第21話
ライニールさんがヘルトさんを連れて師匠のもとを訪れたのは、あの偵察部隊と戦ってから三日後の昼下がりだった。
「やあ、レフィ。この間は本当にありがとう。礼を言いに来たんだ。リュークはいるかい?」
なんとも爽やかに笑っている。そんなライニールさんの隣でヘルトさんは幸せそうに見えた。
「はい! 師匠は留守にしている時の方が圧倒的に少ないので」
だって引きこもりだし。買い物の用がある時しか出かけないから。
僕の言い方がおかしかったのか、ヘルトさんはクスクスと笑った。
本当に綺麗なんだよね。ヘルトさん、幸せいっぱいに見える。いいことがあったのかな?
「中へどうぞ!」
僕は二人を案内しながら大声で師匠を呼んだ。
「師匠ー! ライニールさんとヘルトさんがいらっしゃいましたよー!」
またキリが悪かったとか言って待たすつもりじゃないだろうな? と思った僕の思考を読んでいたかのように、師匠はすでに台所にいた。
「リューク、ありがとう。改めて礼を言いに来たよ」
ライニールさんがにこやかに言うと、師匠は半眼になる。
「ほう」
あ、怒ってる。まあ、仕方ないかな。
でも、ライニールさんが悪いって言うのもちょっと違うし……。
僕は師匠に代わって二人に椅子を勧めた。
すると、ライニールさんは机の上で手を組み、そうして爽やかな笑みと共に言った。
「またリュークに迷惑をかけてしまったことだから、真剣に騎士の職を辞そうかと考えて上にそれを伝えたんだ」
僕はへっ、と声を上げてしまった。手にしていたティーポットを落とすところだった。
それくらいびっくりした。ライニールさん、辞めそうになかったのに。
師匠も本気で辞めるなんて思っていなかったんじゃないかな。かなりびっくりしてる。
ただし、この話には続きがあった。
「それがな、私に辞められては困ると結構な好条件で引き留めてくれて。結局辞めないことになったんだが」
ライニールさんが辞めちゃったら、いよいよ師匠を引っ張り出す手がなくなる。そりゃあ、ライニールさんに辞めてほしくないよね。
師匠の目がスゥッと冷めていく。ただ、それをライニールさんは楽しげに眺めていた。
「その好条件のすべてよりも、私は二度とアルハーレンへの手紙の取次はしない、彼に手助けも要請しない。それを在職の条件としてもらった」
僕も師匠も目をぱちくりと瞬かせた。
それをさせたいから引き留めてるのに、ライニールさん自身にそれを言われて、お偉いさんは言葉を失ったんじゃないかな。でも、ライニールさんが辞めてしまえば、どのみち師匠は協力しないし、単に優秀な騎士が一人いなくなる分だけマイナスだ。
師匠はわざとらしく嘆息した。
「そんなもん、ほとぼりが冷めたらまた同じことの繰り返しだろ」
「証文を用意してもらった。今度こそ繰り返さないよ」
ライニールさん、やればできるんだ。今回は師匠も無理して疲れてたし、ライニールさんも死にかけたし、本気でまずいと思ったんだろうね。
「騎士団の人たちもたくさん協力してくださって、メイツ団長が辞めるのなら一緒に辞めると署名活動をしてくださったんです。期間が短かったので五十人ほどでしたけど、それだけの数の騎士を失うのは痛手ですから、呑まないわけにはいかなかったのでしょうね」
ああ、ヘルトさんはそれで機嫌がよかったのか。
ライニールさんとイイ感じになったのかと思ったよ。いや、もともと恋人同士なのかもしれないけど。
だって、生死を共にするつもりなんだよね。ライニールさんを庇うヘルトさんを見てたら、どんな気持ちでそばにいるのかなんてすぐにわかっちゃうよ。
それなのに、ライニールさんと来たら――。
「ヘルトには随分と骨を折ってもらったんだ。ヘルトみたいな部下がいて、私は恵まれているな。でも、いつかは結婚して退職することもあるだろう。ヘルトには幸せでいてほしいから、大事にしてくれる相手なら何も問題はないが」
「…………」
「…………」
「…………」
なんで僕たちが黙ったのか、ライニールさんはわかっていないのかな。視線が冷ややかな理由も、きっとわかっていない。
にっぶぃ!
何この人、鈍いよ。わざと? ああ、わざとかも。
ヘルトさんから、私がお慕いしているのは隊長だけです、とか言ってほしいのかも。
うん。そういうことにしておこう。
微妙な空気が漂う中、師匠は時折見せる優しい眼差しをヘルトさんに向けていた。そこには微かに涙ぐむヘルトさんを励ますような意味合いがあったんだろうか。
師匠って、女の人に優しいから。ただ、ヘルトさんにだけは他の人とは少し違うような気もする。
「あのな、お前が幸せにすれば万事解決だろ?」
多分師匠は見かねてそれを言った。なのに、ライニールさんはすごく困った顔をした。
「リューク、ヘルトの気持ちも考えてものを言え」
えーっ! 今日ばっかりは師匠の味方をしたい。師匠は何も悪くないと思う。
「い、いえ、わたしは平気ですからっ」
ヘルトさんの方が慌てている。
なんか噛み合ってないなぁ、この三人。変なの。
まあ、こんな会話ができるのは、無事に乗り越えたからってことでいいよね。
ハハ、ハハハ。
帰り際、ヘルトさんはなんとも複雑そうだった。ライニールさんはヘルトさんがしょんぼりしたのは師匠のせいだと思っているっぽい。いや、元凶はあなたですから。
二人を見送ると、僕は思わず師匠に言った。
「ライニールさんって、あれ、わざとですか?」
すると、師匠はハッと小さく息を吐いた。
「あいつ、ヘルトは俺のところへ行くと言うと必ず一緒に行きたがるから、俺のことが好きなんだとか言いやがった。行先は関係なく、ライと二人で出かけたいだけだってのにな」
「うわぁ」
ここへ来るまでの道中は二人きりだもんね。ヘルトさんには至福の時間なんだろう。
残念ながらその女心はまるで伝わっていないけど。
「ヘルトもはっきりと言えばいいのにな。煮えきらないからああいう誤解を受けるんだ」
とかなんとか言って、そんなヘルトさんのことを師匠は心配しつつ気になってしまっているような気もする。
師匠、モテるみたいだから、逆に自分に興味のない女性が新鮮なんだったりして。
僕、昔から近所のお姉さんたちに頼まれて意中の相手に手紙を渡したり、橋渡しをしたことが何回もあるんだよ。その時、相手の反応で脈の有り無しはわりと読めた。
少なくとも、ライニールさんよりは機微が読める。
――まあ、師匠に関してはわかりづらいし絶対とは言えないけど。
「平和なお悩みですよね。この間みたいに生死に関わることもないですし」
「子供にそれを言われるとはな」
と、師匠もククッと笑った。
僕はそんな師匠をじぃっと見る。
「師匠、僕、最初は師匠のことを、賢者アルハーレン様によく似た名前のニセモ――いえいえ、ただの隠居魔術師だと思って弟子入りしました。……まあ、そこは師匠が誤解させたせいですけど。最初は、アルハーレン様の居場所ももうわからないし、他に伝手があるわけじゃないし、しばらくはここでもいいかって軽い気持ちでしたけど、僕、ここへ来てよかったんですよね、きっと」
面と向かって言ったからか、師匠はただ瞬きを繰り返した。
僕はその顔に笑いかける。
「びっくりするようなこともたくさんあって、目まぐるしいですけど、楽しくはあるんです。僕にとっては学園に通うよりもここで学べることの方が結果的によかったんでしょう。だから、僕を弟子にしてくれてありがとうございます」
「推薦状がもらえなかったって大泣きしていたのは、どこの誰だったっけな?」
素直な言葉が師匠には照れ臭かったのかもしれない。すぐにそうやって茶化す。
「もらえなくて正解でしたね。負け惜しみじゃありませんよ? ただ、ひとつだけ残念と言えることは、僕が作り上げていた『賢者アルハーレン様』のイメージが崩れたことでしょうか」
高潔な偉人のはずが、自堕落青年だったんだから。
「知るか」
「いや、やっぱり駄目ですよ。師匠に憧れる魔術師の卵は多いんですから、もっとちゃんとしてもらわないと。僕が弟子入りしたのも縁ですから、僕がどこへ出しても恥ずかしくない師匠にしなくっちゃ」
あ、心の声をつい口走った。
「お前な……」
「大丈夫ですよ、師匠。まだ間に合います。一緒に更生しましょう。僕がついてますから!」
そうしたら、にゅーっと、両方の頬っぺたをつねられ、伸ばされた。
痛い。僕の善意は伝わらない。
「お前こそ、その失礼な口をどうにかしろ。まずはそれから教えてやる」
いや、師匠の方が絶対に口が悪いよ。僕なんて可愛い方じゃないか。
「ひひょうひょりまひれふ」
なんて言ったかわからないと思ったのに、さらに引っ張られた。まるでどこまで伸びるのかを試されているみたいだ。
やっと手を放してくれたかと思ったら、師匠は深々とため息を吐く。
「おい、レフィ」
「はい?」
僕は涙目で頬っぺたを摩った。痛いな、もう。
「風は少し使えるようになったから、今度は土属性を試すか」
「えっ」
「ついてこい」
「は、はいっ」
僕は胸を躍らせながら背を向けた師匠について行こうとして、危うくズッコケるところだった。またしても師匠は扉を使わず、フッと消えて外へ出たんだから。
ついていけるかっての!
「師匠、出入りは扉からするものです!」
伝説の賢者が住んでいるとは思えないオンボロ小屋に僕の声が響き渡る。
外まで聞こえたはずだから、師匠は外で笑ってるんじゃないだろうか。
「待ってくださいよ、師匠!」
まったく。
困った師匠だけど、僕は当分、こんなふうに騒がしく過ごしていくことになるんだろう。
なんていっても、僕は自堕落な上にずぼらで口の悪い、伝説の賢者の弟子になったんだから――。
The end☆彡
ニセ賢者の弟子になりました 五十鈴りく @isuzu6
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