第2話 ホッケさんは食べやすいし優しい
「すげ〜」
東京湾なんて汚ればかりだと思ってた。だが深くまで潜ると魚も見えるし、濁った灰色から深い青になっていく。何より呼吸も苦しくなくここまで潜れるのが快感だ。体も濡れないし。映画を見ている気分。面白いけど、面白いけどなんで海潜ってるかまだいまいち分かってないし、海の下に連れてかれて何があるのかも分かってない。これ、放置されたらそのまま溺死?
「お前……いる?」
意識だけの存在だと自分の姿も見えないし、もちろん相手の姿の認識も甘くなる。触覚がないのはちょっと不便かもしれない。
[いる]
「うあっ」
目の前に全裸再び。お前はその姿でいいのか。
「お前と呼び続けるのも面倒だな。なんか名前ないの?」
ふと気づいて話しかける。少年はきょとん?と顔をかしげる。う〜ん、顔が良いからかわいいのが癪。
[僕はKM184592だからケーエムって呼ばれてるけど]
「ケーエム?カメ?」
[カメ?]
目の前に大きな亀が通ったから自然に決まった。ケーエムとかただのアルファベットで名前感ないし、カメでいいだろ。
「え、で、カメ、俺、どこ連れてかれんの?」
[は?カメでつづけるのか。まぁ何と呼ぼうがどうでもいい。これからお前が行くのは竜宮城だ。人間に分かりやすく言うとだな……]
それから数十分、穏やかな海を潜り進みながらカメの説明が続いた。次元がどうとか事象がどうとかなんやらかんやら。すっげー難しそーだと思った。これから自分が連れてかれる所だぞ、そんなあやふやな認識でいいのか、と言われそうだが本当に難しかった。無理。
「つまり、異世界ってこと?」
[その異世界が発生し存在している仕組みについて散々説いてやったのに、結論はそれか?これだから人間は]
ハンっと思い切り馬鹿にした表情で返される。悪かったな!!!
[よし、ここらだな]
少年は一旦止まり、遠くを指差す。倣って指の先を見ると
「?」
そこだけぐにゃりと歪んでいる気がする。海の中だから見にくいが、掻き混ぜたように空間が変形している。え、こんなことってある?
[入るぞ]
「入る?」
少年は歪みに手を突っ込み、身体を入れ、消えた。
「おいおいおい」
ちょっと待ったこの説明無くない?これ何?ワープ装置?異世界のゲートみたいな?やつ?
頭は混乱を極めていたがこのまま置いていかれるわけにはいかない。
「待てって!」
身体がないわけだから移動もふんわりで実感がないがとりあえず歪みに視線を集中させる。
「うわっ」
一瞬酔ったように視界がぐにゃぐにゃになってどれくらい経ったか、視線を定めると、誰もが想像した近未来の街が広がっていた。
高い建物が連なり、スタイリッシュなロボットの映像が街を移動し、空には楕円形のカプセルがビュンビュン飛び交っており、空中に文字が浮いている。地面は真っ平らのタイルで、全体は適度に明るく擬似太陽?が辺りを照らしている。
「な、なんでしょうかこれ」
[ああ、一度肉体を返還するからそこで待ってろ]
話を聞け。
[そうだ。お前も自分の表示体を選んでおくといい。あちらのシェルターで出来る。 そこの奴、こいつは意識状態の人間の客人だ。表示体を用意してやれ]
カメがそこら辺を歩いていた人に話しかけると、何かの乗り物?をタクシーのように呼び寄せてスタスタと歩いて行ってしまう。いやいやいや、だから話を聞け。
カメに話しかけられたロボット?がこちらを向いた。ビクリと肩が跳ねる。ロボットとは言ったものの3Dモデルのようなもので、実体はなさそうだ。地面から若干浮いているのが何よりの証拠。高さは人間のこどものようだが、フォルムは違う。頭らしきものはヌメリと光沢があり全体的にひし形っぽい。大きく丸い目は情報の羅列をゲームデータのように表示しており、その下には一本線の口がある。体と思われる部分にはヒレのようなものがあり、鱗のようなホログラムが光っている。このような表現になるのは、このロボットが魚に見えて仕方ないのだ。人間に近い形をしている魚。しかし気持ち悪さを感じることは無く、むしろ妙にフィットして綺麗だ。ほぉーと見入っているとそのロボットがやってくる。表情は動かないがオーラがなんとなく優しそう、な気がする。
[あぁ、貴方様が人間の客人ですか。KMのことだから説明も録にせず連れて来られたのでしょう。大変でしたね。ここにいる限り身の安全は保証されます。まずは気を緩めてください]
「あ、はいっ!」
にこにこと笑っているように見える。表情は動いてないんだけど。それでも俺は安心してしまって泣きそうな気分だった。体がないから涙でないけど。
[KMから多少の説明は聞いたでしょうけど、不安でしょう、もう一度お話しますね。ここは貴方達から見れば海の下の世界、でございますね。実際は海の中に築かれた世界なのですけど、ここは貴方達の世界よりも発展していまして、ええ、人間に見つかると厄介でありますから、早めに世界の構築を終わらせ海の中に新しく確立することに決めたのでございます]
そこまで言い切ってにっこりと笑う。顔は動いてないけどそんな気がする。
[そうですね、まだ分からないと思いますが、夢を見たことにでもしておいて下さい]
「はあ」
またにっこりと笑う。やはり親切な人だ。細かく説明して下さって理解出来なくても良いと言う。良い人なんだな。
[すっかり申し遅れましたが私はHK691357です。好きにお呼びください]
「HK、ほっけ?ああ、言われてみれば」
[おや。𩸽ですか。魚。ふふ、いいでしょう。エイチケーで、ホッケと。初めて呼ばれました]
「すみません。なんか思い浮かんで」
ホッケは身も解しやすく食べやすい。この親切な人に似ている。と咄嗟に口から出てしまった。そう思うと止まらない。周りのロボット達が魚に見えてくる。真っ直ぐで細身のあれはサンマ。小柄で丸いが尖っているフォルムはサバ。あそこらへんの集団でいるのはイワシかな。意味不明なロボットも魚に例えると少し愛着が湧いてくる。どうせ夢なら楽しんだっていいか。
[そういえば貴方はなんとお呼びすれば?]
「浦島。浦島太郎、です」
[はい、浦島さん。よろしくお願いします。そして着きました。こちらで一応の表示体が用意できるので。意識だけの移動は慣れないでしょう。なるべくヒト型で用意致しましたのですぐ順応するかと。そこの扉を開けますと、表示体が表れますのでお入りになって下さい]
ホッケさんは灰色のシェルターの中に入り、正面写真機のようなものに案内した。表示体?ということは自分のアバターのようなものだろうか。シュンッとモニターが現れ、緑のレーダーが上下に動く。あっこれ映画で見たことある!興奮も冷めない間に、人間に似た3Dモデルが表れた。
「まじで!?」
アバターは自分の思い通りに動く。確かに実体は感じないから最近流行りのVRというものだろうか。いや、もっと進歩したものだろう。
[満足されたようで何よりです]
ホッケさんは優しい。
わーきゃー騒ぎながら動き回る俺をホッケさんは暖かく見守ってくれる。さっきまでの冷徹なカメとは大違いだ。そういえばどこいったんだろう。
[呼んだか?]
「!?」
[お疲れ様です]
ぬぅっと影からカメが現れた。今度はアバター型になっている。背中側の甲羅のような装置はやはり亀っぽいので、俺の判断は間違えてなかった。あれ、人間の子どもの体はどうした?
[お前、意識と通信の切り替えまだ下手だな。心の声めちゃくちゃ聞こえるぞ]
カメは今、顔を顰めている。そんな感じがする。まじで。何それ恥づかしい。はっとホッケさんを振り返るとクスクス声を立てている。
[そうですね。あなたに好印象を抱かれていたようで。嬉しくもありましたが、少し恥ずかしかったですね]
「あえっ……」
[よし、アバターの準備もできたし、姫様の元に行くか。ついでにお前の疑問も解決してやる]
そう言ってカメは歩き出した。慌てて追うと、ホッケさんはぼんやりしている。
「ホッケさん?」
[私はもう役目を終えましたから……]
ホッケさんはそろりそろりと後ろに下がり、にこにこと立っている。
「一緒に行かないんですか?」
つい声をかけると珍しく困ったような顔で
[私はその、おかまいなく……]
と、やはり下がったままだ。無理無理。この愛想も気遣いもないカメ野郎と二人きりは本当にキツイ。
[ホッケ、HKか。何故魚の名前かは知らんが。随分懐かれものだな。別に来ればいいだろう。お前はあの方を恐れすぎだ]
[いいのでしょうか?]
カメとホッケさんがやり取りを交わしている。あの方って誰だ。というかホッケさんの腰の低さは何だ。誰に対しても丁寧なんだろうけど、カメとホッケさん、そしてあの方の間には差があるように感じる。この世界に来て初めて嫌悪を抱いた。
[では、引き続きよろしくお願いしますね。浦島さん]
「あ、はい。こちらこそ助かりました!あのカメと二人きりなんて耐えられない」
[おい、聞こえてるぞ]
「聞かせてんだよ!」
ホッケさんは恥ずかしげに隣に並んでくれた。良かった。
「あの方って誰?」
至極真当で純粋な疑問に二人は少し言い澱んだ。さっきからこの歯切れの悪さが胸に触る。
[あー、この世界、竜宮城の成り立ちについてはざっと説明した通り。人間よりも早くに生まれ発達した。その祖のことだ]
「ホッケさん」
やはりカメの説明は雑で分かりにくい。ホッケさん、頼む。
[つまりですね、私たちは意識でしょう?人間のように繁殖することがなく死ぬこともない。私たちは全て一人の創始者から生み出されたものなのです。創始者様は特異的に発展した種族の生き残りでして、母なる海の中で世界を築き、肉体から乖離した精神体となりました。そして私たちという、意識を生み出したわけですよ]
「意識の生み出し?」
[コピーやクローンと言った方が良いかもしれません。創始者が自身の構造を研究し、新しく自身と同じ機能を持った生き物を生み出した。そして何度か続けるうちに、肉体を乖離した意識だけを生み出せるようになった、と聞きます。しかし私たちは創始者のコピーですが、自己の意思があります]
「はぁ……」
高度な話なのは分かるし世の研究者が聞いたら死に物狂いで質問責めするようなことなのは分かるが、いかんせん理解できない。
[ほら、どうせ分からないんだから、適当で良かったのに]
[分からなくても説明することに意味はありますよ。分からない状態、というのが一番不安でしょう]
ホッケさんはとても優しい。
「じゃあ、あの方とか創始者とかって親みたいなもんなんですかね」
親は大切にした方が良い。母さんはクソ親父が死んでも、愛情を持って俺を育ててくれた。パートタイムで働いてどうにか養ってくれたんだ。貧乏な家だが母さんが笑ってくれたおかげで今もぐれずになんとか生きてる。笑えないほど貧乏だが。
[親?ああ、人間の扶養者の関係か]
[人間は家族という概念がありましたね。ここは創始者様から生み出されたものの集まり。意識を持ったその時から完成されておりますから、か弱い未発達期を成熟した者が見守る制度はありません]
増えませんし減りませんし、とホッケさんは言う。それはなんか、
「寂しくはないですか?」
[寂しく?]
ホッケさんは首を傾げる。カメもつられて首を傾けてる。
[寂しさというのは何かに依存し、離れたときに感じる感情のことですね。私たちは独立して存在しているし、増えるものも失うものも無いです。なるほど刹那的な人間の生き方とはだいぶ違いますね]
これまでの会話はただただ混乱するだけだったがこの言葉は明確に違った。俺とこの生物とは全く違うものだと認識させられる。彼らは人間と種族の違うものなのだ。共同体を持たず独立した生き物。
[そうだな。人間とは違うものだ。一緒くたに考えて推し量ろうとするな。齟齬が生じて当たり前だ]
カメに諭される。確かにそうだ。言葉が通じるように思っていたが、これは意識のコミュニケーションであり、言語が統一しているわけでも無い。意識体の共有が唯一の繋がりであり、それ以外は何もかも自分とは違うのだ。そう考えると一気に冷や汗が湧く。ような気分になる。今も意識を表示体に取り込んでバーチャルリアリティーな人形モデルとして扱っているが、周りは異種族、自分も異種族の格好をして逃げ場もない。相手は人間より優れているという。俺は異世界に来ている。その事実が再確認されて今更恐ろしくなってきた。
[よし、着いた。ここが竜宮城の中心。祖である乙姫の住む場所だ]
ついに逃げ場が無くなった。
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