第44話 今日という日は過ぎていく
大蛇が崩れ、身が夜空へ投げ出される。
意識を失ったシェーラを抱きしめたまま、限界近い体力を振り絞って地上へ降りた。
「痛っ……これは数日動けなくなるやつだ」
みしり、と軋む間接の鋭い痛みに愚痴をこぼしつつ、周囲へ視線を巡らせる。
静寂に満ちた荒野。
都市からはだいぶ離れてしまっていたらしく、文明的な光は遠く淡い。
それでも、戦いは終わった。
残っているのは――レンカのことだけ。
「気が重いなあ……」
外でレンカを見た時、彼女の耳にはインカムがなかった。
逃げるときにどこかで落としたのだろう。
なら、エマのアレも聞かれていなさそうだが……こんなに派手に戦った以上、隠し立てできる気がしない。
俺の存在に繋がりかねない要素は何度も見せてしまっているし。
聡いレンカのことだから、辿り着くのは時間の問題だ。
秘密はいつかバレる。
わかっていたことだ。
だけど、それでレンカの傍にいられなくなるのではないかと考えると、とても怖い。
……いや、自分で言っていたじゃないか。
レンカなら、きっと大丈夫。
理由も聞かずに否定するような人じゃない。
ぐるぐると思考を続けているとインカムから響いた声。
『カズサ。室長が他に話をつけに行った。『やるべきことをやれ』……って言ってた』
「そう、か。わかった。ありがとう。帰ったらちゃんと謝らないとな」
『ん。レンカとエルナも学校にいるから』
ちゃんとエルナは護衛代理を全うしているようで一安心。
室長にまた借りが増えたと思いつつも、あらんばかりの感謝を覚えながらシェーラを背に乗せて帰還した。
瓦礫の山となって門番すらいなくなった門を潜って都市へ入り、訓練校へ。
一変した街の景色、死を悼む人がそこかしこで膝をついて泣いていた。
『
『魔王』と眷属は都市の中に入れない、という前提が覆された結果……未曽有の被害が及んでしまったのだ。
例外中の例外として数えられる『
街路を一息に飛び去って、数分で訓練校の土を踏む。
無事に帰ってきた安堵とレンカと話さなければならない緊張が一気に押し寄せる。
「レンカは……シェルターか」
気配を頼りにシェルターを目指す。
道すがら広がる景色は街中と同じように変わり果てている。
校舎は半壊から全壊、復旧には魔術を用いても相当な時間がかかることだろう。
寮も窓ガラスはほどんど割れてしまい、散らかった部屋を掃除する必要がありそうだ。
まともな暮らしが戻ってくるのはいつになるやら……一難去ってまた一難。
これに乗じて攻めてくる『魔王』がいないとも限らない。
しばらくは警戒態勢を取ることになるだろう。
やがて鉄扉が開け放たれたシェルターへ到着すると、生徒や怪我人で溢れていた。
魔術での治療がされていることからシェーラが権能を解いたのだと理解する。
なら、ここは任せても大丈夫だろう。
そう判断してレンカを探し――
「――あっ、カズサさんっ!!」
レンカが人混みを掻き分けて駆け寄った。
そして、あらんばかりの力で抱きしめられる。
突然の加重に倒れないよう踏ん張って受け止め、頬同士が擦れ合う。
「やっと、やっと帰ってきてくれました……!」
「うん、ただいま。ちゃんと帰ってきたよ」
ぐすり、と涙混じりな声。
シェーラを落とさないように右手だけで支えつつ、空いた左手でレンカの頭を撫でる。
金色の髪へ手櫛を通して、落ち着くまで何度も繰り返す。
いつまでそうしていただろうか。
時すら忘れた再会の味を十分に噛み締めて。
「――レンカ、ちょっと場所を変えよう。話したいこともあるし。ここだと邪魔になっちゃうから」
「っ、そうですね。ごめんなさい」
ぱっと離れて謝るレンカの手を引いて向かったのは庭園。
ここなら人はいないと思ってきてみたが、予想通りに人気はない。
戦いの痕跡はあるものの、それほど被害はなかったようだ。
月光が降り注ぐ静謐な場。
近くの無事なベンチに腰を下ろして、意識のないシェーラは膝の上へ。
レンカも隣に座ったところで本題に入る。
「さて、と。私も色々話したいことはあるけど……多分、レンカもだよね」
「まあ、そうですね。私の場合は確認のようなものですけど」
「じゃあ、レンカからにしようか。なんでも聞いて欲しい。できる限り、嘘偽りなく答えると約束する」
そう言うと、レンカは「では」と前置きして、
「――カズサさんは、七生カズサさんで間違いないですか」
「……あれだけやれば流石にバレるよね。レンカの推測通り、俺は七生カズサ。ちょっと諸事情でこんな姿になってるけど。ずっと隠しててごめん」
誠心誠意の謝意を込めて頭を下げる。
こんなもので許されるものとは考えてはいないけれど、けじめはつけるべきだ。
もやり、と思考に霧がかかったように曇って。
永遠にも等しいと感じるほどに引き伸ばされた執行猶予の時間が過ぎ、下された判決。
「どうして謝るのですか? 確かに驚きましたが、カズサさんは私に何か悪いことをしましたか?」
あまりに驚いて顔を上げ、
「えっ……いや、だって、中身男で――」
「やむを得ない事情があったのですよね。大方予想はつきます。それを咎めるのは本意ではありません」
「でも、色々、その……」
「……だって、一番大変なのはカズサさんじゃないですか。性別まで変わって、恐らくは父上の命で私の護衛をしていたのでしょう? なら、感謝こそすれど、責める理由がどこにありますか」
ふるふると首を振って、緩く微笑んだ。
どうして。
そんな言葉は声にならず、喉の奥でつっかえて出てこない。
「もしかして怒られるとか思っていましたか?」
「それは、その……」
口ごもりながらも最後には頷いて見せると、呆れたようにため息をつかれた。
「私、人を見た目で判断するような人だと思われていたのでしょうか。少しばかり……いえ、結構傷つきます」
「そんなつもりじゃ――」
「わかってますよ。揶揄っただけです。こんなカズサさんは次にいつ会えるかわかりませんから」
ふふっ、と笑んで、そう口にする。
普段通りのそれで本当に責めたり怒ったりする気がないのだと理解して、緊張で硬くなっていた身体が楽になるような気がした。
「私の確認はこれで終わりです。では、カズサさんのお話も聞かせてくれませんか? 特に、膝の上の少女に関して」
「……ああ。この少女は見ての通り、『
細かいところはぼかしつつ、可能性が高い未来を伝える。
レンカは意識のないシェーラへ視線を流して、
「そうですか。それは、大丈夫なのですか」
「絶対にとは言い切れないけど、話した感じだと大丈夫だと思う。もちろんこれまでにした罪は消えないし、それは本人もわかってる」
「……なら、問題はないでしょう。私が決められることでもないですし」
「そんなに簡単に認めていいのか? レンカだってシェーラに殺されかけたのに」
「だって、カズサさんが守ってくれるでしょう?」
当たり前のように、レンカは言う。
どきり、と心臓が跳ねながらも、力強く首を縦に振る。
「――何があってもレンカを守る。七生カズサとして、それだけは絶対に違えない」
「任せます。まだ力のない私を守ってください。いつか、支え合えるその日まで」
二人だけの宣誓。
ひゅう、と吹いた風が運ぶ明日の気配を感じながら。
不意に近づいたレンカの顔。
頬に柔らかで温かいものが触れて。
何事かと数秒遅れで振り向けば、レンカが顔を逸らして照れくさそうに頬を指先で掻いていた。
「これはほんのお礼です。……意外と恥ずかしいものですね」
温かさを感じた場所に触れてみれば、僅かに湿った感覚を指先に感じる。
つまりは、さっきの温かさはそういうことで。
溢れた感情が声になることはなく。
込み上げた甘やかな感情のまま、今日という日は過ぎていく。
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