第5話 今度こそさよなら
再びおかえり竜宮城。で、俺はぎゃんぎゃん泣き喚いた。それはもうずっと泣いた。ずっとずっと泣いた。この瞬間も上の世界はこちらの時間を反映せずに遠くへ遠くへ駆け出していると考えると涙は止まりそうになくて、しゃくりあげながら息も絶え絶えに泣いた。竜宮城では玉手箱に入った自分の体になったので涙もぼろぼろ出てきて心地良かった。涙など見たことないだろう魚に似た住人の方々を困惑させてしまうほどに。
特にホッケさんは気の毒になるほどおろおろしていた。カメは……干渉してこなかったな。それでようやっと泣きやみ目元を真っ赤に腫らした俺は周りの魚みたいな皆様にやいのやいのと口々に慰められた。争うことがないからだろうか、基本的に優しいんだよな。ここの人たち。カメの言ったように人間を下には見ているのだろうが、邪険にはしない。アンコウのような方やフグのような方やマンボウのような方や色とりどりな方や小さな方や大きな方まで、見たことないような魚の言葉を聞くうちにこの異常な状態も相俟って、心が落ち着いてきた。すうっと心に考えが入ってくる。
そう、なんとなく掴んでいた。もしかしたら、という段階だが小さな違和感を積み上げた不安定な仮定。しかし証明出来たら一筋の光に変わる筈の大きな命題。必ず脱出口はある。この幸せな悪夢を終わらせよう。
「ホッケさん、あ、カメも。宮殿に行きたい」
ホッケさんはまだ気遣うように見つめながら、
[ええ、参りましょうか]
と答えてくれた。
[はぁ〜?面倒だな]
おい、カメ。お前はまったく。それでも着いてきてくれるから、根は良い人なんだろう。
「俺、帰るね」
どきどきと逸る胸を抑えて豪華な扉を押す。ぐぐぐ、と音を立てて門が開くとあの芳香と目を奪われるような光景が飛び込んできて、さらにその奥、乙姫様がいらした。
[話は聞いた。そうか。其方の生きていた時代に戻りたかったのか。ここは永遠、悠久の時があり、失うものは無い。時を忘れていたのだ。其方の思いを汲み取れずすまない]
乙姫様は目を伏せる。異様に美しい。それでも、言わなくては。この世界に辿り着いてから拭えなかった違和感。もしこれが証明できれば、俺は帰れるかもしれない。
「初めに言っておきます。俺はこの世界が好きです。みんなが優しくて理想的で素敵な世界です。だからどうか最後まで怒らずに聴いて下さい。ごめんなさい、この世界が好きなのは本当ですから」
これから酷いと思われることを言うかもしれない。それでも好きというのは本心から。俺の人生を肯定してくれた優しき世界を今変えてしまう。
[愛のある者の言の葉だ。聞き届けようぞ]
乙姫様は戸惑う素振りを見せながらも、真っ直ぐ向き直ってくれた。
「違和感を感じていたんですよ。この世界に。好きなもの、理想が具現化した場所でした。何でもイメージが形を為して、嫌なものは何も無くて好きなことをして生きていける。新しいものも無ければ失うものも無くて、貴女から産まれたものがのびのびと生きている。」
だから居心地が良かった。これは乙姫様の心が素敵だったからなのだ。
「そして時間の意識は甘く、この巨大な構想を保つエネルギーは不明。演算装置も見当たらない。この素敵な場所は綻びがあり曖昧なのです。しかし理想的」
この感覚を知っている。味わったことがある。これは、
「貴女の夢の中のような世界ですね」
意を決して伏せていた顔を上げる。怒らないで、なんて言ってごめんなさい。怒っていいです。俺はとても失礼なことを言っています。
[ゆ、め]
乙姫様の唇が動く。俺はひゅっと身を縮め、暴言に備える。
[ゆめ、か。人間が睡眠中に脳の整理を行うときに出るとする映像]
どこか遠い目をしながら乙姫様は言った。
[蜃気楼は、蛤の見る夢だと思われていました。まるで、そのような、夢のような世界だなと]
[夢か、夢。虚構とするか我が世を。蛤とするか我を。出来の良さを嫉妬し、都合の良い夢と名付けたわけか。そうか]
水かきの付いた指が空を描く。そしてふよふよと宙に揺れる。
「申し訳ございません!」
自分で言い出した、言い切ると決めたのにいたたまれなくなってしまって頭を下げた。一生上げられない気がする。申し訳無さと恐怖で。あーあ、どうなるんだろう。このまま死ぬかな。あれ、この世界、死とかあったっけ。分かんないけどダメだろうなたぶん。
[そう、そうか。頭の働く者よ。我が世を愚弄されたかと勘繰ったが、愛を誓ってくれた者であったな。そうではないのだろう。其方が夢と表現したのは、夜を明かすと消えるという時間の概念をこの世界に定義したかったのだろう]
思わず顔を上げる。乙姫様は今までよりも一段と素晴らしく微笑まれた。
[ふふふ。良い。赦そう。この世を夢と思いこむ不敬を、人間の奢りと称して赦すことにしよう。夢と思うが良い。夢と定めればこれは一夜の出来事、目を覚ませば現実、其方の生きる朝を迎える]
ころころと笑うそのお姿に涙が滲んでくる。
[そうと決まれば早くお戻りなさい。夜が明けてしまう。良い夢だったろう。それだけ覚えていておくれ]
乙姫様はお立ちになった。そして静かに近づいて、額に、口づけを。
「ありがとうございました。美しく愛しく素敵な夢でした」
ぼろぼろと目に溜まった熱が頬を伝って滑り落ちた。
「たろ。たろくーん!起きてぇ!」
けたたましい目覚ましと母親の声に起こされる。ツンと冷えた空気が鼻を通り、思わず布団を抱え込みたくなるが、瞼を擦り目を覚ます。少し腫れぼったい。いつも通り、壁に貼ってある古ぼけた窓から差し込む光と、古ぼけたポスターやら教科書やらが散乱する部屋と、東京湾近くの潮風、磯の香りと、朝ご飯の匂いがあった。じわりと目の奥が刺激される。
なんだか良い夢を見た。否、それは夢では無かった。覚えている。でも夢のようだった。
行き着く先はハッピーエンド。ハッピーエンドでなければいけない、と思う。そうでなければあまりにも報われないから。でも、エンドでなくても良さそうだ。異世界の方は案外気まぐれで悪戯好きそうだから。
「転校生を紹介する。先生もついさっき聞いたから事情はよく分からないが、ある町から急な都合で何軒かこの町に引っ越してきたようだ。ほれ、よろしく」
「魚谷 掘気です」
「姫宮 乙です」
「……亀井 緑です」
「よろしくお願いします」
三人の顔見知りは見事に人間に擬態しながら、俺を見て笑った。
最近の竜宮城は東京湾にあるらしい 夢見遼 @yumemi_ryo
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