第2話

「ロミー、ロミちゃーん」

 アルドは辺りを見回しながら叫ぶ。だいぶ、声も枯れてきた。

 もう、ヌアル平原に入ってから結構歩いただろうか。大体の道のりは把握しているし、敵の強さも分かっている。この道中もゴブリン何体かと鉢合わせたが問題なく倒すことができた。

 しかし、肝心のロミが見当たらない。子供の足でそう遠くまで行くことはないと思うが……。

 段々と不安が募ってくる。自分は大丈夫でもロミがあのゴブリンたちに出くわしたらひとたまりもないだろう。そんな最悪の想像が浮かぶたびにアルドの歩く速度が上がっていく。

「しっかし、この場所に虹色の花なんてあるとは思えないな」

 アルドは走りながら独り言ちた。

「虹色の花か……」

 確かに、思い返してみれば自分も小さい頃に噂で聞いた事があるような気がする。更に、この村の警備隊になってから、酒場での他愛もない会話でその話題が出たこともあったことを思い出す。でもそれはあくまで伝説の類の話だろう。言ってしまえば迷信だ。

 その証拠に、ヌアル平原の奥深くまで来たものの、いっこうに虹色の花などは見当たらない。

「おーい、ロミちゃーん」

 加えて、何度叫んでもロミからの返事のようなものは一切ない。

「このままじゃ月影の森にまで入っちまうぞ……」

 月影の森というのはヌアル平原を抜けた先にる暗くて不気味な森だ。もちろんそこに潜む敵も厄介なものになる。

「まいったな……」

 月影の森の入り口まで来たアルドは立ち止まった。この森に入るべきか、それとも自分が見落としただけでヌアル平原にロミを探す重要な手がかりがあったのか。引き返そうかどうしようか迷っていると、

「ん?」

 アルドは何かを発見した。

 月影の森の入り口付近に、ピンクの花弁が並べられているのだ。

 アルドはそれを何の気なしに拾った。花というものに敏感になっていたせいか、普段では目につかないものに気づいたのだった。でもそれは、どこにでも咲いている野花の一種だ。

 しかし、不思議なことに、花弁は一枚ずつ規則正しく並んでいて、まるで何かの道を示しているかのようにアルドには感じられた。

「これは……」

 明らかに人為的に花弁を並べた跡だ。アルドは確信する。そう、例えば、帰り道が分かるように道しるべとしてそうしたことがあっても何ら不自然ではない。

 もしかしたらロミが。

 アルドは駆け足になってその花びらの道を走った。うん、やっぱりこれは誰かが意図的にやったんだ。

 だが、やがてアルドの足が止まる。

 花弁が途中で途切れているのだ。というか、道そのものが途切れている。その先は茂みになっていて行き止まりだった。

「どうなってんだ……? 行けないじゃないか」

 その時、アルドの耳の裏で虫の羽音が聞こえた。アルドは頭を軽く降って身をよじる。

 アルドの周りを一匹の……鳥……? 虫……? 蜂……?

 が、飛んでいる。

 アルドは中空をふわりひらりと飛ぶその見たことのない生き物を観察した。なんだこれは。見た目は、蝶々に近い。真っ白な蝶々。その蝶々ならばこのヌアル平原で見たことがあった。しかし、蝶々が蜂の様な羽音を出すのはおかしいだろう。それに、色だって所々黒が混ざったまだら模様だ。そして何よりも大きい。小型の鳥くらいある大きさだ。

 空中でホバリングしているその謎の生き物をアルドが身構えて観察していると、やがてすぅーっと消えるように茂みの中へ入って行くのだった。

 それでアルドの身体は直感的に動いた。その生き物の後を追って本来道ではない茂みの中に足を一歩踏み入れる。もしかしたら。根拠はないが、アルドはその不思議な生き物に導かれるように道なき道を草木をかき分け突き進む。

 そこは、もはや平原ではなく草原で、アルドの背の高さと同じくらいの茂みがずっと続いていた。もしかしたら小さな子供の方が隙間を縫って進めるのかもしれない。そんな考えと共に蝶々を追っていくと、ふと、視界が開けた瞬間があった。

「なんだここ……?」

 アルドが思わず呟いたのも無理はない。目の前にはものすごく違和感のある光景が広がっていたのだ。

 辺りにはもう茂みはない。ただ、花畑の様なものが広がっている。アルドはゆっくりと歩を進める。花を踏まないようにゆっくりと。しかし、少し歩くとそのように気を使う必要もなくなってきた。段々と花の数は少なくなって徐々に地面がむき出しになっている。ここら一体に爆弾でも落ちたかのような不自然な荒野が広がっているのだ。

 もう一つ、アルドの目に入ったものがあった。

 小さな洞窟があるのだ。洞穴と言ってもいいかもしれない。そこからこの洞窟を中心に扇形に荒野が広がっているようだ。

 見慣れない景色にアルドが困惑していた時だった。

「きゃああああ」

 そこらいったいに少女の叫び声が響いたのだ。

 気づけば、洞窟の近くで少女が三匹のゴブリンに囲まれて尻餅をついている。アルドの身体は反射的に動いた。

 ゴブリンに囲まれている少女――金髪、ブラウンの瞳。間違いない、ロミだ。

「うおおおぉぉ」

 アルドは、剣を抜いてゴブリンらに向かっていく。見慣れない場所とはいえ、ゴブリンはこれまでに何度も闘ってきた奴らだ。反撃の隙すら与えず、あっという間に敵を切り伏せたアルド。ほとんど不意打ちのような形だったが、今はそんなことはどうでもいい。

 倒れているゴブリンには見向きもせずに、尻餅をついている少女にしゃがんで向き合った。

「ロミちゃんだな」

 アルドが言うと、うるんだブラウンの瞳の少女はコクンと頷いた。

「もう大丈夫だ。俺はアルド。ロミちゃんを助けに来た。兄ちゃん強いだろ?」

 アルドは少女を励ますように頭の上にポンと手を置いた。

「さあ、子供一人でこんな場所にいたらだめだ」

 アルドはロミに立ち上がるように促した。しかし、ロミの尻はまだ地面についたままだ。あまりの怖さとショックでなかなか立ち上がれないのだろう。それも仕方ないことだが。

 もう俺が来たから心配ない。ロミの心が落ち着くまで気長に待ってみよう。アルドはそう思った。場を和ませるため優しく話しかける。

「ロミちゃんは冒険家だなぁ、俺だって一回もこんな場所来たことなかったのに。あっ、もしかしてあの花弁の道もロミちゃんが――」

「うしろっ」

 アルドの言葉も言下にロミが叫ぶ。アルドは気づいていなかった。ロミがずっと自分ではなくその背後の影に注意を向けていたことに。

 アルドはほとんど後ろを振り返らずに気配だけを察知した。殺気だ。

 ロミをかばい、守るようにゴロゴロと横に転がり間一髪のところでその殺気を交わすことができた。

 体勢を立て直したアルドの前にいたのは、さっきまで倒れていたはずの三匹のゴブリンだった。

「どういうことだ? こいつらさっき倒したはずじゃ……いっ」

 二の腕に痛みを感じ、見ると血が流れていた。自分では交わしたつもりでいたが攻撃を食らってしまったようだ。

「……っ、くそっ」

 敵は、そう都合よく待ってはくれない。容赦も、ない。矢継ぎ早に繰り出されるゴブリンの攻撃をロミをかばいながら交わすアルド。攻撃に転じる余裕はなかった。防御だけで精いっぱいだ。そうしているうちにアルドの中に違和感がもやもやと湧き上がる。

 おかしい。こいつらはこんなに強かったか?

 今のアルドの実力だったらたとえ、三匹だったとしてもゴブリンを蹴散らすなど造作もない事。この道中だってそうだった。

 もちろんロミをかばいながらということもあるし、油断していて判断が一瞬遅れたということもある。だが、それを差し引いたとしてもこんなに苦戦するわけがない。まして傷を負うなんて。

「なんなんだ、こいつらっ」

 剣を振りかざし、敵との間合いを取る。これでいったん心にも空間にも余裕ができた。もちろん油断など一切できないが。

「……絶対にここから動くなよ」

 アルドは一度、ロミを後方に置くと、自分が前線に出た。戦いに集中してこの違和感の正体を掴んでやる。

 ゴブリンとアルドが正面から激突する。さっきよりは闘いやすくなったがいつものように簡単に倒せないのは変わりない。アルドの剣をギリギリで交わしてすぐに攻撃に転じてくる奴らの素早さと力強さはこれまでとは段違いだった。

 やはり、ゴブリンはいつもとは雰囲気が全く違う。違和感は確信へと変わったが、それがなぜなのかは分からないままだ。

「はっ――」

 ふとアルドはある事に気づいた。一匹、二匹……三匹目がいない! 戦いに夢中になって気づくのに遅れたのだ。まさか――

 振り返ると、残りの一匹がアルドの目を盗んでロミを人質に取っているではないか。その姿はまるで賢い人間のようだ。

 やっぱりおかしい。こいつらの戦い方は短絡的で直線的、作戦を立てるだけの知能を持ち合わせていないはずだ。それなのに。

「ロミ!」

 アルドは残り二匹に囲まれてしまった。恐らく、この二匹に攻撃を加えればロミが犠牲になるだろう。だがこのままでは自分自身がやられてしまって元も子もない。どうする、どうすれば……。

「アルドっ」

 突然ロミが叫んだ。

「そこ。アルドの頭の上を飛んでるそいつをやっつけて!」

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。上? 飛んでいる? 混乱したアルドは中空に視線をさ迷わせた。

「あっ」

 今まで闘いに夢中で気が付かなかった。そこに飛んでいたのは俺をこの場所へ導いたあの謎の羽音を響かせる生き物だった。しかも一匹じゃない。三匹も飛んでいるではないか。

「そいつ、そいつをやっつけて」

 ロミがまた叫ぶ。

「はあ? 何言ってんだ、こんな時に。今は虫退治をしている場合じゃ……」

「その飛んでるのがこの敵を強くしてるのっ」

「なんだって?」

 ロミが恐怖で訳の分からないことを言い出したと思った。だがその割にはどこか説得力があるというか真実味を帯びている。それに、自分が戦闘に夢中で一切気が付かなかったことに彼女は気づいたのだ。

 アルドは冷静になった。そしてゆっくりと周囲を見渡す。想定外の事ばかりでいつものように周りが見えていなかった。

 ゆっくり深呼吸をして気持ちをリセットする。すると今まで見えてこなかった部分が見えてくる。さっきの謎の生き物たちが、ひらひらと飛んでゴブリン三匹それぞれの鼻先にチョンとくっついているではないか。

 もしかしたら――本当にロミの言う通りゴブリンとその飛んでいる生き物の間には何か繫がりがあるのかもしれない。

 蝶々のような生き物が飛び立って、不用心にアルドの近くをぶぅんと飛び回り始めた。こいつらには知能がないのだとアルドは気づく。

 アルドは、狙いを定めて剣を振り下ろす。アルドの剣は、綺麗な半円を描いてその軌道上にいた三匹の蝶々を見事に仕留めた。

 注意深くゴブリンを観察する。だが、特段変わった様子はない。やはり、子供の戯言だったのか? 

「おわっ」

 二匹のゴブリンが襲い掛かってくる。アルドは人質に取られているロミに注意を向けながら、とにかくゴブリンたちの攻撃を受け流し続けた。

 ん?

 再び違和感を感じた。だが、今回は悪い違和感ではない。

 ゴブリンが……弱くなっている?

 剣をはじき返す力が心なしかさっきよりも弱い気がする。アルドはそれを確かめるために何度もゴブリンのこん棒とつばぜり合いを繰り返した。

「やっぱり……」

 ここが勝負だ。アルドは思いっきり敵を切りつけた。すると、どうだ。あっけないくらいに簡単にゴブリンは倒れたのだ。それはアルドが知っている以前までのゴブリンに違いなかった。

「どうなってんだ……?」

 ふと、ロミの方を見ると、ゴブリンがロミを手放している。そうだ、そもそもこいつらは人質などという策略的な作戦を思いつく知能などは持ち合わせていないのだ。

「うおぉぉぉ」

 残りの一体を蹴散らし、ロミの元まで突進していくアルド。さっきまでの緊張感はどこへやら。ロミから離れ、ぽかんとした表情で突っ立っているゴブリン。自らに向かってくるアルドに焦点を定め獣の本性をあらわにした時にはもうすでに遅かった。恐らく、自らが切られたことにすら気づいていなかったかもしれない。それくらいアルドのそのひと振りは研ぎ澄まされていた。

「はあ……はあ……」

 倒れているゴブリンを見下ろしながら、上がっている息を整えるアルド。一体、何だったんだ……?

 だが、今はそれよりも重要なことがある。

「大丈夫かっ」

 ロミに駆け寄るアルド。

「うん、大丈夫……アルド、ありがとう」

 そう言ってお礼を言う少女を、アルドは不思議な感覚で見ていた。この少女の言う通り蝶々を倒してからゴブリンたちが弱く、いや、元通りの強さになったように思える。どういう仕組みだ? そしてなぜこの少女がその仕組みを見抜いたんだ? 訳が分からない。

「なあ、ロミちゃん……」

 アルドが話しかけようとすると、ロミが突然立ち上がった。

「おいっ、どこ行くんだ」

 ロミが小走りになってどこかへ走っていく。アルドはその後を必死でついていった。これ以上自分から離れて危険な状況に陥ったら大変だ。

「待てって」

 ロミの手を掴むアルド。

「こっちから、パパ……」

 ロミが呟くように言う。

「え?」

「声がする……もしかして、パパ?」

「お父さんだって!?」

 アルドは耳を澄ました。しかし、自分とロミ以外の人間の声などどこからも聞こえない。

「あっ」

 ロミがアルドの手をするりと抜けて走っていく。

「待て!」

 そのまま一心不乱に走ったロミは、洞穴の中へと入っていってしまった。

「おいっ。そんな場所は危険だって……」

 ロミの後を追って洞穴の入り口まで来たアルドは、不穏な空気を察知した。

 この洞窟からは、嫌な感じがする……。それは歴戦の勘とでもいうべきものだった。そして、早くロミを追いかけなければいけないにもかかわらずアルドが足を止めたのは、見覚えのある生き物が洞穴から出てきたからだった。

「これって、あの蝶々……」

 それは、先程からゴブリンの周りを飛び回っていた謎の生き物に違いなかった。白と黒のまだら模様の蝶々が激しい羽音を響かせて、数匹飛んできたのだ。

 アルドの予感は当たった。やはりこの洞穴は危険だ。アルドは飛んできた蝶々を全て切り伏せると、洞穴の中へと入って行った。

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