最近の竜宮城は東京湾にあるらしい
夢見遼
第1話 全裸の少年
貧乏な善人の行き着く先はハッピーエンド。現実はそう甘くないと言われるかもしれない。でもずっと信じていたんだ。そうじゃないとあまりにも報われないから。
「まじかよ……」
朝の東京を駆け抜ける相棒、疾風丸3号のチェーンは先ほどガシャンと音を立てて外れた。少しずれたという程度ではなく、びろびろと見事に外れたチェーンにため息がこぼれる。これももう10回目。いやもっとか?油で指が汚れるのを気にしつつ、軌道に戻し、手でペダルをくるくると回す。
朝六時の東京湾沿いの道路は都内といえど静かで、のんびりと犬の散歩をする人、ジョギングをする人の間を冷たい潮風が通り抜ける。せかせかとブランド物の腕時計を気にしながら道を急ぐ、サラリーマンの群れを見かける事は無い。遠くに見えるうっすら靄がかった高層ビルの影から離れたここは、都心に比べ時間の流れが穏やかだ。
チェーンが元通りに動き始めるのを確認しながら、ついでにパンクが無いかも確かめる。そもそも家から学校まで片道2時間をゴミ捨て場から拾ってきた自転車で通っているのだ、無理も生じる。チェーン以外にもブレーキはろくに効かない、ベルは取手が折れて鳴らせない、ライトは点滅を繰り返す、とガタがきている。本来なら替え時もとっくに過ぎているだろう。
「もうダメか?疾風丸3号……」
傷だらけの黒いフォルムを撫でる。拾いもののわりには三段階のギアチェンジが生きていたり、乗り心地も良かった。まだ使える状態なのに乱雑に捨ててあったことに怒りを覚えるぐらいには。
仕方ない、また探そう。都内のゴミ捨て場は宝の山だ、と割り切って腕の時計を確認すると、遅刻ぎりぎり。げぇ。こうしちゃいられない、と自転車に跨ったその時、助けてと声が聞こえた。
「え?」
いや驚くだろう。誰だって驚く。仕方がない。丁寧に労っていた自転車放り出したのも仕方がない。聞こえた声に思わず振り返ったそこには、
「はだか」
小学生男子が全裸の男の子を取り囲んでいた。
いや全裸ってどうよ。いくら簡素な街であったってここ東京だぜ?まじで?全裸って犯罪じゃなかったっけ? 小さい子だけどさぁ。そりゃ小学生男子もびっくりするし質問攻めだよ。完全にパニックになった頭は冷静な思考を許さない。さっきまでの穏やかな朝を返してくれ。
近づくのも怖くてなんとなく耳をそばだてる。「お前なんで裸なの?」「変だろ」「変態」そりゃそうだ。早くお家に帰ってお洋服を着て来い。そんで小学生男子もそんなに構っている暇は無いと思う。早く学校に行け。
俺には信条がある。それは「関わらなければ得もしないが損しない」今までこれを胸に生きてきた。そう。得をするよりも損をする方が怖い。だから触れない。何も触れない。ノータッチで生きていくと決めているのだ。この17年貫き通した信条だ。だから朝から全裸の男の子を見てしまっても「寝ぼけてるな」と何事もなかったように自転車を起こし、再びペダルを漕ぐことができる。そう。悪い夢だ。寝ぼけてるからね!行こうか疾風丸!
と、サドルに跨った時点で全裸と目が合った。澄んだ黄緑色の宝石のような瞳。うるうると膜が張ったようなエメラルドは、表現し難いくらいに美しく、なぜだか背筋がゾッと凍るようでペダルを離れた足は地面と密着してるかのように動かない。やめろ。俺は関わりたくないんだ。
少年たちは口々に「何か喋れよ」「なんなんだよお前」「気持ち悪りぃー」と揶揄している。やがてその少年の中でもリーダー格だろう体が一回り大きい少年が「なんか言えよ! その緑の目もキモいしよぉ!」とこぶしを振り上げた。おっとどうした、やめとけって。いや、無視無視!
「ねぇ」
頭に声が響いた。そんなはずはないのに、あの裸の声だと分かった。そしたらもうダメだ。喉の奥からひっくり返った声が出る。
「まっまっままま待った! 暴力は! だ、だめ!」
すげえ情けなく。
「あっ、その、あの」
「……」
ガキどもはなんやこいつという顔をした後、東京のガキの対応をなされた。つまりは「おうおうあんちゃん、ぼっくのパパがだーれか分かってんのか?お?ぼくちゃんに口答えして? ぼくちゃんのおもちゃを奪うならパパにあることないこと言いつけてやっからよ〜」というマウントを取られた。これは8割型偏見だが東京はたまにこういうことがある。金を持っている。
たかられた俺は「こども相手にビビるかよ」といいながら千円あげた。驚くかもしれないが、本当のお坊っちゃんだった場合大変なことになるのだ。子が親の権力を誇示するほどバカなら親もバカで、「うちの子に何すんのよ!?」と言い出したら止まらない。以前それで酷い目にあった。あのときは二万が飛んだ。千円で済めば安いもんだ。そうして千円を「端金が」と奪い取りガキは去っていった。お前、次合ったらマスクとサングラスで完全に身分隠して殴るからな。千円は端金ではなく3日分の食事だ。
とまぁいろいろあって目の前には裸だけがいるわけだが。
「えっ……ど、どうした? んですか? あの」
だんまりを決め込んで口を噤んでいる。この状態で通報されたら確実にアウト。なんか、なんか言えよ。目を合わせないように視線を彷徨わせる。男の子は雑に揃えただろう黒髪に黄緑の目、すべすべとしてそうな肌(何故かそう思った。じっと見ていたわけではない)で、靴すら履いておらず、こちらをガン見している。なんで。よく分からないけど美少年だと思う。男の俺でも綺麗だと感じるし、将来はイケメンになるんだろうなと自然に連想できる。
二人の上で海鳥が鳴く。というかこのままだと遅刻する。全裸の男の子は黙ったままだし、放っておいてもいいだろう。いいよね!?
「あっ、それじゃ!行かないと遅刻するから!服、着た方がいいよ!」
なんとなくこれだけ言って自転車に乗る。振り返らない、と固く誓いハンドルを握ると、不意に頭に声が響いた。
[考えていたが]
「うっわぁ!?」
誓いも虚しく秒で振り返る。今、声した。周りには少年しかいない。いや、頭に響 いた感じがしたんだけど。
[お前、なぜ自分の財を払った?]
「は?」
少年は微動だにしない。しかし声は聞こえる。は?えっ、財ってなんの話?金のこと?
[これだから全く。人間は低レベルで困る。空間共有通信も未発達で。いい加減慣れろ。お前の脳に直接電波を発信している]
コイツ、脳に直接……!!! と言っている暇ではない。まじで。まじで。つか人間をdisられたけど本当に何だよお前は。
[しかし衣服を失念していたのは迂闊だった。人間は肉体を用いるものであったな。別段何も困ってはいなかったが、人間の子に不審がられた、というのは面倒な事案になりそうだった。子に怪我をさせると親は必死になると言うからな。円滑な捜査はできまい。そこを自分の財を差し出して止めた人間には少なからず借りを作ってしまうしなぁ。ああ、衣服を設定し直すついでに丁度良い。この人間をサンプルにしよう。連れて行ってそこで恩でも適当に返してやろう]
直接脳波(?)でべらべらと喋っているにも関わらず、マネキンのように突っ立っていた美少年が俺の腕を取る。案外強い。その前に何言ってんの?
[ああ、その身体は邪魔だから箱に入れておいてやろう。丈夫なカプセルだ。適宜調整も可能であるし安心して良い]
「あ、え、何?何?」
[着いて来い。お前は特別に我が世界竜宮城へ案内しよう]
「待って、待って。落ち着いて説明してくれ。お前は何?俺をどうするつもり?このテレパシーって何?ちょっおまっ」
クエスチョンマークが溢れ出る俺を他所に美少年は手を引いて、海すれすれまで連れて行く。そして予め置いといたのだろう大きな箱を用意する。真っ白でその大きさに棺を連想する。不穏だ。見た目で分かる硬い材質は確かに丈夫そうだ。
少年が箱に手をかざすとウィィィーンと蓋が開いた。
何それかっこいい、と呟きたのも束の間小さな手で背中を押された。相変わらずこどもだと思えないほど力が強い。抵抗する間も無く箱の中へ。
「んあっ!?」
倒れ込んだ瞬間、蓋が閉まった。目線は外だった。あのガキの隣に並んでた。え、今箱に入って、
[意識を分離させた。本当はここまで強引にやるものではないが。まぁ無事に行えたから良しとする。よし潜ろう]
「いやちょっいやいやえっ」
[意識を身体から離した。海の中では人間は呼吸出来ないだろう?だから離した。身体はカプセルに入れたまま運ぶから安心していい。あと思考と通話は分けないとお前の脳から直結して垂れ流しだ。非常に喧しい。これだから]
「は!?え!?」
意識を分離?そう言われると身体の感覚が無い、気がする。目線を下げても身体は見えないし、身体を動かそうとも思わない。切断が途切れた、という感じ。もしくはゲームに熱中して、体の存在を忘れているような。いや何これ?
「どういうことだよ」
[だから、うるさい。全部聞こえている。話しかけようという意識があると自然と通 話に切り替わるから、早く覚えてくれ。思考がだだ漏れするのはさすがに不便だろう。気をつけろよ。よし潜ろう]
「あっ」
何も分からない。何も分からないけど、箱が海に落ちてバシャンと派手な音を響かせ、視界は海色に染まった。
[特別に招いてやる我らが竜宮城へ]
りゅーぐーじょー?だかなんだか知らないけど、
「ここ東京湾ですけど?」
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