最終話 一期二会

「けんくん、愛してる」


 彼との繋がりをより強固なものにするべく腕を目一杯振り上げる。


「何やってんだあんた!」


 突然の叫び声に思わず振り向く。そこにはたまたま公園を通りかかったふたりの男性がいた。


「そんなことはやめなさい!」


 ふたりがこちらに駆け寄ってくる。このまま捕まったら彼を殺すことができない。殺人の事実を消すことができない。

 その前に包丁を振り下ろす。


 ガシッ

 振り下ろす手を彼に受け止められる。


「けんくん! ダメよ、このままじゃあ私達の繋がりが切れてしまうわ!」


 両手で包丁を押し込もうとするがどこにそんな力が残っているのかびくともしない。


「はあ、はあ、先生、もう終わりにしよう、すでに俺達の繋がりは切れていたんだよ」


 そんなことはない!私達はずっと前から心で繋がっていた、そしてこれからもそれは変わらない!


「やめなさい!」


 駆け寄ってきた男性に包丁を持つ手を掴まれる。さらにもうひとりの男性に彼から引き剥がされる。


「離して! 殺さないと、彼を殺さないとまた逢うことができないの!」


「何を言ってんだあんたは!」


 包丁を取り上げられ地面に押さえつけられる。そんな!このままじゃ彼が生きてしまう、二度と逢えなくなってしまう!


「離してよ! 私に彼を殺させて!」


 必死にもがくが身動きがとれない。


「君、大丈夫か! すぐ救急車を呼ぶからな! もしもし警察ですか! 3丁目の公園で刃物を持った女性に男子生徒が刺されているんです、救急車をお願いします!」


 彼が生きていたらダメなの、私達が生きていたらダメなのよ。


 数分後、抵抗むなしく警官が駆けつけてきた。彼は救急隊員に応急処置をされ病院へと搬送されていった。


 私は警察の取り調べを受けていた。厳しく問い詰める刑事の質問には何も答えることができない。何を言われても頭の中は彼のことでいっぱいだった。刑事の話によると彼は多少の出血がみられたが無事だったらしい。生きている。

その後も私は何も答えることはなく拘置所でただただ彼の顔を思い浮かべることしかできなかった。


 あれから約2ヶ月が経ち夏真っ盛りの8月、私は裁判官の前に立っていた。

 懲役7年7ヶ月、それが私に課せられた罰だった。


 刑務所の中でも私はひとりだった。誰とも関わることはなく、まるで生きながらに死んでいるかのようだった。両親が面会に来た時、母親は泣いていた。なぜそんなことをしたのかと言われたが言葉が出ない。


 私はただ彼を愛していただけだったのに、彼との将来を夢見ていただけだったのに、もう叶うことは無い。まるで幼き時のように私の未来には何も映し出されない。

 それでも彼のことは1日たりとも忘れることはなかった。眠る私のまぶたにはいつも彼がいた。彼との数少ない思い出を胸に月日が流れていく。


――――


「お世話になりました」


 長い刑期を終え私は刑務所を後にする。出所したからといっても行く当てなど無い。実家に帰ることも考えたが両親に合わせる顔が無いためすぐに帰る気にはなれない。

 できることならもう一度、彼の笑顔をこの目に……。


「けんくん……」


 まだ寒い3月の風に揺れる桜の木の下、彼を想う。今どこで何をしているのだろうか。私のことはすっかり忘れて幸せに暮らしているのだろうか。考えることは彼のことばかりだった。


「キャッ!」


 道路のひび割れにつまづき手をりむく。


「痛い……痛いの、心が、私の心が張り裂けそうなの、誰か、助けてよ……」


 その場にうずくまる、立ち上がることができない。


「お姉さん、どうしましたか? 怪我でもしましたか? これ使ってください」


 突然声をかけられる、私に向けられた手は絆創膏を持っていた。


「ありがとうございます、ちょっと転んだだけなので大丈――ッ! けん……くん」


「久しぶり、先生」


 けんくんが私の目の前に立っていた。7年経った彼の姿は大人びていてさらに素敵になっていた。


「な、なんでけんくんが、……ダメよ、私になんか会ったら、またあなたを傷つけてしまう」


「大丈夫だよ、先生今、包丁なんて持っていないでしょ。それより手を見せてよ」


 私の手をとり怪我をした所に絆創膏を貼ってくれる。7年ぶりの彼の温もりが冷えていた私の心を温めてくれる。


「今時間ある? ちょっと遠いけどあの公園まで歩こうよ」


 私の前を歩く彼の後ろ姿は大きく見える。身長が伸びたのもあるだろうが、どこか安心を与えてくれる包容力がある気がする。


「どうして私の所に来たの? 私はあなたのことを何度も……」


「まあ、色々考えたんだけど先生と話したいことがあってね、細かいことは公園で話すよ」


 ふたりで歩く。複雑な気持ちだった。彼に会えたことの嬉しさがある反面また彼を憎んでしまうではないかと怖くもなっている。

 30分ほど歩き公園のベンチに座る。


「7年前のあの日に入院したんだけど先生のご両親が俺の所に来てくれたんだよ。申し訳なかったって先生のお父さんが土下座までしてさ。そこまでしないでくださいよって言ったんだけどなかなか頭を上げてくれなくてね。頑固なお父さんなんだね」


「……」


「先生が中学生の時にこの公園で悩んでいることを思い出して聞いたんだよ、先生の過去に何があったのか。そしたら教えてくれたんだ、病気のことを」


「……そう」


 私の過去、今でも思い出したくないことを彼は知っているのね。


「それで思ったんだ、きっと先生は、先生の夢を与えてくれた俺のことをあの時から想っていたんだって」


「……確かにあなたのことはあの時からずっと私の心の中にあったわ」


「それはいつしか歪んだものになっていったんだね」


 私のやってきたことを考えると彼の顔を見ることができない。今更、罪悪感を抱いたところでもう遅い。


「でもさ、それは先生が過ごした幼少期の影響なんだよ。人との関わりが希薄になり自分の運命を恨み誰かとの繋がりを切望していたんだ」


 彼の言葉通りだった。私は彼に依存していたんだ。


「俺、小児科医を目指してるんだよ、4月から近くの大学病院で研修医として勤めるんだ。病気なんかで人生を、子どもの未来を奪われるわけにはいかない。」


 そう語る彼の目は初めて私に自分の夢を教えてくれた時のように自信と希望に満ちていた。そして人を想う優しい目だった。


「素晴らしい夢ね、あなたなら多くの子どもを救うことができるわ。生徒を導く立場だった私とは違って」


 私は自分の役目を放棄していた。彼に固執し他の生徒をないがしろにし、挙げ句の果てには殺してしまう。いくら殺していないことになっていたとしても重ねた殺人は私達の記憶に残っている。私はもっと重い罰を受けてしかるべき人間だ。


「……先生は昔の傷がまだ癒えていないんだよ。だからさ、先生の心の傷を俺に治させてよ。これからどれだけ時間が掛かるかわからないけど、必ず治すよ」


「けんくん……私を気にかける必要は無いわ。あなたには有島さんという人がいるんじゃないの?」


「そうだったんだけど、有島さんと話をしていても先生のことが頭をよぎるんだよね。それで有島さんに何も伝えることなく、今では連絡先も知らないんだ」


 本来なら彼と彼女は一緒にいるべきだった、でも私がそれを壊してしまった。彼女にも謝りたい。きっと謝ったところで彼女にはあの出来事の記憶がないため困惑してしまうだろうが。


「有島さんとは良い思い出として俺の心にしまっておくよ」


 彼が私の前に立つ。


「まだ俺の中に先生を許せない気持ちがあるのかもしれない、でもそれより今は先生のことを救いたいという気持ちがあるんだ」


 私に手を伸ばす。


「雪乃さん、俺の側にいてくれませんか、ひとりの患者として、ひとりの女性として。俺と共にこれからの人生を過ごしてくれませんか」


「けん……くん……私なんかでいいの? ぐすっ、私と……一緒にいてくれるの? 私、あなたと一緒にいても良いのかな!」


「雪乃さん、俺の側にいてくれ!」


 彼が抱きしめてくる。彼の温もりが全身に伝わる。


「う、うぅ、ああー、けんくん!」


 涙が止まらない。今までせき止めていた感情があふれ出す。


「雪乃さん、喫茶店にでも行こう、外はまだ寒いからね。患者さんに風邪を引かせるなんてお医者さん失格だよ」


 私に差し出す彼の手を掴み立ち上がる。


「うん、でもなんでかな、今は寒さを感じないの、あなたがいてくれるからかな」


 桜の花びらが舞う中、ふたり肩を並べて歩き出す。

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「連続殺人、被害者は俺だけです~その愛は重すぎて俺には受け止めきれません~」 熊野吊行 @kumano-tsuriiki

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