Girls, Cease the Elephant.

naka-motoo

少女どもよ象を止めぬか

 脱走した象は一頭。


 ところが凶暴極まりない個体だった。


「三人死亡しました」

「なっ・・・逃亡からまだ10分と経ってないぞ・・・・踏み殺されたのか?」

「噛み殺されました」


 興行で全国をドサ回りしているサーカスの一団が感染症の蔓延による集客減により自己破産し、運営会社の社長・・・・・つまりはサーカス団唯一の人間のスターだったのだが・・・・猛獣どもの屠殺を猛獣使いに押し付け、自らはクラウン道化の化粧も落とさぬまま夜逃げした。


 猛獣使いは痩せ細ったトラと栄養失調で腹だけ膨れたライオンを致死量の1000倍の濃度に溶いた毒を麻酔銃のシリンダの中に注入して撃って即死させた後、象の屠殺に失敗した。


 死亡した三人の中には悪臭を放つ象の口腔にくぽっ、と首から上を咥え込まれ、そのまま大きな臼歯で顔面が擦り潰れ脳髄が象の舌で溶けるような状態で噛み殺された猛獣使いも含まれていた。


「こちら国道沿線特養ホーム施設敷地横!至急応援求む!」

『何台?』

「ありったけ!」


 市の総合運動公園に聳えるように鉄骨で組まれていた巨大なテントの支柱を倒壊させて巨象が園の敷地から出て来る所を見た住民が通報した際、警察のコールセンターで受話した担当者は容易には状況を信用しなかったが、通報者が『きゃあお!』という意味不明の奇声を発して通話が切れ、すぐさま別の通報者が『殺される!象に!助けろ!』と文脈がバラバラの音声を発したまま切れた所でようやくホンモノだと認識し、スマホの電波発信地点を特定してパトカーをとりあえずは5台急行させたが都合3体の首から上の無い、あっても残骸が完全にすり潰されてしまっている骨肉片を見つけ、『いやいやいや!』「ぎゃううう!』『逃げ逃げ逃げ!』という群衆のどよめきがする方向へとただただパトカーを走らせるのみだった。


「特養に入るぞ!」

「止まれ!」


 警官が叫んだところでサーカスに飼われていた象はその昔王国で神仏の遣いとあがめられていたそのような象ではなく、サーカス団の経営方針に本能で不満を持っていた言語を解さぬ畜生でしかなかったので、止まらずに特養の側面のアルミニウムの引き戸を前脚で蹴った。


「ガオオオン!」


 象の鳴き声など普段から正確に認識していないが意識だけは保った老人どもと認知で既に世のあらゆることがどうでもよくなったある意味解脱した老人どもしか巣食わぬ施設であったので、逃げるという発想を誰も持たなかった。


 あわれなのは施設で勤労するスタッフたちである。


「いやああ!佐藤さん!早く、立って!」


 必死になって老人どもを象から守ろうと、つまりなんとしても職務という義務を履行せんとスタッフたちはその場を放棄するという発想も選択肢すらも持たぬようだった。


「ああああああああ!」


 スタッフの、ではない。

 警官の叫び声である。


「発砲許可を!」

「ダメだ!人間に当たる!」

「このままでは全滅です!」


 老人どもとスタッフたちが、である。


 警官たちが最初の一弾を放ったのは、施設の瓦礫内の人間たちが動かなくなってからである。


 死体か、もう助からないほとんど屍に近い人間に当たったところで結果は同じだからである。


 パン


 パンパンパン


 パパパパン


 都合15台追加で急行してきたパトカーの車体を盾にして警官たちは象へ向かって拳銃で一斉射撃した。


「ウガオオオオオオンンン!」


 象の皮膚は経年劣化で柔軟性を失ってしまっており、従って弾丸は皮膚病のようにカサカサと固まった表皮に数ミリめり込むだけで象が歩きながら糞をし、その糞をにじるようにして進む特養施設の親族用駐車場のアスファルトにぽとりぽとりと落ちて溜まっている。


「逃げ逃げ逃げ!」


 象は人間の頭を食っているのだろうか?


 それとも味覚など感じずに、ただたんにストレスで固形物を噛み砕き、胃が消化するかどうかということも思考せずに飲み下しているだけなのだろうか。


「あああああ!幼稚園ににににに!」


 象は特養に隣接する同じ宗教法人が運営する幼稚園に歩くというよりは走るスピードで向かった。


 園の先生たちが鬼の形相で園児たちの避難を半ば脅し蹴り出すぐらいの勢いでしている。


「せんせい!いたいいたい!やめてよぉ!」

「泣かないの!死にたいの!?」


 安易に地獄という言葉を吐くことを全員が躊躇っていたが、頭の中では共通語として認識していた。


『地獄絵図』


 象が園庭の金網を蹴破った所で、警官の大半が逃げた後の不並びなパトカーの開けっ放しのドアや無線コードが垂れ下がった隙間から三人の女子が現れた。


 猛獣使いの娘である。


「ねえ、やめようよ。もう何十人も死んだんだから今更遅いよ」


 泣きながら叫ぶ次女に長女が言った。


「老人はまだいい!幼稚園児を死なせたら、わたしたちは二度と娑婆を歩けない!」


 打算のごときだが、真理であり、だからこそ長女は義務感を持って逃げるという選択肢を自らと、次女と三女に放棄させる強引さで園舎に向かって走った。


「お姉ちゃああん!どうやるの!?どうやって象を殺すのぉ!?」


 やっぱり泣きながら追い縋る三女に長女は怒鳴りつけた。


「オマエも考えろ!」


 かように言う長女にしたところですがるものと言えば象を処分し損ねて死んだ無能な猛獣使いの父親が使っていたムチだけなのだ。


「ヘイ!」


 象に向かって長女は一声叫ぶ。


「ヘイヘイヘイヘイ!」


 象は園舎の手前で一旦停止し、四つ足で回れ右をするように時計方向の回転で長女の方へ鼻を向けた。


「ガオオオオオオオオン!」

「ぶってやろうか!」


 長女が右腕を真っ直ぐ上に上げて猛獣使いから習ったようにスナップだけで鞭を空転させる。


 ヒュン、ヒュ、ヒュ、ヒュン、と空気が鞭の太さ通りに摩擦されて鳴る音を、極端に耳の小さな象がしばらく聞き入っているようだ。


「ぶってやろうか!」


 だが、長女はぶてない。


 本当に象を鞭打ってしまったら、ほぼなんの威力も持たないたんなる表皮への平手打ち程度のダメージしかないことを見透かされてしまうから。


 少女は怒鳴ってみる。


「誰かミサイルを!」

「あはははは!」


 三女が思わず笑う。


「笑うな!」

「ああ!ごめんなさい!」


 長女に怒鳴りつけられて即座にまた泣き出す三女。


 長女は叫び続ける。


「誰か!ミサイルを!戦闘機を!バズーカを!早く!今すぐ!」


 口だけで攻撃に移らないことを象は理解した。


「ガオオオオオオオンンンン!グワオオオオオオンンン!」


 サーカスの興行で自分を鞭打っていた猛獣使いの娘である。


 しかも一番義務と責任を負うべき長女である。


 象は、さっきまでの偶発的な殺人ではなく、はっきりと殺意を持って長女に全速で駆け始めた。


 狭い園庭の10mも無い距離なのに、象はそのダッシュ力と陸上最重量の肉体が起こす慣性によってトップスピードに達した。


 殺す、というその一念で長女の顔面の真上から臭い口腔を広げた。


「うわああああああああああ!」


 叫んだのは、警察学校を卒業し、運転免許も取ったばかりの少年警官。


 運転席で叫びながらパトカーで特攻した。


 トップスピードに達した象の曲げた瞬間の前脚のヒザに、アクセルを踏み抜いた彼のパトカーがカウンターで激突し、シートベルトをする間も無かった彼はフロントグラスを突き破って前方にロケットのごとくに飛び出して、死んだ。


「うおおおおおおおお!」


 叫んだのは娘の大学があと2年残っており自宅のローンも払い終えていない中年警官。


 斜め左後方からパトカーで象の後脚に特攻した。


「ガオオオオオオオォォ!」


 象は膝を折って崩れたが、その曲がった膝の荷重に耐え切れずルーフを支えるピラーが折れた車体の中で内臓も骨も圧迫されながら中年警官は絶命した。


「やあああああああぁっ!」


 叫んだのは今年初めて部下を持った若き女性警官。


 前脚と後脚を崩して位置が下がった象の脇腹にパトカーをぶつけて、その瞬間にドアをバン、と開けて脱出した。


「あああ!」


 自らも生きて職務を遂行せんとした彼女だったが怒りに満ちた象が半分横倒しになりながら鼻をカメレオンの舌のように彼女の首に巻き付け、そのまま中空をぶんまわしながら自分の口腔に頭部を引っ張り込んで、ゴリン、と秒とかからずにすり潰し、彼女は絶命した。


「どけ!」


 サイレンで群衆を蹴散らしながら赤い巨大な機械が園の金網を薙ぎ倒して突入してきた。


 消防の、ポンプ車だった。


 突貫で備え付けたのだろう、アルミ製のポータブルの梯子に放水用のホースをくくりつけ、運転席の前方に武器のようにして固定している。


 ホースにはやはり、火事場で壁をぶち破るのに使う太い銛のような金属を救命用のロープで縛り付けてある。


「どかんかあ!」


 邪魔になるパトカーすら押しずらしながら、速度を増して突入してくる。


 目指すは象。


 立った状態ならば象はポンプ車の車高を超えるであろうが、今象は膝を折って体高を低くしている。


 だから、ちょうど、ホースが象の胃の辺りに位置する瞬間に、ポンプ車はそのスペックの最高速度に達した。


 同時に車重を乗せた慣性によって突進の重圧も最高度となった。


「刺せ!」


 銛が、象の腹に、突き立てられた。


 だが、皮膚が凹むのみだった。


「押せぇ!」

「うぃやぁぁあああ!」


 運転手は自分の気合いなどマシンの性能の向上になんの影響も及ぼさないことを分かりながら、それでも叫びながらでないとアクセルを踏み続けることができなかった。


「まだ死なないか!まだ死なないか!」


 誰も聴いたことのない消防車輌のバースト音がその場の全員の、人間だけでなく象の鼓膜すら破りそうな大音声に至った時。


 とうとう銛の先端の狭い面積に集中された圧力に耐えられなくなり。


 象の腹の皮膚が破れた。


「パオオオオオオオ!」


 ここへ来てようやく教科書通りの鳴き声を発する象。


 全員がゆっくりとした連続動画のように銛の尖端が腹を破りその銛の棒芯に巻き込まれるようにして血と共に象の内臓に向かって皮膚と肉がめり込んで行く様子を見届けながら、ハコ乗りのように消防車輌のサイドに搭乗する消防士たちは、怒号を発した。


「発射ぁあ!」


 ホースの放水口が完全に象の体内に含まれたことを視認して、一番年若の消防士が掛け声と共にバルブを全開にした。


「死ねぇぇぇぇぇぇぇええええ!!」


 グワグワグワァ!とホースの強度の高い材質が膨張する。


「出せ出せ出せ出せぇええ!ポンプのモーターが焼き切れても構わん!全量最速最大圧で放出せよ!」


 水が吸い込まれて行く感覚だった。


 印象として象は一棟のビルよりも体積が大きいのではないかと全員が感じたが。


「パオォォ・・・・・・パオパオパオ!」


 腹が、膨張していく。


 警官と消防士の何人かは、第二次大戦で焼夷弾の空襲から逃れて川に飛び込んだ人間の死体の腹がガスで膨れるように、原爆が投下された後で消防用の貯水槽に飛び込んで火傷をなんとか治癒しようとした被爆者がそのまま死してやはり死体の腹がガスで膨張した、そういう状態に象の腹はなった。


「破けろ!」

「死ねえ!」


 散々に仲間を殺し尽くされた警官たちは、人喰いグマがマタギに撃ち殺された後の死骸を被害者の遺族全員で棒で殴ってせめてもの慰めにする余韻のような状況でもなく、切羽詰まった、まるで発狂したような顔で怒鳴り続けた。


 パオーーーーー!


 ゴガガガガガガガアアアアアンンン!!


 象が、水爆死した。


 犠牲はだがまだ止まらなかった。


 悪鬼の如き象の内臓の毒素が散弾のように四方八方上下未来過去へと撒き散ったのを浴びて急性中毒死する者。


 折れた象の肋骨が偶然槍のような形状となって飛んで行き、それに差し貫かれて死ぬ者。


 象を水爆死させた後に自由になった銛付きのホースが、宙を暴君のように、それこそ鞭のように暴れ狂って側面から打たれて悶死する者や運良く銛に急所を突かれて苦しまずに即死する者等死傷者が更に数十名加算された。


 誰が死んで誰が死んでいないのか分からぬほど現場は汚れて水浸し血浸しはらわたぬめりだった。


 三姉妹も居なかった。


 ただし、園児たちはひとりも死ななかった。


 先生が言った。


「もう大丈夫だよ」


 園で一番おませな年長さんの女の子が言った。


「何が」

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