三回死にかけたら魔王(仮)が口説いてくるんですけど

彼方

三回死にかけたら魔王(仮)が口説いてくるんですけど

 快速、と書かれた電車が迫ってくる。

 やけに間延びした時間の中で、玲奈はこれが三度目の正直なのか二度あることは三度あるなのか、どっちだろうと呑気に考えていた。

 玲奈はこちらの世界―――現代日本だ―――で死に直面すると、異世界に飛ぶ。そこで一人の男の子を助けるために死にかける。それも日本で負うはずだっただろう傷と同じものを負って。どっちにしろ死にかけるなら、一人で死にかけるよりも綺麗な男の子を助ける方がいい。

 そうして彼を守ると、こちらの世界に戻っている。

 これは三回目の死にかけ事案だ。酔っ払いに押し出されるようにして落ちた線路で電車に轢かれるくらいなら、あの子を助けたいなぁとぼんやり玲奈は考えていた。





「フリッツ!!」


 覚えのある感覚に一度強く目を瞑って開くと、玲奈の前には懐かしい人物がいた。記憶にある中より随分大人びた彼が元気に成長している事が嬉しくて、思わず教えてもらった愛称を呼びながら駆け出そうとした時だった。

 高い石造りの天井が音もなく切り出され、何の抵抗もなく落ちてくる。それを目にした瞬間、親愛を込めて呼ぼうとしていた声を鋭く変えて玲奈は駆け出した。驚いたように振り向く男を力いっぱい突き飛ばす。

 直後、玲奈は轟音と共に巨大な石に押しつぶされた。







 たった一人しか呼ばない筈の愛称が、その恋焦がれた人の声で鋭く響いた。それにフレデリックは酷い恐怖と、どうしようもない愛おしさに身を震わせる。

 レーナはフレデリックが死にかける事態に遭遇すると現れる。既に二度、彼女には命を救われていた。幼い頃、錯乱した継母に刺されそうになった時と、十代半ばの魔獣に襲われた時。どちらとも、魔王なのではと恐れられるフレデリックがどうしようもないような不意打ち。レーナが作ってくれた隙を使って今まで生き延びてきた。

 レーナがフレデリックの身代わりになるまで、どの位の時間があるかはまちまちだ。対策をできる位には長いと良い、そう思いながら振りむけば強い衝撃。

 不意打ちにたたらを踏みながら見たのは、大きな石に押しつぶされていくレーナの姿だった。


「レー……ナ……?」


 呆然としゃがみ込めば、足元に血が溢れてくる。今度こそレーナが死んでしまったかもしれない。それほど凄い轟音だった。

 どれだけ心配しても、フレデリックがレーナの先を知る事は出来ない。彼女はフレデリックを庇うと、溢れた血痕だけを残し消えてしまう。その血痕すら、しばらくすると霞のように消えていく。

 段々と落ち着いていく土埃の中、動揺からくる酷い吐き気に震えているとありえないものが見えた。砕けた石に埋もれるように、白く汚れた黒髪が散乱している。

 まだ、レーナはそこにいた。


「レーナ! レーナ! しっかりしろ!」


 状況を理解したフレデリックは、すぐさまレーナに駆け寄った。細かい事を考えている暇はない。半ば本能で魔力を振るい、瓦礫を吹き飛ばす。

 うつ伏せに倒れたレーナは酷い状態だった。かろうじて体のパーツがちぎれ飛んではいないようだが、骨が肉を突き破りひしゃげている。それでもまだ、魂がどこかにいく様をフレデリックは目にしていない。だからありったけの力を込めて、レーナを修復する。


「レーナ、死ぬな……俺が治すから……! 頼む!」


 フレデリックはひたすら祈った。魂がまだここにいるように。酷い痛みに苦しまないように。この体が綺麗に治るように。もうこんな理不尽に巻き込まれなくて済むように。そして願わくば龍のように強い鼓動を隣で刻んでほしい。

 はらはらと、レーナの上に水滴が散る。気付けば涙を流しながら力を行使していた。どうしようもなく心が痛い。毎回こんな風に彼女が傷ついていたなんて、知っておきたかったが、知りたくなかった。辛くて、苦しくて、間に合ってほしいと酷く焦る。

 ぼろぼろと零れていく涙を拭う事もなく、レーナの体が原型を取り戻してもフレデリックは力を使い続けた。ずたずたに裂けた上着から覗く背が、血色を取り戻して見えるようになったころ、ようやくレーナの体を抱えて仰向けにする。意識のない彼女が静かに息をしているのを確認すると、糸が切れたように倒れ伏した。







 白銀の髪をした綺麗な男の子が、どこか拗ねたように眉を寄せている。


「フリッツって呼んで。レーナはそう約束してくれるんだから」

「ええと、二回目の話?」

「そうだよ。レーナにとっては二回目で、俺にとっては一回目」


 そう言うと少年は、困ったように笑った。


「会いたかったけど会いたくなかったよ、レーナ」




 夢から覚めるような心地と共に、焼けるような激痛が玲奈を襲う。全身をひき潰されるような痛みに、意識が遠のいていく。酷く焦った懐かしい声を聞いた気がした。




 大きな目を目一杯開いて、男の子は驚いていた。


「ともだち?」

「そう、仲良しになろ?」


 にっこりと笑って言ったつもりだったが、男の子は大きな瞳を潤ませていく。焦ってどうしたのか聞けば、ぐっと涙を堪えて答えてくれた。


「なかよしも、ともだちも、どうするのかしらない」


 あまりの切なさに、目が潤んだ。二人して涙を浮かべて見つめ合う。それでもこんなに幼い子供が泣くのを我慢しているのだと、無理やりわらってみせた。


「じゃあ手始めに、呼び名から。みんな私の事を苗字……ええと、中川さんって呼ぶんだけど。特別に玲奈って呼んで欲しいな」

「レーナ?」

「レイナだよ」

「レーナ」

「最高に可愛いからそれで良い、いやそれが良いわ」


 舌ったらずな発音が、可愛くて可愛くてたまらなかった。


「レーナ、レーナ。ぼくもトクベツがいい。フレデリックじゃいやだ」

「そうだね、じゃあフリッツって呼んで良い?」


 記憶にある成長した彼を思い出しながら、そう提案すればこてんと傾げられる首。ふわりと柔らかそうな髪の毛が揺れた。


「フリッツ?」

「そ、親愛……仲良しだよって気持ちをいっぱい込めた愛称だよ」

「いっぱい……じゃあそれがいい!」

「わかった。それなら私はレーナ、君はフリッツね。仲良くしよう、約束だよ」


 返ってきたのは弾けるような満面の笑みだった。




 また意識が浮上する。痛みは随分引いていたが、ぞわぞわと身体中に奇妙な感覚が走っていく。体験したことのない感覚だった。それともう一つ。妙な感覚が走るたびに、パチリパチリと何かがハマっていく。

 ああ、この世界に自分が根を張っているんだ。そう玲奈は感覚的に理解した。こちらに来る度、地面から数ミリ浮いているような感覚があったが、それがじわじわとなくなっていく。

 もう二度と元の世界に戻る事はないんだ、と思うと一抹の寂しさがあった。それでも必死に祈る声と暖かくも強大な力の奔流に、こうならなければ死んでいた事がわかる。

 世界が変わる反動か、急激に体が治癒する反動か。とにかく眠たくて、必死な声に返事をしたいのにできないのがもどかしい。次に起きて、あの空色の瞳を見たらただいまと言おう。そんな事を考えた。

 そうして玲奈はレーナになった。




 どの位眠っていたのだろうか。まるで体がもう大丈夫だから、と語り掛けるようにすっきりとした目覚めだった。

 パチリと目を開けば、妙な穴の開いた天井。穴にはまとわりつくような魔力の残滓が見えた。


「なんだろ、あれ」


 嫌な雰囲気を感じて、上体を起こしながらレーナは穴へと手をかざす。


「時限式……かなりの間巧妙に隠してあった? ふぅん」


 知りたい、と自分の魔力を伸ばせば、手に取る様に掛けられていた魔法の中身が分かる。どういうわけか、自分の力の使い方はなんとなく理解していた。それがフレデリックの本心から願いを込めて、全力で強大な力を振るった結果だという事も。

 天井から床に視線を巡らせれば、そのフレデリックが自分の脇に倒れ伏していた。意識を失ってから、多少は寝やすい格好に寝返りをうったのか胎児のように丸まっている。それでもその右手をレーナへと伸ばしている事に、心配させたんだなと分かる。レーナは思わず手を伸ばして頭を撫でていた。


「ありがと。それから心配かけてごめんね」


 幼い頃と変わらず綺麗な白銀の髪は砂ぼこりで多少ごわごわしたが、張りのあるつややかな感触に変わっていた。それに思わず笑みを零す。彼が無事に成長していたことが嬉しい。

 それからレーナは胡坐をかいて座りなおす。どうやら日本にいた時とは大分変わったらしい体の事を把握するために、身の内に眠る力に意識を巡らせた。

 なんだって出来そうなほど強い魔力。その使い方はさっき試したように、なんとなく分かる。よくよく意識を巡らせれば、随分と根っこの方でフレデリックと繋がっていた。そう望んでフレデリックが力を使ったのか、ほぼ死んでいたレーナを繋ぎとめるにはそれしかなかったのか分からない。けれどなんとなく、そう望んでくれていたらいいなとレーナは思った。

 体の方はかなり規格外な事になっているような気がした。さっき死にかけた程度の事故では、大した事にならなさそうな程に。それもこれも元気よく拍動している心臓が強力に支えているらしい。少しばかりゆっくり脈打っている気はするが、ただの人間だった時とは全く違う。


 フレデリックはその強大な力から魔王になるのでは、と言われていたが多分これは自分もだなと納得する。

 この世界ではある程度の周期を置いて、非常に力の強い人間が生まれる。それも大体二人。時折三人いる事もあるらしいが、それは大体勇者と魔王として歴史に名前を残していると言うのはフレデリックに教えてもらっていた。


「でもなぁ、別にめっちゃ強いだけだなコレ」


 レーナが静かに思考に身を浸しても、物語などでよくある魔王っぽい不穏な考えは浮かんでこない。悪しき何かを引き寄せるような事も、逆に光の力のようなものを感じる事もない。恐ろしく強いだけだ。

 ただ、なんとなくフレデリックが居ないと安定しないんだろうなという事だけは分かった。距離的に近いからか、お互いに悪しからず思っているからか、理由は分からないがレーナとフレデリックが揃っていれば暴走するような事はなさそうだ。

 きっとフレデリックもレーナも、どちらも魔王にも勇者にもなれる。考えたくはないが、決定的に仲たがいするような事があれば世界を巻き込んだ戦いだってできるだろう。

 これは、勇者も魔王も環境が作ったんじゃないのか、とレーナが思った所で唐突に周囲の魔力が揺れた。フレデリックは集中すれば魂が見えると言っていたが、レーナはどうやら魔力が見えるらしい。今いる建物を囲んで壁のように立ち上っている魔力の内に、複数の魔力が見えた。

 自分に何かできる事などなさそうな魔力の大きさばかりで、レーナが恐怖を感じる事はない。だが、目の前でか細い魔力を揺らして消耗しているフレデリックを思えば、しっかり警戒をしておくべきだろう。なによりフレデリックを狙って妙な仕掛けを作動させた直後である。フレデリックに聞いていた話と僅かではあるが見てきた状況から、どう好意的に考えても敵か敵対する側に近い者のはずだ。

 フレデリックから意識を逸らせるにはどうしたらいいかな、と少し考える。フレデリック以上に魔王らしい何かがいれば、少しはましかもしれない。

 レーナは今まで読んできた小説の中身を思い出し、できるだけ尊大に見えるように足を組んで少し浮いて待ち構えてみた。


 周囲を警戒しながら現れたのは、まさかの顔見知りだった。


「あれ、もしかして屑野郎のゲーベルス?」

「貴様……! あの時の女か!」


 レーナにとっては一度目の転移、フレデリックを魔物のスタンピードにぶち込んだ時に居たくそったれ魔法使い。そして魔力が目に見えるようになって分かったが、今回の罠を仕掛けたのと同じ魔力をしている男。

 こいつは敵だな、と即座にレーナは判断した。


「やだ、何しに来たの。あんたの顔なんか二度と見たくなかったんだけど」

「ゲーベルス様になんという口を!」

「黙って魔王候補を渡せ!」


 騒ぎ立てる取り巻きが、酷く耳障りだ。前からフレデリックは魔王候補と虐げられ命を狙われていたが、何も変わっていないらしい。

 たった二回、それも短い間しか過ごしていないがレーナはフレデリックが好きだ。まだ恋でも愛でもないが、こんな屑どもよりよっぽど好ましい。なにより幼い子供を虐げる屑野郎に向ける慈悲の心なんてレーナにはない。

 幸い強大な力も手に入れた。ちょっとくらい調子に乗っても良いだろう。


「口の利き方がなってないのはそっちでしょ」

「貴様!!」

「良いからその死体を渡せ!」

「バカで愚かとか救えなくない?」


 話にならない、とレーナは取り巻きを無視する事に決める。最初に発言したきり黙ったままのゲーベルスに目を合わせ、芝居がかった動作で右手を掲げるとそっとフレデリックを浮かせて引き寄せる。

 見せつけるように膝に乗せ、横抱きにする。すこしばかり恥ずかしかったが、出来る限り悪役に見えるよう気合を入れる。お願いだから今は起きないで、と思いながら。


「何度も私が守ってきたの。死ぬわけないじゃん。眠ってるだけ」

「クソッ」

「だが今なら俺たちでも殺せる筈」

「あー、もうバカばっかり。うるさいから黙って」


 魔法を使う必要なんてなかった。苛立ちをそのまま纏う魔力に乗せれば、その威圧感にやられたのか取り巻きたちが黙りこむ。


「ねぇ、ゲーベルス。私、知ってるんだ」

「な、にを」

「ここであんたがフレデリックを殺そうとした事」


 まぁ助けたけど、と笑って見せれば盛大にゲーベルスの眉間にしわが寄る。


「貴様が……貴様が魔王なのか?」


 悔しそうに絞り出された声に、レーナはぱちりと一つまばたきをする。どうやらゲーベルスにはレーナの力の大きさが理解できたらしい。常に偉そうな男だったが、なるほど多少の頭と実力はあったという事だ。

 狙い通りに行くならこれほど嬉しい事もない。ただの馬鹿ばかりでなくて良かった。


「そう思いたいならそれで良いよ。でももしそうなら、あんた本当にバカだったって分かるでしょ」


 ぎりぎりと音がしそうなほど、ゲーベルスが歯を食いしばっているのが分かる。


「もし私が魔王なら、フレデリックが勇者じゃない?」

「そんな訳があるか!」

「はぁ?」

「そいつは不義の子、不吉の色、生まれた時から王宮を騒がせる厄災だ!」


 レーナは呆れて一つ息を付く。もう名実ともに魔王になって、こういうやつらに鉄槌を下しても良い気がしてきた。


「不義を犯したのは親でしょ」

「それでもそいつの存在が国を揺らしたのは確かだ!」

「違うね。小さい時から知ってるけど、フレデリックは優しくて良い子だった。力は確かに不安定だったみたいだけど、必要以上に恐れたのはあんた達」


 今のレーナにははっきりわかる。どういう訳か、フレデリックの対になる存在であるレーナが別の世界にいた為に、今の今までこの強大な力をきっちり制御することが出来なかったのだ。

 それでも自分の力を自覚していたフレデリックは、幼い頃からどうにか制御しようと頑張っていた。


「でももう、フレデリックの力は暴走しない。そうでなくてもフレデリックは、誰も傷つかないように頑張ってたけど」

「……何が言いたい」


 意味深に視線をやれば、ゲーベルスが一歩下がる。


「私はあんた達の事が嫌い。苦しんだり、酷い事になっても、まぁ仕方ないんじゃない? って思う程度には」

「貴様!!」

「頭が高いよ、屑野郎」


 手を翻して、取り巻き共々膝を付かせる。小説や映画で知っている悪役らしく出来て、レーナはなんだか笑えて来た。調子に乗ってしまう。


「今は見逃してあげる。帰って私のところにフレデリックがいる意味を、その足りない頭でゆっくり考えなさい」


 そう言ってレーナは魔法を紡ぐ。するりと魔力が陣を形作ると、淡い輝きを残して侵入者達が消えていく。このあたりの地理など分からないが、別に傷つけたわけでもなしまぁどうにかなるだろうと息をつく。

 ふふっと漏れだすような笑い声が響いた。


「やだ、フリッツいつから起きてたの!?」


 カッとレーナの顔が真っ赤に染まる。レーナから顔を背けるようにして、フレデリックが肩を震わせていた。


「くくっ……いや、ごめん、うるさいから黙ってあたりかな」

「わあああ!! 結構起きてたじゃん!!」

「魔法で俺を動かしただろ? 多分それでちょっと回復した」

「ひっそり! 教えるとか! あったじゃん!!」

「ごめんって」


 ノリノリで悪役ムーブをかましていたのをずっと知られていた。フレデリックが寝ているからと調子に乗っていたのに、とレーナは真っ赤な顔で眉を寄せる。恥ずかしさが尋常ではなかった。

 不貞腐れたレーナの機嫌を取ろうと、フレデリックが体を起こして膝から降りようとするがずるりと力が抜けてしまう。レーナは慌てて地面に降り立ち、膝の上に頭を乗せて顔を覗き込んだ。

 きっと調子が悪いだろうに、そんな事を感じさせない笑みを浮かべるフレデリックにレーナは目を見開く。


「死ななくて良かった、レーナ」


 柔らかく細められた目尻に、少し下がった眉。真綿のように優しい声が、心底安心したと伝えてくる。いつも助けるだけ助けて、消えてしまった後にどれだけ心配をかけたのかレーナも心で理解する。

 思わず滲んだ涙を気合でこらえて、無理やり口角をあげて微笑んだ。


「フリッツも。おっきくなったね」

「そうだな。もうレーナより大きいかな」


 ゆっくりとフレデリックが右手を持ち上げる。その手のひらを掴んでみれば、レーナの手が包み込まれる程に大きい。一度目は殆ど同じ目線、二度目はすっぽり抱きしめてしまえるほど幼かった。それを考えれば随分とすくすく成長したものである。

 骨ばった手は、ちゃんと大人の男の手だった。


「ほんとだ。もう弟みたいなんて言えないや」

「兄になるつもりもないよ」

「そうなの? 残念」


 冗談めかして拗ねたように言ってやれば、フレデリックが困ったように笑う。


「そうだよ。恋人狙いだから」


 淡い恋心のような、憧れのようなものを少年のフレデリックに向けられていたことはなんとなく知っていた。だからと言ってこんなにさらっとそれを伝えてくるなんて、思ってもいなかったレーナは言葉もなく目を見張る。

 あまりにも唐突で、恥ずかしさよりも驚きが勝っていた。凄く大人になってる、なんてぼやっと考えていれば、どこか悲しそうに視線を外される。


「ずっと……ずっと次こそ助けるって思ってたのに。また俺はレーナに守られて。情けなくてそんな事請えないけど」


 悔しそうな声音と合わない目線が寂しい。


「なんかやだ、寂しい」


 レーナが思わず口に出せば、今度はフレデリックが驚いたように瞬く。え、だか、は、だかよくわからない声にもならない音が喉から鳴っていた。


「さ、みしい?」

「そりゃ、そうじゃない? まだ、その、恋、までいかないと思うけど、フリッツの事嫌いじゃないのに。なんで告白される前に諦めるみたいな話になるの」

「嫌いじゃない……」

「そうだよ! 現在進行形で膝枕してんじゃん!」


 言い募る内にまた頬に熱が溜まっていくレーナ。呆けたようにそれを眺めていたフレデリックの耳も赤くなっていく。


「あ、諦めるつもりなんてない!」

「うぇえ?! あ、えと、そう、そうなの?」

「当たり前だ! 何年好きだと思ってる!」

「うわぁああああああ!! まって恥ずかしい!」

「レーナが始めたんだろ!」


 羞恥と動揺と、急に叫んだ反動で二人して息を切らして見つめ合う。お互い真っ赤な顔をして、あまりにも恥ずかしい。どちらからともなく視線を外して頭を抱えていた。

 先に立ち直ったのはレーナだった。何年も本人不在で温め続けた恋心を暴露してしまったフレデリックの事を考えれば、当然だったのかもしれない。片手で目の上を抑えて一人反省会に勤しんでいるらしいフレデリックに視線を戻すと、なんだか可愛く見えてくる。自然とレーナは笑っていた。


「フリッツ、フリッツ」


 肩を叩いて呼びかければ、渋々手をずらして視線を合わせてくれる。まだ恥ずかしいのかなんだか睨むような視線だったが。

 だからレーナは意識してにっこりと笑いかける。


「あのね、ただいま」


 それは二人だけの約束の言葉。もしもレーナが帰れなくなったら、とフレデリックに問われた時。しばらく考えたレーナは、それならここが帰る場所になるんだねと笑った。

 フレデリックはきちんと約束を覚えていたらしい。聞いた瞬間に泣き出しそうな、それでいて嬉しそうな顔をしてレーナを抱きしめた。


「おかえり……おかえり、レーナッ!」


 体に力を入れられたのはその一瞬だったようで、抱きしめた腕だけをそのままに体重を掛けてくるフレデリック。レーナはそれを支えながら、仕方ないなぁと背中に手を回した。







「今日一日で一生分の情けなさを発揮した気がする」


 しばらくレーナに抱きしめられて、力を融通してもらいフレデリックも動けるようになっていた。適当に瓦礫を積み上げて座り込み、ある程度の情報交換も終わっている。その上での感想がそれだった。


「そんなわけないじゃん、まだまだ先は長いぞ」


 けらけらと笑いながら言うレーナがなんだか少し憎らしい。初恋で、何年会えなくても想い続けた相手に、これ以上情けない所は見せたくない男のプライドは理解出来ないんだろうな、とフレデリックはため息を付いた。

 それでも自然に未来を感じさせるレーナの言葉が、心をささくれ立たせたままにしてくれない。


「そうだな、そうだと良いな」

「なんでそんな自信ないの?」

「……魔王だと、追われるのはなくならないだろうから」


 ゲーベルスとレーナのやり取りを思い出すと、どうしても申し訳なくなる。レーナが一人だったなら、フレデリックが魔王になる事で勇者にでも聖女にでもなれた筈なのに。


「あ、それ。フリッツはどっちになりたい? どっちにもならないって選択肢もあると思うんだけど」

「え?」


 思わずレーナを見れば、どうという事もなさそうに首を傾げていた。レーナの言いたいことが分からない。


「いや、ほら。こっちの歴史知らないから他の魔王とかはわかんないけど。うちら滅茶苦茶な力はあっても、世界を破滅させてやろうぞ! とか、闇の力が…! とかそう言うのはないじゃん」


 芝居がかった調子で身振りまで添えるレーナに思わず声をあげて笑ってしまう。大体、闇の力とは何のことだ。


「レーナの魔王像ってそんな感じなのか?」

「滅茶苦茶笑ってるけど、私の世界の物語ではそう言うのいるんですぅ」


 ぶすっと音が立ちそうなほど拗ねたレーナが顔を背ける。拗ねた顔も可愛いが、視線を逸らされるのは頂けない。また真っすぐ向き合って話せる日を何年も待っていたのだ。

 手を伸ばして機嫌を取る様に頭を撫でれば、不機嫌そうにしながらもフレデリックを見てくれる。話を戻せとばかりに顎をしゃくってくるのはきっと照れ隠しなのだろう。


「ごめんごめん。俺が調べた歴史だと、復讐だったり力に溺れたりって感じだったから。あまりにも意外で」

「……いいよ、許すけど」


 耳を赤くしたまま憮然と言うレーナに、どうしても笑みが零れてしまう。


「けど?」

「それならやっぱり、どっちだって選べるじゃん。魔王って呼ばれたくないなら、お互いに止められるよ。勇者、になれるかはわかんないけど、この国出て行って良い事いっぱいしたら誰も魔王なんて呼べないでしょ」


 ぱっと目の前が開けたようだった。生まれてからずっと、お前はいつか魔王になると虐げられ続けてきたフレデリックにはない発想だった。感情の高ぶりや咄嗟の出来事で暴走して、破壊をもたらす事もあったから余計に。

 しかし今はレーナがいる。意識しなくても力は安定し、レーナさえいれば暴走なんてあり得ないと思える。なるほど確かに歴史で魔王と呼ばれるような所業をしないでいる事も出来そうだ。


「それとも、フリッツは復讐したい?」


 言葉の出なかったフレデリックをどう思ったのか、ふいにレーナが聞いてくる。それが急に不安を煽って、思わず意地の悪い質問が口をついて出た。


「したいって言ったら、レーナは俺を嫌う?」


 きょとんとレーナが動きを止める。口まで半開きでフレデリックを見つめて、ようやくなんで? と疑問を口にした。


「上手く言えないけど、それは優しい行動じゃないから」

「え、命狙ってきた相手に優しくする必要ある?」


 心底わからない、と言いたげに首を傾げる。今度はフレデリックがきょとんとする番だった。


「むしろ私あいつら嫌いだから、どうでも良いかな。殺せって言われたら、うぅんどうだろ……上手く想像できない、怖いかな……でも刃物持って襲ってきたら死に物狂いで反撃するしな……」


 一人でレーナが唸り始める。妙に物騒な話をしているが、そう言えばレーナはナイフで切りつけられる経験をしていた。


「まさか一回目の時の話?」

「そうそう。あっちの世界では、空き巣に出会っちゃって。てんぱったのか包丁で切りかかってきたから、フライパンで思いっきり頭ぶん殴って。結局どっちも死にかけたの」


 さっきとは違う意味でフレデリックは絶句した。目覚めてなかったとはいえ、自分と対の存在であればそんな事もできる気はするが、自分より血の気が多いかもしれない。


「こっちで刺されて戻ったでしょ? だから変に心構え出来ちゃったみたいで、妙にいい狙いで当たっちゃって」

「うん、うん。大丈夫。凄くアホな事聞いたなって事はよくわかったから」

「そう? っていうか、そうだ。フリッツ私とゲーベルスの会話聞いてたじゃん!」


 やいやいと盛り上がるレーナはさておき、フレデリックは仏もかくやという達観した笑みを貼り付けていた。会わずに恋をしていた期間が長かったからか、勝手に優しい人が好きなんて言い出すような気がしていた。

 でもそれは美化ではない。どちらかというと、劣化させていた。最初からレーナはフレデリックという人間が好ましいと言ってくれていたのだから。そして出会った時から魔王をかっこいいと言うような人間だった。


「めっちゃ脱線したけど、結局フリッツは派手に復讐したいの? 魔王になる? 勇者目指しちゃう? それとも隠居生活する?」


 改めてレーナを見れば、なんにも考えていなさそうな顔でフレデリックを覗き込んでいた。かなわないなぁ、と苦笑が零れる。


「どうしようか」

「お、一時保留かな? いいよ、のんびりするのもアリだよね」

「そうだなぁ」


 一時保留。また新しい選択肢だった。少し視線を彷徨わせてフレデリックは考える。未来、やりたいこと。どうしたいか。


「今はレーナを口説いてたいな」

「へぁ!?」


 ぽろっと意図せず零れた願望に、ひっくり返った声が返ってくる。また真っ赤になったレーナが激しく視線を彷徨わせて、いかにも動揺していますと全身で表しているのが可愛くてたまらない。

 やっと会えたのだから、と逃げられないように目の前に移動してしゃがみ込む。俯いて居たレーナは往生際悪く、両手で顔を隠してしまう。だからフレデリックは両手を取って、更に追い詰めていく。


「俺が引いたらレーナは寂しいんでしょ?」

「や、そう、言ったけどさぁ……!」

「それに嫌いじゃないって」

「うぅぅ……」

「嫌いじゃないってことは、俺の事好き?」

「はぁあああ!?」

「好きじゃないなら嫌いなの?」


 狙ってしょんぼりとした表情を作れば、わなわなとレーナの唇が震えていた。可哀そうなくらい真っ赤になった顔に、フレデリックがやりすぎたと思った時にはもう遅かった。

 ぐっと腕を振り払われるのと同時に、レーナの怒鳴るような声が響く。


「好きだよこの大馬鹿魔王!!!!」

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