第45話 日常の幕開け



「――というのが、事の顛末てんまつらしいですよ?」


 黒幕で仕切られた豪奢な部屋に響くのはエルナの演者じみた声。

 上質なソファに背を預けながら、エルナはつらつらと報告書を時折私見も交えて読み上げる。

 幕の向こうでは、人の影がゆらゆらと動いているのみ。


 ここは皇宮。

 それも、ごく限られた人しか立ち入ることのできない部屋――皇帝の私室でもあった。


 エルナは疲れた疲れたと言わんばかりに肩を回し、ぐーっと背伸び。

 決して皇帝の前で許される所作ではない。

 しかし、それを咎めるものはここにいない。


「――御苦労。一点を除いて余の視た通りか」

「ですねー。というかずっと気になってたんですけど、初めから結末がわかりきった予定調和を眺めるのって面白いんです?」

「手のひらで転がされていると知らずに動く駒を高みから眺めるのは楽しかろう? 阿呆どもの必死さは滑稽に過ぎたがな。戯れには丁度いい」

「まあ、まさか『魔王崇拝者』を先導してるのが皇帝なんて誰も信じませんし。愉しいならそれでいいんじゃないですか」


 旧友のように、二人は言葉を交わす。

 仮に部外者がこれを聞いていれば、夜明けを待たずに処分されていたことだろう。

 文字通り、ごみのように。


「それより、珍しく目論見が外れましたね。残念なことにレンカちゃんは覚醒しませんでしたし。カズサちゃんが意外と過保護でしたねー」

「巫女の血が流れているせいか、予見が外されたな。なるべく不確定要素を排するために余と同じ景色を見られるようになれば……と考えていたが、護衛が働き過ぎたらしい。娘をたぶらかされては余も黙っては居れぬぞ」

「はいはい親バカはその辺にしておきましょうねー。だからボクが手間暇かけて作った『変身薬』なんかを使う羽目になったんでしょう? 女の子同士なら間違いもおこりませんし、ボクなら副作用なく作れますし」


 皇帝とて、実の娘であるレンカを危険な目に遭わせようとしたわけではない。

 どちらかといえば、今後のためを思って直接は手を出さずに静観の構えを取っていた。

 だが、それでは流石に心配だったため、一人護衛をつけることにした。


 そこで白羽の矢が立ったのが『特務兵』――七生カズサだったのだ。

 カズサならば予見にも対処でき、事を収束させられると視えていた。


 結果として、カズサは『嫉妬エンヴィー』の討伐ではなく、事実上の協力関係を結ぶに至った。

 皇帝が視た未来図のなかではくらいの成果だ。


「それだけに覚醒まで至らなかったのが残念で仕方ない。しかし、星の巡りはこちらにある。遠くないうちに果たされるであろう」

「そですか。では、ボク疲れたので帰りますねー。あ、帰りにワインセラーから一本貰ってっていいです?」

「……好きにしろ」

「さっすが皇帝様太っ腹ーっ!」


 ひゃっほーい、と騒々しく叫びながら、エルナは私室を後にする。


 一人残された皇帝の気苦労を吐き出したため息が、静寂に響いた。



 ■



「――おーい、朝だよー」


 早朝の日課を終えて修繕が進んでいる寮へ帰って、すやすやと眠ったままのレンカを起こす。

 寝間着の上から肩を揺すれば、悩ましげな声と吐息が漏れた。


 どうやら今日の眠気は手ごわいらしい。

 いつもはこれで起きてくれるんだけど……仕方ないか。


 耳元まで顔を近づけて、ふうと優しく息を吹きかけ――


「――ひゃいっ!?」


 奇怪な声を上げて跳び起きたレンカのヘッドバットを躱しつつ、静かに笑う。

 まだ寝ぼけているのか長い睫毛を何度も瞬かせて、ようやく理解が追いついたのか俺の顔を見て頬を膨らませる。

 心なしか、柔らかな頬には朱がさしていた。


「おはようございます……というか、それはやめてくださいっていいましたよね」

「おはよう。私は起こすために仕方なく心を痛めながらやってるんだよ?」

「絶対嘘です。いつも笑ってますし」

「反応が毎回面白くてつい」


 やめる気はないと言外に伝えると、「もう……」と呟いてベッドから起き上がった。

 金色の長髪を払って、カーテンを開け放った窓を向いて控えめに欠伸を一つ。


「起きたら準備するよー」

「ふあぁい……」


 平日の朝、時間は有限にして貴重。

 やることは山積みだ。


嫉妬エンヴィー』の一件から俺とレンカの関係性は変わらないまま継続となっていた。

 俺の秘密を知ってなお、レンカの対応は変わらない。

 護衛任務も続行だ。


 つまりは同じ部屋での生活が続いているのだが……レンカは躊躇いなく風呂にも入ってくる。

 もちろん俺は止めようとしたが、強引に入ってこられたら部屋の構造的にどうしようもない。


 恥ずかしくないのかと聞いたところ、「まあ、今更ですし」と返事を貰って俺は全てを諦めた。


 それはともかく。


 今日から長らく中断されていた授業が再開される。

 校舎の修繕は完全ではないが、いつまでも止めたままではいられない。


 そんなこんなで新調した軍服へ着替えてから食堂で朝食を取り、改めて身支度を整えてから登校する。

 すっかり桜の花弁が散った木々を眺めていると、校舎へ続く道の途中で車椅子を漕ぐ少女を見つけた。


 どうやらちゃんと登校はするらしい。


 二人でエマへ駆け寄って、


「エマ、おはよう」

「おはようございます、エマさん」

「ん。カズサもレンカもおは」


 交互に視線を動かして声をかけたエマは俺を見ながら手を止める。

 ……車椅子を押せと? 別にいいけどさ。

 ゆったりとしたペースで雑談をしつつ校舎に到着したところで、エマとは別れて教室へ向かう。

 授業で使われる教室は優先的に修繕されているため、依然と変わらない段状の席が出迎えた。


 遠巻きに観察するような視線を気にすることなく奥の窓際席に座る。

 ……まあ、そんな目を向けられる心当たりはある。

 間違いなくエルナに渡されたメイド服のせいだろう。


 思い出したくもない。


 精神衛生上、気にしてもいいことがなさそうなので忘却に努める。


 待っていると教室の席が埋まって、ホームルーム開始の鐘が鳴った。

 同時、がらりと勢いよく開いた扉から転がり込んできた人影。


「――っとう!」


 声を上げながら、白衣の塊がくるくると宙を回って両脚で着地。

 水平に手を開いて決めポーズをするそれを前に、生徒の心情は一致していた。


 ――なにやってるんだこの人、と。


 そんなことはいざ知らず……もとい、気にする気もない本人が顔を上げて、教室を見渡した。


「皆さんお久ですね。元気でした? ボクはこの通り絶好調……に見せかけてクソ怠いです。仕事とか滅びればいいのに。まあ、そんなわけで今日もほどよく元気にやっていきましょうか」


 人目を憚ることなく欠伸をして。


 日常の幕開けを告げる鐘が鳴る。



――――――――――――――――――――



これにて完結になります。長らくお付き合い頂きありがとうございました。少しでも楽しんでいただけたのであれば幸いです。


星や感想等頂けると次回作の励みにもなりますので、是非よろしくお願いします。


それでは〜(:]ミ

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