気づいたのは夜

「神村さん?」

 寝そうになる授業を終えた放課後。紬と共に玄関に着くと頭を抱えた霧島と舞木さんだけでなく神村さんも居た。

「あれ、どうして」

「由飛が今日の予定を話してくれた」

 手元のスマホを振る。MINEで話したらしい。

「それで私も興味あったから行くと連絡したの。他に居ると聞いてたけど、部員の子だと思ってた」

 霧島を見る。本人は目をつぶっていた。どうしたらいいのかわからないらしい。

 舞木さんは不安そうにこっちを見た。

「いい?」

「いや、いいけど……霧島、いつも通りにしてればいいだろ」

「……中々難しい」

 はあと紬が溜息をついた。前普通に話せるようになった雰囲気だったがそう簡単に行くわけじゃないらしい。

 流石に断るのも神村さんに失礼だし、霧島も本当に嫌なら一報入れて帰るだろう。恐らく自分の中でも扱いに困っているようだ。

 何かあればフォローしよう。

 俺は一歩踏み出した。

「こんなところで長話もなんだし、行こう」

「そうだな」

「行こ!」

 舞木さんが雰囲気を明るくしてくれたありがたい。

 俺たちは下駄箱に向って歩きだす。霧島が俺たちの側に立って、後ろで神村さんと舞木さんが並ぶ。珍しい集まりだ。

 霧島には申し訳ないが書道展への期待と、感想会への期待が上がった。


「すごかったね!」

 目を輝かせ、舞木さんは満足げに感想を述べた。

 ル・コルビュジェ設計の国立西洋美術館のような、一昔前に流行った鉄筋コンクリートの美術館だ。一階はピロティのような鉄骨の柱が何本か並び、ガラスの向こうの入り口の明暗によって広く奥行きのあるように錯覚し、中には二階へのスロープが設置されていたり、地下は迷路の様で狭い地下でも広く考えられるように設計されていた。

 観覧室を抜けてすぐの二階の喫茶店で、俺たちは集まって感想会をしていた。

「俺も初めて見たけど、書道ってあんなに大胆で自由な作品もあるんだ」

「ああ。調べたところによると今回の作者は挑戦的な作品を書くひとだ。八十なのに、常に進化をもとめていると冊子には書いてあるな」

「八十歳であんなに元気な作品が書けるの!すごい!」

 紬はさっき買った展示会の冊子を眺めている。舞木さんは紬の説明にうんうんへえへえと元気に興味深く聞いてた。

 確かに舞木さんの言う通り、ものすごいエネルギーのある作品展だった。

 大小さまざまな文字が筆の流れに合わせて大きく自由に動いていた。それだけでなく、墨絵のように文字で龍を描いたり、川の静謐さを表現していた。なんとも凄い。美しいだけでなく、作品を見るだけで筆を動かす光景が浮かぶような生生しさがあった。

 そのせいかもしれない、または慣れない展示会だからか睡眠不足だからか見るだけで結構疲れた。

 横の霧島は二人の方を見ながら注文したレモネードを吸っている。もともと家の関係で書道は習わされていたらしく、そこら辺の知識をたまに披露していた。思うところがあるのか、たまに頷いている。

 椅子の背にもたれてぼんやりふたりの会話を聞く。

「なるほど……そんな意味があったんだ。やっとわかった」

「まあ意味がわからなくても面白い展示だったと思う」

「そうかな?私初めて見たとき、よくわからなかったよ」

 舞木さんの方を向く。紬は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

「由飛、雪舟好きじゃなかった?」

 神村さんも驚いて手の紅茶をおろすのを忘れている。

 ふたりの反応を見て、うーんと舞木さんは首をひねった。

「大きな文字と綺麗な文字はすごいってわかったけど、他のものは説明してくれなきゃわからなかったな」

「……わからないって?」

「どうしてこんなものがあるんだろうって」

 唖然とした。

 舞木さんが美術部部員だからじゃなくて、俺もなんとなく思っていたことをはっきり言葉にされたからだ。

 魔法陣作家として文字の種類はそれなりに知識があったが、今回の展示会の作品のいくつかは非常に先進的なもので、例えるならなんの知識もなくピカソの後期作品を見せつけられたときのわけのわからなさがあった。

 もともとの知識と、紬と霧島が説明してくれたおかげで疑問は晴れたものの気恥しさで『わからない』とは言わなかった。

 神村さんが紅茶をおろして、額を指で叩く。

「既存の表現法に限界が見えたんだと思う」

「絵画史と同じ?」

「そうね。特にもう八十になれば、不満に思っても仕方ないよ」

「なるほど。難しいね」

「難しい、って?」

「書いた人のことを知らないと楽しめないって。わたし、美術館に行くときはまずは何も知らずに見るんだ」

「純粋経験……」

 霧島がなんだかわからないことを言った。舞木さんは放っておいて話を続ける。

「それで凄い気に入った作品を調べてもう一度見るの。他の作品は終わってから調べる感じかな」

「うん」神村さんが頷く。

「だから、今日のはわからない作品が多くて、前提知識が足りないなってすこし難しく感じたかな」

「……なるほど」

 紬は考え込むように腕を組んだ。

 確かに身の回りには文字があふれているが、書は普段から触れることは少ない。

 これが絵なら、抽象画であっても色や線で何かが違うことはわかる。どうして描いたのかわからなくても、それなりにわかるのかもしれない。

 書は、文字バランスの美しさや大胆さ、繊細さなどはわかるがそれ以上を求めるとやはり知識やセンスが必要なのかもしれない。

 ふと、とある考えが頭によぎる。

「あの、舞木さん。今朝聞いた魔法陣の話だけど」

「うん」

「魔法陣のバランスを考えたり処理を考えたことってある?」

 うーんと首を傾げた。

「……ものすごい崩れたり、変だと思わなかったら、そんなに気にしないかな」

「あの魔法陣はどう?」

「特に何も思わなかったな」

 頭の殴られた感覚だった。

 そっか、そっか、成程。流行の理由がわからない原因がわかった。

 知識があるからだ。

 製作者の観点で細かいところばかり指摘しているだけで、安全性以外気にしないお客にとってはどうでもいいことだ。

 そこよりも、今回の書展のように華やかだったり大胆だったりわかりやすくキャッチ―な方が売れるのは当然である。アマならプロほどの正確さは求められないだろうし、有名な配信者が紹介してあるなら安全性もある程度担保される。

 思わず空を仰いだ。

「そうか、そうだったのか……」

「なに、もしかしてマッサージの魔法陣のあれ?」

 神村さんがうんざりしたように言った。

「あれ凄いよね。見た目がいい。マッサージの魔法陣って今まで地味なものばっかでとっつきにくかったから、いい着眼点」

「神村さんも褒めてる!?」

「当たり前……あのさ、声が大きい」

 はっと赤面する。つい興奮してしまった。顔を正面に戻し、姿勢を正す。

 紬も頭を抱えていた。霧島はやっと気づいたかというように目を逸らしていた。

 神村さんは眉をひそめた。

「なに?最近学校のコンペで優勝したからって調子乗ってたの?」

「うっ」

「そのあたりが一番調子乗ってるから、人の作品に茶々入れたくなるよね?周りの人を見てきたから言うと、そのままだと何も描けなくなるよ」

「か、かけなくなるんですか」

「自分の中でハードルあがって、『私はもっといいものが描けるんだ~!』って言うだけのなにかになるよ」

「うわっ……」

 頭が一気に冷えた。

 最近は苛立ちやなんだかんだでろくにかけてない。これじゃプロになるどころじゃない。

 紬も同じなのか、机に肘をついて、手であたまを支えていた。

 さすがにこれじゃいけない。

「か、神村さんは流行が理解できないとき、どうしますか」

「私?私はね、多角的な視点で見る」

「客とデザイナーの視点?」

「それだけじゃなくて、製作者の意図やマーケターの視点とか、いろんなところ」

 神村さんは机の上に点を置くように人差し指を置いていった。

「色々な分野の知識から分析して、じゃあ次は何がはやるのかなって考えて、それで、離れる」

「離れるんだ」

「ずっと見てたら似てくるから。独りよがりも駄目だけど、インプットを続けてばかりだと自分で考える力が無くなっちゃうのも困るし、流行はいつか終わるからね」

 話し終えて、神村さんは紅茶を飲んだ。

 成程。神村さんの観点は非常に参考になった。正直今まで自分のコンプレックスに焦点を当てすぎて、嫉妬や批判はあまりしなかった。自分の実力が認められて、自尊心が増したおかげで逆に周りが目に入るようになったのかもしれない。

 実力を持つっていいことばかりだと思っていたが、そうでもないようだ。これからの身の振り方も考えなければならない。

 紬も参考になったのか、スマホにメモしていた。舞木さんは「プロみたい!」と素直に褒めていた。舞木さんのようにいつも素直に褒められるのってすごいと今更ながら内心賞賛。

 霧島は目を逸らしたまま、コーヒーを飲んだ。変な様子だ。

「そういえば、霧島はなんで言わなかったんだ。霧島の立場なら俺の問題も即答できたはず」

「それは……そもそも流行ってること知らなかったし……流行りの規模も知らなかった……」

 目を逸らした。

 確かにそれは何も言えない。

 静かになった喫茶店で、舞木さんが一人満足げにハーブティーを飲んだ。


 夜、夕食を終え部屋のベッドに座る。

 あの後もう一度展示会を回ってから寮に戻った。

 それから流れで夕食を食べて、解散した。

 楽しかっただけでなく、勉強になった時間だった。

「……」

 観念したようにスマホを開き、もう一度あの魔法陣を取り出す。

 喫茶店で神村さんが言ったように、多角的な視点で魔法陣を見るためだ。

 今朝と同じページを開いて、画面に表示する。

 見るだけで少し苛立ちそうになるが、いったん目を閉じて、頭の中から魔法陣の知識を消す。

 全く知識のない一人の客と自己催眠をかけて、俺は目を開けた。

「どんな魔法陣だろう」

 ぎょっとした。全く違う感想が頭に浮かんだからだ。

 それから遠目に見たまま下にスクロール。内容が頭皮マッサージと知ると、これなら他の健康志向な魔法陣の絵柄と比べると使いやすいさが一つ抜けていると思った。これなら移動時間に画面を見られても、何の魔法陣かわからないし使いやすいなあ。

 スマホを放り投げた。ベッドに。

「あああああ」

 頭を抱えてベッドの上で転がりまわる。

 なんだ、こんな簡単にわかることじゃないか!馬鹿馬鹿しい!

 昨日のあの苦痛に満ちた時間は何だったんだ!

「うわああああ」

 ベッドに頭を叩きつける。恥ずかしい。筆を折りたいとすら思う。

「大丈夫!?」

 玄関から霧島の心配そうな声が聞こえる。隣にも聞こえてたらしい。更に恥ずかしい。しかし、開けなければさらに心配させるだけだ。

「……大丈夫」

 仕方なく立ち上がり、俺は玄関に向かった。

               *

 朝、俺はすっきりした頭でバス停に向かう。

 雑念が消えたのと、睡眠不足のせいで昨日はすぐに寝たからだ。

 いつもどおり、霧島と共にバス停に向かう。

「そういえば新しい魔法陣なんだけど、紙の防腐のための乾燥材で、できるだけ匂いの少ないものはどうだろう」

「そのあたりだと五本の線を合わせたような家紋を参考にするのはいいんじゃないか?」

「なにそれ」

「たしか香の関係のものだったような」

 寮の正門を出て左を向く。そこには紬が居た。いつもどおり本を読んでいる。

「おはよ」

「おはよう、紬」

 本を閉じてこちらを向いた。変な顔をしている。

「……おはよう」

「ど、どうしたんだ」

「いや」

 ベンチの横で止まる。紬はしみるように呟いた。

「……未熟さは、身に染みるな」

 合点がいった。恐らく昨日の俺のようなことになったのだろう。

 俺も共感するように深くうなずいた。

「俺もそうなったから……頑張ろう」

「……ああ」

 どうしようもない自分自身にあきらめるように深く溜息をついた。

 霧島がわからんといった顔でこっちを見ていた。

 それからすぐに舞木さんが来て、いつも通りバスに乗って、いつも通りの一日になった。

 流行の魔法陣は突然販売停止したせいで、一週間ほどであまり見なくなった。数か月後に有名会社から改良品を販売初めて、これも流行とまではいかないが結構売れたらしい。

 フォントの方も大体それくらい流行った後、普通の使用頻度に収まった。

 神村さんの言う通り、流行はいつか終わるものだ。それに振り回されすぎてもいけない。霧島のように流行りすらわからない人も居るのだから。

 非常に恥ずかしいが、非常にいい勉強になった出来事だった。


「霧島の知ってる最近の流行ってなんだ」

「俳句」

「……千年くらい前の流行じゃないか?」



 



 

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若澄「流行ってなに」 @aoyama01

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