ぬいぐるみのコロン

にゃべ♪

私の作った世界で一番可愛いぬいぐるみ

 4月、就職が決まった私は一人暮らしを始めた。新社会人は覚える事ばかりだ。毎日叱られて、少し褒められて、毎日があっと言う間に過ぎ去っていく。やりたい事も出来ず、やらなければいけない事も疎かになった。ただ仕事に行って帰るだけだけの空っぽの日々は続く――。

 けれど、日々を忙しく過ごしていく内に少しずつ仕事も覚えてきて、精神的な余裕も出来てきた。そこで、久しぶりに大学時代の趣味を再開しようと思い立つ。


 私の趣味はぬいぐるみ作り。昔から可愛いものに目がなくて、いつの間にか自分でそれを作るようになっていた。久しぶりに作るぬいぐるみ、何にしようかな。

 そんな事を考えながら入ったスーパーで、とある商品が目に飛び込んできた。


「節分の豆……もうそんな季節かぁ」


 その節分の豆のパッケージには、可愛らしくて少し生意気そうな子鬼のイラストが描かれている。この時、私の頭に閃きが降りてきた。そうだ、趣味復活第一号はこの子鬼の人形にしよう。

 そうと決まればと言う事で、私はこの豆を買い物かごに放り込む。考えてみれば、自分で節分の豆を買うのはこれが初めてだ。


 帰宅してすぐに私は人形の制作に取り掛かった。本格的な材料は今度買うとして、まずはどのくらいのものを作るかを決める。色んなパターンをノートに書き出して、折角だからと全長50センチくらいの割とちゃんとしたものを作る事にした。完成図から逆算しての材料の分量の計算。

 久しぶりのぬいぐるみ作りに、私の心は興奮を止められなかった。


 完成予定は2月の節分が始まる前までと決めて、少しずつ制作を始める。材料さえ揃えば後は昔取った杵柄で、1月中には満足の行くものが出来た。


「うん、我ながらよく出来たぞ」


 出来上がった子鬼は豆のパッケージに描かれたものよりも可愛らしく、私はその出来を自画自賛する。完成した当日はこの人形と一緒に寝る事にした。何だか子供の頃に戻ったみたいな気分だ。

 その夜はとても不思議で素敵な夢を見たような気がする。起きたらすっかり忘れてしまっていたけれど。


「ふぁ~あ」

「おはようございます」

「ふぁっ?」


 自分しかいない部屋に自分以外の声がする。私はこの異常事態に顔を素早く動かした。しかし、声の正体は見つからない。


「お、おばけ?」

「僕はここですよ!」

「え?」


 声は床の方から聞こえてきていた。改めて視線を落とすと、そこには昨夜作ったぬいぐるみの子鬼。目が合った途端に、彼はニッコリと笑顔を見せる。


「うわあああーっ!」


 私は目の前に現実が受け止められずに近所迷惑になるくらいの大声を上げてしまった。このリアクションを受けて、子鬼は困り顔で手をバタバタと動かす。


「驚かせてごめんなさい。僕、怖いですか?」

「あ、いや、そんな事は……」

「僕は作ってくれて嬉しかったです。だから恩返しをしたくて……」


 やはり見間違いじゃなかった。目の前でちょこちょこと動くこの可愛いぬいぐるみの子鬼は確かに昨日私が作ったやつだ。

 私は確認のためにぐいっと身を乗り出した。そうして、隅々すみずみまで見回してこの想定が正しい事を確認する。


「やっぱり、君は昨日私が作った人形……なの?」

「はい! そうです!」


 自信たっぷりにドヤ顔をするぬいぐるみを、私はひょいと持ち上げる。重さは当然ぬいぐるみの重さしかない。それにしても意味が分からない。何故ぬいぐるみが動いているの? 誰かの壮大なドッキリなの? 誰かがぬいぐるみの中に自立して動く機械が埋め込んだの? 

 私は、彼を抱きかかえたままポツリとつぶやく。


「ねぇ、あなたは最新式の機械?」

「いえ、僕は鬼です。昨日ママに作られたばかりの鬼です」


 ぬいぐるみはマジ顔になって、飽くまでも昨日作られたと言う事を強調する。これはもう受け入れるしかない流れなのだろうか。現実がいきなりファンタジーになってしまった。ただ、これが誰かの仕込みだとしても、悪意のあるものではないだろう。

 私は深呼吸をして心を落ち着かせると、改めてこの子鬼の顔を見る。


「な、名前はあるの?」

「ないです、だからママがつけてください」


 彼はそう言って柔らかい笑顔を浮かべる。何なのこの子、すっごく可愛い。こんな事になるなら子鬼じゃなくて妖精を作れば良かったかな。でも鬼だからこそ動くようになったのかも知れないし……。

 覚悟を決めた私は、この現実を受け入れる事にした。手に持ったぬいぐるみの重さや感触から夢じゃない事は分かってたし。


「名前ねぇ……コロコロっとして可愛いからコロン!」

「ころん……」

「ダメかな?」

「いえ、気に入りました! 僕は今からころんです!」


 彼はすぐにこの私の適当につけた名前を気に入ってくれた。後は、こっちも自己紹介しなくちゃかな。ママって言われるのもむず痒いし。


「えっと、私の名前は加奈。まぁ、ママでもいいんだけど……」

「はい! 加奈ママ!」

「あはは……」


 こうして私とコロンの楽しい生活が始まった。彼はそもそもぬいぐるみなのでご飯を食べる必要がない。つまり食費と排泄の手間がかからない。話し相手にもなってくれるし、愚痴も聞いてくれる。何よりもその可愛さだ。作った私が言うのも何だけど、コロンはすごく可愛い。動きも可愛い。仕草も可愛い。声も可愛い。

 私はすっかりコロンが大好きになっていた。もうこの子のいない生活が考えられないほどに。



 時は流れて節分当日。この日の私は仕事で大きなミスをしてしまい、精神的に不安定になっていた。この気持ちをコロンにぶつけては可愛そうだと思い、普段は飲まないビールを冷蔵庫から取り出して一気に飲み干す。

 私はお酒に弱いので、それだけで酔っ払ってしまった。


「課長が何だぁぁぁ!」


 酔った私の目に節分の豆が目に入る。仕事のミスの原因は上司の無茶な指示だと思った私は、彼を仮想鬼にして節分の儀式を始める。


「鬼はー外ーォ!」

「痛っ!」


 私が怒りに任せて投げた豆は、偶然そこを通りかかったコロンに当たってしまう。急に酔いの覚めた私は、急いで彼に近付いた。


「ごめ……狙った訳じゃ」

「うわあああん!」


 コロンは豆をぶつけられたのがショックだったのか、それとも鬼だから豆が弱点だったのか、とにかくものすごく痛がって逃げていく。玄関のドアには鍵をかけていたのに、謎の力でドアを開けて私の家から出ていってしまったのだ。


「ちょ、嘘……」


 私はこの一連の流れに一瞬呆気にとられたものの、すぐに彼を追いかけようと飛び出した。タイムラグはそんなになかったはずなのに、もうどこにもコロンの姿は見当たらない。もしかしたら夜だから暗くて分からないだけかも知れない。でも、昼に逃げ出されていたらパニックになっていただろうから夜で良かった。

 そんな事を考えながらあちこちを走り回り、私は疲れ果ててしまう。


「何で見つからないのよぉ~」


 コロンも心配だけど、深夜に若い女子が1人で外をうろつくのもまた危険だ。一応この辺りの治安は良いはずだけど……。この夜の気配に少し恐怖を覚えた私は、仕方なく来た道を引き返す事にした。ふと見上げると、冬の星空がとても美しい。


「実はもう家に帰ってきているかも知れないしね!」


 ポジティブシンキング。私はその可能性を信じて帰宅する。ドアを開けた私は、彼が家に戻ってきていると言う体で振る舞った。


「ただいま~。コロンごめんね~」


 しかし、そこにコロンの姿はなく、部屋の中は淋しいまま。私は自分のしてしまった事をすごく後悔して、膝から崩れ落ちた。大事なもの失った悲しみが次から次に溢れ出て、私は泣き崩れる。自分の中にこんなに涙がストックされてたのかと思うくらいに私は泣いた。

 そこから先の記憶はないけれど、気がつけば私はベッドに横になっていた。


「……起きてください!」

「えっ?」

「起きてください! 会社に遅れますよ!」


 おかしい。もう聞けないはずの聞きたかった声が聞こえる。これは幻聴? それとも夢?


「早く起きてくださいってば!」


 違う、これは夢じゃない! 意識がはっきりしたところで、私は飛び起きた。


「おはようございます。加奈ママ」

「コロン? いつの間に?」

「昨日はごめんなさい、僕、驚いちゃって……」

「謝るのはこっちだよおお! ごめんねええ!」


 私は戻ってきた可愛らしい子鬼を思いっきり抱きしめる。コロンも黙って抱きしめられるままでいてくれた。気持ちが落ち着いたところで私は彼を開放する。


「昨日はどこに? ううん。言えなかったら言わなくても」

「昨日はね、嫌われたんだって思って悲しくなって。そうしたらノラの親分って猫さんがね、それは誤解だって。早く戻れって言ってくれてね。それでね……」

「うん、分かったよ。帰ってきてくれて有難う。これからもずっと一緒だよおお!」


 本当は理由なんてどうでも良かった。私が嫌われていないかの確認をしたかっただけだ。その心配は杞憂に終わり、また私は涙をこぼした。コロンはそんな私を精一杯慰めてくれる。その心遣いが嬉しくて、もう一度私はこの可愛くてやさしいぬいぐるみをギュッと抱きしめたのだった。



(おしまい)

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