社の主

 今日は蓮の花弁をかたどった散華さんげと呼ばれる紙が、春の青い空をひらりと舞い上がっている。


 この町はおよそ六畳から八畳ほどの小さな民家が立ち並ぶ。各家の個性を表すかの如く、壁面は赤、青、黄色と、色とりどりだ。

 しかし、町の中心地だけは民家とは全く形が異なり、且つ、出はずれから確認できるほどおおいたる建物があった。

 否、その形は建物と言うよりは構築物と言うほうが適切だろう。まるで三角コーンのような円錐の形。頭から地にまで白一色の壁面。人々の住処すみかを基準とすれば、およそニ十階建てのビルほどの高さだろう。

 ここは“オニキスのやしろ”と呼ばれている。

 社の中は催しごとを行うには十分とも言える大広間一部屋のみだ。建設目的には生活することも視野にいれているが、この部屋だけでは不十分である。そのため、社の周囲を囲うように役割をもった専用の部屋が約百五十軒近くあった。出入り口に一番近い家は具室。その隣には給湯室。厨房。使用人専用の仮眠室──と、社の主のために、または主に仕える者のために用意され、辛うじて複合的な公共施設として機能を果たしている。

 大広間の中は壁伝いに人間用の階段が螺旋状に造られている。“階”と呼べる仕切りは無い。この部屋には階段しかないのだ。

 中心部分は空洞である。床にはこの町の“象徴”とも呼べる存在、黒い龍が体を伸ばして寝そべっている。

 龍は退屈そうな表情を浮かべ、顎を床に転がしながら、螺旋状の階段に沿って造られている小窓の先を見つめる。青空には数え切れぬほどの散華が飛び交っていた。

 突如、龍は強張る。胸元の辺りがドクン──と、鼓動を強く鳴らす。心の臓から太い血管を通し、足先まで何かが巡る。慣れない身体の事情に心地悪さを抱く。それの正体を知る龍は悲しげに目を伏せた。

 ──嗚呼、また俺のせいで……。

 龍は心のなかで自身を責めた。

 

 屋外へと通じる大扉を通し、ノック音が数回鳴る。続いて専属執事の声が煩いほど聞こえてくる。

 龍はその呼びかけを無視し、耳を塞ぎ、瞼を閉じて眠りにつこうとする。

「アキーク様! アキーク様! 今日はおでかけ日和です。晴れてますぞ! 引き篭もってばかりではヨルダンのようにお腹が出てしまわれます!」

 ──煩い。

 アキークと呼ばれた龍は無視を決め込む。最後はいつ外出したのか、アキーク自身も覚えてはいない。

 体を動かす機会が減っていることを本人は理解はしていた。提供される食事の量も彼は自己調整している。……と、言うのは表での話。

 アキークの心は。食欲は無く、全く口にしない日もあった。活力は全て消え去り、ただ穏やかに過ぎ去って行く日々を紅の瞳で傍観する。

 今はエスメラルダ王国の西部地区が平穏である以上、屋外へ出向くことは無い。

 ──何もできない上に退屈じゃ……。

 現実を遮断するかのように瞼は閉じ、長い逆睫毛は目元を覆う。執事は煩いが今日も寝ていようと心に決め、社の大広間──龍の間の床に全ての力を預ける。

 意識が飛び立つ寸前、彼の耳に布団を叩きつけたかのような衝撃音が届く。何事かと、大人三人分もの大きさを誇る頭を上げる。

「ウィール、今の音は何だ」

 アキークは寝そべりながら人専用の扉に片腕を伸ばす。鋭利な爪の先で器用に内鍵を外す。慌てた様子で龍の間へ入り込む者は、肩に着くか着かないかほどの長さをした焦げ茶の髪をカールにし、カイゼル髭が印象の男だ。

「いいえ、何も聞こえておりませんが……それよりも、小生はアキーク様の不摂生の方が百倍気になります故に──」

「口を慎めっ」

 アキークは制する。彼にとっては静かに伝えたつもりであるが、その声量は人が約十名、一斉に大声で叫ぶほどのものだ。ウィールは「すみません」と、詫びの言葉を入れる。

「もういい、下がれ」

 アキークの短い命令を受け入れたウィールは主に一礼する。屋外へと通じる扉を潜り、真っ白な分厚い扉が閉められる。

 アキークは腕を伸ばし、鍵に爪を立てて時計回りに手首を捻る。

 ガチャリ。

 無機質な施錠音だけが屋内外に残される。

「アキーク様……」

 ウィールは、その鍵音は扉の鍵音ではなく、アキークの“心”の鍵音のように聞こえていた。使用人控え室とされる部屋へと歩みを進めながら、彼の脳裏には先代から受け継いだ記憶──種族の壁を超え、和気藹々と楽しく過ごす主の姿を浮かべていた。

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