噴火と下心

尾八原ジュージ

エクストリーム穴堀り

 猫跨山が噴火して以来、うちの家の庭では異変が起きていた。毎朝庭の木に井戸水をかけていたのだが、それらの植物がすべて枯れてしまったのだ。そこで井戸水を調べてみると、普段よりやや温かく、微かに硫黄のような臭いがすることに気付いた。

「ということは温泉が出るぜ。きっと猫跨山が噴火したからだ」

 兄の雅也が言った。高校を卒業してから三年、職に就いては辞めを繰り返して現在は無職だが、体力だけは有り余っているし力もやたら強い。俺も頭のいい方じゃないが、雅也は俺に輪をかけてバカだ。そいつが突然「温泉が出る」といったからといって、「ほほうそうですか」とはならない。

「うちの庭で温泉が出るからって、何だよ」

「出るから掘るんだよ。掘ろうぜ温泉。出るから」

「いや知らんよ温泉なんて。出てもそんな嬉しくないし」

 俺が言うと、雅也は俺の背中を小突いた。小突かれた俺は、ちゃぶ台を巻き添えにして部屋の反対側まで転がった。こいつはいつもこうで、力の加減がまったくできないのだ。もっとも俺も人一倍頑丈な質なので、この程度は何ともない。

「バッカだな優作」と俺よりもバカな雅也が言う。「うちの庭に露天風呂ができるんだぞ! それで食ってけんじゃん」

「食ってけるかなぁ」

「いけるいける! それにお前知ってる? お向かいのリナ姉、秘湯巡りが趣味だって」

 リナ姉と聞いて、にわかに俺の血が騒いだ。六歳年上の幼馴染兼憧れのお姉さんである彼女の、結構整ったタヌキ顔と服の上からでも「でかい」とわかる胸のことを思い出す。

「秘湯巡りだって?」

「誰も入ってないようなとこに入るのが最高らしい。なぁ。もしうちの庭に露天風呂できたらさ、リナ姉が入りにくるんじゃね?」

 もしそうであれば、彼女の入浴シーンを堂々と拝めるかもしれない。そう思った途端に、是が非でも温泉を掘らねばならないような気がしてくるから、俺も雅也と同類なのだろう。

「うーん、掘ってもいいけどさぁ」

 内心そわそわしながらそう返すと、雅也はニヤッと笑って「そうこなくっちゃ」と言って俺の背中を叩いた。俺は畳に全身を叩きつけられた。まぁ人一倍頑丈なのでなんとか平気だ。

 そんなわけで俺たちは庭を掘ることにした。庭に出ると、土塀の向こうに死んだ魚を積み重ねたような形の猫跨山が見えた。まだ山頂から煙が上がっている。雅也は長靴をはき、ツルハシやらスコップやらバケツやらを背負い、頭には懐中電灯を二本くくりつけている。俺は思わず「八つ墓村」と呟き、雅也は「ヤツハカムラ!」と言いながらポーズをとったがその実こいつは八つ墓村を知らない。

 さて、大量殺人鬼みたいなスタイルで井戸の中にロープを垂らして降りて行った雅也は、まずバカみたいな勢いでバケツで水を掻き出し始めた。滑車で桶をつり上げて水を汲む間にも、奴の掻き出す硫黄くさい水が俺の顔に次々かかった。井戸の水はどんどん減っていったが、完全になくなるまでには至らない。イライラしてきたらしい雅也は「もう知らねえ」と一声叫ぶなり、ツルハシをふるい始めた。

「おーい! 掘る方向合ってんのか!?」

 声をかけると、井戸の中から「こっちの方があったかいんだよ!」という声が響いてきた。

 このままここにいてもできることはなさそうなので、俺もヘッドライトを点け、ロープを伝って井戸の底に降りた。すでに横穴が空いており、さながら謎の洞窟に挑む探検家のような気分になってくる。十二月だというのに空気がほんのり暖かかった。べちゃべちゃの泥で足が重いが、少しでも役に立とうと思った俺は、放り出されていたバケツで辺りの泥を背後に掻き出した。作業をしているうちに、どんどん汗が噴き出してきた。

 雅也はもはや人間というより小型のショベルカーのようで、次々と土塊を放り投げてくる。俺の顔に泥の塊がぶつかり、それが存外暖かかったので驚いた。持ってきた温度計を見ると、冬だというのになんと摂氏31℃となっている。俺は着ていたパーカーを脱ぎ捨てた。

 俺たちはしばらく黙々と土を掘った。普段小うるさい雅也ですら、たまに「あちいなぁ」と独り言をいうくらいだった。きっと頭の中はリナ姉の入浴シーンでいっぱいに違いない。俺がそうであるように。

 ふと気づくと、スコップを握っていた両手が真っ赤になっていた。暑い。夢中になって掘っているうちに、俺の全身から汗が噴き出し、着ているシャツがびしょびしょになっていた。俺は上から持ってきたペットボトルを開け、水を飲んだ。温度計を見ると52℃。見たことのない数字に、俺はギョッとした。

「おーい!」

 前を行く雅也に声をかけると、まだまだ威勢のいい「おう!」という声が返ってきた。

「雅也、大丈夫か?」

「何がだ? 大丈夫大丈夫!」

 呆れた。まぁ雅也がそう言うんなら仕方がない。それにだんだん暑くなっているということは、温泉に近づいている証拠に違いない。俺は気合を入れ直し、スコップを握った。俺たちはふたたび、人間性を失ったかのように黙々と穴を掘り進めた。

 時々、(今俺たちはどの辺りにいるのだろう?)と考えた。もう我が家の敷地内から出てしまったのではないだろうか。雅也が無軌道に掘り進むこの方向のずっと向こうには、確か猫跨山があるはずだ。やはり温泉は火山の影響で発生したものなんだろうなと、俺はぐだぐだと考え事をした。温度計は65℃を指した辺りで見るのをやめた。もはやサウナの中で動いているのとさほど変わらない。猫跨山と噴煙とリナ姉の裸と65℃を示した温度計の映像が、ぐるぐると頭を回った。頬や首筋なんかの露出している皮膚がヒリヒリする。人一倍頑丈な俺でさえ、全身に痛みを感じ始めていた。前を行く雅也はもう上半身裸のトランクス一丁にゴム長というスタイルだが、ヘッドライトの中に浮き上がった体は真っ赤になっていた。あいつ、熱くはないのだろうか。というか痛くないだろうか。よくあんな勢いでツルハシなど震えるものだと感心しながら一息ついて、俺は後悔した。息を大きく吐いた次の瞬間、体内の粘膜を焼くような熱い空気が鼻と口に入ってきたのだ。顔に手拭いを巻いてみたが、今度はあまりに暑すぎてすぐにやめた。すでに残り少なく、ぬるくなった水を飲んだ。

 まるで地獄だった。リナ姉に下心を抱いていた罰が当たったのかもしれない。

 さすがにもう無理だ、と思ったとき、前方でガツゥン! と音がした。

「かってぇ!!」

 雅也が叫んだ。俺は汗だくの顔を上げて「どうした」と声をかけた。自分の声じゃないみたいにしゃがれていて、一瞬ぎょっとした。

「岩盤が出てきたぞ!」

 雅也は実に嬉しそうに笑いながら岩盤にツルハシを振り降ろしたが、それはやはりガツンと音をたてて弾かれ、岩を削ることはできなかった。

「こりゃ無理だ」

「なぁ雅也、もう諦めるしかねえよ」

「こうなりゃダイナマイトを使うしかねぇ」

 雅也は俺の話を聞いていなかった。パンツの中に手を突っ込むと、ダイナマイトを三本取り出した。

「何だそれ!? どこから持ってきた!?」

「じいちゃんが鉱山で働いてた頃持ち出したやつだ! 形見のトランクに入ってたぜ」

 三年前に死んだ祖父がそんなものを遺していたとは……それも雅也に遺していたとは知らなかった。とはいえ祖父もまた頭のいい方ではなかったから、あのフーテンの寅さんが持っていそうなトランクにダイナマイトが入っていたことなど、単に忘れていただけかもしれないが。

「こいつで岩盤割ろうぜ」

 そう言うなり、雅也はトランクスから続けてライターを取り出した。俺は必死で止めた。

「おいバカバカ、どうすんだよどうやって火ぃ点けるんだ!?」

「何ってライターで点けるんだよ」

「だから! 誰が点けるんだよ! 一緒にふっ飛ぶだろ!」

 その瞬間の雅也の顔といったら見られたものではなかった。絶望がその全身に溢れていた。「ダイナマイトを持ったままそいつに火を点けたら一緒にドカン」たったこれだけのことが、俺よりもバカなこいつには思い付かなかったのだ。水ぶくれのできた顔を痙攣させ、雅也は熱い泥の中に一瞬だけ半裸で座り込み、そして「あっつ!」と叫んで立ち上がった。そして、子供のように「あーーー」と声を上げて泣き始めた。

「そんな……死ななきゃ掘れねぇのかよ、温泉……」

 俺は汚い泣き顔を見ながら、逆にだんだん冷静になっていった。もはや俺達は一刻も早くここから撤退すべきである。俺は雅也にそう進言しようとしたが、まさにその瞬間であった。地面に落ちたダイナマイトの一本、ねじくれた導火線にジジジと言いながら火が点いたのだ。鉄板のように熱せられた岩盤に触れたことで発火したのだ……と思うや否や、俺と雅也は吹き飛んだ。

 気がつくと俺は、めちゃくちゃになった井桁と共にボロキレのようになって庭に倒れていた。全身に火傷を負っていたが、なんとかまだ生きている。人一倍頑丈な質でよかった……と一安心して辺りを見た。井戸からは熱湯が吹き出しており、飛沫が俺のところまで飛んできた。

「これじゃリナ姉入りにこねーな」

 気の抜けた声がした。誰かと思ったら、井戸から吹き出す熱湯に乗ってすっ飛んできた雅也の生首が、俺の千切れかけた両膝の間に落ちていた。

「このままじゃ誰も来ねえよ」

「だなぁ~」

 どっちみち女の裸とかもうどうでもいいわ、と雅也は言って目を閉じた。どうやら死んだか気絶したらしかった。俺は手の届くところにあった植木鉢をとって雅也の首を入れてやった。猫跨山がまた噴煙を吹き出した。

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