第20話
家の中じゃなく、外の魔法陣の上に僕たちは降り立った。
だた――。
「う、うわぁ、師匠っ」
本当に、師匠はすごく疲れていたんだ。その場にぐったりと倒れ込む。
規格外の魔力を持っていたって、体は生身の人間だから。無理をしたら疲れるのも当然だった。
その当然に気づく人が少ないだけで――。
僕もわかっていなかったかもしれない。
師匠は無敵なんだって気がしてた。憎たらしい不敵な笑みを浮かべてなんだってこなしてしまう人なんだって。
意識があるのかないのかよくわからない師匠を背中に担ぎ、足元を引きずりながら僕は家の中へ戻った。師匠がもっと筋骨隆々だったら、途中で諦めたな。
なんとかしてベッドに押し込み、シーツをかけた。
眠っている師匠は腹の立つことも言わないから、寝顔は穏やかに見えた。
そういえば、師匠は自分の手の傷は治していなかったはずだ。
僕はガーゼを水で湿らせて師匠の手についた血を落とした。浅くしか傷つけていないから、血はもう止まっている。
今日はこのままそっとしておこう。
そっと、物音を立てないようにして僕も自分の部屋に戻ると、寝た。
思った以上に疲れていたみたいで、この日はなんの夢も見ないでぐっすり眠った。
☆ ★ ☆
朝になって、僕はまずスープを作った。それから、山羊のミルクも用意する。長老とは随分仲良くなったから、最近ではそんなに手こずらない。
用意ができると、僕は師匠のもとへ忍び足で近づいた。
ちょっとは回復したかな?
いつも憎たらしいけど、そういう師匠が師匠らしいのであって、ぐったりして弱っているのは見ていて気持ちのいいものじゃない。また元気になって減らず口を叩いてくれたらいいんだ。
――そしたらまた腹が立つんだろうけど。
僕は極力気配を消して寝ている師匠に近づいた。でも、その顔を覗き込んだ途端に師匠は目を覚ました。で、嫌な顔をされた。
「生きてる」
「いや、死んだと思ったわけじゃないです」
息をしているか確かめているとでも思ったらしい。
それでも師匠は急に起き上がらなかった。体を横たえたままでいる。もしかすると、まだ少しつらいのかもしれない。
僕は部屋の中にある椅子をベッドのそばまで運ぶと、そんな師匠の枕元に座り込んだ。
すると、師匠はボソリと言った。
「うん、八くらいかと思えば、これは十だな」
「何がですか?」
「お前に渡った魔力を一とすると、俺からはその十倍ほど魔力が抜けたってことだ」
「えっ」
「一で済むとは思っていなかったが、想定より零れた量が多い。非効率だな」
十倍って、それ大丈夫なの?
師匠カラカラになってる。僕のせいかな、これ。
「す、すいません」
「別に今日一日寝てれば回復する程度だけどな」
あ、そうなんだ?
大袈裟に言うからびっくりした。でも、他の人がやったらかなり危ないかも。
病気みたいに体がつらいというよりも、無性に眠たいのか、師匠はあくびをした。僕はその顔を眺めつつつぶやく。
「師匠、いきなりなんですけど」
「なんだ?」
「師匠って、僕のどこを尊敬しているんですか?」
この質問に、師匠が理解不能といった顔をした。だから僕は質問を変えるしかなかった。
「えっと、ライニールさんが言ってたんですよ。僕を弟子にしてくれたのは、多少なりとも僕に尊敬できるところがあったからだって。師匠はどうして僕を弟子にしてくれたんですか?」
シチューが美味しくできたからっていうのは、実は関係ないんじゃないかって今は思っている。
あの時は師匠の正体を知らなかったし、ただの変な人だと思ったからそれで納得したけど。
師匠は僕の質問に、小さく嘆息した。
「十三歳にもなってこんなに泣けるヤツがいると思わなかったから」
「へ?」
「十三だぞ? その頃の俺は学園を飛び級で卒業して、魔術師団に入っていた。大人と肩を並べていたし、そんなふうに泣くことはない年齢だ」
「…………」
あの、僕を弟子にしてくれた理由を訊いているんですよ。ライニールさん、尊敬どころか急に
これで不貞腐れるなって、それは無理な話だ。
「すいませんねぇ、実年齢よりコドモで」
こういうことを言って、目に見えて怒るから余計に子供だって言われるのかもしれないけど、師匠が失礼なんだから仕方ない。
でも、師匠は別に貶すつもりで言っているわけじゃなかったらしい。顔が真面目だ。
「俺が最後に泣いたのはいつだったか、思い出せない。少なくとも、十三歳ではなかった。俺の才能に嫉妬する連中が多すぎて、そんな弱みは見せられなかったからな」
ちょっとくらい優秀なら、すごいねってもてはやされる。ただ、大人顔負けの才能を見せつけてしまっては、大人たちは面目丸潰れだ。面白くはなかっただろう。
師匠はそんな中、圧し潰されないように自分を保っていたのかな。今みたいに疲れても気を抜けなかったんだ。
師匠って、それはそれは可愛げのない子供だっただろうな。
「だから、見ず知らずの相手に感情を出して泣き喚くお前を見たら、妙に感心した」
「……褒めてませんよね?」
そう思ったけど、師匠の微笑は
「そうでもない。自分をさらすってのは、案外難しいことだからな」
「そんなの、普通でしょう?」
言ってから、ふと思う。
この師匠は、『普通』から遠いところにいる人だ。過ごしてきた日々だって、少しも普通じゃあなかったんだ。だから、自分とは縁遠い普通のことが新鮮に思えるのかもしれない。
でも――。
「まあいいです。そんなこと言うなら、僕はもう泣きませんから」
いつまでも子供扱いされたくないし、癪だから泣かない。もう決めた。
そんな固い僕の決意を、師匠は鼻で笑った。
「それは楽しみだ」
「なんですか、その言い方! 信じてないでしょう!」
「さあな」
「信じてない!」
僕は伝説の賢者、アルハーレンの弟子なんだ。みっともなく泣いてたんじゃ示しがつかない。
だから、もう泣かない。
僕の怒りはシュルシュルと萎む。それは師匠の笑顔が妙に晴れやかだからだ。
「……あと、師匠はどんな環境で育ったんですか? そういうの、喋るの嫌いっぽいですけど」
伝説の賢者は、それでも人間だから。
人並みの傷や思いを抱えている。
他人から見たら超人だけど、力を持つからといって何をさせてもいいわけじゃない。
国を護ってくれたけど、敵とはいえ人間を相手に魔術を使うのは怖かっただろう。まだ大人になりきれていないような年にそんな戦いをした。
師匠は怠けたいって言うけど、本当は戦うのが嫌でごまかしているのかもしれない。
素直じゃない師匠が何を考えているのかは師匠にしかわからないけど。
だから僕はもう少し師匠のことを知らないとと思った。
僕の質問が師匠には横っ面を叩かれたくらいの衝撃だったのかな。目を瞬かせた。
一度黙ると、嘆息してポツリと語り出す。
「俺は――」
いつもよりも力のない声に、僕は耳を傾ける。
「俺は、精霊と人の
あまりの衝撃に、僕は返す言葉もなかった。
精霊……。
だから師匠は人間離れしていたんだ。
僕が呆然と口を開けていると、師匠は話の途中で顔をしかめた。
「なあ、普通にそんなわけあるかって突っ込むところだろ? んなわけあるか。信じるなよ」
「はぁっ?」
ちょっ……。
師匠、語りたくないからって適当な話をでっち上げるとか、やめてください。
真剣に聞いたのに、ひどすぎる。
僕は師匠と違って純粋なのに。
「別にフツーの親からフツーに生まれたぞ。期待外れで悪いがな」
ククッと意地悪く笑う。
普通のご両親からこういう天才が出ちゃうわけ?
それとも、師匠の言う普通が普通じゃないのかな。
まあ、と師匠は不意に声を小さくする。
「普通の親には普通に育たなかった俺が理解できなくてな。結構早くに親元を離れた。俺を引き取りたいって魔術師がいたから、そこに養子に出されたんだ」
「ああ……」
今度こそ本当の話をしているんだろう。
きっと、引き取られた先で魔術漬けの生活をしていたんだろうな。年頃の子供がやるような遊びも知らず、家事をしている母親の手元も見て育たなかったのかもしれない。
師匠は天才だけど、人生で
そう思ったら、師匠が変なのも仕方がないのかも。うん、そう思ったら少し気が楽になる。
「師匠の個人としての人生はこれからなんですね」
しみじみと言ったら、師匠に目を丸くされた。子供に言われたくないとでも思っているんだろうか。
でも、師匠は少し笑った。
「そのはずだったんだけどな、厄介な仕事ができた」
「へぇ?」
他人事のように言ったら軽く睨まれた。
「出来の悪い弟子をなんとかしないと、落ち着いて暮らせない」
「そこは、ほら、育てる喜びがあるんじゃないですか?」
「自分で言うなよ。お前、俺の弟子だって公言しただろ。今後は伸び代がなければ引っ張ってでも伸ばすからな」
「引っ張って伸びるならどうぞ」
あ、黙った。
しかも、溜息をついている。
「お前、俺のことを変人だと思ってるかもしれないが、お前も大概だからな」
「はぁっ?」
「人のこと言えないくらいには変わってる」
「僕は善良少年ですよ!」
「自称な」
失礼だ。師匠は失礼極まりない。
僕のどこが変だっていうんだよ!
「師匠より絶対、僕の方がマトモです!」
朝はちゃんと起きられるし、料理も洗濯も掃除も人並みにできる。
汚れものを見て見ぬふりをしない。ほら、僕はマトモじゃないか。
まったく。ひどい話だ。
キャンキャン騒ぐ僕を、師匠はなんでだか妙に優しい目で見ていた。
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