一瞬の風に声を乗せる
佐藤令都
一瞬の風に声を乗せる
オン ユア マーク
スピーカー越しの声で競技場内のざわめきが消える。
バックストレート側の応援席から青色のランニングシューズを探す。
号砲、と同時に各校が一斉に叫ぶ。
インコースに向かって赤いタータンを軽やかに走る姿を発見。
スタートは上々。前から5番目。なかなかいい位置に着いた模様。
──がんばれ
私が一番貴方を応援するから。
今日で最後だから。
「がんばれ」
Tシャツを握る手が既に汗ばんでいた。
***
男子共通3000メートル。
400メートルのトラックを7周と半分。中学生の競技時間は1レース10分以上。周回遅れの選手も毎度数人。
個人的に1番やりたくない競技。
小学校の頃から長距離走が嫌いだった。
なんで彼らは自ら辛い思いを選択するんだろう、ふと思った疑問。いや、ずっと前から答えは知っていた。
明日が私達の引退試合。その日を迎える前にあなたの答えが聞きたかった。
「ねぇ
「それは
「なるほど」
忍は走ることに取り憑かれている。私が幅跳をやめられないのと一緒。
「3年、3年で俺ら記録伸びたよな」
グラウンドの隅で後輩を見やる。
陽炎が揺らぐ向こう側に水撒き用のジョウロで虹を作って遊ぶ姿が見えた。
「私、1年生のほとんど記録無しだった」
走幅跳は一定の記録が無いと計測すらしてもらえない。
「俺、毎回周回遅れだった」
同じトラックを走る以上、トップとの差が大きければ追い抜かれてしまう。
「顧問に記録が出せないんなら種目変えろって会う度に言われてた」
「そっか」
「でも、幅やめなくてよかった」
「俺も走るの嫌いにならなくてよかった」
隣で涼む彼の横顔が眩しかった。
水を被って走り回る後輩に、何を重ねて見ているのだろう。副部長として部員を見守るだけではこんな目はしない。清々しくて、でもずっと悲しそうな……私もきっと同じなんだろうな。
走幅跳の記録はだいたい3メートル20センチから。
それすら跳べなかった1年生。
2年生。憧れた先輩の引退試合で4メートルが跳べた。
3年生。明日で最後。
倒れるまで走ったグラウンドも今日までか。
日向に比べて冷たい砂をザッと蹴る。
「明日、がんばろう」
「「お互いのベストが尽くせるように」」
どちらともなく持ち場に戻る。
「2人揃って1番になろう」は今日も言わない。
自己ベスト、この言葉があなたへの最大限の敬意を込めた激励にあたるでしょう?
「カズサせんぱーい、砂場も水撒きますかー?」
「おねがいしまーす」
2個下の後輩は可愛い。無邪気でいつも元気。私と違って才能も備わっている。
「せんぱい! 泥団子作ってもいいですか??」
「全助走対決、私に勝ったら許してやろう」
満面の笑みで喜ぶ姿も明日で見納め。
もうちょっとだけ続けられたら……良かったんだけど。
私は強くなかったから。上の大会には行けない。
──先輩、貴女はどんな気持ちでしたか?
才能が、強さが、時間が欲しいと貴女は願いましたか。
私の存在が貴女の首を締めていませんでしたか。
自分の「先輩像」が正しいものであるか不安になりませんでしたか。
考えたところで明日が最後。
未だに越えられない先輩の記録。
先輩と私の全助走対決は明日が最後。
──今年こそ勝ちますから。
目の前の後輩に、大人気ないが宣戦布告。悪いけど貴女越しに先輩を見てる。
「明日も勝つから。4メートル40センチ。私は跳ぶよ」
負けられないのは私なりの意地。
「私は4メートル跳びます!!」
ひたすらに無邪気に。貪欲な向上心。
細く長い手足の恵まれた身体。
技術をも凌駕する圧倒的な才能。
「……うらやましい」
ぽつり呟きスタートの合図を出した。
*
ストップウォッチを取りに行くと、
「忍、俺明日の地区で大会新出すから」
「お……おう、がんばれ」
「俺も負けないから! とか無いわけ?」
「堅実が俺のポリシーだからな。冒険はしない」
正直こいつとは争いたくない。頭では理解してる。
唯一同級生のロングスプリンター兼、陸上部の部長。保育園からの幼馴染で、俺が走り始めたきっかけの友人。だが、争うにもスタートは最初から違いすぎた。
「全中の参加標準記録、市内大会で出してたじゃん。そんな人間に勝負を挑むほど俺はバカじゃない」
「やってみなきゃ。わかんないじゃん」
「……そうだな」
無茶言いやがって。
3年間、お前に勝ちたい一心で練習してきたが、差は縮まるどころか開く一方だったじゃないか。
ライバルとして1度だって見てくれやしなかったじゃないか。入部した頃から置いてきぼりは俺ばっか。
「期待してるよ、親友」
力強く肩を叩かれる。
「……お前のそういうとこ、ほんとにズルいと思う」
俺の対抗心は一方通行ではなかったのだろうか?
杞憂かもしらん。最後も本気でやってやろうじゃないか、ううん、もっとまっさらな気持ちで勝負に出よう。
グラウンドの200メートルのコースにつき、ストップウォッチのボタンを押すと同時に地面を蹴る。
土臭い。
埃っぽい。
照り返しの熱が足元を焦がす様だ。
──これも明日まで。グラウンドは今日が最後だ。
いつも走る時は何も考えないんだけどなあ。
上がる呼吸、早くなる足音。
目の前の少年に手を伸ばせばきっと届く。
息を吸って吐いて、軽快なリズムの足音。真っ直ぐの背筋は相変わらずブレない。
──整ったフォーム。惚れ惚れするほど綺麗だ。
コーナーを曲がると少年の姿は遠い存在になっていた。
***
「3000メートルって苦しくない?」
そりゃ苦しいに決まっている。
四捨五入で10分間、孤独に耐えなければいけない。
走ってもアイツに手は届かない。
進んだ先も人、人、人。タイムの差は歴然。
圧倒的な才能の壁。
「超えてみろよ」と賞状の束が嗤う。
息を吸って吐いて7周と半分。
もがいて、足掻いて3年目。
広がるタイム。縮まらない身長差。
苦しい。しんどい。止まりたい。
記録が欲しい。泣かない強さが欲しい。
後ろの足音が近くなる。
──アイツ以外に負けてられっかよ。
目の前の敵よりまずは自分。
力まないで軽やかに。
呼吸は一定に酸素を身体にめぐらせる。
最後くらいキレイな走りがしたい。
目標は大きく、志は高く。
──優、いつかお前に勝つ。
俺は天才にはなれないから。凡人は凡人なりに頑張るから。
「待っていて」は言わない。
俺がお前に追いつくから。
飛ばし過ぎた。陸地で溺れているみたいだ。
高揚感で身体は苦しいのにまだ走り続けたい。
ラスト1周の鐘が鳴る。
いつの間にか先頭を走っていた。
優の残像が目の前でチラつく。
アップの時も彼の背中は見ていなかったのに。
いつの間にか、優の背中越しの景色が、日常になったのだろうか?
たまらなく悔しい。最終レースのお前が青ざめるような結果を出してやろう。
追い越さなきゃ。走らなきゃ。
気持ちだけが前に行く。足の回転が追いつかない。
あと400メートルもないんだよ!!
アイツに勝つんだろ?
負けないって決めたんだろ?
バックストレートに差し掛かる。
「がんばれえええ!!!」
和紗か。声ガラガラになってるじゃん。
「しのぶッ! ラストがんば!!」
身を乗り出して叫ぶ少女が見えた。
──自分の事じゃないのに。なんで君はそうまでして俺を見ててくれるの?
走らなきゃ。こんな俺を応援してくれる人がいる。
自分のためだけの勝利はワガママだ。
応えたい。最後くらいちゃんと。
ベストを尽くした上での1番をきみに。
駆けて翔けて、あの場所へ走って。
赤いタータンが水たまりで乱反射。
足場の悪いコンディションも蒸し暑い嫌な暑さも3年目は慣れた。
息を吸って、地面を蹴って。
私はその場に行けないから。
貴方の努力は計り知れないから。
一生懸命に走る貴方を誰よりも応援したいよ。
声の限りに叫ぶしかないの。
誰より私の声があなたに届いてほしいの。
「がんばれ」の4文字。
競技場を抜ける風よ。私の声を彼まで届けて。
1組目の応援より、はるかに私だけ熱が違う。
コーナーで競り合いがあるわけでも、ラストスパートでゴボウ抜きがあるわけでもない。
1つ前の白熱したレースに比べて面白みに欠ける。
馬鹿みたい。あぁ、きっと馬鹿なんだよ。
全中選手を応援するのはわかる。
主将のために声を枯らすのもわかる。
そのためにつまらないレースの声量を下げる心理も。
なんで毎回私は貴方のために喉を潰すの?
叫ぶ度にヒリヒリと焼けるような痛みが増す。
大きく吸っても、良く通るいつもの声は空に霧散。
がんばれ。がんばれ。
掴んだ手すりから身体が転げそう。
がんばれ。がんばれ。
走っていないのに身体が汗ばむ。
がんばれ。がんばれ。
励ましの言葉は、きっと貴方は聞こえていないでしょう。
一歩一歩大きくなる
貴方の努力は無意味じゃない。才能だけが全てじゃないよ。
がんばれ。がんばれ。
誰よりも信じてる。
苦しくても笑って夏に終止符を打とう。
がんばれ、忍。
そろそろ周りに私の声が掻き消されてしまう。
あと少し。駆けて、走って、ラストがんば。
結局最後まで願うばかり。貴方を此処で想うだけ。
胸が熱い。喉も目頭も今までで一番熱に浮かされている。
今日ばかりは仕方無い。私達は後がない。
「しのぶッ!! がんばぁああああ゛!!!」
一瞬の風に乗ってこの声が届くようにと空に叫んだ。
一瞬の風に声を乗せる 佐藤令都 @soosoo
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