ハートビート

埴輪

ハートビート

 僕は自分の鼓動を聞いたことがない。



 ──炎天下、人の頭を抱えて坂道を歩いている時、ふとそんなことを思った。正しくは人ではなく、人を模した機械「アンドロイド」の頭なのだけれど。


 トラックにねられたとアイ自身から聞かされた時には、形振なりふかまわなくなったものだと早合点したけれど、事情を聞けばなんのことはない、猫をかばってのことだった。


 声は元気そうだったので、「お大事に」と通話と終えようとしたところ、病院まで呼び出された。指定された病室で僕を待っていたのは、アイの頭だった。


「体はどうしたのさ?」

「4トントラックに撥ねられたのよ? 木っ端微塵よ!」


 なぜか誇らしげなアイ。その右目は、黒い眼帯で覆われていた。


「目、どうしたんだい?」

「困ったことになっちゃって。だから、ハルを呼んだの!」


 右目が関与している以上、アイにとっては一大事だった。だから、僕がこうしてアイの頭を両手に抱え、事故現場周辺を歩き回りながら、ただ「黒い」ということしか素性の知れない猫を探すことになったのも、仕方のないことではあった。


「……なんでまた、目なんて咥えていったんだろう?」


 坂道を登り切った僕は、額の汗を拭おうにも拭えず、ただ空を見上げた。


「美味しそうだったとか?」


 アイが真面目な口調でそう言ったので、僕は「マタタビか」としか言えなかった。


 僕は全ての元凶である黒猫の事を思った。黒猫を救ったというのが本当なら──アイを疑っているわけではない──、いや本物なら、それは千金の価値があるし、自動トラックの運営会社をも救ったことにもなるけれど、果たして──


「いた!」と、アイが声を上げた。

「え、どこ?」 

「あっち!」

「あっちって、どっちだよ!」

「あっひ!」


 アイはにゅっと舌を伸ばした。僕は指示ならぬ舌示に従って、右往左往。だが、黒猫は見つからず、息切れする僕を見かねて、アイは「休憩しよっか」と提案するのだった。



 ──公園のベンチ。僕はアイの頭を膝の上に載せていた。どうもベンチの上に置くのは気が引けるというか、かといって、僕の膝の上が適切な場所かどうかは分からないけれど、アイも文句を言わなかったので、そうした。道行く人は見て見ぬ振りをしてくれたものの、お年寄りの女性が一人、目を丸くしていた。……とほほ。


「左目なら良かったのに……」


 アイは呟く。アイの右目は特別だった。百年以上前に生産が終了した希少品というのもあるし、アイの体で唯一、最後まで残っていたオリジナルパーツだったからだ。


 アイは……aiシリーズは人のために作られたアンドロイドの極地だった。人を愛し、共に生きるパートナーとしては最高の存在。故に、人への依存度が高く、人がいなくなった世界では生きていけないだろうと言われていた。


 一方、今のアンドロイドはそうではない。新たな種、人の後継者として、人から独立するために作られた存在であり、アイのように生まれる前から人を愛するように設計されている訳ではなかった。人がいなくなった世界でも、生きていくことができるように。


 アイは故障する度、新たなパーツと換装され続けていて、オリジナルパーツも右目ただ一つになってしまっていたけれど、それすらも今、失われてしまったのだ。


「……大丈夫?」


 僕はずっと言えずにいた言葉を、ようやく口にすることができた。アイは右目が失われることを恐れていた。頭脳を含めた主要なパーツは換装済みで、それでも自我を保っていたアイだからこそ、最後のパーツに対する執着は強かった。心までなくしてしまいそうだから……一度だけ、アイは僕にそんなことを言った。感傷。未だに人の心というものは解明されていないものの、そうとしか言えないものをアイが持っているのは、同じく心を持つ人に寄り添って生きてきたからに違いない。それでも、右目にその根源があるとは思えないのだけれど……他ならぬ、アイ自身がそう言うのなら、そうなのだろうとも思う。


 だが、右目は失われた。それでも、アイは変わらなかった。いや、変わらないように振る舞っているだけなのかもしれない。だからこそ、気掛かりだった。


「大丈夫……なのが、大丈夫じゃないかな」

「何だよ、それ」

「わかってたんだ。別に右目がなくなっても、変わらないんだろうなって。……ううん、私はとっくの昔に変わってしまったんだろうなって。だけど、右目があるから、そう思ってやってきたんだけど……」

「じゃあ、もういいの?」


 アイは答えなかった。随分と、心ないことを言ってしまったかもしれない。そう思っているのに、弁解の言葉が出てこない。まったく、僕って奴は──


「あっ」


 アイが声を上げた。顔を上げると──いつの間にか、僕はアイを見下ろしていた──、そこには黒猫がいた。恐らく、お目当ての猫だろう。だけど……


「目、咥えてないね」

「どこかに捨ててきちゃったのかな」


 僕は「そうかも」という言葉を飲み込んで、黒猫を見詰めた。黒猫はとことこと僕らから離れて行った……かと思いきや、くるりと振り返って、僕を見た。僕は立ち上がる。すると、黒猫は前を向いて歩き出した。僕もその後に続く。


「どこ行くの?」と、アイ。

「いけばかわかるさ」


 僕の返事が不満だったのか、アイは「まぁ、私は手も足も出せないけど」と呟いた。



 黒猫に先導され、辿り着いたのは日本家屋だった。僕は引き戸を開けて──アイが「ちょ、ちょっと!」と狼狽するのも構わず──、「ごめんください!」と声をかけた。すると、家の奥からお年寄りの女性が姿を見せた。玄関で正座し、深々と頭を下げる。


都築つづきと申します。この度は、うちのクロが大変ご迷惑をおかけしまして──」

「や、そんな! 顔を上げてください! ほら、ハル! 私をそこに置いて!」

「そこにって──」

「だって、これじゃ頭が高いでしょう!」


 都築さんは顔を上げて立ち上がり、「どうぞお上がりください」と僕たちに声をかけた。僕はアイを玄関に置き、靴を脱いで上がると、アイを抱えて都築さんの後に続いた。



 座敷に案内され、僕は座布団の上に正座。隣には、何枚も積み重ねた座布団の上にアイの頭が載っている。紫檀したんの座卓を間に挟んだ差し向かいには都築さん。縁側にはクロが丸くなり、座卓に置かれた花柄のハンカチの上には、眼球が置かれていた。


「こちらはお返し致します。アイさん、本当にごめんなさいね」

「そんな、大丈夫ですよ! これだって、すぐに直してもらえますし! クロちゃんが私の目を持って行っちゃったのだって、別に都築さんのせいじゃ──」

「いえ、私のせいなんです」

「へ?」

「クロはロボットなんですね」


 僕がそう言うと、都築さんは頷いた。アイは「そうなの?」と驚いていたけれど、今や本物の猫なんて、世界にも数えるほどしかいないだろう。


「主人が十年前に回収されてからは、クロが私の側にいてくれました」 

「では、ご主人はアンドロイドだったんですね」

「はい。故障したら修理ではなく回収を……それが、主人の願いでした。私が生きている間に、その時を迎えるだろうとは思っていましたし、覚悟をしていたつもりでしたが、やっぱり辛くって。せめてパーツの一つでもとお願いしましたが、叶いませんでした」


 ──無理もない、と思う。現政府にとって、aiシリーズのパーツ回収の優先度は高い。中には、強引な手を使ってでも回収しようとする過激派もいる程に。


「だから、クロに探させていたんですね」


 都築さんは頷いた。「どういうこと?」と、アイ。


「多分、都築さんのご主人は君と同じaiシリーズなんだよ。だから、そのパーツを見つけたら回収するよう、クロに指示を出していたんだ」

「そうです。どこかに回収されなかったパーツが、落ちているかもしれない……可能性は低いですが、希望を持つことはできました。それが、本当に持ち帰ってくるなんて……」


 ──顛末はこうだ。クロは散歩がてら、aiシリーズのパーツを探していたのだろう。そこに、何らかのトラブルで自動運転のトラックが突っ込み、居合わせたアイがクロをかばった。そして、事故の衝撃で外れたアイの目をクロが発見し、回収したというわけだ。


「……お恥ずかしい話ですが、クロがこれを持ち帰った時、主人が戻ってきたように感じたんです。でも、きれい過ぎる。調べていたら、近所で事故があったと。その時点でご連絡を差し上げるべきだったのですが、決心がつかなくて。それから、公園でお二人をお見かけして、それなのに……回りくどいことをしてしまって、ごめんなさい」


 それからも、都築さんは謝りっぱなしで、その度にアイは「いいんですよ!」と繰り返していた。僕は帰った方がいいと判断し、アイの右目に手を伸ばした。


「じゃあ、僕たちはそろそろ──」

「待って」


 振り返ると、アイがにっこり微笑んでいた。



 ──帰り道。病院までもう少しというところで、僕は口を開いた。


「あれで良かったの?」


 アイは右目を都築さんに託した。都築さんは遠慮したが、アイは譲らなかった。最後には僕を急き立てて、逃げるように家を辞したのだった。


「うん! 必要とされてるって、わかったから」

「……本当に、人が好きなんだなぁ」

「当然よ! 私はそのために作られたんだから!」


 ──人のため。それが、アイの誇りだった。


「じゃあ、僕のことも?」

「もちろん!」


 息が詰まった。──僕は人じゃない。それを、アイは知らない。もう僕のように若い人がいるはずもないのだ。都築さんのようなお年寄りが、最後の世代なのだから。


「ハルはどうなの?」

「……え?」

「私のこと、好き?」


 ──好きに決まっている。こんなにも、純粋に人を愛せる心を持った存在を、愛せないはずがない。だけど、その愛は僕の宿命なのか、心なのか。わからない。だけど──


「好きだよ」

「聞こえなーい」

「好きだって」

「もっとはっきり!」

「大好きだ!」


 ──ドクン。僕はアイを抱き上げ、そっと唇を重ねた。

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