咆哮

 ウィールの気配が遠くなったことを確認したアキークは、寝そべりながら上空を見つめる。先程の音の正体を考え始めた。

 どのように思考を巡らせてみても、人の存命は難しいとされる高さから落下する音としか考えることができなかった。

 音は方角からして北西へ向かった先にある山──アンモライト山であると推測する。

 ──飛べば二分で着く筈じゃ。


 咆哮。オニキスの住人は社へ一斉に振り返る。人々は珍しいと口にし始める。一体何事かと、社の関係者の間で緊張が走る。彼の龍が町の端まで聞こえてくるほど声をあげることは百年近く無かったからだ。

 外装は円錐の頂部から南北に縦に亀裂が走る。ゴゴゴゴ……と、地鳴りのような音を立てながら東西に開かれていく。隙間から黒の塊が真っ直ぐに青空へと飛び立つ。

 オニキスの道なりに沿って強風が過ぎ去る。

 巨大な両翼を地に向けて叩きつけるように羽ばたく。風を切り、黒き龍は人の目で追えぬ速さで北西へと向かった。

 アンモライト山の頂。その上空で大きく旋回する。鋭い眼光で観察する。

 特に変わった様子は無い。人であればここで退くだろう。

 さらに注意深く観察すると、生い茂る森の中、三本の木の枝に異なる色が見える。

 それは人の形をした熱源だ。

 突風が起きないように気をつけながら熱源の上空へと移動する。その者を見てアキークは息を呑む。

 身につけている服はボロボロで原型を留めてはいない。服の切れ端は焼けた跡がある。隙間から見える白い肌は火傷を負い、フォスフォフィライトの色をした長い髪は煤だらけだ。まだ二十歳にも満たないと思える可憐な顔立ちには苦しげな表情を浮かべている。

 アキークの脳裏に「戦」という言葉と合わせて“美しい”という感情が生まれる。種族が違えど美への共感は人と同じと自負していた。

「いかん、美女で驚いておるが、このままだと死んでしまう」

 ホバリングし、静かに女性の元へと近づく。黒の鱗で覆われたゴツゴツの両腕で彼女の身体を包み込む。

「おい、おぬし、大丈夫か⁉」

 女性からは返答がない。細い呼吸と小さな心音。冷え切った身体は瀕死であることがアキークに伝わった。潰してしまわぬように細心の注意を払いながら大きな両手で全身を包む。

「一刻を争うぞ」

 両翼を羽ばたき、周囲の木々は薙ぎ倒される。目にも留まらぬスピードでオニキスの社の上へと戻る。

 ──はっ、人間というのはとても弱い生き物であるのに、何も考えていなかった……。鼓膜破れておらぬか?

 ユックリと定位置へ降り立ちながらそっと手の中の女性を確認する。

「はっ⁉」

「な、ななななっ」

 オニキスに戻る道中、破れていた服は全てアキークの手の隙間から飛んでいってしまったようだ。豊満な胸、小柄な臀部が公開され、アキークに続き、慌てて社へと戻ってきたウィールも動揺する。

 アキークもウィールも目を背けた。顔を赤らめながらもウィールは屋外に向けて声を張り上げる。

「女性の職員と医師はいないか⁉ あ、医師は人を診れる医師だ! 緊急を要する。緊急を要する!」

 常駐する女性職員たちの協力のもと、意識不明の女性を担架に乗せ、龍の間から一番近い使用人の休憩室へ運ばれる。病衣を着せ、清潔なベッドへと寝かせる。女性の医師と看護師、そして薬師が駆けつけ、手早く症状を確認。医師たちに任せ、常駐職員は部屋から離れた。

 その頃、アキークはウィールからの質問攻めを喰らっていた。

「一体どのような風の吹き回しなのですか⁉ 私の誘いには一切動じなかった貴方が! アキーク様はあのような美女の誘いならば断らないと⁉」

「落ち着くのだウィール。なにか誤解をしておるぞ!」

 誤解などではない。ウィールは誂っていた。いつの時代であれ、どの種族であれ、色物の話ほど話題は尽きぬものだ。


 口煩いウィールがようやく聞く耳を持つようになったのは三十分後。アキークは話疲れたのか、床に顎を乗せて寝そべってしまう。不貞腐れた口調で経緯を話している時、ようやく女性医師が龍の間へ顔を出した。

「彼女の状態はどうだ? イチ?」

 イチと呼ばれた女性は、お辞儀をし、顔をやや伏せた状態で、淡々とした声色で話す。

「命に別状は無いかと存じます。目を覚ますのも時間の問題かと。ただ──右腕の火傷が酷く、治療を施しても跡が残るかもしれません」

 その現実に、男性たちは息を呑む。見ず知らずの者ではあるが、女性の身体に傷が残ることに悔やむ。

「……そうか。尽力を尽くしてくれたのだな。感謝するぞ、イチ」

「いえ、この身はアキーク様に救われた身。、私は医学で救える命を救うまでです」

 抑揚も無く、淡々とした声調で答えるイチの言葉に、アキークは顔色を悪くする。

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セージの草笛 鳴海穗 @Inahomachi

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