内部詐称症候群

エリー.ファー

内部詐称症候群

 同僚にも相談したが、みんな同じですよ、と言われた。

 だから、これは病ではないのかもしれない。

 自分は生きているからして、心臓が動いている。つまり、体の中に心臓があるのだ。

 私の心臓は今日も脈を打ち、血液を体中に行き渡らせている。そのため、基本的に休んだり、突然消えたりすることはないと思っている。

 しかし。

 私は自分の体に心臓がないような気がする。

 というか、生活にリアルがないのだ。現実感がなく、電車を待っている時や、ビルの屋上から景色を眺めている時や、料理をしようと包丁を持っている時に、ここで死んだらどうなるのかと考えてしまうのだ。

 死ぬとは思う。

 死ぬとは思うのだが、死んでもいいかと思ってしまうのだ。

 命の価値をどうにも軽く見てしまうというか、どうでもよくなってしまうというか。

 そう、言葉にしにくいのだが。

 何となく、自分は生きていないのだから死んでもいいだろうと思ってしまうのだ。

 繰り返しになるが同僚は言うのだ。

 多かれ少なかれ皆、同じような感覚になったことがあると。

 そうか。

 そうなのか。

 本当にそうなのだろうか。

 家族にも相談しようとしたが、妻は私に興味を持っていないし、双子の娘に相談するわけにもいかない。

 結婚して十二年目、娘ができて四年目。

 こんなものである、結婚なんて。

 私は一人で病院へと向かう。

 診断結果。

「今から、診断結果を言いますが、落ち着いて聞いてくださいね」

「はい、教えてください。私は何かの病なのですか」

「非常に珍しい病です。内部詐称症候群と言います」

「内部詐称、症候群」

「えぇとですね。まず、確かに生きているということに現実感を持てなくなるというのはよくある話です。この病にかかっていない人でもいるでしょう。ですが、あなたはその理由が少しばかり違うのです」

「どういう意味ですか」

「内部詐称症候群というのは、貴方という存在を基準にして内側と外側とした場合の内側。つまりはあなたの体の中ですが、そのことについて自分に嘘をついてしまう病気ということになります。今、あなたは生きていますね」

「はい、生きていると思いますけど」

「ということは当然ながら心臓は動いているということになります。ですが、内部詐称症候群になると、自分には心臓がないと自分自身を騙してしまうのです。ですから、心臓がないと思ってしまって生きていないと感じ、現実感を失ってしまうという症状に繋がっていくのです」

「それは、その。なんというか、治療法というのは」

「カウンセリングしかありません。」

「それは、その。そうですか。」

 というわけで、一週間後にまた先生と話すことになった。

 内部詐称症候群。

 正直、この一日でどっと疲れた。

 夕食後、妻に打ち明けた。

「実は、内部詐称症候群という病気にかかってしまったらしい」

「ふうん」

「ふうんって」

「死ぬの、それって」

「まぁ、死なないとは思う」

「そ」

「そって」

「だって、そ、しか言いようがないし」

「まぁ、そうか」

 私は一人、ダイニングルームに残って自分の状況について静かに考えていた。

 すると、背中を叩かれた。

 振り向く。

 そこには、双子の娘が立っていた。

「お父さんは、どうして落ち込んでるの」

「いや、別に落ち込んではいないよ」

「お母さんが励ましてきてって言ったの」

「え、あぁ、そう」

「お母さん、お父さんが元気がなさそうで心配だって言ってたよ。ずっと言ってたよ」

「ほ、本当かい」

「うん。だからあたしたちが、お父さんに元気をあげる」

 双子の娘が僕を挟むように立って、両手を広げて抱きしめてきた。

「お父さん、元気になってね」

 この温もりがあればなんだって乗り越えることができる。

 今までもそうだったのだ。

 その日の夜、私はいつもより早く眠ることができた。

 一週間が経過し、病院へと向かう。

「先生、私はどうですか。治りそうですか」

「まぁまぁ、そう簡単に結論の出るものではありませんから、気長にいきましょう。それよりですね、少し気になることがありますので、もう一度丁寧に診察をさせてください。万全を期すためです。よろしいですね」

「もちろんです」

 マークシート式のペーパーテストにも答えた。

 何人か別の医者が現れて、次々に質問をしていき、私の回答を記録していく。

 二度目の診察は四十分にも及んだ。

 そして、最初の医者がまた戻ってきた。

「あの、その、私のかかっている内部詐称症候群はそんなに重くなっているのでしょうか」

「いえいえ、そうではないのですが、実はですね。大変失礼なことに、内部詐称症候群ではないことが判明いたしました。まぁ、ある別の病と非常に近い種類の病でしてですね、専門家でも判断が難しいものなのです。申し訳ありませんでした」

「そうだったのですか」

「まずは、生きている実感がないというお悩みですが、あれはどんな人もする、よくある悩み、というやつです。同僚の方に相談して、みんなそうだと言われたと仰っていましたが、まぁそういうことです。こちらは別に病気によるものではないので、気にしないようにとしか言いようがありませんが」

「あぁ、そ、そうですか」

「ここから本題ですが、あなたがかかっている本当の病は、内部詐称症候群ではありません」

「では、一体」

「外部詐称症候群です。自分の外側にある事象について自分自身を欺いてしまう。つまりは目の前の状況を正確に認知できなくなるということですね」

「と、言いますと」

「例えば、独身の方が、自分は結婚していると思い込んで想像で生み出した妻や娘と暮らしていると勘違いしたりですね。まぁ、このカルテにも書かれているとおり、あなたは独身ですから、もしもそのような症状が出ていたらすぐに自覚できるでしょうから心配はしておりませんが」

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