第4話 そろそろお暇しましょうか?
それからこの世界を思う存分楽しんだ。空を飛ぶ乗り物はめちゃくちゃ楽しかったし、いろんなゲームは今までに無い興奮を味わわせてくれた。ゲームなんてやったこと無かったから分からないが、比べものにならないくらいすごいのは身に染みた。しばらくぽやぽやと余熱が冷めずに困るぐらいだった。数多の娯楽施設に囲まれ、乙姫様にも数回呼ばれてお話しながら竜宮城を満喫できたと思う。
「ここは良いところです」
[そうか、そうか。それは良かった。我が理想の具現、桃源郷を気に入ったとは。近くへ寄ってくれ]
乙姫様の柔和な笑みに釣られてとろとろと近づく。桃源郷か。言い得て妙だ。
[其方は良い者だ。人間は皆、醜く劣ったものだと思っていたがそうでもないようだ]
乙姫様はやはり不思議な魅力を持っていた。とろんと溶ろけだしてしまいそうな気持ちを落ち着かせる。美しさの中に得体の知れない畏怖も同時に感じるのだ。
[其方は我から生まれたものでない。人間から産まれたものだ。しかして興味深い純粋さであり、人格者。さぞかし立派な者がお前の近くにいたのだろう]
乙姫様は遠く目を細める。途端に何故か泣きだしてしまいたくなった。ここに来て褒められてばかりだ。何も無かったのに。何も持ってはいなかったのに。良かったな、生きてきて。不憫の目を笑ったフリでスルーして、泣かずに生きてきて良かったな。ありがとう、お母さん。
言葉に詰まった俺を乙姫様は心配そうに見つめる。今、言いたい。とても失礼だけど、どうしても。俺を歓迎してくれた貴女に。
「乙姫様、ここは良いところです。ごめんなさい。帰ります」
乙姫様は大きく目を見開いた。そして暫く口を噤んでいた。その間にも瞳は慈愛に溢れて見えてさらに泣いてしまいそうになる。乙姫様の目に母さんを見てしまったのだ。ここでは自分を肯定されて、あちらでは不当な扱いを受けた。それでも恋しくなるほど、優しくしてくれた人はいたのだ。
学校で唯一話してくれる林くん。林は社長の息子とやらで金持ちだけど、一度も俺を下に見なかった。お前と話すと楽しいと言ってくれた。何もしてくれない先生がほとんどだったけど、中学二年、三年の担当だった川畑先生はさり気なく気遣ってくれた。自転車を飛ばして買いに行く惣菜屋のおばちゃんは「ひみつ」と笑って多めに入れてくれた。母方の叔父は「姉には困ったものだ」と言いながらお小遣いをくれたり、母さんに内緒で映画に連れて行ってもらったりした。クソ親父も、悪い人では無かった。頑張って真面目に働いてた。その分、会社が倒産して酒と煙草に溺れて家を空け、早くに死んでしまったが、暴力は振るわなかった。あの人も可哀想な人だったのだ。クソ親父は死んでしまって会えはしないけど。母さんにはあいたいなぁ。
優しい人の顔を回想しながら、恐る恐る顔を上げると、乙姫様の形よく長めに横に引かれた唇が開いた。
[そうか。人間の子よ。謝らなくて良い。帰そうぞ、陸の土の上に。我に陸に生きるものの道理は分からぬが、其方が望むなら帰そう。浦島太郎、惜しいが仕方の無いな]
乙姫様は毅然として、それでも心無しか寂しそうに言葉を紡いだ。
やがて宮殿の奥から大きなカプセルが現れる。海に入る前に身体を収めたやつか。
[玉手箱を共に持ちゆけ。無事に陸に戻るように]
最期に乙姫様は背中を軽く触れるように近づき、丁寧に送り出してくれた。やっぱり名残惜しいと思う。本心から。それでも帰らないと。
[よし、帰るんだな。帰ろう。さぁ行くぞ]
いや、余韻に浸らせろよ。お前っ!
[なんだ、帰りたいんだろう。こっちは送り出しに選ばれて不満なんだ。人間の肉体をもう一度借りねば。ああ、今度は衣服を纏う。心配するな]
さよならもへったくれもなくカメがぶつくさ文句をぶつける。ふざけんなよ。最後のお別のシーンだぞ。てかまたお前と一緒に戻るのかよ。
[久々に出会いと別れを経験し、少々心が揺らいでいますよ。浦島さん、あちらでも素直に生きて下さいね]
「ホッケさん!!!」
ホッケさんは良い人だ!!!本当に!どっかのカメと違って!
[どっかのカメで悪かったな。準備が出来た。玉手箱を寄越せ。行くぞ]
先程までのロボットスーツみたいなのから、10歳前後のこどもの外見になったカメが手を引く。今度はちゃんと、シャツとズボン、靴下に靴とフル装備だ。
「あっちょ、え」
[貴方の表示体はこちらで返しておきます。意識の状態にお戻り下さい。では、安全に]
「あ、はい!ありがとうございます!ちょっ、カメェ!」
ホッケさんの素敵な声を聞いてる間も無くカメはギュンッと加速した。
「うわぁぁぁ!」
[うるさい。黙れ]
最初に通過した、時空の歪みみたいなものに突っ込む。ひゆっとする。脳みそがかき混ぜられるような気味の悪い感覚。……得意ではない。
そして数十分、穏やかな海をひたすら浮上していった。そういやここ東京湾だっけ。見上げると段々色が濁っていくのが見えて非常に不快。
[しかし、なぜ戻る。どうでもいいが]
カメは不機嫌だ。単に面倒なんだろう。いやでも、そもそもお前だって人間のフリして調査に行くように頼まれてたんだろ。どうせここまで来たろ。
[一人ならもっと早く着いた]
「そりゃあ、悪かったよ。でもこっちの世界に上がりたかったんだろ」
なんでそんな面倒そうなのかと尋ねると、カメはもっと不機嫌になった。
[何か勘違いしているようだが、人間など下等生物、ほとんど興味が無い]
「は?」
え、今さら衝撃の告白。何?
[人間に地球を壊されてしまったら、さすがに竜宮城でも被害被る。そこまで馬鹿ではないと信じたいが、奴らならやりかねない。だから研究というより監視を目的にしてる。こちらのスタンスなどみんなこんなもんだ。祖やHKはお前に特別優しかっただけで、人間全体など眼中に無いだろう]
カメは平然と言い放つ。それに怒ったり悔しくなったりはしないけど、逆にじわじわと「とんでもない世界にいたんだな」という実感が湧いてしまう。彼らは異世界。それだけだ。
「そもそもあの世界、インターネットよりさらに高度な発展を遂げてるのに、動力源が無いのも不思議だし」
[動力源?エネルギーのことか?エネルギーは発生しないだろ。ビジョンは五感に働いてる]
「いや、エネルギーみたいな動力源じゃなくて、演算装置があるはずじゃん?その、目に映る情報を構成するための」
例え極小の電子機器だって、演算機能がある。光や音を発するものは同時に熱が発生したり、細かな計算の上で成り立っているもののはずだが、あそこにはそれが無かった。古い機械をなんとか修理して使えるようにするのは日常のライフハックであり、小さい頃からこつこつとゴミ捨て場から回収しては解体し組み立てていた。始めは分解するだけだったが段々と組み上げ、改良改善まで持っていった。旧型の重いパソコンを組み直した時は感動モノだった。その経験から学んだこと、何事もエネルギーが必要でさらに機器には演算装置が付いている。現実世界の当たり前を無視した竜宮城は異世界だったんだな。
[そらもうすぐ着く。上がるぞ]
頭を難しい話で満たしているうちに、海の表面が白く光り輝いていく。やっと懐かしの地上か。まだ日が出てる時間だな。夢のようなひとときだったなぁ。これは絶対に忘れられないなぁ。ああ。あれ? すうっと浮かび上がる直前にふと頭に何かがよぎり、カメに向かって叫んだ。竜宮城では何故か気にならなかったこと。
「そういえば、竜宮城でどれくらい過ごした!?」
[は?竜宮城に時を図る必要性が無いし、お前らの世界と全く通じてないから分からん]
「は!?」
ざっばーん、と波を立たせて頭を出したカメに続いて浮上すると、眩しい陽の光に全く見たことの無い景色が照らされていた。
「ここどこだよ」
カメは頭を出しながらぼんやりと景色を眺めている。おい、東京湾に上がってきたんじゃないのかよ。
「なあって」
しばらく返事が無さそうなので諦めてカメと同じく、目の前の景色を眺める。空は大きなドームのようなものに覆われていて、高過ぎる高層ビルと丸っこいフォルムの建物が並んでいる。さらに間にはびっしりと木が生い茂り、自然と科学の共存、という名前が付きそうな光景だ。目を細めてみると、遠くに人影のようなものが見える。なぜか頭が大きい。
「は、」
ヘルメットを被っているのだ。おおきなヘルメット。さらに腕と足にアンドロイドっぽいアームやレッグが付いており、モビルスーツという表現が近いだろうか、そんな格好をしていた。
「なぁカメ。違う。ここ東京じゃないし、そもそも俺がいた世界、こんなに発展してる国ないんだけど」
おもわずカメの方に擦り寄った。帰してくれよ。ここどこだよ。
[いや、場所は変わらない。ここの画像データを竜宮城まで送り解析した結果が返ってきたが、人間の進歩速度からかんがえるに、お前らの暦で言う2300年くらいでは、と]
「にせんさんびゃく」
[この様子だとせっかく衣服を新調して来たのに無駄になったな。ここに合わせて作り直した方が良かった。すぐ戻ればそう年月も経たないだろう。という訳でお別れだ。オレは忙しい。じゃあ]
「やだやだやだやだ! 待って!」
ほぼ絶叫だ。カメはあまりの気迫に動きを止める。なんだよ、300年って。それが嘘だと言えない景色が嫌だ。根拠は無いのにここは東京じゃない、300年なんて経ってないと言い張るには、目の前の景色に説得力がありすぎた。言われてみれば暴力的に納得させられてしまう。どんだけ未来に来たんだよ。皆死んでるじゃん。おかしい。なんでよ。帰してよ。皆に会いたくなったから帰りたかったのに。
「違うよ。違う、帰してよ」
[そこのカプセル、玉手箱の中のお前の身体はこの時代に合うようにしてある。玉手箱は人間の時代に適応するよう設定されているからな。さすがに玉手箱を開けたら300年後の自分の体は嫌だろう。干からびて白骨化してるんじゃないか。そこらへんは心得てる。ありがたい情けだ。感謝しろよ。だから多少未来でも大丈夫だ。生きていけるぞ。そういえば新しいフォルムを人間研究部は千年生きると言われている〈ツル〉と名付けているし、長生きできるのではないか]
カメは俺の話を聞きもせず繋げる。違う。そうじゃない。なんで。
[竜宮城はお前らから見たら異世界だ。時空の歪みを超えた時点で、陸の世界の時間軸とは切り離されている。当たり前だろう。未来の方が技術が進んでいるし過ごしやすいのでは?悲観する必要などない]
「ふざけんなよ」
煮えたぎった熱が止まらない。お前は何を言ってんだよ。
「ふざけんなよっ! なんで人助けをして! 良いことをしたと言われたのに、この仕打ちか!? 俺は元の世界に、俺が生きてた時代に戻りたいんだよ! なのになんで、なんで! 違う、なら助けなきゃ良かった! 勝手に連れてかれて時の流れが違うとか言われて、ふざけんなよ! 帰せよ! 俺が生きてた続きをさせろよ!」
止まらない。溢れて溢れて濁流のように怒りが押し寄せる。帰してくれ。何も悪いことしてないのに。むしろ良いことをしたと思ったのに。なんで。
[待て、落ち着けって。どうしたんだよ一体。お前のいた時代には戻れない。竜宮城は別世界だ。それくらい分かっていただろ]
「分かんないよ! なんでこんなことに、お前なんか助けなきゃ、違う、ひどい! 帰せよぉ」
目の前の世界は刻々と動く息をしている。自分の生きていた痕跡など跡形も残さない姿で、時計の針を進めている。
[無理だ。お前が元いた時代なんて分からない。あ1,もう、とりあえず戻るぞ。黙れ]
カメはそう吐き捨てると猛スピードで海の底までUターンした。引っ張られるように自分の意識も落ちていく。何も考えたくなくて、何も考えられなくて勢いに任せて意識を落とした。
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