18 穴

 穴埋め人達が全て岩場の前に集まってから、ルードが代表して一部始終を話した。

 穴埋め人達はその壮絶な話に言葉も出なかった。だが、彼らもこの地で働き、生きている人間である。どこかで異常を感じていたのだろう。最初こそ驚愕するばかりだったが、次第に現実を理解して、次になすべき事へと意識が向けられるようになった。

 それもこれも皆、ルードが冷静に話し、皆をまとめたからである。

 そして最後に、ルードは穴埋め人達を見回して、よく響く声でこう言った。


「私が、次の番人をやろうと思う」


 再び、穴埋め人達に動揺の波がざわりと広がった。


「お前、何言ってんだよ!」

「そんなの駄目!」


 ネルとアレクもまったく同時に叫んでいた。

 穴埋め人達がルードに向けて口々に叫ぶ。


「ロッヒの後を追う気か!」

「荒野に始終いたから、そんな事になっちまったんだろ」

「どうしてお前がやる必要あるんだ」


 彼らは、ルードが自ら番人に名乗り出た事に戸惑っていた。自分を守るためにルードに番人を押し付けよう、という明確な意識は誰も持っていなかった。

 ルードは一瞬、本当にちらりとだったが、何かに心を揺さぶられたような、驚きと喜びを重ね合わせた表情で、彼を取り囲む人々を見つめた。

 そうしてルードは、微笑んだのである。


「やり方を変えてみるんだ。いつもここに居る訳ではない。普段は今まで通り森に居る。ただ、毎日必ず、誰より早くここまで来て穴を探すというだけの役割だ。穴の影響が最も出るのは夜だから大きな心配はない。連絡を伝えるのが今より遅くなるが、仕方ないだろう」


 ネルは少しほっとした。ルードのしっかりした話し方を見ていれば、嘘でもなく本当にそうしようとしているのがわかったからだ。

 たとえネル自身はこの地を去るとしても、ルードがひっそりと穴だらけになっていく様を考えるのは、心臓が動くのを諦めてしまいそうなほど悲しい事なのである。


「持ち回りで、交代でやればいいじゃないか。一人で背負う必要は無いぞ」


 男達の中から大きな声が飛んだ。しかしルードは首を振って答えた。


「いや、こうするのが一番良いんだ」

「どうして?」 ネルはルードを見上げて言った。

「罪滅ぼしなら、穴を埋めるだけで十分、やっていると思うわ」

「罪のためじゃない。ここに居る者で教父だったのは私だけだ、祈れるのは私しかいないんだ。私がここに来る事になったのは、きっとこのためだったんだ」


 ネルにではなく、教父であった自分自身に向かって、ルードはそう呟いていた。


「わかったわかった。お前の頑固さに負けた。もう好きにやってくれ。な、皆良いだろ? こいつ言い出したら馬車にはねられても止まらないぜ」


 腕を広げてアレクは皆に叫んだ。もう異論が出ないのを確かめてから、腕組みしてルードに向き直る。


「で、俺はどうすりゃいいんだ? 後から一人で荒野に行くのか? 誰が俺を起こすんだよ?」

「仕方がない。今の家は置いて、他の集まりに二人で引っ越そう。お前はそいつらと一緒に来ればいい」


 なるほどそりゃいい、と言って、アレクはにやりと笑った。


「俺としちゃあな、まあ、アレだ。引っ越しは面倒だけどよ。お前にパンを焦がされなくて済むんだからな、こりゃいいや」


 アレクの笑いにつられてネルも、そしてルードも笑い出した。


「こっちこそ、お前を起こさなくて済むんだ、楽になるよ。……そうだ」


 ルードがふと、唇を引き結んだ真剣な顔をして、ロッヒの消えた大穴の方を指差した。


「皆、ロッヒの遺品を一緒に埋めてもらえないだろうか。森に持ち帰るとどうなるかわからないから、この岩場の裏で良いと思う。小さな穴を作って埋めよう」


 嫌がる者は一人もいなかった。

 岩場の北側に移動し、皆で作業を始める。緊急事態だという旗の知らせにより、穴埋めの道具を用意してこなかった者もいたが、大仕事ではないため問題無かった。

 穴を埋める巨人は、今だけは穴を掘る巨人として、少しばかりの穴を地面に作る。指輪はネルがずっと握ったままだった。穴に投げ入れる瞬間、ロッヒの指輪はきらっと朝日を跳ね返して光った。その上に男達は土を戻した。


 皆は埋めた穴の周りに集まり、ルードを中心に、手を組んだり頭を垂れて、しばらくの間祈りを捧げた。


 結局、ロッヒは生きている間、皆から気味悪がられたが、ただの一人の人間だったのだ。

 昨夜、彼の体温に触れたネルにはそれがよくわかる。彼は確かに、人間で無くなる事を恐れていた。

 初めて会った時、ロッヒはネルを何だと思ったのか。もしかすると、自分が穴に飲み込まれる事を既に予感していて、その出迎えだとでも思ったのだろうか。


 ネルと穴埋め人達の祈りは、昇り始めた太陽に見守られて、天国に上がっていくように思えた。


 〇


 荷馬車が森の風景の中を進む。

 こんなに大きな荷馬車だったかな、と、がらんとした荷台でネルは思う。ネルの他には、アレクが御者台にいるだけで、誰も乗っていないし、穴埋めの道具も置いてきた。車輪の回る音は随分と軽い。それなのにその音はひどく耳につく。


 ロッヒの消えた翌日、新しい穴は生まれていなかった。新しい番人であるルードが戻ってきてそう報告したのだ。アレクには、ネルを森の入口付近まで荷馬車で送っていくという仕事が与えられたのである。

 ルードにはきちんと挨拶をしてきた。ちゃんと礼拝には出て、そして祈ってくれ、とだけ彼はネルに言った。


 荷馬車のきしみが唐突に止まる。停まった荷馬車からアレクが降りて、ネルに手を伸べる。黙ったままネルは手を借りて地面に降り立つ。久しぶりに履いた自分のスカートがふわりと揺れる。来た時の服を返してもらったのだ。

 細い道にはまだ先がある。大きく曲がっているので先に何があるかは見えない。


「ちょっと道が曲がりくねってるけど、とにかく道に沿って行けよ。寄り道せずに、まっすぐ帰るんだぞ、わかってるな」

「うん。送ってくれて、ありがとう」


 ネルが頷くと、アレクは呆れたように笑う。久しぶりに彼の笑うところを見てネルはふと切なくなった。


「何だよ、最初っからそうやって素直だったら、楽だったのによ」

「うるさい、アレクがいつも馬鹿にするからよ」

「可愛くねえ、ホント。お前のその口の悪さ、俺のガキにそっくりだよ」


 見上げたネルの視線はアレクの手に遮られる。その手は、くしゃりとネルの頭を撫でた。


「良いか、ここでの事は全部、忘れろよ。嫌な悪夢だったなあとでも思ってな。お前は、お前のいなきゃいけない場所で、ちゃんと生きていくんだ」

「私の場所?」

「俺にはわからねえ。叔母さんのところかもしれないし、学校かもしれないし。とにかくこんな穴だらけの場所じゃねえ。穴は俺達が埋めておくから、お前は街で生きていけ」


 急にネルは泣き出したい気持ちに溢れた。けれど、頑張ってそれをこらえて、言った。


「わかった。大丈夫だよ。……アレクも元気でね」

「おう。当たり前だ。穴なんかに負けるかよ」


 そして彼は手を振ると、荷馬車に乗り込んだ。ゆっくりと、荷馬車は森の奥へと進んでいった。

 荷馬車の進む道の先。木々を越えた空に、荒野にいる巨人の幻影が見える。

 巨人はずっと遠く小さくなっている。胸に灰を抱えて、巨人は今も穴を埋め続けている。

 涙の代わりに、胸からさらさらと灰をこぼしながら。


 ネルの胸に開いていた穴は埋められた。もう灰をこぼす事もない。

 だが、その傍に小さく開いた穴はもう二度と塞がれないだろう。その穴を開けて、そして埋める事が出来る穴埋め人達は、街にはいないのだから。

 ネルは心の小さな穴をそっとなぞると、森に背を向けて歩き始めた。

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巨人よ、穴を埋めよ 空飛ぶ魚 @Soratobu_fish

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