七幕 世怪はあなた様のためにじゃない 5
表面上、ひと目見たら映画館としか思えない施設の前までに、護は到着して、どうしようもないほどの気味の悪さを感じた。四人を置いての一足先の到着で、一人で施設と対峙する。
「……気味が悪い」
護は顰め、こぼす。
改めて施設の外観を見直してみても、映画館にしか見えない。施設の照明は落とされている。入場口周辺に、八定ショッピングモールが運営されていた頃では存在しない、広告を流すのであろう電子モニターが設置された、現代的な巨大映画館。
入場口の前には「閉館中」との立札が置かれている。懐中電灯の明かりで中の様子が見破れる限り、映画館としか見えない。またそこから、ポップコーンの匂いが確かにしてくる。
――これが、『たまむし映画館』で間違いないだろう。
護は入場口を見上げる。入場口の上で『たまむし映画館』と色褪せのない文字が並べてで、己を名乗っている。
ふざけていると苛つき、護が舌打ちを返してやった時、横からアルマの呼び声がした。
「護さん。危険がある、っていうのに、ひとりですたすたと」アルマが紫雨の手を引いて、先頭となって慎重な足取りでやってきた。見るからに護を不愉快そうに見て、「どうなっても、知りませんよ」
「別にどうなってもいいのですけど」
護はさらりと返す。
「そう、ですか」
アルマから呆れられる目を寄越され、護は呆れられるのも致し方ないとは理解するため、心情に動ずることはなかった。
「どうなってもいい訳ないですから」
紫雨が声をあげ否定し、護の傍に駆け寄り、健気に身を案じてくる。やはり彼女は可愛い、可愛さ故に、彼女を心配させるのを控えたほうがいいのかと心を動かされそうになる。照れ恥ずかしくもなり、護は突っぱねたくもなる。
――こんな俺を心配してくれ、ありがとう。
護はたまむし映画館のほうへ見て、小声でもらす。
「えっと。何ですか?」
紫雨が瞬き、首を傾げる。
「護君。どうなってもいい訳ない。君は自分を大切にすることを学んだほうがいい」
高佐からのお叱りがきて、良かったと思った。護は紫雨から逃げるために目を逸らし、高佐へ向く。お叱りを聞き入れ、反省の弁を述べる気はさらさらにない。場を繋ぐために、軽く頷いた。
高佐はため息っぽいものを吐いて、来た路の方を睨む。
「あのさ。ここに辿り着くまで、ずっと俺たちをつけている感じがしていた。ついてくる足音も聞こえていた」
やはりか、と護は驚かなかった。腕を組み、来た路を見る。闇が覆っている路へ懐中電灯を翳す。隠れ場所が至るところにある家具店並ぶ路だ。
「ついてくるのは、ひとり? それとも複数で?」
「たぶん、ひとりだと思うね。音だけでひとりだと断言はできない。……足音が聞こえたり、聞こえなかったりで、複数の可能性もある」
「なるほど。相手は複数いるので間違いないのだから、複数の可能性はありますね」
「わたし、ここまで歩いてくる最中、足音聞こえなかったけど、後ろからとか……どこかから見られている感じしました。複数でつけていると思う」
アルマが訴えかけてきた。
「――相手は複数」
護と高佐は声が合わさる。
「さて。どうしようかね」いって、高佐は来た路へ視線を逸らさないまま、煙草を吹かしだす。「複数の相手があの先のどこかで潜んでいるとして、これからその映画館内へみんなで入り、調べに行くかどうか」
「みんなでこの映画館へ入るのは得策じゃないですよ。この映画館は、一見して映画館にしか見えない。だけど映画館じゃない、何かがある可能性もある。――そう、罠とか」
「罠か。罠がある、と俺も考えられるね」
「もし全員で映画館に入ったら、潜んでいる奴らの手によって閉じ込められる可能性もある。俺は、あの中には非常口……ここから抜け出せる出口はないと思うので」
「だから調べないというのかい? 俺は非常口があると思うっ」
青ざめた角井が声をあげ、護にひと差し指を突き立てて詰め寄ってきた。胸倉でも掴んできそうな勢い。黒目が動揺して落ち着きなく動く。
「調べないなんていっていない。非常口はないと思うけど、事件に関するものを探るために調べる必要性はある」
「非常口はある。ないなんて……そんなことない。ここはショッピングモールなのだから。……いや、モールだったので」
あんた、平静さを失っているな、と、護は口から出かけそうになる。だが、口にしたら、厄介に思えた。
角井が頭を抱え、首をすくめて震え、「ここはおかしい。どうかしている」と小声で繰り返す。角井の傍に、困り顔の高佐が寄る。
「角井さん。落ち着いてください」
高佐がいくら宥めても、角井の耳にも届かない様子。角井の影響によって、紫雨、アルマが戸惑いだす。彼らを横目づかい、護はため息がでた。
「全員で映画館を調べに行くのは得策じゃないので、何人かが中に入って調べに行きますか?」
落ち着きのない空気の中、護は試しにでの意向を伺った。誰からも回答がもらえない。また、ため息がでた。
「俺がひとりで調べに行ってきます」
護がいい放つと、一斉に四人から注目された。
「護君。ひとりで行くって……」高佐が口ごもる。
「ここで残り、閉じ込められるのを防げられる人間は、俺か、高佐さんだ。それで映画館へ調べに行くとしたら、それもまた俺か、高佐さんだ。俺はここに残って怯えている人間と一緒にいるのは御免です。かといって、誰かを連れて映画館へ調べに行くのも、御免です」
「うん。なるほど。だけど、ひとりは危険だ」
「この今の状態からして、俺以外に映画館へ調べに行ける者は誰もいないと思いますけど」
四人からの引き留めが始まった。高佐以外の他は映画館へ行くことを拒む。数分も経たずに、「お話にならない」と護は判断に至って、たまむし映画館へ足を踏みだす。
「護君。待ちなさい」
「埒が明かない。ここで、もたもたしている方が危険だ」
背中からの高佐の呼びとめに、護は心の中で中指を立てながら返した。誰からも反論なく、たまむし映画館へ闊歩する。
(……俺は怖くない。四年前のあの時から、俺なんかもうどうなっても構わないんだ)
護は自分にいい聞かす。ポップコーンの匂いで、足が怖気づいてきそうになるのを感じてくる。不快極まりない。
たまむし映画館へ立ち入ってすぐ足をとめ、辺りの様子を伺う。壁に飾られる最新映画の広告ポスター、チケット売り場、種類豊富なポップコーンが用意された飲食販売スタンドとあり、映画館としか思えない。――しかも今が閉館中の。
「足をとめてどうしたの? 大丈夫?」
後ろから四人が護に対して心配の声を掛けてくるのが聞こえる。手にする懐中電灯の光により、こちらが足をとめたと動きを把握できたのだろう、と察する。
(見張っているやつらがいたら……)護は手にする懐中電動へ視線をやる。乳白色の強い光を放っている。(俺がやつらから遠くにいても、近くにいても、どんなに身を潜めていても意味のないことだ。俺が灯りに頼っている限り、この灯りの動きから、俺の動きも分かってしまうのだ)
護は周囲に気を配りながら、施設の中を歩きだす。飲食販売スタンドを横切れば、そこから美味な匂いがし、ついさっき作られたようなポップコーン、ホットドック、ポテトチップスが大型の透明ケースに収容されているのが見える。古さを感じさせない、清掃が行き届いた近代的な鮮やかな内装の施設。人がいるという気配はない。
――理解困難なことが起こっている世界にいる。
脳から身体へ恐怖を伝達してきて、護は鳥肌たつ。
ぱっと見ていく感じに非常口を示す案内はない。護からして、映画館にはいたるところに非常口のあるところを示す案内があるイメージがあることから、この点は普通の映画館らしさを感じさせない。施設に入ってすぐ横にある壁に備わる案内から、この地点から奥進んだところには映画を上演する劇場が十一つ備わっていると知れ、劇場をひとつ一つ見ていくことにする。
十一つの劇場が集うとする奥へ差し掛かった時だった。護は足を反射的にとめた。
十一つの観音開きの扉が横に並ぶ、赤い絨毯が引かれた通路が始まる手前で置かれる、天井に当たりそうなほど高さある観賞植物の横で人間が潜んでいる。そいつは、鶏冠を生やし、ずんぐりむっくりとした異形な輪郭。大きな体であるにも関わらず、まぬけっぽく、またわざとな感じに、壁に背中を押し当てて、植物で姿を隠しきれずにいる。――おかめっぐ君の着ぐるみを着た者がいるって、護は見え、息を飲んだ。
(もしかして、俺を待ち伏せていたのか……)
護は工具のハンマーを振り上げて構え持ち、にじり寄る。その間、相手が微動とせず、不可思議に、不自然に思う。
こんにちは ぼくは おかめっぐ君だよ
みんな ぼく と 仲良くしてね !
護は着ぐるみを着た者の間近まで来て、足をとめた。こう記せられたプラスティックの板を胸前で両手で持って、佇んだまま動かない。非常に高身長であることから、着ぐるみの中にいるのは男と推測する。
「おい。お前」
護は着ぐるみに声を荒げて呼びかけた。着ぐるみは応じない。恐る恐るとさらに近寄る。
大きなつぶらな目、口角をあげて笑んでいるおかめっぐ君と対面した時だった。
「あ、ははははははっ」
おかめっぐ君が高い声で笑った。護は竦みあがり、咄嗟に後ろへ飛び退く。と同時に、おかめっぐ君の口から黒い液体が噴出されるのを視覚した。
(……液体?)
液体を避けることはできなかった。生温い液体が顔から上半身へ振りかかる。――甘い、苺の匂い。唇にこびりついたものから、甘ったるい苺味の薬品みたいな味を舌で感じとり、気持ち悪くなって唾に絡めて吹きだす。
(これは一体……)
護はおかめっぐ君を懐中電灯で照らし見る。おかめっぐ君の足元近くに、背の低い看板がひっそりと置かれているのを発見した。
おかめっぐ君はいたずらっ子。ときどき、みんなを驚かせたくなって、口からシロップを吐いて、みんなを驚かせるよ!
おかめっぐ君のよだれは、何の味のシロップなのかな?
とコミカルな字体の大文字で看板に書かれている。その下に、赤文字の真面目な字体に変わって続く。
※ お客様へ注意
衣服が汚れる可能性があります。十分に注意してください。衣服を汚れても構わない方のみお近づきください。衣服が損なわれたことに関する苦情は、こちらは一切受け付けません。自己責任で宜しくお願い申しあげます。
護は読み終えて、見下ろす看板へ舌打ちがでた。着ぐるみを着た人間ではなく、そう見せかけたロボットと理解させられる。看板を蹴飛ばしてやりたくなる衝動に買われる。顔がべたべたして気持ちが悪い。服が見るに堪えられないほど、赤黒く汚れている。
「自己責任か。随分とご親切な忠告で――」
護はおかめっぐ君の瞳を睨み、側頭部に平手を思いっきり一発入れてやる。おかめっぐ君がまた笑いだし、液体を吐いてくるかと慌てて身構えさせられる。
「今日は大事な誰かとお出かけしたくなる気分だよね」
おかめっぐ君は明るい声でいって、そのまま黙り込む。液体を吐きだしてくる気配はない。
護はため息をつき、おかめっぐ君へ顔を背ける。
「大事な誰かなんか、俺にはいないから」
護は恐怖心がなくなった感じがした。苛々しながらおかめっぐ君を横切り、足早に奥へ進む。十一つの観音開きの扉を手前から開き、中へ入って調べていく。周囲に気を配る、警戒することを頭の中から抜け落ちた。十一つの観音開きの扉を越えた先には、どれも同じ形をした映画上演シアター、非常口は備わっていなかった。その後、施設内を見て廻り、非常口がどこにも備わっていないと判断してから、四人のもとへ戻る。
護の予想通りに、たまむし映画館の前で四人は固まって集っていた。しかし予想に反して、彼ら全員から強張った面で、無言で出迎えられた。
自分がいない間に何かあったのか、と護は首を捻らせる。彼らからただ押し黙られ、注視される。いらり、とさせられた。
「何すか?」
「ま、護君さ」
高佐から声を少しだされ、護が目を合わせば、視線を素早く逸らされ、黙り込まれる。一体全体何なんだ、と顔全面を顰めさせてで主張すれば、紫雨から傍に寄られた。
「ま、護さん。……な、何かあったのですか?」
「何もなかったけれど」
「何もなかったですか」紫雨がさっと顔を青ざめさせ、胸前で両手の甲を摩りだす。「……嘘ですよね。何をやってしまったのですか?」
「何をやった?」
紫雨は小さく頷き、護の顔、身体をじろじろと見る。
「ち……ちですよね。その汚れ、ち、人間の血液ですよね?」
「血だって?」
護は自分の頬を指先で触れる。おかめっぐ君にかけられたシロップはべとべとしておらず、乾燥して固まっている。着る服を眺めれば、服にかけられたシロップも乾燥していて、絶妙な色具合と汚れ方から血しぶきを浴びたように見えなくもない。
「俺がひとでも殺してきたと想像しているのか?」
護は失笑してから、何があったのかを四人に話す。話し終えると、紫雨と高佐は顔をほころばせた。
「てっきり、追跡してきた者に襲い掛かられ、護君は返り討ちにしてしまったのではと想像しちゃったよ。シロップを吹いてくる人形があるなんて、想像もできないよ」
高佐は軽やかに笑う。
「確かに、そう想像できなくもないか」
俺は追跡してきた者に襲い掛かられたら、返り討ちにするのだろうか、と護は考えてみて、たぶん返り討ちにしようとするのであろうと思う。だけど、相手を血しぶきあげるほど返り討ちにする。即ち、殺すまでに至れるのだろうか。
――人間を殺す。
護は胸に不快感がし、胸を掻く。
その相手がもしも、だ。もしも四年前の事件を起こした元凶であるなら。たぶん――とまで、護が辿り着く光景を頭の中で描きだそう時、高佐から呼びかけられることで阻止された。
「その様子からして、あの中に非常口はなかったのだよね?」
「はい」
護は応えた後、阻止されて良かった気がした。
「ちょっと期待はしたけど、やっぱりないか」
高佐は落胆する口ぶりでいって、首裏を手で摩る。
「非常口ないなら、もうどうしたらいいんだよ」角井が声を裏返らせていって、頭を抱え、蹲る。「みんなここに閉じ込められ、殺される。死ぬんだ」
「角井さん、落ち着いてください。そんなことをいわないで」
「高佐さんね。落ち着くなんて無理ですからっ。落ち着けるほうがどうかしているよ」
取り乱す角井を高佐が甲斐甲斐しく宥める。なんてどちらも鬱陶しいのだろうと思いながら、護が冷ややかな目を送っていると、横からアルマに声を掛けられた。
「本当によく探したの? 非常口」
あからさまに嫌疑を宿した
「あんまり、そういう目を他人に向けないほうがいいですよ」
護は落ち着いた声を作って、忠告すれば、アルマから眉間に皺を作ってで、詫びられた。
「苛々しているの」
「苛々ですか。俺もすごく、非常に苛々しています」
「ほんと、ごめんなさい。わたしらしくなく、苛々している。なんか身体寒くて、体調が良くないから」
「なるほど」
――理由があるならば、と護は納得してやることにした。けれど、かなり苛々させられる。紫雨だけでなく、彼女も取り扱いがなかなか面倒くさいと思えた。
護は顔を思いっきり背けたくなったが、その前にアルマは顔を展望広場がある通りのほうへやった。
「遠くで、誰かが見ている感じがするわ」
彼女はそういって、見るからにほんと寒そうに白い腕を左右摩り、息を吐いた。
続
怪劇! おかめっぐ君 くま田さとる @sana2arika
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