、複雑に枝分かれしているわけでもないのが不幸中の幸いだった。

 一本道をまっすぐに走り続けると、やがてロミの小さな背中が見えた。

「いた! ロミ!」

 アルドの大きな声が洞穴内に反響する。だが、ロミは振り返りもしない。ロミはどうやら立ち止まっているようだった。

「やっと追いついた――」

 ロミを咎めようとしていたアルドだったが、言葉を飲み込んだ。それは目の前にある光景がこれまでとはあまりにも異質だったからだ。

「なんだここ……」

 アルドはロミがいるのも忘れて辺りを見回した。

 そこは、どうやら洞穴の最深部の様で、部屋のような空間が広がっていた。何本ものろうそくの火が灯されている。更には椅子や、見たこともないような実験器具のようなものまである。

 それが意味するもの。

「……誰か、いるのか?」

 アルドはそう呟いた。反響する自分自身の声が不気味に聞こえる。

「パパっ」

「うおっ」

 突然、発せられたロミの声に肩を大きく震わせるアルド。「びっくりしたぁ……ってパパ?」

 ロミは部屋の端に向かって小走りになった。そして、足を止めると地面を見下ろした。

 アルドは目を疑った。ロミの視線に先にあるもの。

 それは一輪の花だった。

 いや、花、と呼んでいいのだろうか。そこに咲いていたのは、まるでこの世のものとは思えない真っ黒な花だった。花弁も茎も全てが黒い。あらゆるところが真っ黒な花。

 当然、アルドはそんな花、長い冒険の間にも見たことがなかった。

 こんな光のない場所に花が咲くのか? 虹色には光っていないが、これも伝説の花なのか? どっからどのように咲いている? アルドはその花らしき物体を観察する。よく見ると、その花が咲いている場所だけ、こんもりと膨らんでいる。

 誰かが手入れをしているのか? やっぱりここには人がいた形跡がある。それも、だいぶ長い間。

 アルドはハッとした。そういえば、ロミは何故この花に向かってパパと言ったんだ? 

 様々なことがアルドの頭の中を瞬時に駆け巡り、混乱に陥った。

 だが次の瞬間、あらゆる考えは吹っ飛んだ。

 アルドの横を通り過ぎて、花に向かって飛ぶその生き物に気づいたから。

「ロミ、近づくな!」

 アルドはロミを抱きかかえ、花から遠ざかった。ロミは抵抗したがそんなのは関係ない。今目の前にゴブリンを強くした可能性がある生き物がいるのだ。アルドは必死だった。

 その蝶々は黒い花にとまった。黒い花に、白黒の不気味な模様の蝶々の様な謎の生き物。見た目は異質だったがその光景には見覚えがある。

「……蜜を吸っているのか?」

 アルドが呟くと、

「そうだよ」

 ロミがアルドの腕の中で言った。

「あれはとつ、ぜん、へんい? した蝶々なんだって」

 ロミが訥々と喋り始めた。

「は?」

「ああやって花粉をはこ、んで……モンスターに届けるんだって。そしたら……モンスターが強くなるんだって……」

「ちょっと待て、ロミ。なんだ、何でそんなこと言うんだ? 強くなるんだって、って……誰が言ってるんだよ、っておいっ」

 ロミがアルドの元から離れ、その花に再び近づいた。

「まてっ。危険だっ。その飛んでるのに近づくな」

「大丈夫だよ」

 ロミは、蝶々に手を伸ばした。すると、その蝶々がロミの指先にとまったではないか。

 言葉を失っているアルドに、ロミが言う。

「やっぱり、この蝶々自体は……人に危害を加えないんだって……」

 アルドは何と言っていいのか分からなかった。さっきからこの子は何を言っているんだ? ここに来てから頭の理解が追い付かない事ばかり起こる。

 頭の中はパニックになりながら呆然と立ち尽くしていると、蝶々が飛び立って部屋の入り口から出て行こうと飛び立った。すると、

「だめっ。外に逃がしたらまたモンスターが狂暴化しちゃう!」

 ロミがそこを指さしてそう叫ぶのだ。

「はっ?」

「はやく! 倒して!」

「なんだってんだよ!」

 訳の分からないまま、アルドは反射的に剣を抜いた。見事一撃で蝶々を捉えたが、アルドの気持ちはすっきりしない。

「おいっ。ロミ。さっきからどうしたんだ。まるで誰かと会話しているみたいだ」

 再びしぃんと静まり返った洞窟内。

「俺の娘に……」

 ロミが何か呟いた。

「なんだって?」

「俺の娘に触るな……危険なのはお前だろ、だって……」

「はぁ?」

 くすくす笑うロミの声が洞窟内に響く。相変わらずアルドは何が何だか分からない。

「おいっ……っ」

 アルドはロミの肩を掴もうとした。いい加減にしろと咎めるつもりだったのだ。

 しかし、その声を聞いて手をひっこめた。

「ふっ……うぅ……ぐすっ……」

 さっきまでのクスクス笑いは、明らかにすすり泣く声に変っていた。そして、その数秒後、ロミの泣き声が洞窟内に響きわたった。

「パパぁ、会いたかったよぉ」

 ロミは、ゴブリンの前でも、一人洞穴に入った時にも決して泣かなかった。けれど、今は心の底から泣いている。本物の涙だ。

 そうやって泣くロミを見ると、アルドは何も言えなかった。

 ロミの足元には黒い花があった。


 

        

「つまり、ロミは花と会話できるということか」

 うん、とロミは頷いた。

 二人は今、洞穴内の壁に寄りかかって黒い花を眺めている。どれくらいそうしていただろうか。はっきりとした時間は分からない。

 洞窟内からロミの泣き声が完全に消え、落ち着いて話せるようになるまで時間はかかった。だが、アルドはその間、急かすこともせず、ただただロミの側にいた。そして話の全てを聞いた今ではその時間は決して無駄ではなかったと思っている。

「そしてこの黒い花からはロミのお父さんの声が聞こえてくる」

 アルドは自分に言い聞かせるように、うんうんと頷いた。そうか、そうか。

「……信じてくれる?」

 ロミが弱弱しくこちらの様子を伺うように訪ねてきた。それを見て、少し不憫になる。

 ロミが花と会話できることで昔から気味悪がられていたことは聞いている。そして、家族以外でそれを見せることは許されないという窮屈な人生を過ごしてきたことも。

 最初、ロミは花と会話できるという力の事をなかなか話そうとしなかった。生前、父親と約束したと言うのがその理由だ。

「ああ、信じるよ。だってそのおかげでゴブリンを倒すことができたんだ。あっ、そうか。あの時もここからさっきみたいに声が聞こえてきたのか?」

 アルドが黒い花を見つめながら言う。

「ううん」ロミはかぶりを振った。「あれは周りに咲いている野花が教えてくれたの」

「野花?」

「うん。野生の花たちはいろんなものを見ているからいろんなものを知ってるの。それで教えてくれた」

「そうか」

 答えながら、不思議なこともあるもんだなとアルドは思う。だが、この子が嘘を言っているとは思えないし、実際それで助けられたのは事実だ。それに、俺はもっとおかしな奴らと冒険してきたんだ。花の声が聞こえることくらい大したことはない。

「さっきまでは悪かったな。ロミのそれは素敵な力だ。もっと自分に自信を持て」

 アルドはロミの頭に手を置いた。そうしてから咄嗟に手をひっこめる。娘を持つ父親の殺気を感じたからだ。

「やべえ、お父さん怒ってないか?」

 ひきつった顔で花を見つめるアルド。先程、ロミの頭を撫でた時に、触るなとロミの父親は自分を怒鳴ったという。それを知ったせいで、アルドは花に対してびくびくしなければいけなくなったのだ。傍らではくすくすとロミが笑う。

「大丈夫だよ。もう怒ってない」

「そうか。良かった」

 アルドとロミはそうやって笑いあった。これまで訪れなかった一時の平穏だ。そして二人が心を通わせた瞬間でもあった。

 だけどよ、とややあってアルドは言った。

「なんでこの花からロミの父さんの声が聞こえるんだ?」

「うん。……なんでだろう、私も分からない」

「その花に聞くことはできないのか? ロミのお父さんは――」

 そこまで言ってアルドは口をつぐむ。まだ父親を失ってから一か月の子供に現実を突きつけるのはあまりに酷だと気づいたからだ。

「……パパは、ロミのために花を探しにって死んじゃったの。そうだよね?」

 ロミが泣きそうな声で言う。そしてぽつりぽつりと、一言一言をかみしめるように喋りだしたのだった。

「私ね、パパを追いかけてここに来たんだよ」

 アルドはそれに相槌を打とうとして思いとどまった。ロミの視線は真っすぐに花を捉えている。今ロミが話しかけているのは父親だと気づいたからだ。

「……うん。ごめんなさい。一人でこんなところに来たらいけないのは分かってた。でも、パパが戻ってこないから。私ね、大嫌いな野菜も食べれるようになったんだよ。ママがね、野菜食べれたらパパだって戻ってくるかもしれないからって言うんだもん。うん、ママ? ママは元気だけど少しだけ痩せちゃった……ママも悲しんでるよ……だからね、パパと昔遊んだ場所だったらパパもいる気がしたの……きっと大丈夫だと思って……うん、そうだよ、すごく懐かしかった。小さい頃はよくヌアル平原に二人で行ったよね」

 親子の思い出話を邪魔しないように、アルドは静かにロミの横顔を見守る。

「白い蝶々とピンクのお花。それが私のお気に入りだった……それでね、来るときにね、ピンクのお花が並べられてたの。もしかしたらこの先にパパがいるんじゃないかって、私、そんなおかしなこと考えたんだ……」

 気丈に振舞っているとはいえ、まだ十歳の女の子。父の影を追って不合理な行動をとったって何もおかしなことはない。アルドは、この少女に再び同情した。

「……ん?」

 しかし、先程のロミの言葉で一つ引っかかったことがあった。

「ちょっと待て。あのピンクの花弁はロミがやったんじゃないのか?」

 アルドはロミを見た。「違うよ」と首を振るロミ。

 アルドは、てっきりロミが道しるべのために花弁をちぎって道を作っていたのだとずっと思っていた。しかしそれは違うという。

 どういうことだ? それじゃあ、本当にロミの父親が何らかの方法でここにロミが来るように道を示したのか? 

「なあ、ロミ。お父さんに――」

「えっ」

 ロミが身を乗り出して大きな声を出した。そして、花の近くに行って何やら深刻そうな顔をする。アルドの言葉など耳に入っていない様子だった。

「どうした?」

アルドも壁から背中を離し、前のめりになる。

「うん……うん……」

 アルドからすればもどかしい時間が続いた。それそのはず。こちらからしたら中腰になった少女が花とただ向かい合っているだけなのだ。その会話は他に人には分からない。事情を知らなければ、話しているということすら分からないだろう。

 やがて、ロミの相槌がやんで彼女が振り返る。

「……なんだ?」

「アルド……あのピンクの花は私達をここへおびき出すために仕組まれた罠だったんだって……」

 と、ロミが言った。微かに声が震えている。

 アルドは眉根に力を入れた。ロミが今言ったその意味を理解しようとしたが話がいまいちつかめないでいたからだ。慌てずに、ロミの次の言葉を待つ。

「一か月前、パパもこの花に導かれてここへたどり着いたって……」

「ロミの父さんも……? それは……」

 アルドは考えた。あのピンクの花弁を置いたのは、ロミの父親でもロミでもなく別の誰か。そしてその目的は自分たちをおびき出すため? 

 話が突飛すぎてついていけないアルドは、どういうことだ? と言葉にしようとした。しかし、ロミの口が開く方が一歩早かった。

「パパは……殺されたんだって」

「……なんだって?」

「このヌアル平原に潜むモンスターじゃなくて、人間に……」

 バッ、とアルドは立ち上がった。それはほとんど反射的な動きだった。……人間に……殺された……?

「アルド」ロミが言う。「これはパパからのお願い。もうアルドにしかこんなことは頼めないって……どうか、あいつをやっつけて……! このままじゃもっと多くの人が死んでしまう。この悲しみの連鎖を断ち切れるのは、もうアルドしかいないから……って」

 ロミの切実な頼みの裏に、まだ見ぬロミの父親の顔が一瞬垣間見えた気がした。その言葉を聞いて、アルドの表情が一層引き締まる。アルドはその場に座り胡坐をかいた。

「詳しく事情を聞かせてくれ」

 ロミがこくんと頷いた。パパが言うには、という前口上と共にロミが話し出す。

「この場所は昔、ある研究室だったらしいの」

「研究室?」

「そう。でも村の許可をもらっていない危険な研究。そこでは、難しくて私はよく分からないけど、動物や植物の品種改良の実験をしていたらしいの」

「だからこんな辺鄙な場所に……」

「ある時ね、その研究が失敗して大きな事故が起こったんだって。毒ガスが漏れたり爆発したりして一人を除く沢山の研究員たちが死んじゃったの。この洞穴の周りだけ草花が咲いていないのもそのせい」

 なるほど、そういうことだったのかと得心がいったアルド。静かに頷きながら話を聞く。

「それでね、一人生き残った研究員はある事を発見したの。それはね、仲間の死体が研究に大きな成果を与えてくれるって事……」

 十歳の子供には不釣り合いな汚く怖い言葉が並ぶ。しかし、花の声を自分に届けるためにはロミを経由しなければいけないのでそこは耐えるしかない。

「その人は、人間の死体を使って植物や動物を改良していったの。あの蝶々もそう。改良されてあんな可哀そうな姿になってしまったの」

 アルドは、あの奇妙な羽音を響かせていた謎の生物を思い返した。そうか。あの生き物は元々白くて綺麗な蝶々だったのだ。

「……その人の一番の研究の成果が、この黒い花」

 ロミの声が一段と大きくなる。

「ここから出る花粉がモンスターを強くしてしまう……すごく危険な花。でも、本当に危険なのはこの花を育てる方法にある……この花の肥料になるのは人間の血……」

 まさか。

 それはあまりにも恐ろしい想像だった。だが、そう考えればすべての合点がいく。アルドはごくりと生唾を飲み込んだ。二人の影を揺らめくろうそくが映し出す。

「その研究者は、このヌアル平原にきた人間を誘い込んで、凶暴化したゴブリンたちに襲わせる。そして血だけ抜き取って花へと与える。そうすれば、全てはモンスターのせいになって誰もこの研究室や黒い花の存在には気づかない……その、そのうちの犠牲の一人が……パパ……」

 アルドは立ち上がり、涙声のロミの元へ行った。

「もういい。わかった。辛かったら喋らなくても大丈夫だ」

 ロミの背中をさすりながら、ふつふつと自分の中に怒りが湧いているのをアルドは確かに感じていた。

 これで全ての謎が解けた。この黒い花がロミの父親の意識を宿しているのは、肥料となったのがロミの父親の血だったから。そして、謎の生物、ピンクの花弁の道、洞穴……。

 許せない。

 人間を自分の研究のために殺し、モンスターを狂暴化させ更に人を襲わせる。加えて動物や植物までも犠牲にする始末。そしてこのまま放っておけばもっと多くの犠牲者が出るだろう。どこまで生命を侮辱すれば気が済むのだ。

「俺が、必ずこの研究を止めてやるっ」

 力強く言い放ったアルドの声が洞窟内に反響する。「その研究者は誰だ? ロミ、パパに聞いてくれ」

 それに反応したロミは、ごしごしと目元を手の甲で拭うと花と再び向かい合った。そして、訥々と喋りだす。

「……パパはここでずっとその人の研究の恐ろしさを目の当たりにしてた。その人は命を奪うことに何もためらいがないって……肥料の血を集めるためならなんだってする……表では人の好さそうな顔をして油断させて……嘘の噂話を流して……」

 ざわざわとアルドの心が騒ぎだす。鳥肌が立ち、冷や汗がこめかみを伝う。まさか……いや、まさか――

「その……研究者の名前は……?」

 震えるアルドの問いかけ。本当は、こんなこと聞きたくない。

 だが、それ以上に震えるロミの声がその名前を告げる。

 洞窟内に、絶対に聞きたくなかったその名前がいつまでも冷たく響いていた。

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