第8話 瀬名くん

「美雨、起きなさい! 遅刻するよ!」

「うん……。はーい、起きる」

 ベッドから起き上がると、わたしは布団を整えた。お母さんはバタバタと料理をし、わたしのお弁当を用意する。

「美雨ちゃんおはよう」

 廊下に出た瞬間、おばあちゃんが顔をしわくちゃにして笑った。

「もう五月だよ。寝坊助になるにはちょっと遅いんじゃないかな」

「わかってるよー。学校には間に合うから大丈夫!」

「美雨ー! 遅刻するぞ!」

 居間からおじいちゃんの声。みんなでわたしを急かす。

「わかってるって!」

 わたしはお母さんと一緒に静岡のおじいちゃんの家に引っ越した。小学校を卒業してすぐのことだ。友達はわたしがいなくなることを惜しんでくれた。何人かはメッセージアプリでやり取りしている。瀬名くんともアプリのIDを交換したのに、彼はいつも筆不精だ。きっとバラのことばかり世話してるんだろう。

 でも、昨日の夜、瀬名くんが重大な発表をしてきた。何と、彼がテレビに出るというのだ。

「えっ、何で?」

「秘密」

「何で何で?」

「だから秘密だよ」

「バラのこと? 絶対そうでしょ?」

 瀬名くんのバラへの凝りようは、近頃びっくりするくらいなのできっとそうだ。わたしの鉢植えの小さなバラなんてかすむくらい、彼はいくつもの豪華なバラを育て、各地のバラ園を巡っている。

「まあ、見てくれよな」

 瀬名くんは不敵な表情のスタンプを送ってきた。一体どんな内容だろう。お母さんに頼んで録画予約してもらった。お母さんは今、近くの小さな内科の病院で看護師として働いていて、以前よりずっと時間があるのだ。

「『教えて子供博士』って番組みたい。子供が大人に教えるやつ」

 お母さんが説明してくれた。瀬名くんが人にものを教えられるとしたらバラくらいなものなので、きっとバラのことを紹介するのだろう。

「じゃあ、帰ったら見ないと!」

 わたしは遅刻しないように走り出し、初夏の空気の中に飛び出した。街路樹のツツジが明るい色の葉を茂らせ、揺れる。タンポポは綿毛のものが混じり、ヒメジョオンの白い花は相変わらず気高い。こんな植物たちを見るといつだってわたしは瀬名くんちの庭を思い出す。

「ねえねえ、生放送?」

 昼休みにわたしがアプリで訊くと、瀬名くんはそっけなく、

「そんなわけないだろ。録画だよ」

 と返す。

「何で秘密にしてたの?」

「だってお蔵入りになることだってあるし……」

「バラのこと?」

「まあ、見て! おれ授業だから!」

 不満だ。瀬名くんは全く説明してくれない。

「おばさんは元気?」

「元気元気。元気すぎて疲れる」

「タカラは元気?」

「やっと四歳だからますます元気で困るくらい」

「よかったあ」

「じゃ、授業だから」

「おじさんは元気?」

「授業始まったから!」

 わたしだって授業は始まったがこっそりアプリで会話している。瀬名くんもそうしてくれないだろうか。

「彼氏?」

 隣の席の友達が、授業後に訊く。わたしはぶんぶんと頭を振り、

「そんなわけないじゃん!」

 と叫ぶ。同じダンス部でわたしと同じように髪をポニーテールにした友人は、くすくす笑う。

「そうかなー? 何かにやけてるんですけど」

「えっ」

「少なくとも、好きでしょ?」

「そんなわけないじゃん……」

 瀬名くんはわたしの中で同じくらいの身長の、素朴な少年のままだ。あのときのわたしも、今のわたしも、きっと彼のことを「いい友達」としか思っていないはずだ。

 第一瀬名くんは面倒見がよく、人気者なのだ。きっとわたしのことを世話している友達の一人としか思っていない。

 わたしは授業を終え、部活を終えると頭を振り振り家に帰った。

「始まったみたいよ」

 課題をこなしていると、お母さんが声をかけてきたので慌てて居間のテレビの前に向かった。

「友達なんだって?」

「うん」

「何だか素朴な感じの子だね」

 おばあちゃんの言葉に、瀬名くんは相変わらず素朴なままなのだとホッとしつつテレビを見つめる。でも、そこに映っている少年は明らかに瀬名くんではなく、でも瀬名くんで、太い眉は軽く整えられており、大きな目も意志が強そうに燃えており、背は高くなり……。そう、瀬名くんはすらりと背が高くなっていた。まじまじと見る。瀬名くんだ。どう見ても。

 瀬名くんは微笑み、バラの鉢植えを抱え、テレビの女優さんや芸人さんに流暢につっかえることなく自分の趣味について、バラの特徴について、魅力について説明している。こんなの瀬名くんじゃない。何より声が瀬名くんじゃない。瀬名くんはもっとかわいいソプラノの高い声だった。こんな、大人の声じゃなかった。

「本当にバラが好きなんだねえ」

 芸人さんが感心したように言う。瀬名くんは微笑み、「そうですね」とうなずく。

「バラのことばっかりで女の子のことは二の次って感じでしょ」

「はい、まあ」

 瀬名くんが苦笑いする。わたしはちょっとほっとしたような、がっかりしたような気分になる。

「好きな女の子とかいないの?」

 芸人さんが余計な質問をし、女優さんが止めようとする。今どきのいたいけな若者には強すぎる質問だと思ったのだろう。でも。瀬名くんはひるまず、

「いますよ」

 と答えた。わたしは心の底からがっかりする。辛すぎて、テレビを消そうとする。瀬名くんのことなんて好きじゃないのに、何でこんな気持ちになるのだろう。

「えー、どんな子?」

「ずっと一緒にいたんです。一緒にうちのバラの世話をして、ぼくがバラを育ててることを友達にからかわれたときもかばってくれて……」

 え?

「好きなんだ」

 からかうような芸人さんの言葉に、瀬名くんがうなずき、カメラ目線でこちらを見る。

「はい。好きです」

 その目は凛々しい。

 ねえ、瀬名くん。……嘘でしょ?

                                  《了》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

瀬名くんちのバラ 酒田青 @camel826

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ