題名のない物語
日々菜 夕
第1話
定期的というか……不定期に止まる私の心臓。
放っておかれたなら確実に死んでいただろう。
前回止まったのは一月くらい前だった。
彼のおろおろした姿は今思い出しても大爆笑ものである。
そんな日々はこれからもずっと続くと思っていた。
いつ逝ってもおかしくない私が死んだ後も彼が居れば我が家庭は安泰だと思っていた。
それなのに――
不慮の事故と言えば――たったの五文字で片付いてしまうが……
私達家族にとってはそんなに簡単に済んでしまうものではなく。
私は姉の葬儀に参列することすら出来ず。ただただぼーーーっと。目に優しいややオレンジがかった乳白色の天井を見つめていた。
父も母も彼も来なくなって数日が過ぎ、改めて変ってしまった状況を理解し始めたころ。
心がちくりと痛み、涙が溢れてきた。
もし私がとっとと自分の生を諦めて放り出していたのなら、こんな事にはならなかったのではないだろうか?
彼が訪れる前のマイナス思考ばかりを募らせる――いかにも自分らしい考えに染まっていた。
*
姉に彼氏が出来た!
それは喜ばしい事であり、嬉しい事であり、祝福すべき事なのだと思う。
私の病気のせいで暗い日々を送る事になってしまった我が家庭にとって、それは一類の光明であった。
彼と姉は親公認の仲になっているようであり。
きっとその内姉と婚約して結婚して。自分の抜けた穴を埋めてくれる存在になるのだと期待していた。
ものの――
ちょっぴり気に入らないと言うか、むかつくと言うか、面白くないと言うか……
『いいかげんにしろ! このバカップル!』と叫びたい状況だった。
なぜなら、今もまた彼と姉はいちゃラブの真っ最中であるからだ!
はっきり言って!
『私なんぞ気を使わずにとっととお見舞いを切り上げてホテルにでもしけこんで続きをやりやがれ!』
とでも言いたい状況である。
もっとも、それほど懐に余裕のある人達じゃないので学生らしく彼の部屋に上がり込んで……の方が現実的ではあるが。
それをしない理由。日頃から一人ぼっちで居る私に気を使って作られた三人での時間。
正直なところ私は、この時間が嫌いではないと言うか……むしろ好きだった。
彼がココに訪れるようになってからというもの、姉だけでなく父も母も明るさを取り戻し始めたからだ。
なぜか彼と姉は待ち合わせ場所をココに指定しているらしく。姉を待つ間。彼と二人っきり。なんてこともしばしあった。
そして、その度に今も趣味で続けているテニスの話や、車の運転免許を取ったらどんな車を買おうか。なんていう話をしては場を和ませてくれていた。
その優しい笑みも、ちょっぴり幼い声も、日焼けしてがっちりした体格も実に私好みであり。
人懐っこくて、おおらかな性格も二重丸である。
平均身長よりもやや低い事意外は正に自分の理想の彼氏といった感じだった。
そんなポテンシャルを持ってれば当然のごとく両親とも直ぐに打ち解けてしまい。
特に母親なんて将来息子になるんだからと言わんばかりの甘やかし様である。
なにせ彼が来るようになってからというもの、お見舞いの回数が飛躍的に上昇しただけでなく。
例えこれない日でも、何かしら姉に持たるようになったのだから……
以前から、病院の食事だけでは物足りなかろうと母は何かしら作ってきてくれていた。
それはあくまで私のためであって、彼のためではなかったはずである!
じーーーーっと……
穴が開くほど見つめているにもかかわらず……
本日も姉の持つ箸がつまんで口に運び入れるは彼の口。
母の作った筑前煮は私の好物であるにもかかわらず……一向に私の元へやってくる気配は無い。
今この場において私の意図を察してくれているのは彼だけであり。
さっきから何度となく、私にも食べさせてあげよう的な発言を繰り出している。
しかしながら、それはそれとして置いておかれ……
まいどおなじみとなった。
「はい、あ~~~~ん」
姉の猫なで声が病室に響き渡っている。
そうなのだ、そうなのである。
一見三人で仲良くしてるように見えるこの状況の中において私だけが疎外されているのだ!
いまいち嫁としてのスキル不足な姉が母の手料理を美味しそうに食べる彼の姿に触発されて、料理の特訓を始めたと聞いた時は、実に良い傾向だと思ったもの束の間。
とっとと、努力という素晴らしい言葉を封印してしまい。
母の手料理を彼の口へと運ぶ作業に没頭するという、いまいちダメな姉に逆戻り。
ま、まぁ。ただこの作業に没頭したくなる気持ちだけは分からなくもないが……
なにせ、彼が美味しそうに食べる姿を見ているだけで幸せな気分になってしまうからである。
私自身……何度か、彼の口に食料を運び入れた事があるのだが……
気付けば自分の分すら彼の胃袋の中だった……なんてオチは一回や二回では済まない。
本音で言えば、母の筑前煮を食べたいではなく。
姉の変わりに『私が彼に食べさせてあげたい』なのだから。
ここまで来て状況がいまいち分からなかった人にもう一度説明しておこう。
ココは病室であり。私は入院患者。しかも難病に侵された悲劇のヒロインなのである。
つまり!
物語は私中心に動く事が前提であり!
彼を主人公に据え替えて、周りがちやほやするというホームコメディでは、ない!
可憐な乙女の悲劇を綴った、ほろりと泣ける物語のはずなのである!
だからこうして、母の手料理に舌鼓を打ち満足そうな彼を見つめているのだ。
決して母親の様に、息子を溺愛するバカ母のごとく姉から箸を奪い取ってまで彼に食べさせようとなんてせずに耐えているのだ。
例え小腹が空いていても。好物の筑前煮が全て彼に食されても決して泣き言なんて言わないのだ。
そう……これは、薄幸な美少女が短い生を懸命に生きる物語のはずなのだから。
明らかに色んな意味で間違っている気がしなくもないが……
もう一度言おう!
私は難病を抱えて入院している可愛そうな。それはそれは可愛そうな女の子なのである。
ある日いきなり止まった私の心臓。
それがたまたま友人が骨折した時のお見舞いの時だったという幸運に恵まれ一命を取り留めた奇跡の少女なのである。
その後。またなにかあるといけないからという事になり……そのまま検査入院となり。
そこでまたしても発作が起こり――私の心臓は止まってしまい。完全入院が宣告され今日に至る訳である。
そして、その原因は未だに不明。
一応それなりに突発性心停止症候群なんて適当な名前も付けられてはいるが……実際のところ担当医が仮に付けただけの名前であり。
確定要素は乏しいものの、その内正式な名前が付けられるそうだ。
まぁ要するに一般的な人よりも心臓が止まりやすい。という事だけが分かっていれば充分だろう。
名前が決まった事で完治するなら別ではあるが……
こんな感じで始まった入院生活が数週間過ぎた頃――
またしても、私の心臓は止まった。
三回目ともなるといささか余裕が生まれるもので。
『先生! この娘心臓が止まっちゃってます!』
たまたま居合わせてしまった慌てふためく新人看護師に対し、
『や、そーゆー病気だから慌てなさんなって』
私にとっては魂身のツッコミをかまして見たわけだが……
状況が状況だったせいか……まったく笑ってもらえなかった。
実に残念である。
そんなこんなで、退院のめどのたたないごくつぶしが完成したのである。
たいして収入のなかった父は仕事を増やし。
専業主婦だった母も兼業主婦へと変った。
姉も早々に大学受験を諦めて職探しを始め……現在は内定予定の会社でのアルバイトをしている。
はっきり言って勘弁してほしい。
そりゃ~、あちらさんだって私の事を最優先に考えてくれてのことであり。
感謝してもしきれないほどありがたい話である。
今だってこうして生きながらえている事に感謝こそすれ恨んだ事なんて一度もない。
でも、でもである。
少しは自分達の事を考えて欲しいと思った。
何年やっても全く上達しているように見えない父のゴルフ。
聞くところによると、父が何度となく自慢げに話していたクラブセットは私の入院が決まった日から物置に入りっぱなしだそうだ。
たまに練習場に付いて行っては姉と一緒にどちらが遠くまで飛ばせるか競っていた。
今でも、ナゼに止まっているたまっころがあんなにも当たらないのか不思議である。
出来る事なら今度は彼を交えて家族一緒に行ってみたいと思っていた事もあり。
父が全くゴルフをやらなくなったという話は実に残念だった。
そして、そんな父に習う様に母も自分の時間を捨ててパートに励むようになり。
姉も、『いや~、実は部活辞める理由が欲しかったんだよね~』頭をかきかきしながら大義名分が得られて良かったなんて言いやがった。
確かに、完全実力主義の部活動において交代要員にも選ばれる事なく下級生のサポートをするしかないという立場ではいたたまれないと感じた事もあったが……
それでも姉が2年以上続けてきたバスケットは好きだったからこそだと思う。
それなのに父同様あっさりと切り離してしまったのだ。
私のせいで暗い影を持ったまま安定してしまった家庭環境にとって彼は正に救世主であった。
だから彼の出現には心から感謝している。
文字通り。おかげさまで、暗い日常をだいぶ払拭してくれたのだから。
でも、でもである。
このラブラブな、じょーきょーはどうなのだろう?
た、確かに。私自身こうなるように仕向けた節があるので強くは言えないが……
出来ることならば……もーちょっとかまってくれてもいいんじゃないかなって思うのだった。
*
私の心停止が突然ならば――
姉の事故死も突然だった――
どうやら姉の仕事っぷりは好評だったらしく内定をすっとばして決定報告をもらったと聞き。
その日は個室なのを良いことにケーキを持ち込んで一家勢揃いしてちょっとしたホームパーティ気分を味わっていた。
もちろんそこには彼も居て。一緒に姉の就職決定を喜んでいた。
私だって素直に『おめでとう』と言っていた。
はずだったのに……
それから一週間後の事だった。
本格的に仕事を教えてもらえるようになった事で今までよりも帰りが遅くなったのが直接の原因という訳でもないだろうが。
まだ免許をもっていない学生の運転した車に姉は轢かれてしまったのだ。
事故の状況は詳しく聞かなくても原因はハッキリしていた。
信号無視と制限速度を倍近くオーバーしたスピードで突っ込まれたからだ。
被害者は姉だけではなく他にも二名死者が出る惨事だった。
ともすればニュースで取り上げない理由はなく。
日頃から暇つぶしの友となったテレビを見て身体の中から大切なモノが亡くなって行く恐ろしさを知った。
だからこそ、家族が私を失うまいと頑張っていた気持ちが少なからず理解できたし……
それと同時に――なんで私ではなく姉だったのだろうとも思ってしまった。
もし、自分が早々に自分の生に見切りをつけていたのならば姉は事故に遭わなかった可能性があるからだ。
もっとも、そんなのはただの結果論であり。事故なんていうものは毎日の様にどこかしらで起こっている。
仮にその場がしのげたとしても……別の事故で亡くなっていた可能性だって否定は出来ないし。
そういった意味で考えたのなら、部活の帰宅時間なんて似た様なものだった。
その時に被害に遭った可能性だってもちろんある。
だが、だがしかしである。
現実では姉が居なくなり。私だっていつ姉と同じ場所へ逝くか分からない。
そんな状況で両親が不安にならないわけはなく。
姉の葬儀が終わってしばらくすれば毎日の様に顔を見せては、
『大丈夫? どこか痛むところとかない?』
心配そうな顔をしている。
むしろこっちが言いたいくらいだった。
『そんなに不安ならしばらく仕事休んで気持ちを落ち着けたら』と――
なにせ事故を起こした者が見成年だったこともあり、色々とごたごたしているみたいだからだ。
テレビの情報をうのみにするわけではないが、かなりめんどうなことになっていた。
その関係で両親は加害者の家族や、その家族がやとったらしい弁護士との話し合いとかで度々病院に来れなくなる日が続いていた。
正直なところ、不安な気持ちは私も同じであり。
こんな状況で私まで死んでしまったらいったいどうなってしまうのだろう……
一人で居る時間が長くなれば長くなるほど……つい、そんな事ばかり考えるようになってしまっていた。
そんな中――
実に久しく感じる青年が私に会いに来てくれるようになった。
その表情は沈んでいて……家の両親と同じく最愛の者を失った悲しみを背負った者ゆえなのだと思っていたのだが……
実際は、少しばかり違っていた。
しかし、そんな事なんて全く気付いていなかった私は、彼が来るようになってから少しずつでも両親の顔が安らかになるのを感じては……
ただただ感謝するばかりだった。
彼だって、姉を失って相当悲しいはずなのに――努めて明るく振舞う姿は実に好印象だった。
だから、というわけでもなかったが――
なにかしら礼がしたいと思い私は行動に出ていた。
ココは個室であり、彼は男で私は女。
鍵を掛けるだけで、条件は整うと思ってしまっていたのだ。
男は女を抱く事で嫌な事。辛い過去を洗い流せる時もあると書物から得た知識を信じての行動だった。
こうして彼がココに足を運ぶのは、てっきり姉と過ごした時間を――
姉との思い出に浸りたくて来ているのだとばかり思っていたからだ。
基本的に私の心電図は常時確認出来るようになっているため器具の取り外しは出来ないが。
それでも最低限の事を済ませるだけの自信はあった。
姉と比べればだいぶ見劣りもする品疎な身体ではあるが女である事には違いはない。
彼が姉とどこまでの関係になっていたのか深く追求した事はないが……
それなりの関係をもっているに違いないと踏んでいたからでもある。
だからこそ、鍵をかけ。別の意味で心臓が止まっちゃいそうなくらい緊張したまま彼に、
「こんな身体でも良かったら抱いてくれませんか?」
と問いかければ事はスムーズに流れると思っていたのだ。
例え声が震えていても、視線を逸らしたままでも、そこまで言えば問題ないと信じていたのに……
えてしてこの様な事は上手くいかないもので、あっさりと袖にされてしっていた。
それどころか彼の口から真実を知った私は開いた口がふさがらないといった感じだった。
全ては姉が仕組んだ事で、少しでも私が喜んでくれればいいなっていう理由から始まった演技だったそうなのだ。
「ごめんね。なんか気を使わせちゃったみたいで……」
「あー、いいって、いいって」
彼の愛想笑いに、なんとかこちらも笑みを取り繕い。
「私だって、一応女だし……こんな病気だしさ。死んじゃう前に一度っくらい男を知っておきたいなってゆー興味本位みたいなもんもあったわけですし」
なんとかこの場を納めようと一生懸命だった。
「ま、まぁ……ある意味おねぇと比べられなくて良かったっちゃーよかったのかもだけど……」
私がこれ以上ないくらい顔を真っ赤にすれば、
「比べるもなにも、その……ボクはまだそーゆーこと誰ともしたことないし……」
彼も負けじと頬を赤らめて告白してくれた。
「それに、その。ほんとーにゴメン! ホントにただ彼氏の振りをして欲しいって頼まれただけだったんだよ!」
いくら拝んでも全くご利益なんてないだろうに彼は私を拝み。
私は、彼が未だ女を知らない事に少なからず喜びを覚えていた。
「でもまぁ、なんていいますか、そういった点ではある意味すっごい納得できるトコもあるんですよね~」
「あははは、えと。それは聞いてもいいのかな?」
「ん~。まぁ、ここまで恥ずかしい思いをしたのならついでみたいなもんですから」
経緯はどうであれ、久しぶりに彼の人懐っこい笑みを見たからだろうか。
私の口は軽く、本心を告げていた。
「その。貴方って私の好みドストライクなんですよね」
そして――
彼は今までの罪滅ぼし……という感じで元姉の彼氏としての演技を続けてくれる事になった。
実にありがたい話である。
姉の事後処理は相変わらず難航しているらしく示談になるのはまだまだ先になるらしい。
そんな姉に対し今もこうして自分が生きている事の報告と、
『よくもやってくれやがったなこのやろう!』
を言うために目下担当医と両親を相手に拝み倒していた。
いつ心停止が起こってもいいように機材を携帯すれば良いだけの話なのに……
やはり両親にとっては死ぬほど恐ろしい事らしい。
まぁ、そうこう言っている内に、またしても心臓が止まっちゃったりしたもんだから当然と言えば当然なのだろうが……
おしまい
題名のない物語 日々菜 夕 @nekoya2021
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